コーの命令
物陰に隠れていた僕はローエンの姿を確認して飛び出した。
「ローエン、無事だったんだね!」
「おっ、レニー、来ていたんだ」
ローエンは疲れた笑みを漏らした。
父である皇帝の死にショックを受けていたら、二番目の兄に長時間の拘束を強いられたんだ。
その疲労は相当なものだろう。
「皇族たちが監禁されたと聞いて心配していたんだ。いざというときはゲンブで突っ込もうと思ったんだけど、よかった……」
僕の話を聞いてローエンが吹きだす。
「バカだなあ、そんなことをすればファンローとロックナの戦争になってしまうぞ」
あ、今度は自分がロックナの伯爵ということを忘れていた。
「大丈夫だよ。ばれないようにやるから……」
「ゲンブにほっかむりでも被せるのかい? ちょっとばかり無理があるんじゃないか?」
覆面を被った盗賊仕様のゲンブを想像してしまった……。
「冗談はともかく、本当に問題ないの?」
「ああ、私のことは心配いらない。日頃の行いが良かったようだ。皇位継承から足を退いておいて正解だったな。まあリーアン兄上は監禁されてしまったようだが……」
やっぱりクーデターはあったんだ……。
「ねえ、皇帝陛下って暗殺されたの?」
「それが微妙なところなのだ。我が国では魔法薬の研究が盛んなのはレニーも知っているな?」
「うん。それで儲けさせてもらったから」
ファンローの魔法薬はコンスタンティプルなどに持っていくと非常に高値で売れるのだ。
「陛下は最近新しい側室にご執心でね、精力剤をよく飲んでいたんだ。効果は抜群だったらしいよ」
あ~、そういう薬か。
僕には縁がないなぁ……。
持って帰れば売れるような気はするけど。
「でも、それがどうしたの?」
「陛下にこの薬を勧めたのがコー兄上だ」
「もしかして薬に毒が?」
「いや、それはない。毒は毒見たちによって厳重にチェックされる。単なる副作用だったとは思う」
「それにしてはコー殿下が挙兵するタイミングが良すぎない?」
「おそらく、あらかじめそういう打ち合わせだったのさ。陛下は心臓に負担のかかる薬を飲んでいる。ひょっとしたら倒れるかもしれない。もし倒れた時は速やかに皇族たちを拘束するってね」
コー殿下は禁軍(近衛軍)の将軍なのだそうだ。
だから禁軍の士官たちには人気がある。
そしてコー殿下の目論見通り陛下はお亡くなりになってしまった……。
「まさに天がコー兄上に味方したということさ」
ローエンは大きなため息をついた。
「まったく、親の死を悲しむ暇もないんだぜ。私の命は保証されたけど、その代わりいろいろと手伝うようにとコー兄上に言われているんだ。国内が安定するまでは冒険の旅はお預けだな……」
「ローエン……」
「そう悲しそうな顔をするなよ。そのうちにレニーと旅に出られる機会もあるさ」
そうは言っても僕はローエンが心配だ。
ローエンは僕の目の前で暗殺されかけたことだってあるんだから……・
「もし、ローエンが望むなら一緒にここから脱出する? ベッパーまでならイワクスでひとっ飛びだよ」
ローエンはぐしゃぐしゃと髪の毛をかきむしる。
「それができたらどんなにいいか! たださ、俺にも俺を支えてくれた部下がいるからね。彼らが路頭に迷うことになるのは困る」
当然そうなるよね。
「うん、つまらないことを言っちゃった。ごめん」
「いいさ、レニーは親切で言ってくれたんだもんな。ほんとに陛下も陛下だよ。いい年してお盛んすぎるから……」
薬の副作用というのは怖いものなのだな。
「ローエンも薬には気をつけてね」
「私か? 私に精力剤は必要ないよ。若いからな。あんなものを飲まなくても元気いっぱいさ」
「そういう意味じゃないって!」
それにしてもローエンはもうそういうことを……?
僕とたいして年齢はちがわないのに、さすがは皇子様だよ。
帝王学の一環ってやつなのかな?
