1、歳をとらない執事長
始めてしまいました新連載。
よろしくお願いします!
シルバーコート侯爵家は代々王に仕え、
時には武力、時には知力、時には財力で国の繁栄に貢献してきた。
その有能さは当主に留まらず、使用人に至ると有名なだけあって、それ故か……
シルバーコート侯爵家には、よく知られた七不思議がある。
だがその中に1つだけ、不思議な噂がある。
"「シルバーコート家の娘」"
侯爵の妻は王家から嫁いだ姫君で、子宝を2つ授かって儚くなった。
1人は息子、1人は娘。
息子の方はすくすくと育ち、今や令嬢達の中でも容姿・家柄・人柄の揃った令息とみなされ人気が高い。侯爵と並んでいるとマダム達さえも夢中になるほどだ。
しかし、娘の方は"わからない"と形容するほか無かった。
何故なら家族と使用人以外で誰もその姿を見た事がないのだ。
王家主催の公式行事や、侯爵家主催の会には必ず一家総出でことにあたるはずなのだが、侯爵と旧知の中の貴族ですら、その姿を見たことは……一度もない。
(まあ、"見た事がない"のではなく、"認識できない"の間違いですが。
そのご令嬢は現に、今、この会場内で様子をみているのに)
だから噂ばかりが社交界を賑わせる。
あまりに醜いために屋敷の奥に隠されている、
逆に美しすぎて家族から寵愛されて閉じ込められている、
実はもう死んでいる、奔放すぎて家を出た……などなど。
人の興味を引き立てんばかりに噂がひとり歩きをするのだ。
(実際きちんと目の前で挨拶されているというのに気付けない。目に見えているけど見えないものに気を付ける事ができるなら、もっと出世できますものを)
シルバーコート侯爵家主催のパーティー会場。会場内で噂の令嬢を見つけようと、令嬢・令息貴婦人達が噂し目を泳がして見回す中、彼は悠々と仕事をこなしている。
「グラスをどうぞ」
「あら……貴方、確か……」
「シルバーコート侯爵家の執事長を務めさせていただいております、ローグと申します」
「ろ、ローグ?……あの!?」
「……あちらでお連れさまがお待ちでございますよ」
と、彼が言えばマダムはすぐに夫の元へと戻っていった。マダムは驚いていた。ローグは元々同級生だった。子爵家の五男という何のしがらみも……というか、何もない男だった。学園卒業後現在の夫と結婚し、もう20年は経つ。子供も2人出来てついこの間下の子のデビュタントが終わったところだ。それを物語るかの如く、相応に歳をとった。
そうつまり、マダムとローグは同い年なのだ。その筈なのだ。しかし、ローグの見た目は、卒業時のあの頃から"一切変わっていなかった"。
自分はこんなにも歳をとったのに。
その頃1番と言われた美貌も歳相応になり、老いには勝てない事をなんとか受け入れたその自分の前に、あの何も持っていない筈の男は、"年老いる事なくそこにいる"。
(それにしても、今日はいつにも増して客が多い。どうせ"見つけられない"のだから、いい加減帰れば良いのに)
"執事ローグ"は卒なく給仕をこなしながら、時に"貴族達の会話に紛れ込み"、"時に婦人達の噂話を聞きつつ"なぜか"不審に思われることもなく"、閉会まで仕事をやりきった。
彼は一時的にその場を離れる。執事室へと入り、直ぐに出てきた。
「おやマダム。此方は貴方のような貴婦人が来る場所ではございませんよ。
エントランスまでご案内致します」
「……ローグ」
「何でしょう」
執事は笑顔で応える。
マダムは箍が外れたかのように言葉を発し始めた。発している、というより吠えているとも言える様相だ。
信じられないものを見る目で、整えた髪を乱しながら、それだけ必死に何故お前は歳をとらないのだと。
「……さて、何のことでしょうか。マダム、随分お疲れのご様子ですね。ご家族も心配なさっている事でしょう。さあ、どうぞあちらへ…………」
「触るな化け物っ!!」
執事が伸ばした手をマダムが叩き落とした。その顔に浮かんでいるのは恐怖そして嫉妬だ。
「どうしましたー?」
その場に新しく追加されたのは、間延びした……悪く言えば、この逼迫した状況を打ち壊すのんびりした声だった。
「此方のご婦人にだいぶ怯えられてしまいまして。エントランスまで送ってくださいますか?」
「いいですよー。さ、行きましょー?」
怯えて俯いた婦人の視界の端に映ったのは、この侯爵家の侍女が身に纏っている服のスカート部分であるため、マダムは大人しくその侍女の手を借りて、ゆっくりと、あの執事を付けて歩いてきた廊下を戻っていった。
その背を見送って、執事はやれやれとため息をついた。
婦人はここに来たことを後悔した。
かつて自分が何も持っていないからと馬鹿にして見下していた男が、自分が失った若さと美貌を持ってそこにいた事は予想外であり、なにより屈辱であった。
