アルシオの告白
ロックナ王国の王都ダハルはダークネルス海峡のおよそ400㎞南に位置する。
気候的には亜熱帯の最北で、一年を通じて温暖な地域だ。
白亜の王宮はアドレイア海一美しい城と称えられていたが、今はいたるところに黒い染みがこびりついている。
それは魔族に虐殺された人々の血だ。
この城が魔族に占領されてもう一年が過ぎている。
この地を治めているのは魔族四天王の一人であるブリエルという魔人だった。
巨大な巻き角がこめかみから伸びる山羊の頭を持ち、ひょろ長くも筋肉質な肉体は3メートルを超えている。
ブリエルはひょろ長い足を組んで玉座にふんぞり返っていたが、その前では亀のような魔人が平伏していた。
「つまりなにかい、タトール君。君はベッパーが人間どもに侵略された、とこう言いたいんだね?」
「そこまでは申しておりません。ただ、先週送られてくるはずの奴隷と物資がいまだ届けられておりません。ひょっとすると戦闘状態となっている恐れがあると疑われるのです。様子を見に翼のある魔物を送りましたが、それらも帰ってまいりませんので……」
タトールはブリエルの怒りが自分に向くことを心配したが、報告を聞いたブリエルは全くと言っていいほど動揺も心配もしていないようだった。
「面白いじゃないか。いや、いじらしいというべきか? 無力な人間どもが無力なりに頑張って、ささやかな抵抗をしているのだろう?」
「自分もそのように愚考いたしております」
ブリエルは黒い爪が伸びる指でポリポリと長いあごひげを掻いた。
「ふむ、タトール君。私は常々、魔族は魔族らしくあらねばならんと考えているのだよ」
「はあ……」
「人間に完膚なきまでの絶望を与えてこその魔族だとは思わんかね?」
「御意にございます」
ブリエルの口角がニッと持ち上がり、凶悪な表情が酷薄さを増してさらに凶悪となった。
「ならば我々は魔族らしく振舞おうではないか。ワイバーンを二小隊ベッパーに送りたまえ。人間どもは空からの攻撃に特に弱いからね。奴らの小さな希望に火をつけて焼き尽くしてやろう」
「はっ! さすがはブリエル様、英断でございます」
ブリエルはタトールのおべんちゃらを手で遮った。
「そんなことより海の魔物が著しく減少している原因は突き止められたのかね?」
「そちらについても確たる情報は未だ入ってきておりません。ただ、ハイネーン王国のアルケイでカリブティスが討ち取られたという報告があります。彼の地のポセイドン騎士団が規模を拡大したか、新兵器を開発したのかもしれません」
「ポセイドン騎士団……海馬を操る海の騎士か」
ブリエルの目が王宮の窓から見えるアドレイア海へと注がれた。
「まあいい。ほどなくハイネーン王国へは一大攻勢をかける指令が来るはずだ。今はこの地を治め、力を蓄えるときだ。ワイバーン部隊の出撃を急がせたまえ」
「はっ!」
タトールは一礼して謁見の間を立ち去った。
□□□
ベッパーが解放されてから二週間が過ぎた。
短い期間ではあったけど復興は確実に進んでいる。
昼夜を問わず高速輸送客船やイワクス1は各地を飛び回り、散らばったロックナの人々や物資を運んでいた。
今やベッパーの人口は1万人に迫る勢いだ。
人が増えることは嬉しいことなんだけど、それと同時に悩みの種も増えてくる。
一番は食糧問題だった。
急激な人口増加で食糧生産が追い付かなくなっているのだ。
畑や漁港の修繕もされているのでいずれは解消されると思うけど、今は食料を輸入に頼らなければならないのが現状だ。
僕とアルシオ陛下は総督府の執務室で頭を悩ませていた。
「統治者たる者は、まず領民を飢えさせないようにすることが一番の務めだ。ここが踏ん張りどころだ。財貨を惜しむでないぞ、伯爵」
アルシオ陛下に言われるまでもない。
「わかっていますよ。総督府に残されていたお金はすべて物資の購入資金に充てる予定です」
ベッパーにはロックナ王国から派遣された行政官が住むための総督府が建てられていた。
エディモン諸島における行政の中心地だけあって、かなり大きな建物だ。
魔族がこの島を占領している間は魔族の幹部がこの建物を使っていたようだけど、ここを取り戻してからは、陛下と僕がこの総督府を使っている。
使用前に魔物が隠れていないかを徹底的に調べたんだけど、それでここの隠し金庫を見つけた。
