エールワルト公爵令嬢
ハイネルケへ近づくにつれノキア団長がそわそわしだした。
15分おきくらいに操舵室へやってきては、あとどれくらいで到着かを聞いてくる。
戦闘のときでさえ冷静沈着な人なのにどうしたというのだろう?
セミッタの川幅は高速輸送客船が通れるほど広いのだけど、大きな波を立てないように時速20㎞以下で航行中だ。
さもないと小さなボートがひっくり返ってしまうような大波を立ててしまうからね。
「カガミ船長、何度も悪いのだがハイネルケ到着まであとどれくらいであろうか?」
ノキア団長が身を縮めながら再び操舵室へやってきた。
「あと、30分くらいですよ。でも、いったいどうしたというんですか? さっきから落ち着かない様子ですが」
「ああ……。我ながら情けないのだが、久しぶりにエールワルト様とお会いできると思うと緊張してな」
フェニックス騎士団の皆さんにとっては、新しい君主に謁見するようなものだもんね。
「それでさっきから時間を気にしていたのですね。でも、いきなりエールワルト様に会えるわけじゃないでしょう? 時間と場所はルネルナさんがセッティングしてくれているとは思いますが、お会いできるのはもう少し先の話ですよ」
「そうだな……。だが、我らは国を守れなかったばかりか、第二王子のスクノア様まで死なせてしまったのだ。どのような顔でアルシオ・エールワルト様にお会いすればよいのやら……」
ノキア団長だけでなく、騎士の皆さん全員に忸怩たる思いがあるのはずっと感じていた。
僕から下手な慰めなんてとても掛けられない。
「打ち合わせ通り、ハイネルケへ着いたらルマンド騎士団の大鷲城へ向かいましょう。先行したシエラさんが話をつけてくれているはずです。そこでエールワルト様からの連絡を待つしかありませんね」
「そうであるな……」
溜息を吐きだすように答えた団長は軽く頭を下げて操舵室を出ていった。
ハイネルケへ到着すると、僕は船を川の真ん中に停泊させた。
大きさの割に喫水が浅い船とはいえ、接岸できるような場所はどこにもなかったからだ。
上陸はボートに分乗して行った。
それなりに時間をとられたけど、トラブルもなく全員が桟橋に降り立つ。
統率のとれている騎士団は整然と動いていた。
港にはこれまで見たこともないような巨大船を観ようと大勢の見物客が詰めかけている。
「あんなでかい船は見たことがないぞ!」
「我が国の秘密兵器か?」
「降りてきたのはロックナ王国の生き残りだそうだ」
「どこぞの王国の親善大使が乗っているそうよ」
「アゼイア大陸から来たという噂だぞ」
あれこれと憶測が飛んでいたけど、僕はさっさと船を送還して消してしまった。
だって、通行の邪魔になるといけないから。
「…………」
一瞬だけど港の喧騒が一気になくなった。
「き、消えたあああ⁉」
そして、湧き上がる驚嘆の声。
そりゃあ、びっくりするよね。
召喚するときはもっと驚かせてしまうかもしれない。
うまくタイミングを計って召喚しないとだめそうだ……。
「みなさん、いいですか? ここからは徒歩で大鷲城へ向かいますよ」
僕はフェニックス騎士団を引率していく。
激しい戦闘を経て、騎士たちの装備も体も傷だらけだ。
華やかな王都の中にあって、ひときわ悲壮感が漂う彼らを市民たちは珍しそうに見物している。
このような見世物になることは、彼らにとって恥辱に値することなのかもしれない。
だけど、どうか堂々と胸を張って歩いて欲しいと思った。
僕はパル村で魔族の襲撃の激しさを知っている。
フェニックス騎士団はそれをはるかに上回る激戦の中を生き延びたのだ。
それは誇れこそすれ、恥じることじゃない。
僕なんかに励まされても嬉しくないかもしれないけど、そのことをはっきりと皆さんに伝えようと思ったそのときだった。
一台の馬車が僕らの目の前で止まり、ルネルナさんとシエラさんが降りてきた。
すぐに挨拶をしようと思ったら、二人の後ろから見たことのない女性が姿を現した。
年齢はシエラさんより少し若い感じ?
