二つの盃
食事の席ではローエン皇子がしきりと高速輸送客船の素晴らしさを皇帝に力説していた。
陛下もウンウンと頷いていて、ついには「余も乗ってみたいぞ!」と言い出す始末だ。
さすがに皇帝の乗船は側近たちが総出で止めているよ。
皇帝が誰かの家へ行ったり、誰かの船に乗ったりすることは非常に名誉なことだから、軽々にやってはいけないらしい。
僕としてはお客さんを乗せることにやぶさかではないのだけど、暗殺とかを恐れて警備とかが大変になるのだろう。
絶対的な権力者ではあるのだけど敵も多いようだ。
ファンロー料理は間口が広く懐が深い。
とにかくいろんな種類があったけど、僕は魚の蒸し料理が好きになった。
白身の魚をセイロで蒸して、トロっとしたソースをかける料理だ。
このソースは餡と呼ばれていてカニの出汁で作るらしい。
ミーナさんが作り方を聞いてくれていたから、今度同じものを作ってもらうことにしよう。
「どうだ、カガミ伯爵。料理を堪能してくれたか?」
少し酔った顔で皇帝が僕に訊いてくる。
「はい。どれも大変おいしかったです。お腹いっぱいでもう動けないほどですよ」
「それはよかった。カガミ伯爵に鶴松大夫の称号をつかわす。ファンローの地にやってくるときにはいつでも遊びに来るがよい」
鶴松大夫?
「宮廷第三門の内まで出入り自由の身分だよ」
ローエン皇子が教えてくれた。
宮廷の施設を港のラウンジみたいに使えちゃうの!?
これでお城の中を見学し放題だね!
皇帝は終始ご機嫌でお土産まで用意してくれた。
しかも荷馬車一杯に。
中身はファンロー料理の食材や絹織物……ええっ!? これは国営の窯で焼いた陶磁器じゃないか!
しかも大きい……。
「レニー君、この壺の価値は相当な物よ」
確かな鑑定眼をもつルネルナさんが言うのだから間違いないだろう。
「船外機付きボートは普通のじゃなくて、マジックチャージャーの付いたフィオナカスタムを納品しましょう」
「それがいいわね。どうせ次のマイナーチェンジでは標準搭載する予定だし」
これを機会に更なる注文だって入るかもしれない。
そうなれば資金が集まるし、ベッパーの技術だってさらに上がるだろう。
魔導自動車が開発出来たらその販売の足掛かりにもなるはずだ。
というわけで、フィオナさんには悪いけど、マジックチャージャー付のカスタムボートは皇帝に納品することとなった。
僕らがファンロー帝国に滞在する間、ローエン皇子は毎日のように遊びに来た。
それくらい僕とローエン皇子は馬が合ったのだ。
「なあ、いつかこの世界を一周してみたいと思わないか?」
「それこそ僕の夢ですよ。今はまだ無理でも、世界が安定したらぜひとも出かけたいと考えています。その時はローエン皇子も」
ローエン皇子はキラキラとした瞳で頷く。
「もちろんだ! ありがたいことに私は第三皇子だからな。周りがどう考えているかはわからないが、帝位を継ぐ気なんてさらさらない。さっさと自由の身になってレニーと冒険の旅に出たいものだよ」
ファンロー帝国でも宮廷闘争があり、次期帝位をめぐって皇子たちの間では熾烈な暗闘がなされているそうだ。
暗殺未遂やクーデターなんてしょっちゅうのことらしい。
もっとも、ローエン皇子は普段から帝位に興味を示さず、皇太子が帝位を継ぐべきであるという立場をとっているので、争いに巻き込まれてはいないようだけど。
「さっさと自由の身になって冒険の旅に出たいけど、リーアン兄上が皇帝になるまでは無理だろうな……」
「僕らはどちらもまだ十代です。そのうちきっと旅立ちの日が訪れますよ」
「そうだな。その時は皇子をやめてレニーに航海士として雇ってもらうか! しっかり勉強してくるから厚遇で頼むぞ」
その日も僕らは冒険の計画を立てたり、水上バイクに乗って遊んだりしながら一日を終えた。
「明後日はいよいよ出航か。寂しくなるな」
魔石の買い付けも滞りなく進み、あとは品物と現金を交換するだけの状態になっている。
積み荷もルオウ商会によって明日には荷揚げされる予定だ。
「また近いうちに来ます。支店をだす許可もいただきましたので」
僕らは皇子のお墨付きを得て、カガミゼネラルカンパニーの支店をハンロー港に作ることを許可されたのだ。
支店があれば魔導エンジンの販売やファンロー産の薬の買い付けがしやすくなる。
「うん。明日は送別の宴を開くよ。今夜はこれで帰るとするか」
僕はランプウェイを降りて皇子を見送りに出た。
後から考えれば、僕はやっぱり未熟だったのだと思う。
これがシエラさんだったら異変を事前に感じ取っていたかもしれない。
僕も『地理情報』で建物の屋根の上にいる数十人の人間には気が付いていた。
だけど、それは皇子の護衛がそこにいると勘違いしていたのだ。
辺りは薄暗くなっていて、皇子の護衛たちは屋根の上にいる暗殺者に気が付いていなかった。
数十本の矢がローエン皇子に突如飛来してくるまでは。
「皇子ぃいいい!」
