深窓の令嬢ともう一人
リュウメイさんの部屋の窓に鍵はかかっていなかった。
ビャッコで姿を消したまま室内に入っていくと、小さな叫び声が上がる。
「きゃっ!」
窓がひとりでに開いたようにみえて、リュウメイさんがびっくりしたようだ。
横には乳母のトットーさんまでが青い顔をして立っている。
二人はすっかり旅姿に着替えていて、床には大きなトランクがいくつも並んでいた。
「驚かせてしまい申し訳ありません。アルシオ陛下のご依頼でお迎えに参りました」
ステルス機能を解除して挨拶をした。
「まあ、カガミ伯爵でしたか。ずいぶんと珍しい甲冑をまとっていらっしゃるのね」
「これのおかげで誰にも見つからずにやってこられました。ところで……」
僕はリュウメイさんとトットーさんの顔を交互に見比べてしまう。
「なんでしょうか?」
「トットーさんはお見送りでしょうか?」
そう訊ねると、トットーさんは鼻息も荒く答えた。
「私もお嬢様と一緒に旅立ちますの」
「トットーさんも?」
「とうぜんですわ。私が行かないで、どなたがお嬢様方のお世話をするというのですか? さいわいカガミ伯爵のおかげですっかり元気になりました。まだまだ働けますよ」
「トットーは一緒に行くと言って聞かないのです。私もばあやがいてくれた方が心強いのですが、問題でもありましょうか?」
運ぶ人と荷物が増えたのでびっくりしただけである。
ビャッコのパワーなら余裕だろう。
「トットーさんの若さに驚かされただけですよ」
「オホホホッ、これもカガミ伯爵のおかげです」
血管年齢と骨密度は35歳まで若返っているんだよね。
トットーさんなら旅先でもきっと元気にやっていけるだろう。
僕は背中に荷物を括り付け、ビャッコのアームで二人を担ぎ上げた。
「怖くはありませんか?」
「少しだけ……」
リュウメイさんは心配そうだ。
「なんだかワクワクしちゃうわね」
トットーさんは元気過ぎ!
「飛び降りるので目を閉じていてください。決して声は出さないようにお願いします」
深窓の令嬢と老婦人を抱えて、僕は夜のしじまの中に足を踏み出した。
対面したリュウメイさんとキオンさんは涙を流しながら喜んでいた。
愛し合う二人を見て僕の罪悪感も少しだけ薄らいだ。
外国のお姫様を誘拐してきたような気分になっていたからだ。
そんなことをするのは船長じゃなくて海賊だもんね。
僕はアルシオ陛下に相談する。
「さて、リュウメイさんたちをどこに送り届けましょうか? 僕らはそろそろファンローへ行かないとならないですよ」
「それなのだがな、リュウメイとキオン殿にはロックナ王国へ来てもらうことにした。我が国としては文官も武官も喉から手が出るほど欲しいからな」
人材不足は喫緊の課題なのだ。
「カガミ伯爵、これからはロックナの将として働きます。どうかよしなに」
「こちらこそよろしくお願いします。キオンさんが味方になってくれたら心強いです」
キオンさんはランジャ王国の首都警備隊長をしていた人だ。
兵の指揮ならお手のものだろう。
「私も文官としてお手伝いしますわ」
リュウメイさんはそう聡明な人だし、アルシオ陛下も友だちができてうれしいと思う。
「私もお手伝いしますよ」
小柄な体を軽く揺らし、ニコニコしながらトットーさんも協力を申し出てくれた。
「ありがとうございます。でも、ロックナに行ったら体をいたわってくださいね」
「何をおっしゃいますか。このトットー、老いたりとは言え恩人には必ず報いる所存ですよ」
「はあ……」
僕が困っていると、リュウメイさんが小さく笑った。
「何が可笑しいのですか?」
「どうかトットーの好きにさせてやってくださいませんか? これでもばあやは火炎槍の達人ですよの」
「なんですかそれは!?」
やたら強そうなネーミングなんですが……。
「私の父はランジャ国で槍術の師範をしておりました。その父が火炎魔法と槍の技を組み合わせて編み出したのが火炎槍でございます!」
静かに説明するトットーさんからオーラが立ち上るような気がした。
なんだか急にトットーさんが大きく見えてくる……。
「私はこれでも免許皆伝ですからね。ロックナに渡ったらさっそく才能のある弟子を取るとしましょう」
のちに、ロックナ陸軍において火槍騎士団という部隊が創設される。
軽騎兵の速度と、槍の穂先から繰り出される強烈な火炎魔法を併せ持つ超攻撃型の騎士団である。
幾多の魔物を恐怖のどん底へ送り込むことになる騎士団だけど、その初代騎士団長はやたらとフットワークの軽い老齢の夫人であった。
深窓の令嬢を連れ出したと思ったんだけど、神槍の老嬢までついてきてしまったようだ。
まったく、世の中何があるかわからないね。
日が暮れて、クルーザーの船長室で本を読んでいると、アルシオ陛下がお茶を持ってきてくれた。
「邪魔をしたか?」
「いえ、ぜんぜん」
僕らは言葉少なにお茶を飲む。
聞こえてくるのは絶え間ない波の音だけだ。
僕は気になっていたことをアルシオ陛下に訊いてみた。
「リュウメイさんの件はあれでよかったのでしょうか?」
「どういうことだ?」
「だって、家出の手伝いをしてしまったわけだし……」
「リュウメイももう成人だぞ。彼女の人生は彼女自身が決めることだ。父親には落ち着いたら便りを出せば良いではないか」
「そうですが……、国を捨てるというのは大変なことだと思って」
アルシオ陛下は物憂げに首を振った。
「そうだな……。私にリュウメイと同じ決断ができるかと問われれば答えようもない。たとえ好いた男のためであってもな……」
「アルシオ陛下は責任感の強い人です。民を見捨てて駆け落ちするなんて選択肢はないでしょう?」
陛下はじっと僕を見つめたまま目を逸らさなかった。
「そんなことはわからない。あるいはすべてを捨てて、レニーとともに大海原の彼方を目指すやもしれないぞ」
「陛下……っ!」
陛下の顔が迫ってきて、唇が触れた……。
「邪魔をしたな」
お盆を持って立ち去る陛下に、僕はおやすみなさいも言えなかった。
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