大商人と僕
大鷲城で少し休憩させてもらってから、僕は一人でニーグリッド商会へと向かった。
シエラさんは騎士団本部へ行き、ミーナさんは市場で王都の食材を研究するそうだ。
道順を書いてもらったメモを頼りに王都の雑踏を抜けていくと、大きな建物ばかりが並ぶ一角に出た。
ここはランドヒルという名の金融街だ。
世界でも指折りの企業や銀行が軒を連ねていたけど、そんな中にあってさえニーグリッド商会の建物はひと際立派だった。
玄関には重装備の警備員さんが直立不動で通りを睨んでいる。
「こんにちは」
挨拶しても、警備員さんはチラッとこっちを見るだけで返事もしない。
「中に入ってもいいですか?」
重ねて尋ねると小さく首を縦にふって同意を表してくれた。
ひょっとしたら喋るのを禁止されているのかな?
怖そうな人だったし、それ以上の会話はあきらめて建物へ入った。
重厚な玄関を開けると、そこは広いエントランスホールになっていて、長さが25メートルはありそうなカウンターに事務員がいっぱい座っていた。
僕は適当なカウンターに近づき、書き物をしている人に声をかけてみた。
髪をオールバックにして眼鏡をかけたおじさんだった。
「ミラルダ支部からルネルナ・ニーグリッドさんの荷物を預かってきました」
事務員さんはびっくりしたような顔で手を止めて、僕の方を真っ直ぐに見つめてきた。
「ルネルナ様から? 坊やがかい?」
「はい。自分はシャングリラ号という船の船長をしているレニー・カガミと申します」
「子どもみたいな顔をしてるから、商会の見習いと勘違いしてしまったよ。ふーん、船乗りか……」
たしかに子どもだけど、このおじさんの物言いはちょっとだけ失礼な感じだ。
船乗りを見下してる?
それとも僕が船長ということを信じていないのかな?
僕は頼まれていた荷物と添え書きをおじさんに渡した。
「ん? お嬢様からの至急便じゃないか。わかった、これはこちらで預かろう」
「では、受け取りと残金をお願いします」
「残金? ああ、届け先払いなのか。ちょっと待っていてくれ。上司に荷物を渡してくるから」
おじさんは面倒そうに立ち上がって奥の方へと行ってしまい、僕は一人でその場に残されてしまった。
しばらくカウンターの前で待っていたけど、おじさんはなかなか帰ってこない。
みんな忙しそうに仕事をしているから声をかけるのも躊躇われる。
仕方がないので高い天井や大理石の柱などを眺めて時間を潰した。
そしてたっぷり15分以上してからおじさんは帰ってきたんだけど、さっきとは別人みたいに態度が変わり果てていた。
「大変お待たせいたしました、カガミ様! こちらが報酬と受取証になります。どうぞお納めください」
おじさんは両手でお金と受取証の入ったトレーを捧げ持っていた。
この人、雷にでもうたれたの?
その割に黒焦げになっていないけど……。
「ご丁寧にありがとうございます」
なんとなく僕も両手で受け取って頭を下げておいた。
帰りはおじさんが玄関まで見送りに出てきてくれたんだけど、驚いたことに仏頂面の警備員さんまで手を振ってひきつった笑顔を見せてくれていた。
ニーグリッド商会……実はアットホームないい会社?
♢
雑踏に消えるレニーを見送った事務員はそっと後ろを振り返った。
「カガミ様は商店街を見物してから大鷲城へお戻りになるそうです」
対するのは身なりのいい中年紳士だ。
小柄な体つきながら、たくわえた髭は威風を、きらめく瞳には隙の無い機知を感じさせる人物だった。
「そうか。すでに尾行はつけたから見失うことはないだろう。私も出かけてこよう」
「会頭がですか?」
「あのルネルナが絶対に手に入れたい人材だと言ってきたのだぞ。私もこの目で素の少年を見てみたいのだ」
「さようでございますか……」
「馬車の用意をしてくれ」
この紳士こそルネルナの父であり、ハイネーン屈指の豪商、アレン・ニーグリッドであった。
♢
ニーグリッド商会を後にした僕は商店街を見物することにした。
街には購買欲をくすぐるオシャレな品物が溢れている。
後金の2000ジェニーをもらったばかりなので懐は潤っている。
たまにはちょっとした買い物なんて楽しそうだよね。
そんな時だ。
雑貨店の棚の上に、ステキなバケツが置いてあるのを僕は見つけた。
ブリキ製のバケツで、色鮮やかな赤や青や黄色にペイントされている。
横には長い柄のデッキブラシも置いてあって、船の掃除をするのにちょうどよさそうだった。
値段はバケツが60ジェニー、デッキブラシは30ジェニーだ。
衝動的に店に入って赤色のバケツを購入してしまった。
船の大きさから言って貿易をするのはまだ先だけど、高速連絡艇として人を乗せることはあるかもしれない。
だったら船の掃除は大事だろう?
