フィオナの鼓動
ベッパーへ帰った僕のもとにもファンローに関する情報はあれこれと届いた。
ローエンたちが無血で戦いを終わらせたこと、皇太子だったリーアン皇子が何者かによって救出されたこと、コー皇子はファンローの皇帝とは認められず反逆罪で死刑になったことなど……。
僕はビャッコで救出したリーアン皇太子をローエンに預け、そのまま何も言わずにベッパーへと帰ってきた。
皇太子も誰がどうやって自分を救出したのかよくわかっていなかっただろう。
彼はひたすら恐怖におびえていただけだ。
というわけで、その後の詳しいことは何も知らない。
あれから一カ月経つけどローエンは手紙一つ寄こさなかったし、僕もファンローへは近づいていない。
僕はあの場にはいなかった、そういうことにしておかなくてはならないのだろう。
ローエンのことは気がかりではあるのだけど、僕の目の前にもすべきことは山ほどある。
僕とアルシオ陛下は執務室で書類に目を通していた。
「ガイドロス島を攻略できたおかげで魔石の問題は一気に解決できたようだな」
「倒した魔物から大量の魔石を回収できましたからね。浮いたお金で食料や家畜の輸入ができます。配給の量と品質が上がればみんなも喜んでくれるでしょう」
大人にはお酒、子どもは甘いものに飢えている。
「けっこうなことだ。これで一息つけるのではないか?」
「そうでもないですよ。帰還民の輸送はまだまだ続きますし、工場の拡張だって喫緊の課題です。やることは山積みですよ……」
「レニー」
アルシオ陛下が心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「あ、もちろん大丈夫です! 何とかしてみますから。そんなに心配そうにしないでください」
「いや、私が心配しているのはレニーの方だ。レニー、少し焦っているのではないか?」
僕が焦っている?
そんなことはないと思うけど……。
「いくらかでも休暇を取ったらどうだ?」
「それを言うならアルシオ陛下だってお休みを取っていないじゃないですか」
「わらわは女王だ。身分に相応する義務というものがある」
「でも……」
アルシオ陛下は小さなため息を漏らして僕の手を取った。
「レニーにはすまないと思っている」
「陛下?」
「わらわはレニーに頼りっぱなしだ。レニーを縛り付けてしまったのはわらわなのに、その口で休みをとれなどとは滑稽な話だ」
苦悶に満ちた陛下の顔を見ていると僕までいたたまれない気持ちになってしまった。
なんだか居づらくなって、僕は執務室を後にした。
工場の方を視察してくると言ったけど、途中で気が変わって海へ来てしまっている。
どこか息苦しさを感じてしまったのかもしれない。
建設中のふ頭の突端に座って海を眺めると心と体がほぐされるような気がした。
波間を渡るカモメを目で追いながらぼんやりと考える。
僕もローエンも本当は冒険の旅に出たいと切望しているけど、それができない状態だ。
でも、いやいやロックナ解放をやっているわけじゃないんだけどな……。
お姉さんたちが気を遣ってくれるとかえってこちらも居心地が悪くなってしまうのだ。
「だ~れだ!?」
いきなり首筋に抱き着かれた。
もちろん声でわかるし、こういうスリーパーホールドみたいな抱きつき方をするのも一人だけだ。
「どうしたんですか、フィオナさん?」
「どうしたんですか、じゃないぜ。レニーがフラフラ歩いて行ったから心配になって追いかけてきたんだぞ。後ろで見ていたらため息ばっかりついているしさ」
「僕、ため息なんてついてました?」
「ああ、大きなのを三つもな」
思わずもう一つ大きなため息をつきそうになって、慌ててそれを飲みこんだ。
「疲れているのか?」
抱きついたままの姿勢でフィオナさんが訊いてくる。
「体は疲れていませんけど……」
「心が締め付けられている感じか?」
心が?
そう……なのかな?
「だいたいみんなレニーに頼りすぎなんだよ」
フィオナさんはプリプリと怒り出して、文句を言いだした。
「そんなこと……」
「いーや、アタシにはわかる。アタシだって作っても、作ってもエンジンの受注が入ってさ、新型を考える余裕もなくなるんだ。そうなるとつまらなくてさ」
「ごめんなさい。エンジンを作る仕事をフィオナさんにばかり押し付けてしまって」
僕が謝ると、フィオナさんはまた腕に力を込めた。
ちょっとだけ息苦しい。
「レニーが悪いんじゃない。悪いのはルネルナだよ。あいつが鬼のようにどんどんアタシの仕事を増やすんだ。そのせいで私は毎日毎日……うぅっ」
フィオナさんも疲れているんだなあ。
いや、フィオナさんだけじゃない。
シエラさんもミーナさんもルネルナさんもアルシオ陛下も、みんな等しく疲れているはずなんだ。
「なあ、レニー……」
フィオナさんが耳にくっつきそうなほどくちびるを寄せて囁いた。
「このまま私と逃げ出さないか……」
「えっ……?」
「私たちのことを誰も知らない国へ行って、ひっそりと楽しく暮らすんだ。なーに、私が魔道具を売れば生活には困らないさ。レニーのことも養ってやる。だからさ……」
フィオナさんの腕にまた少しだけ力が込められた。
工業用油の臭いに混じって、女の人の甘い吐息が香る。
知らない国か……。
それは僕の心を揺さぶる提案でもある。
「な~んてなっ!」
フィオナさんは僕の首から腕を外して勢い良く立ち上がった。
「ちょっと言ってみただけさ。レニーがそんなことをするはずないもんなあ」
そう、魅力的な話ではあるけど、魔物に虐げられるロックナの人々を見捨てることはやっぱりできない。
僕の脳裏には、村人を守るために戦って果てたじいちゃんの姿が焼き付いているのだ。
今ここで逃げたら、じいちゃんに顔向けできないよ。
「フィオナさん、旅に出ませんか?」
「えっ……?」
「ロックナを開放したらこの海を越えていくんです。その……一緒に来てくれたらうれしいなって……」
「レニー!」
正面から抱きしめられて、僕はフィオナさんの胸に顔をうずめる形になってしまった。
「絶対だからな。絶対に行こうな!」
潮騒に混じって、フィオナさんの心臓の音が聞こえる。
少し早い鼓動が4ストロークのエンジン音みたいだった。
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