「ん? その様子をみるとレニーはまだ未体験のようだな。これは驚いた。いつも年上の美女を連れているから、てっきりそういう関係なのかと思っていたぞ」
「そんなわけないよ! 僕とお姉さんたちは……。庶民を皇子様と一緒にしないでね」
「庶民って、レニーはベッパー伯爵で鶴松大夫だろうが」
あ、また忘れていた。
「とにかく、僕はまだそういうのはいいの!」
今はやることが多すぎるんだ。
「さて、ここからは真面目な話であり、これからの話をしたい」
ローエンが居住まいをただしたので、僕もつられて座りなおした。
「おそらく近日中にコー皇帝の即位が発表されるはずだ。レニーにはコンスタンティプル方面へ送られる使者を運んでもらいたいのだが、引き受けてもらえないだろうか? これはコー兄上からの依頼だ」
「それは構わないけど、殿下はよく僕のことを知っていたね」
直接の面識はなかったはずだ。
僕はコー殿下の顔も知らない。
「港の超大型クルーズ船を知らない人間はハンローにはいないよ。君が親書を持ってきたこともコー兄上は知っている」
あれだけ目立つ船なら当然か。
「運ぶのはいいけど、数と出発日はどれくらいになる? あんまり長くここにはいられないんだ」
僕が離れすぎていると、ベッパーに残してある船が送還されてしまうからだ。
一応、念を送れば送還期日は伸びることが分かったけど、あまり離れているのは不安になる。
「使節の代表はワン・フォウという文官だ。数は護衛を入れて3000人くらいで調整する予定だ」
「そんなにいるの?」
「大国の威信ってやつさ。ワンはコンスタンティプルに着いた後も各国を回るからね。手土産などもあるから護衛をつけないわけにはいかないだろう? とりあえずは皇帝陛下の崩御と新皇帝の即位式が一年後にあるということを報せるだけだから10日後には出発できると聞いている」
いよいよ大型クルーズ船の出番か……。
「ところで即位式は一年後なんだね」
「慣例で一年間は喪に服さなければならないからな」
「わかった、僕は一旦ベッパーに帰るよ。必ず10日後には戻ってくるから。あ、ところでそれは料金を払ってもらえる仕事かな?」
ちゃんと訊いておかないとルネルナさんに叱られてしまう。
「安心しろ。通常料金よりも割増しで払ってもらえるさ。手付金も用意するように言ってある」
「ずいぶんと気前がいいなあ。本当に大丈夫なの?」
「払うのは私じゃない。国庫からお金が出るだけさ。レニーは安心してふんだくってやれ」
「だったらそうさせてもらおうかな。これで魔石をたくさん買えるよ」
僕らはようやく笑いあうことができた。
でも、その時の僕は恐ろしい計画が進行中だとはちっとも気が付いていなかったんだ。
まさか、ローエンがあんな命令を受けているなんて……。
◇
次期皇帝と向かい合いながら、ローエンは自分の額がじっとりと汗で滲むのを感じていた。
普段は飄々《ひょうひょう》としている彼には珍しい姿である。
重苦しい沈黙を破ってローエンが口を開く。
「リーアン兄上はどうなりますか?」
「兄上には聖職者になってもらおう。レンガラ大寺院の主幹にでも収まれば悪くない余生を送れるのではないか?」
コーはニコリともしないでそんなことを言った。
さすがに実兄の命を取るまではしないようだ。
もちろん、先のことはわからないが……。
「わかりました。私はコー兄上の即位を支持します」
第三皇子である自分の決定が国に与える影響が大きいことはローエンも承知している。
だが、もともとローエンはリーアンとコーのどちらが皇帝になっても構わないと考えていた。
順当に一番上の兄が継げばいい、自分は降りる、そういう生き方をしてきたのだ。
だから、どちらの兄にも特別な思い入れはない。
むしろ自分が反対派に回ることで内乱が起きてしまうことの方がよっぽど怖かったのだ。
「それはよかった。ローエンは生真面目なところがあるから、もっとごねるかと思っていたよ」
コーは少しだけ笑顔を見せる。
冷たい笑顔を。
「私は帝位に興味はありませんので。もっとも血の流れないやり方を選ぶだけです……」
「なるほど、賢いお前らしいな。だが、そういう考えでいてくれて助かった。反対されたらローエンの友だちに説得してもらおうと思っていたんだ」
「友だち?」
「ほら、あのカガミとかいう外国人だよ。港に停泊している大きな船の」
ローエンの体の中で血が逆流した。
次期皇帝はレニーを出汁に使って自分を脅迫しているのだ。
「レニーはロックナ王国の伯爵ですよ! あの者を害することはなりません」
「わかっている。だが、ロックナは事実上存在しない国ではないか。すでに魔物に滅ぼされて久しい」
「しかし、あそこは西側各国が復興を認めております」
「それもわかっている、そう興奮するな」
コーは手を広げてローエンを落ち着かせた。
「お前が協力してくれるのなら私も悪いようにはしない。次代の皇帝としてロックナ復興に協力していいとさえ思っているのだ」
ローエンは油断なくコーの表情をうかがった。
この男が真実を語っているかどうかを見極めるために。
「とりあえずは彼の船で使節団を運んでもらおう。褒美は好きにとらせるぞ。もちろん今後も便宜を図るつもりだ。鶴松大夫は有能な船長らしいじゃないか」
ローエンは怒りを外に出さないように静かに聞いた。
「私に何を望むのですか? 即位の支持だけではないのでしょう?」
「さすがは希代の天才と呼ばれたローエンだ……」
コーの瞳に嫉妬の炎が灯っていた。
そう、ローエンは天才だった。
学問、武芸、政治、軍事、芸術、すべての分野において彼を上回る才能を見せた皇子や皇女はいない。
それゆえに粛清の対象になりかけたことは一度や二度ではなかった。
だが、ローエンが興味を示したのは帝位ではなく冒険の旅だった。
それが彼の命を救ってきたという側面もあったのだ。
「天才などととんでもない。私は旅を切望するだけの怠惰な皇子です」
「ふん、よく言う……。まあいい。次期皇帝として今のうちに言っておこう。私は第三皇子ローエンにガイドロス島征伐を申し付けるつもりだ」
ローエンは雷に打たれたような衝撃を受けていた。
ガイドロスは魔界の入り口とも呼ばれる島だ。
島を覆う瘴気の中から幾多の魔物が生まれ、そこから世界へはびこっていくという地上でもっとも危険な場所だった。
ガイドロス島征伐、つまりそれは死刑にするというのとほぼ同義の命令だったのだ。