川辺に行ってさっそく掃除をしておくとしよう。
モーターボートを呼び出して、新しい掃除用具でデッキを擦った。
召喚したばかりの船だから全然汚れてはいないんだけど、こういうことは気持ちが大切だと思う。
水を汲んでシート回りも綺麗に磨き上げる。
白い船体が太陽の光を反射して眩しく輝いていた。
「美しい船だね」
突然声をかけられて驚いた。
見ると桟橋に立派な服を着た中年紳士が立っていて、シャングリラ号を見ていた。
船を褒められて僕も嬉しい。
「ありがとうございます。シャングリラ号って名前なんですよ」
「ははは、名前も変わっているなぁ。随分と速そうな船のようだけど、どうなんだい?」
「よくわかりましたね! おじさんは船乗りには見えないけど……もしかして設計技師とか?」
「あははは、ただの商人だよ。若い頃は技師になりたいと思ったこともあるけどね」
よく笑う人なので、つられて僕も笑顔になってしまう。
「川下に行くのだったら時速40キロくらいは出るんですよ」
「それは速い! ルギアまでなら3時間くらいで行けるってことだね」
ここから港町ルギアまでは110キロくらいだ。
「はい。もっとも、ご覧の通り荷物はあまり積めませんけどね。こちらに乗ってみますか?」
「いいのかい?」
僕の船を美しいと言ってくれた人だから、乗せてあげるくらいお安い御用だ。
「ほう、マストも帆もないのにどうやって動かすんだい?」
「この、魔導エンジンを使うんです」
「魔導エンジン?」
「魔力でプロペラを回して推進力を得るんですよ」
僕は船外機の説明をしてあげた。
「いや、これはなんとも驚きの船だ。あの娘が連絡をしてくるのも納得だな」
「あの娘?」
「うん。娘のルネルラがぜひとも君にあっておけと手紙で言ってよこしてきたんだ」
「ええっ!? じゃあ、貴方はあのニーグリッドさん?」
「そうだよ。びっくりさせてしまったかな?」
「はい。でもなんで? さっき商会の建物まで行ってきたばかりなのに」
「それはね、普段の君の姿を見ておきたかったというのと……」
他にも理由があるのかな?
「人をびっくりさせるのが私の趣味だからさ!」
そういってニーグリッドさんは朗らかに笑った。
大商人は人を驚かせて喜ぶ趣味があるようだ。
でも全然嫌みなところはないので僕も笑い出してしまった。
「本当にびっくりしましたよ。まさか天下のニーグリッド氏がこんなところに来るなんて思いませんもん」
「ははは、大成功といったところかな?」
よ~し、こうなったら僕も対抗してニーグリッドさんを驚かせちゃおうかな。
「ニーグリッドさん、実は僕にもすごい秘密があるんです」
「ほう、それは何だね?」
ニーグリッドさんは興味をもったようで目をキラキラさせている。
「じゃあお見せするんで、一旦船を下りていただけますか?」
「構わんが……」
桟橋に立って僕はボートを送還する。
「ああ、船を送還と召喚する技だね。それならルネルナが手紙に書いてきたよ。港湾使用料の節約になると――」
「そうじゃなくてですね、見てもらいたいのはこれなんです。召喚、水上バイク!」
現れたのは赤と銀の船体だ。
「これは……船?」
水上バイクはルネルナさんも知らないから、手紙にも書いていないはずだ。
「僕が持っている最速の船です。これの最高時速はなんと120キロなんですよ!」
「ひゃ……」
ニーグリッドさんは声も出ない。
「そうです。ルギアだったら1時間くらいで到着することができるんです」
「な、なんてことだ!」
大成功。
ニーグリッドさんは相当びっくりしているようだ。
「驚きましたか?」
「あ……ああ。レニー君、よかったら家に養子に……」
「はっ?」
「じゃなかった。よかったらそれに私を乗せてくれないかな?」
「構いませんよ」
ルネルナさんのお父さんなら大切にしなきゃだめだよね。
これからは取引でもいろいろとお世話になるかもしれない大事な商売相手だ。
「さっそく乗ってみます?」
ニーグリッドさんをバイクに乗せてあげると、建物の陰などからわらわらと人が溢れだしてきた。
随分と強そうな人たちばかりだけど、ボディーガードかな?
「会頭、どちらに行かれるのですか?」
「すこ~し船遊びだ。レニー君、出してくれ」
みんな焦った顔をしているけどいいのだろうか?
「安全運転を心がけるので大丈夫ですよ。いってきます!」
微速前進で桟橋を離れた。




