新しい手紙
リミック港での活動を終えた僕たちは、領主のケプラーさんの屋敷に招かれていた。
ケプラーさんは40代くらいの中年紳士で、文官肌の穏やかな人だった。
「魔物に襲われたのは災難でしたが、カガミ伯爵がこの地を訪れてくださったのは僥倖でした。伯と天の計らいに感謝ですな」
ケプラーさんはリミックのご馳走で僕らをもてなしてくれた。
メインディッシュはタイルという海の魚のグリルに、グレープフルーツという果物の果汁を掛けた料理だ。
さっぱりとした柑橘系の香りとハーブがよく効いていて美味しい。
グレープフルーツはそのまま食べても美味しいのでお土産に買っていくとしよう。きっとローエンも喜んでくれるはずだ。
お昼ご飯が夕飯になってしまったけど、リミックで特産品を食べるという僕の目的はこういう形で達成されてしまった。
「伯爵、スープのお替りはいかがですか?」
ケプラー夫人が笑顔で勧めてくれる。
優しそうな中年女性で、僕がたくさん食べると喜んでくれるのだ。
おかげで僕はいつもより相当食べ過ぎてしまった。
「いえいえ、もうお腹いっぱいです。これ以上はパンひとかけら入りません」
「そう? ではコーヒーを持ってきましょう」
とても家庭的な人で心が休まる。
「奥様、これ以上はおかまいなく」
「そうはまいりませんわ。伯爵はリミックを救ってくださった救世主なのですから。今夜は当屋敷にお泊り頂かなくてはね。お部屋の用意ももう出来ておりますのよ」
「恐縮です」
「本当は娘にもご挨拶させなくてはならないのですが、今は病気で臥せっておりまして、失礼をしております」
「いえいえ、お気になさらずに」
ご令嬢は風邪でもひいたかな?
質問しようとしたけど、先にケプラー男爵に尋ねられた。
「ところで伯爵はどういった御用でこの地においでですか?」
「僕はファンロー帝国へ行く途中なのです」
「おお、そういえばファンローではまた新たな皇帝が即位したそうですね」
短い期間に二度も皇帝が変わるから、ケプラーさんも興味があるようだ。
「らしいですね。かの地もいろいろとごたごたがあったようですから……」
僕がクーデターにかかわっていたことは内緒にしておかなければならない。
ここは適当に誤魔化しておくとしよう。
「しかしファンローへ行かれるのなら、少し航路を外れてはおりませんか? 伯爵の船なら北上する必要もなく最短距離で大陸間を渡れるでしょうに」
ケプラーさんの指摘はなかなか鋭い。
「実は会いたい人がおりまして、リミックまでやってきたのです」
「伯爵ほどの人物が会いたいとは、ご商売の関係ですか? それとも外交的ななにかで?」
「いえいえ、そういったことではないのです」
僕は海で拾ったメッセージボトルのことをケプラーさんに説明した。
「では、その手紙の差出人に会うために、わざわざ何百キロも遠回りをしてこられたのですか?」
「まあ……」
ケプラーさんは半ば呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな笑い声を立てた。
「なるほど、カガミゼネラルカンパニーの総帥はただの実力者というだけでなく、一流のロマンティストでいらっしゃるな」
「よしてください。そんなのじゃありませんよ。ただ、差出人のメリーベルという人は目の病気を患っているのです」
「えっ……」
「僕なら特殊医務室で治してあげられるかもしれないと思いまして」
ケプラーさんの手からナイフが落ち、お皿にぶつかって大きな音を立てた。
「伯爵……」
見れば奥様もワナワナと震えている。
「どうしたのですか、お二人とも?」
「メリーベルは私共の一人娘でございます……」
ケプラーさんは絞り出すように声を出し、すぐに膝をついて懇願した。
「カガミ伯爵、なにとぞ我が娘をお助けください」
彼女を探すのに数日かかると思っていたけど、まさかこんなことになるとはね。
今夜はもう遅いので、治療は明日の朝からということになった。
◇
目覚めると、メリーベルはカガミ伯爵にあいさつするようにと母から申し付けられた。
リミックの恩人なのだから、領主の娘としては誠意を尽くすのが当然だとはわかっている。
だが武骨な巨人と対面すると思うと、やはり緊張するのは免れなかった。
「ばあやはカガミ伯爵を見た?」
髪をといてくれる乳母から情報を得ようとしたのだが、乳母は何も知らないようだ。
「あいにくまだ見ておりません。ですが、カガミ伯爵というのはかなりの権勢をお持ちのようですよ。ひょっとして、旦那様はお嬢様の嫁ぎ先として伯爵家を考えているのではございませんか?」
「そんな……」
乳母の不用意な一言でメリーベルの緊張は十倍増しになってしまった。
目の見えない自分が結婚などできるのだろうか?
