大胆になるアルシオ
ベッパーの港に高速輸送客船が帰ってきた。
船には必要な輸入物資の他に、200人を超える帰還民が乗っている。
彼らはもともとロックナ王国の国民だったのだけど、魔族の侵攻で他国へ避難せざるを得なかった人たちだった。
「さて、この中にもと文官でもいてくれれば助かるのだが……」
港まで船を出迎えに来たアルシオ陛下が眉間にしわを寄せて帰還民のリストを睨んでいる。
彼らの住居の割り振り、仕事の斡旋、食料の配給などと、やることは山ほどある。
だから事務のできる人は喉から手が出るほど欲しいのだけど、そういう人材は少ない。
「大丈夫です、僕も手伝いますからね」
こういった事務仕事はアルシオ陛下が中心になってやってくれている。
最近はちょっと根を詰めすぎだと思うほどに一生懸命だ。
「伯爵には苦労をかけてばかりだな」
「苦労しているのは陛下じゃないですか。僕なら平気ですよ。疲れたらまた一緒に治癒魔法加速カプセルに入りましょう」
「う、うむ。昨晩は迷惑をかけた……。これからは気をつけるので許してほしい」
昨日、アルシオ陛下は僕の目の前でいきなり倒れてしまったのだ。
仕事のやりすぎで心身ともに疲労困憊していたのだろう。
慌てて抱え上げて特殊医務室まで運んだから大事には至らなかったけど、陛下は生真面目過ぎて心配になる。
「たまにはリラックスしてくださいね。今日の午後は一緒にお茶でもいかがですか?」
「そうだな。伯爵のお誘いとあらば、ぜひにも」
アルシオ陛下の手が伸びて僕たちの小指が掠るように触れ合った。
陛下は人前では僕のことをカガミ伯爵としか呼ばない。
二人っきりの時はレニーなんだけどね。
体を触れ合わすなんてことも絶対なくて、握手すら滅多にしない。
女王というご身分だから仕方がないことではある。
国王の手にキスをするなんて最高の栄誉だったりするから、人前では馴れ馴れしい態度は厳禁なのだ。
だけど伝導の儀式の後くらいからかな?
少しずつ陛下の態度が大胆になってきて、先日求婚されてから、ちょくちょく人目に付かないスキンシップをされるようになった。
スキンシップといってもルネルナさんやフィオナさんがするようなものじゃなくて、今みたいに小指と小指がほんの少しだけ触れたり、肩と肩が触れるか触れないかくらいの距離をとったりするくらいだけど……。
それでも陛下にとってはかなり大胆なことをしているという意識があるようだ。
箱入りの公爵令嬢として育ったからあたりまえかな?
そして、陛下はこうした触れ合いを楽しんでいらっしゃるようだ。
「あっ」
海風が吹いて、陛下が持っていた書類の何枚かが飛ばされた。
近くにいた侍女たちが慌てて拾いに行ってくれる。
一緒に拾いに行こうかと思ったけど、陛下の言葉が僕をその場に押しとどめた。
「お茶の時間が楽しみだ。良ければレニーの愚痴でも聞くぞ」
「それは逆じゃないですか? 僕は陛下の心労を少しでも和らげたいのですが」
陛下は微かに笑った。
「甘やかされると君にべったりになるぞ。レニーにその覚悟はあるか?」
陛下はときどきびっくりするようなことを言って僕を困らせる。
そこまでの覚悟があるかと問われればまだないわけで……。
「すまん、またレニーを困らせてしまったな。そばに人がいなくなると私はすぐにこれだ……」
「頼られるのは嫌いじゃありません。ただ、まだ結婚とかは考えられなくて……」
「う、うむ。それは……そうだ……」
僕らの間を再び強い海風が駆け抜けていった。
落ちていた書類がまた風に舞って、侍女たちが大騒ぎしている。
ほどけてしまった会話の糸口はなかなか見つからず、僕らは黙ったまま帰還民たちを眺めていた。
港の賑わいに混じって魔導エンジンの音が聞こえてきた。
やってきた高機動車が僕らの目の前で急停車する。
降りてきたのは真剣な表情のシエラさんだ。
何かあったのだろうか?
