ニーグリッド商会
本日二本目です。
後片付けをしているとミーナさんがとんでもないことを言い出した。
「レニー君は今から村まで帰るの?」
「いえ、今日はさすがに疲れたからミラルダで一泊していきます」
「だったら家に泊まっていきなさいよ」
えっ……。
一瞬頭の中が真っ白になってしまった。
「そ、そんなご迷惑はかけられません!」
一人暮らしのお姉さんの家に泊まるなんてとんでもない。
「遠慮しているの? あっ……もしかして照れてる?」
ミーナさんは僕を完全に子ども扱いだ。
これでも男のつもりなんだけどな……。
「使っていない部屋があるから遠慮することなんてなにもないのよ」
「だけど……」
「そうだ! いっそ私の家に住んじゃえばいいのよ」
「ええっ⁉」
どうしてそうなるんだ!?
「だって、レニー君はミラルダでの拠点はないんでしょう?」
「はあ……」
「ここへ来るたびに宿屋を使うのはもったいないわよ。それに鍋の代金をまだ払えていないんだもん。それくらいさせて」
どうしよう。
気持ちはありがたいけど、いいのかな?
「でも、その、若い男女が同じ屋根の下というのは……」
「あら? レニー君はお姉さんを襲う気かしら?」
ミーナさんがおどけて胸をかき寄せる。
そのしぐさが色っぽくて顔がカッと熱くなった。
「そんなことは絶対にしませんっ!」
「だったら大丈夫よ」
焦る僕の姿をミーナさんは微笑みながら見ていた。
「今日のこと本当に嬉しかったんだ。久しぶりに私の作ったものを食べた人が笑顔になるのを見られたわ。レニー君には感謝してもしきれないくらい。だから少しでもレニー君の力になりたいの」
そこまで言われると断りづらい。
それにミーナさんの家に泊まれるというのは僕にとってもありがたいことだった。
宿代として鍋の代金を差し引くという手もある。
「それじゃあ、お世話になります」
「歓迎するわ。今夜はご馳走を作るわよ!」
その日から僕はミーナさんの家に下宿することになった。
夕飯はミーナさんが腕を振るってくれて、宣言通り豪華な食卓となった。
僕も久しぶりに食事を作るお手伝いをした。
料理は大好きだし、誰かとキッチンに立つのは楽しいものだ。
それが、こんな素敵なお姉さんとならなおさらである。
ミーナさんの作るディナーはどれも美味しく、量もたっぷりあった。
「満足してもらえたかな?」
「もちろんです。どれも美味しかったけど、メインディッシュの煮込み料理が最高でした」
「それはそうよ。あの煮込みは貴方のおじいさんの鍋で作ったんですもの」
そうなのだ。
ミーナさんはそのためにわざわざ煮込み料理をチョイスしてくれた。
きっと相手の心に寄り添って料理を作れる人なんだと思う。
「さあ、今日は疲れたでしょうから早く寝てしまいましょうね」
寝室に案内されて着替えると、一気に眠気が訪れた。
トントン
「入るわよ」
手にお盆を盛ったミーナさんがやってきた。
「夜中にのどが渇いてもいいようにお水を置いとくね。それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい……」
女の人のパジャマ姿を見たのは生まれて初めてのことだ。
突然のことに心臓がドキドキして目が冴えてしまった。
これじゃあ寝られないかもしれない……。
僕はあえて言いたい。無防備であることは罪だと思う!