それでどうやって夫の役に立つ?
夫の着替えひとつ手伝えないのが、自分という存在である。
とても誰かに愛されるとは思えない。
「あり得ない話だわ。私などを貰おうなんて言う方がいるわけないじゃない」
「何をおっしゃいますか。お嬢様のような器量よしはそうそうそういないのですからね。それに良家の子女というのは、常にそういった可能性があることを心にとめておかなければなりませんよ」
ずいぶん勝手な言い草だとは思ったが、メリーベルはいつもより念入りに身支度を整えた。
応接室でカガミ伯爵と対面したメリーベルは、緊張でうまく喋れないほどだった。
考えてみれば、ここ1年は来客ともほとんど面会していない。
会話はもっぱら家の中の者とだけにとどまっていたのだ。
しかも相手は魔物を一刀両断にする巨人の戦士である。
13歳の少女に臆せず相手をしろという方が、土台無理な話であろう。
だが、ひとたび挨拶を交わすと、メリーベルの緊張はすぐにほどけた。
カガミ伯爵の声は若々しく、たいそう優しそうに聞こえたからである。
「実は、海で貴女からのメッセージボトルを拾ったのですよ」
「まさか、ボトルに入れたあの手紙をですか?」
「はい。あの手紙は2000キロもの旅をして僕の手元へ届いたのです」
「そんなに長い距離を……」
旅をしたことのないメリーベルには想像もできないほどの距離だ。
いったい、いくつの国を越えてカガミ伯爵の手元へ届いたというのだろう?
その一事でも何か運命めいたものを感じてしまう。
「僕はね、メリーベルさんからの手紙を読んで、ぜひ会いに行こうと決めたのです」
先ほどまでは緊張で気絶しそうになっていたのだが、いつの間にやらメリーベルはカガミ伯爵に心を開いていた。
「はるか遠い地までご足労をいただき、ありがとうございました。まさか手紙を届けてくださる人がいるなんて、想像もしておりませんでした。恐縮です」
それはメリーベルの本心だった。
2000キロ彼方の貴族がこの手紙を拾い、それをしらせるためにやってくるなど、誰が想像できただろう。
しかも町の危機まで救ってくれたのだ。
「それでですね、僕は貴方の目を治して差し上げようと思っているのです」
「はっ? それはどういった……」
話が理解できないでうろたえるメリーベルの手をケプラー氏が握った。
「メリーベル、カガミ伯爵の力におすがりしよう。私はね、昨日奇跡というものを目の当たりにしてしまったのだ。お前だってすぐに見ることができるはずだよ」
メリーベルはよくわからないまま、頷くことしかできなかった。
◇
レディーを治療するに当たり、強襲揚陸艦を呼び出すのは無粋な気がして、港ではイカルガを召喚した。
昨日とはまた違った巨大船が現れて、リミックの人々が大騒ぎしている。
「さあ、どうぞこちらへ」
僕はケプラーさんたちをイカルガの内部へと招いた。
「これはなんと……」
ケプラーさんたちは興味津々といった感じで船の内部を見回しているけれど、案内は後にしよう。
「先に特殊医務室へと向かいましょう。まずはメリーベルさんの目を治さなくては」
「よろしくお願いします」
メリーベルさんは怖そうにしている。
目が見えないんだから、自分がどんなところにいるかもわからないもんね。
「ここは僕自慢のイカルガという船の中です。レストランやプールなんかもあって、とても楽しい船なんです。メリーベルさんもすぐに見られるようになりますからね」