護衛たちが叫び声を上げる中、僕は冷静に状況を判断していた。
「皇子と負傷者を船の中へ!」
追撃があっても、高速輸送客船を発進させてしまえばどんな敵が追ってこようとも振り切れる自信があった。
護衛たちは僕の提案通り皇子を守りながら船へと引き返す。
ローエン皇子は腿と胸に矢を受けていてかなりの重体だった。
他にも負傷者は何人もいる。
「治癒師はどうした!? はやく殿下を治療いたせ!」
衛兵が声を張り上げているけど、なんと治癒師や彼らの護衛隊長までもが矢を受けて負傷していた。
特に護衛隊長だったカイさんはローエン皇子をかばって全身に13本もの矢を受け、瀕死の状態だった。
「レニー君」
ミーナさんが訴えかけるような目で見つめてくる。
「わかっています」
僕はすぐにステータスボードを開いた。
特殊医務室はある程度の大きさを有した船なら、どこでも設置できるオプションだ。
輸送艦だけでなく高速輸送客船にだって付け替えは可能だ。
ただし、こちらに設置しているときは輸送艦の特殊医務室はなくなっているけどね。
「これで良し! 重傷者をこちらに運んでください!」
僕は衛兵たちを促して傷ついた皇子たちを特殊医務室のカプセルへと運んだ。
(これより患者のスキャンを開始します)
「カガミ伯爵、大丈夫なのでしょうか?」
「まかせてください。きっとローエン皇子をお助けしますから」
心配する護衛をなだめて、僕は治癒魔法加速カプセルを起動した。
カプセル内に現れる蛍のような光が皇子の傷口に吸い込まれていくごとに、重症患部が治癒していくのが見て取れた。
「おお! これなら……」
護衛の人たちも安心したようだ。
「襲撃者はどうなりましたか?」
「残念ながら逃げられました。最初の矢を放った段階で逃走に入ったようです」
犯人を捕まえられなかったのは気にかかるけど、撃退できたのならよしとしよう。それより今は負傷者の手当てだ。
治療は20分に渡り続けられて、皇子をはじめとした三人は全員無事に生還することができた。
「レニー、何と礼を言っていいか……」
すっかり元通りになった皇子が頭を下げてきた。
「気になさらないでください。ローエン皇子がいなくなったら僕も悲しいですから」
「レニー……。一つ頼みがあるのだがいいか?」
「どうしたのですか?」
「酒を用意してもらえないだろうか? なんでもいい」
いきなりの快癒祝いなのかな?
外国の文化はよくわからないけど……。
「かまいませんよ。ミーナさん、ファンローのお酒を持ってきてください」
「ミーナ、盃は二つ頼む」
やがて、トレーに乗せられたお酒と盃が運ばれた。
ローエン皇子は自ら酒瓶をとり、二つの盃に酒を満たしていく。
「レニー、これを受けてくれないか?」
「えっ? 僕は未成年でお酒は――」
「私と義兄弟の盃を酌み交わしてほしい。君は最高の友であり、命の恩人だ」
これまでお酒を飲んだことなんて、じいちゃんが作らせた日本酒というものを舐めたことがあるくらいだ。
それだって美味しいとは思わなかった。
でも、この酒を断る理由を僕は知らない。
いや、僕はすぐにでもこのお酒を飲み干してしまいたかった。
「ローエン皇子」
「レニー、今日から私たちは兄弟だ」
僕らは二つの盃を飲み干した。
「とんだ事態になってしまったが、今日はめでたい日となった」
「これまで天涯孤独の身の上だと思っていましたけど、はからずも兄弟ができました」
「私にとっては血を分けた兄弟よりもレニーの方が信用できるよ」
僕らは朗らかに笑いあった。
お酒のせいか少しだけ顔が熱い。
「ところで、襲撃者は何者でしょうか?」
「おそらく帝位継承問題のとばっちりだろうな。犯人の目星はついているが、ことを公にする気はない」
「どうしてですか? 襲われたというのに」
「ことを公にすると責任問題でカイたちが罰せられてしまうのだ」
身を挺して皇子を守ったというのに理不尽な話だと思う。
だけどローエン皇子が重傷を負ってしまったのもまた事実だ。
「カイのような忠臣を失うのは馬鹿らしいからな。それにレニーのおかげで私はぴんぴんしている」
笑いかけるローエン皇子とは対照的にカイ護衛隊長はその場に平伏した。
「カガミ伯爵、ローエン皇子と治癒師メイコウ、そしてこの私の命を救ってくださった御恩を決して忘れません。天地神明に誓い必ずご恩に報いる所存です!」
大柄な美丈夫が身を投げ出して頬を濡らしているのには驚いた。
「そんな……気にしないでください」
「いいえ、必ずお役に立って見せましょう!」
なかなか情に厚い人のようだ。
いつかファンロー観光でもお願いしようかな、そんな軽い気持ちでいたんだけど、実際はそんなもんではきかなかった。
そう遠くない将来、カイさんは今夜の約束を守って僕たちを何度も助けてくれるようになるのだ。
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