翌日、僕は一人でニーグリッド商会へ向かった。
ルネルナさんは、王都ハイネルケへ運ぶ荷物があるのならそれを請け負わせてくれると約束してくれていた。
ニーグリッド商会のミラルダ支部は事務所や会社が立ち並ぶオール街の一等地に建っていた。
重く立派なドアを開けると背の高い紳士が僕の方を振り向く。
。
「こんにちは、ニーグリッド商会へようこそ。どういった御用ですか?」
人当たりのよさそうな中年男性だ。
「こんにちは、ルネルナ・ニーグリッドさんのご紹介でやってきました、レニー・カガミと申します」
僕が名乗った瞬間に紳士の顔色が変わった。
それどころじゃない。
事務所の中にいた店員さんが全員立ち上がったのだ。
「これはカガミ様! ルネルナよりお噂は聞き及んでおります。さあさ、むさくるしいところですがどうぞこちらへ!」
仕事を斡旋してもらおうと思っていったのに、応接室へ通されてしまった。
しかも紅茶とケーキつきで……。
「あの、僕、じゃなかった、私は仕事をですね――」
「はい。ルネルナより聞き及んでおりますが、まずはこちらに目をお通しください。ルネルナよりの手紙でございます」
レニーへ
さっそくニーグリッド商会を訪ねてくれてありがとう。でも、急用ができたので私はカサックへ戻ります。レニーに会えないことをとても残念に思うわ。ここの職員には、貴方が私にとって大切な弟であることは説明済みだから安心してください。
ところで折り入ってレニーに頼みたいことがあります。別に用意した手紙と荷物をハイネルケのニーグリッド商会本店へ届けてもらいたいの。それもなるべく早くにです。護衛として今回は特別に騎士団が協力してくれることになりました。貴方もご存知のシエラよ。もしも、依頼を受けてくれるのなら職員から詳しい説明を聞いてください。
貴方のステキなお姉さま ルネルナ
ちょうど王都へ行こうとしていたから、タイミングのいい仕事と言えた。
「ルネルナさんはハイネルケまで荷物を運んでほしいのですね?」
「はい、こちらの品です」
職員さんは小さな木箱を棚から出して、大事そうにテーブルの上に置いた。
大した大きさじゃないからコンソール下のデッキハッチにしまえそうだ。
あそこは防水になっているから重要書類を入れるにはもってこいなのだ。
「わかりました。明日には出発しましょう」
「あの……」
職員さんは遠慮がちに聞いてくる。
「カガミ様はミラルダからハイネルケまで8時間ほどで到達できると聞き及んでおります……。本当のことでしょうか? あっ、疑っているわけではございませんが!」
普通は信じられないことだよね。
「はい。僕のシャングリラ号なら可能だと思いますよ。だから安心して荷物をお任せください」
「かしこまりました! それから、こちらが今回の報酬の手付金となります。報酬は総額で3000ジェニー、手付として先に1000ジェニーをお渡ししますがそれでよろしいでしょうか?」
手紙を運ぶだけで3000ジェニーなら割のいい仕事かな。
どうせなら他の荷物も運びたいけど、今回はミーナさんもいるし、護衛としてシエラさんも乗り込むことになっている。
狭いボートではスペースが足りなさそうだ。
貿易に関してはまた次回に挑戦することにしよう。
出された紅茶とケーキを美味しくいただいてニーグリッド商会を後にした。
♢
レニーが事務所から出ていくと、職員たちはほっと安堵のため息をついた。
レニーを最重要人物として扱うようにルネルラからきつく厳命されていたからだ。
「あれがお嬢様の言っていたレニー・カガミ様か……」
レニーに対応していた職員は脱力したように自分の椅子に座った。
その職員に別の職員が質問している。
「聡明そうな少年だけど、あの話は本当なのか? 最速の船ってやつは」
「ああ、お嬢様はその船に乗ってカサックからここまで来たんだ」
「しかし、ハイネルケまで9時間たらずだって? そんなことがあり得るのか? 王都までは320キロあるんだぞ」
もう一人の職員は納得がいかないといった態度のままだ。
「信じられないならそれでいいけど、あの少年に失礼な態度はとるなよ」
「なんでそこまで……」
「お嬢様はカガミ様をかなり買っている。今回の手紙はな、本店の会頭にカガミ様を会わせるための口実なんだよ」
「なっ!」
職員は驚きのあまりに硬直してしまった。
それもそのはずで本店の会頭と言えばハイネーン王国屈指の豪商であり、雲の上の存在だ。
ここにいる職員の中で会頭に会ったことがあるのは支部長くらいのものだった。
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