「はい……」
「大丈夫、すぐによくなりますよ」
メリーベルさんにカプセルへ入ってもらい、まずはスキャンを開始する。
ケプラーさんはいろんな治癒師に診せたそうだけど、魔法では治らなかったそうだ。
それだけ複雑な病気のようだった。
2時間後。
大きく目を見開いたメリーベルさんがカプセルから出てきた。
「お母様、お父様……」
「メリーベル、見えるの?」
ケプラー夫人の質問にメリーベルさんはしっかりと頷き、三人の親子はしばらく涙を流しながら喜びに浸っていた。
家族っていいな……。
「伯爵、なんとお礼を申し上げてよいか、私にはわかりません。メリーベル、お前からもしっかりとお礼を言いなさい」
そう言われたメリーベルさんは不思議そうに僕を見て首をかしげた。
「あの……、レニー・カガミ伯爵でいらっしゃいますか?」
「はい。僕がレニー・カガミです」
「え……と……」
「どうされましたか?」
「もっと大きな方かと……。いえ、なんでもございません」
メリーベルさんには丁寧にお礼を言ってもらった。
それから僕らはイカルガの中で食事をしたり、ちょっと遊んだりもした。
同年代の人と遊ぶのは久しぶりだったから、とても楽しかった。
メリーベルはとてもいい子で僕らはすぐに友だちになれた。
だけど、残念ながらお別れの時間はあっという間に来てしまったけどね。
「レニー、本当にもう行ってしまうのですか? せめてあと数日、リミックにいてくれればいいのに。連れて行ってあげたいところがまだいっぱいあるのよ」
「仕事でファンローまで行かなくちゃならないんだよ。でも今度は友だちも連れてくるよ。ローエンとかマチルダとか、きっとメリーベルとも仲良くなれるさ」
「ローエンとマチルダ?」
「ローエンはファンロー帝国の第三皇子だった人。今度は宰相になるのかな? それからマチルダはポセイドン騎士団の騎士だよ」
「すごい人たちと友だちなのね。そのマチルダって人は……レニーの恋人?」
「マチルダが? ぜんぜん違うよ」
マチルダが聞いたら「あり得ない」とか言って怒り出しそうだな……。
「必ず来てね」
「うん、約束するよ。メリーベル、指を出して」
僕はじいちゃんに教わった、指切りげんまんをして、再開を誓った。
◇
レニーを乗せたクルーザーが、水平線の彼方に消えるまでメリーベルはその姿を目で追った。
友だちになったばかりの少年が去っていくのを見るのは切なかったが、それを不幸だとは思いたくなかった。
暗闇に閉ざされた自分の世界に、再び光を与えてくれたのは彼なのだから。
「レニーが巨人じゃなくて良かった……」
強い風が目元の涙をさらっていく。
メリーベルは両腕で自分自身を抱きしめた。
そうしなければ悲しみで叫び出してしまいそうだったのだ。
海風に髪をたなびかせながらメリーベルは思った。
また手紙を書こうと。
今度は不特定の誰かに充てて書くメッセージボトルではない。
優しいまなざしをした、黒髪の男の子へ充てた手紙だ。
大好きなレニーへ
元気にしていますか? メリーベルです。あなたが出航してまだ数日だというのに、港へ出るとシャングリラ号を探してしまう毎日です。
おかしいでしょう? でも、私が見ている同じ空の下を、同じ海の上を、貴方は今日も船に乗っているのでしょうね。――――
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