18歳くらいだろうか。
豊かにロールした金髪が胸と背中に垂れている。
きつく結んだ口もと、エメラルドの瞳はつり目がちで、少しきつそうな性格に見える。
その人はシエラさんとルネルナさんの間を割って、ずいっと前へと進みだした。
豪華な服から察するに、この女性がエールワルト公爵令嬢のようだ。
「アルシオ様⁉ みんな、アルシオ・エールワルト様だぞ!」
ノキア団長が叫ぶとフェニックス騎士団は一斉に片膝をついた。
だけど、騎士たちを前に、ご令嬢の目はさらにつり上がり、ほとんど怒っているようにさえ見える。
ノキア団長もご令嬢の表情に身をすくめていた。
「アルシオ様、面目次第もございません! 我らは国を守れませんでした」
ノキア団長は項垂れたまま言葉を繋ぐ。
「そればかりではございません、陛下より託された第二王子のスクノア様までをも、ご病気で失ってしまう始末。お叱りは当然のことながら、部下たちは誠意を尽くして戦いました。責任はすべてこのパズール・ノキアにございます。部下たちには寛大なご処置を」
ノキア団長の弁明を聞きながらアルシオさんは何かに耐えているように歯を食いしばって見える。
肩で息をしながらなんとか落ち着こうとしているようにさえ見えた。
しばらくは無言で騎士たちを見まわしていたけど、大きく息を吸ってからようやく口を開いた。
「び、び」
び?
その瞬間、アルシオ・エールワルト公爵令嬢の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「びだどぼど、よぐいぎででくでだ!(皆の者、よく生きててくれた!)」
声を震わせながらそれだけ言うと、泣き顔を観られないように顔を斜めに伏せる。
ああ、この人は怒っていたんじゃない。
みんなの前で泣かないように我慢していただけなんだ!
結局失敗しちゃったけど……。
アルシオさんの言葉にフェニックス騎士団も跪いたまま、全員が声をあげて泣き崩れた。
どちらも今まで耐えてきた感情が、堰を切ったように流れだしてしまったのだろう。
野次馬根性で見物に来ていた人の中にさえ、もらい泣きをしている人がいた。
時間にしておよそ3分間、みんなその場で大いに泣いたのち、場は少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「バカ者が、そんなに泣く者があるか。全員涙を拭け」
最初に大泣きを始めた人が何か言っている……。
「爺、ハンカチを持て!」
目を腫らした公爵令嬢がハンカチを所望すると、爺と呼ばれた初老の男性が恭しく手渡した。
白髪の禿頭で、ちょっと小太りで背が低い。
目は小さく、少したれていて、優しそうな表情をしている人だった。
後で聞いた話だけど、この人はアクセル・バクラさんといって、エールワルト家の執事とのことだった。
たった一人で戦火のロックナからアルシオさんを脱出させた功労者でもある。
燃え盛る王都から、並み居る敵を切り伏せて血路を開き、中型漁船を使って目立たないように脱出したそうだ。
「とにかく大鷲城へ参ろう。皆は体を休めるのじゃ。わらわに付いてまいれ!」
そう言って元気に歩き出すアルシオさん。
馬車で行かずに騎士団と徒歩で向かうらしい。
先導するアルシオさんの背中を呆然と見ていたノキア団長だったけど、すぐにハッと気づいて号令をかけた。
「要人警護の隊列! 姫様をお守りしろ!」
騎士たちはアルシオさんの左右と後ろの守りを固めて歩き出す。
先ほどまで漂っていた悲壮感は、いつの間にか薄らいでいた。