「セーラーウィングからの情報をまとめたのだが、ロックナ本土で魔族に動きがある」
「動きというと?」
「どうやら軍を編成しているようだ。王都ダハルの港に船が集まってきている」
故郷の名前を聞いて陛下の目つきが鋭くなった。
「目的はやはりベッパーですか?」
「まだ確定ではないがおそらくそうだろう」
送り出したワイバーンが帰ってこないのだから疑うのは当然か。
だけど、いきなり軍を派遣するとは思わなかったな。
「迎撃の準備をしなければならないですね。船はどれくらい集まっていますか?」
「今のところ6隻。船の数から見て敵の陸上部隊は三千を超えるな。しかもまだまだ増えるようだ」
「予想以上の大部隊ですね」
ひょっとすると5000を超える規模になるかもしれない。
こちらは人員が増加したといっても、兵士の数は未だに4000人足らずだ。
「まともにやりあえば少しきつい。だが――」
「洋上で迎撃すれば圧倒的にこちらが有利ということですか?」
「君は優秀な生徒だよ」
シエラさんは自信がありげに頷いている。
ベッパーに上陸させるのは嫌だし、船での戦闘なら陸上部隊は脅威じゃなくなる。
海の魔物の機動力は心配だけど、砲の射程と威力でカバーできるはずだ。
「問題はワイバーンより、バクナワを中心とした海の魔物だな」
輸送艦には海中の敵に対する水雷砲(複合合体魔法を応用した兵器)という武装が2基ついているが、敵の数が多くなればそれだけでは心もとない。
「水雷砲と音響魔法攻撃で対処ですね」
音響魔法攻撃はポセイドン騎士団が開発したオリジナル魔法で、水の中に振動を送って敵の聴覚や脳にダメージを与える合体魔法だ。
本来は極秘なんだけど、海馬捕獲基地をベッパーに作る見返りに、フェニックス騎士団にも伝授された。
指導はもちろんナビスカさんたちだ。
「とにかく、主要メンバーを集めて軍議を開こう」
「はい。会議は輸送艦の中で行いましょう。このまま僕らも高機動車で運んでください」
僕とアルシオ陛下はリアシートに乗り込んだ。
「お付きの方々は後から輸送艦に来てください」
侍女や護衛騎士には馬車で来てもらうしかない。
彼らがドアを閉めてくれると、シエラさんはアクセルを踏んで高機動車を発進させた。
高機動車はグングンとスピードを上げて、車内にはエンジンの音が大きく響いていた。
艦の水雷砲で海中の魔物はどれくらい対処できるのだろうか?
不安は尽きないけど、それを冷静に分析することが大切なのだ。
大丈夫、僕は一人じゃないんだからと自分に言い聞かせた。
情報は担当騎士たちの手でもうまとめられていると思うけど、それをさらに精査しなくてはならない。
軍議はきっと夕方近くまでかかるだろう。
「陛下、申し訳ありませんが、午後のお茶会はできそうにありません」
「わかっている。駄々をこねるような女ではないぞ」
車窓から見える風景を眺めながらアルシオ陛下は答えてくる。
その表情からは何も読み取れない。
だけど、不意に陛下の手が伸びて僕の手を包み込んだ。
「言ったであろう、わらわは尽くす女だと」
その声は小さすぎて、本当にそう言ったかどうかさえ自信はない。
高機動車のエンジン音は大きくて、僕だって聞き取りにくかったのだ。
前で運転するシエラさんには聞こえなかったに違いない。
「あ、あの……」
「まずは情報の解析からだな。セーラーウィングがもたらした映像を繰り返し再生して見る必要がある」
アルシオ陛下は何事も起きていないかのようにしゃべり続ける。
たしかにフィオナさんのように首に抱き着いてくるわけじゃない。
ルネルナさんのようにキスをしたり、ハグをしたりするわけでもない。
でも、僕の手に乗せられた陛下の手はとても熱くて、その表情は何かを訴えかけるように真剣だった。