「こんなことなら、来るんじゃなかったわ……!非公式に王子の婚約者を見定めてる可能性があるからって旦那が言うから、圧力をかけてあの子を連れてきたのに……!」
ただのひとり言だった。
けれどそれに返事があった。
「本当に、来ないで欲しかったですー」
「……え?」
婦人はそこで漸く、自分が今、侍女に案内されていることを思い出した。
自分のひとり言というかボヤいたことを拾われた事など、驚きに塗り潰されて最早彼方である。
ついでに、いつの間にか屋敷の外に出ていた。
ただ、そこで待っていたのは家の馬車ではなく、婦人が"譲ってもらった"招待状の元々の持ち主と、警官、そして自分の旦那である。
「ご令嬢自体はいい感じでしたけど、残念ですねー」
顔の見えない侍女の姿は、婦人がその声の意味を理解する頃には、既にその場から消え去っていた。
パーティー会場の片付けも終わり、執事は令嬢の部屋にて、お嬢様がお気に入りの紅茶を淹れていた。
令嬢は疲れたと主張するが如く、クッションにもたれている。
「如何でしたか?」
「親があの程度じゃ、ちょっと」
「若い頃は中々の美人でしたよ?」
「その中々の美人のボロを出させた執事が言う台詞かな。一体何を言ったの?」
令嬢の座るソファーの足元に落ちている侍女服とヘッドドレスを侍女が回収して部屋を出る。その腕の中には、侍女服だけではなく、今執事が着ているものと全く同じ燕尾服も抱えられていた。
「私と入れ替わって部屋を出てすぐ。手を差し伸べる寸前に、何か耳打ちしたでしょう?」
「……さて、何のことですかなあ。歳をとると物忘れも激しくなりますから」
令嬢はクッションから離れて座り直しカップを手に取る。その姿は直前までだらけきっていた人間とは思えないほど、きちんとした令嬢であった。
執事のはぐらかしに、令嬢は呆れたように溜息をついただけで、カップに口をつけた。
お茶を飲み、少しリラックスしたのか、深呼吸……というか、大きな溜息をついた令嬢に対して、執事は苦笑をこぼした。
この後何が起こるか分かっているのである。
令嬢の手元から素早くカップを回収して、万一のために給仕台ごと目の届かない範囲に片付ける。
「……本当に、大人しく待っていれば、……待っていてくれれば、今日の夜会でイリス様をずっと鑑賞していられたのにっ……!!」
令嬢は先程までの令嬢らしさをかなぐり捨て、また大きなクッションに抱き付くと、溜まりまくったストレスを発散させるかの如く顔をつけたまま意味のない音を叫んだ。時たま苛立ちを込めてクッションを殴っている。
「王子に頼まれて嫌々夜会をウチで開いて、指定された"見た目良し・性格良し・伯爵家以上の令嬢"を厳選して集めたのに……!
なのにっ……!ギリギリになって、招待状を掠め取り事案が複数発生して、呼んでない家が出てきたから帰るって……!応接室までの案内しかしてないのにっ……!!お茶を出す為のほんの数分しか、イリス様のお顔を見れなかった……!!!」
あの腹黒自己中王子(クソ野郎)!!と、侯爵が聞いたら「不敬罪で一発打首かなぁ」とストレスで吐血しかねない罵倒を心の中で行い、ついでに日々溜まった恨み言を唱えてから、顔を上げた。
「王子は別に帰ってもいいんですよ、イリス様だけ置いていってくだされば!今日はその為にローグに無理を言って"代わって"貰ったのにっ!」
そう、事前の打ち合わせで、1番給仕に慣れていて、アクシデントへの対応も完璧な執事、ローグを王子の側に配置することになった。
それはつまり、護衛でついてくるであろうイリスを1番近くで、じっくりと、不自然ではなく鑑賞出来るという事。
もしかしたら一言、警備のことでも給仕の事でも、何かしら言葉を交わす事だって出来るかもしれない。
(王子に飲み物を運んでくれという指示でも、警備が甘いというお叱りの言葉でも、何でも構わない。寧ろ何も言わないかもしれない。それもまた良し!
何にせよこのボーナスを逃す手はない!)
だから今日というご褒美の為に面倒かつ苦手な夜会を開く為に頑張った。
だからローグに成り代わった。
……だと言うのに。
「……骨折り損……くたびれ儲け……ただ働き……」
「イリス殿は、殿下の護衛ですから、共にお帰りになったのは仕方のない事でございましょう。……楽しみがなくなっても最後まできちんとお仕事をしたお嬢様は偉いですよ」
「……うん。……でも、でも……」
(やっと、直接話せたかもしれないのに)
その後、執事と戻ってきた侍女に励まされ、就寝する前には王子許すまじ。と平常運転に戻った。使用人一同は、相変わらず拗らせてるなぁ。と思うのだった。
読了ありがとうございます。