『地理情報』で建物内に不自然な空間があると思ったら、秘密の部屋になっていたというわけだ。
中には7千万ジェニーもの金貨があった。
本国に輸送前の税金だけではなく、前総督の個人的財産もかなりあったようだ。
どうやら前任の総督は賄賂をとったり、税金をちょろまかしたりして私腹を肥やしていたんだね。
罰しようにもとっくに魔族に殺されているので今さらどうにもできない。
「この金をロックナ再建に役立てることによって、奴の罪を帳消しにしてやろうではないか」
「平和な時代には悪が栄え、悲惨な戦時に是正されるなんて、なんだか皮肉な話ですね」
アルシオ陛下は小さなため息をついた。
「とにかくこれで食料や家畜を買えるではないか。それに人材もな」
「ええ。戦費のことを考えると焼け石に水という気はしますけどね」
「伯爵は苦労が絶えないな」
「伯爵に任命したのは陛下ですよ」
僕の言葉にアルシオ陛下は苦笑したけど、不意に真面目な顔で僕を見つめてきた。
「レニーにはすまないことをしたと思っている。だが、私には他にどうしようもなかった。私にできることなら何でもする。王位が欲しいというのならくれてやってもいいと思ってさえいる」
「……要りません。そんなことを言ったら、またノキア団長に叱られちゃいますよ」
伯爵でさえこんなに大変なのに、王様になんてなったらその苦労はどれくらいになるのだろう?
「つれないことを申すな。わらわを后としてみないか? こう見えて尽くす女だぞ」
「え……」
突然すぎる求婚!?
13歳で結婚とか言われても考えられないんですけど……。
「もちろん、すぐにというわけじゃない。正式な結婚はレニーが成人してからになろう。救国の英雄が王になろうというのだ。もうノキアだって反対するまい」
「ですが……」
戸惑う僕の顔にアルシオ陛下の手がそっと差し伸べられ、優しく僕の頬を撫でた。
「すまん……。またレニーを困らせてしまったな」
「……」
「今はまだいい。だが、心のどこかにとどめておいてくれ」
「はい……」
「それからな、わらわはなにもロックナ王国のためだけにそなたが欲しいのではないぞ。わらわがレニーと結ばれたいという思いが強いからでもあるのだ。そのことも憶えておいてほしい」
さっきまで優しく微笑んでいたアルシオ陛下の眉間に深いしわが刻まれている。
陛下が真剣に何かを考えているときの癖だ。
きっとこの人は本気なのだろう。
しばらく見つめあっていた僕たちだったけど、陛下は書類をつかむと、顔を赤らめながら執務室から出ていってしまった。
そして僕は気がつく。
生まれて初めて、女の人から告白されちゃった……。
湧き上がる感情を持て余したまま、僕は茫然と執務室に立っていた。
目の前には処理しなくてはならない書類が山のようにあるのだけど、どこから手を付けていいのかさっぱりわからない。
だって、アルシオ陛下が僕に結婚しようだなんて言うから……。
アルシオ陛下のことは大好きだ。
優しくて、強くて、そのくせ泣き虫で……、いつも周りに気を使っている。
でも、結婚?
恋人になることさえすっ飛ばして夫婦になるの?
それがどういうものなのか想像もつかない。
僕はアルシオ陛下を愛しているのか……。
「カガミ伯爵!!」
窓の外から僕を呼ぶ声が聞こえた。
ぼんやりとした気持ちのまま僕は窓辺へ近づき、下を見下ろす。
執務室は二階にあるのだ。
眼下には僕が移動に使っている小型トラックが駐車されていて、すぐ横には受け持ちの騎士がこちらに向かって声を上げていた。
「大変です! 輸送艦より連絡あり。魔導レーダーにワイバーンの反応、数12! 20分後にはベッパーに到達予定」
途端に頭が切り替わり、僕は窓から地上へと飛び降りた。
「このまま輸送艦に向かう。君はアルシオ陛下と総督府の人々に連絡を」
「はっ! お気をつけて」
運転席に乗り込んで車両を急発進させた。
運転技術を少しでも上げてもらうため、最近では車両の操縦はなるべく騎士たちにやってもらっている。
自分で運転するのは久しぶりのことだ。
でも、やっぱり自分で運転するのはもどかしくなくていい。
アクセルをめいっぱい踏み込みながら、ほんの少しだけ伯爵とか王様とか言うことを忘れることができた。




