世界の裏側
相当頭のおかしい双子と思われる2人の姿が見えなくなったところで、物陰に隠れてしゃがみ込んだ。
「はーっ、げほ、おえ」
顔はない。口はない。どこから声が出ているのかも自分で分からない。
けれど、人間だった頃の名残があるのか、ぜぇ、はぁ、と絶え間なく息切れしていた。
この身体である唯一の利点で、実際の疲れはないに等しいことも理解はしている。
疲れは精神的なものと、それから。
「あぁ、いたい.......」
ドクドクと足から血は流れ続けている。
人間の頃と比べ疲れがないとは言っても、どうやら不死身とか、そういう類ではないらしい。
「このまま、死ぬのかな」
漠然とした不安が頭を過ぎる。
この出血ではもう走れないだろう。
血痕も地面に残っていることから、このままでは追いつかれ次第、発見されてしまう。
考える、考える、考える。
しかし考えども考えども、答えは出ない。
命乞いをするくらいか。
それも面白がられて、もっと酷い目に合いそうだが。
「..............ぐすん」
目も鼻もありはしないのに、そんな声が出た。
泣きたいのに泣けない。
そんな身体。
人間だった頃にもっと泣いておけばよかったな。
ぐすんぐすんひっく、と声だけが泣いていた。
そうしているうちに、ざっ、ざっ、と足音が近付いてきた。
追いつかれた。きっとあの双子だ。
声を出してはいけないと理解しているが、なぜか止まらない。
もうおしまいだ、と諦めたその時だった。
「おや、お嬢さん。泣いているのかい?
よければこの、ハンカチをどうぞ」
天使と呼ばれる存在がこの世にいたら、きっとこんな姿をしているんだろう。
血まみれの地面にしゃがみ込んで、異形の存在に笑顔でハンカチを渡せるような人間。
「えっ??あ、ど、どうも.......」
受け取りはするがそもそも顔がないので、流れていない涙は拭けない。
このハンカチどうしよう。
行き場のないハンカチをじっと見つめた。
感動的なやり取りのはずなのに、自分のせいでコントのようになってしまった。
「あぁー、それは、そうだな.......その、傷口にでも使っておくれ」
察してくれた。やっぱり天使だ。
私は実は双子に殺されてもう死んでいて、ここは天国なのではないかと錯覚しそうになる。
「ハンカチ、ありがとうございます。
あの、あなたは」
どうして自分を怖がらないのか。
誰かなのか。
質問はいくつかあったが、青年はにこり、と笑うだけだった。
「残念ながら、のんびりお話している暇はないみたいだね」
この場にそぐわない陽気な声と、それから足音がふたつ、近付いてきていた。
あの双子だ。
ぞわり、と背筋が凍る。
青年は真面目な顔つきで、本を開いた。
お前!こんな時に本なんか読むなよ!と、叫びそうになる。
所詮他人事か、とまた出もしない涙が溢れる。
「ここで出会ったのも何かの縁だ。
キミを助けてあげよう」
青年の本が光る。
ピカピカと、そりゃあもう例えるならば当たりが出たパチンコみたいにキュインキュインキュイーン!と七色に光っていた。
これはなんの確定演出なんだろう。
「ほ、ほんとに?
ほんとに、助けてくれるの!!?」
きっと何か凄いことが起きるに違いない、と私は声を荒らげて青年に掴みかかった。
あの双子を退治してくれるはずだ。
そしてその光り輝く本を見ながら、青年は「return」と小さく呟いた。
※
「う、うぅーん.......?」
「あぁ、よかった。起きたかい」
どうやら眠っていた.......いや、気絶していたという方が正しそうだ。
目覚めて、まず視界に映ったのは、手だった。
青年の手だ。
知らない天井、知らないベットで横になっている私の頭を撫でていた。
「わたし、生きてる.......!?」
ガバッと、布団から起きた。
至極当たり前のことに感動したのは初めてかもしれない。
呼吸?をしているだけで、感謝.......!圧倒的感謝.......!!!みたいな。
とにもかくにも、眼前の青年は私の命の恩人と言える存在なんだろう。
ここは何処なのか、この人は誰なのか、様々な疑問の中で1番不思議に思ったことが口から出ていた。
「さっきのは?
なにがどうなって、私は助かったんですか?」
すると青年は、手に持っている本を指さした。
「この本の力さ」
「??」
「さして驚くことはないだろう。
キミと私は似て非なるものだが、原理的には同じような存在だ」
青年は、私の顔の前に両手で持った本を突き出した。
その本にはなんだか親近感のような不思議な感情がありはするが、青年にはそれを感じない。
「それでも、あなたはまだ、人間なんでしょう。
私は人ですらない存在ですよ」
不思議な力を持った人間と、顔のないバケモノでは違うのではないか、と遠回しに答えた。
すると青年は、曖昧な笑みを浮かべながらその本を開いた。
「私の本体はこっちなんだ。心臓がこの本だと言えば分かりやすいかな。
コレがどうにかなってしまえば、私は消えてしまうような存在だよ」
青年は明るく喋ってはいるが、とても重たい内容だった。
地雷を真っ向から踏みに行ってしまった感じ。
本が心臓、それはつまり、死の恐怖と常に隣り合わせということになる。
心臓は身体の中にあるが、本は剥き出しだ。
剥き出しの心臓を常に持ち歩くのは、とても恐ろしいことな気がしてくる。
「本が心臓だなんて.......そんな、」
そんなことが本当にあるのか、とは続かなかった。
その疑問はこの身体の、顔無しの自分が証明しているではないか。
この世界を、人間だった時の見解ではもう見てはいけない。
現実として受け入れて、それから初めて話を理解することができるだろう。
すると、なにがおかしかったのか、青年はくすくすと楽しげに笑い始めた。
「はは、キミはまるで、普通の人間のようだね。
顔がなくても、表情は豊かだ」
普通の人間。人間。
そんな懐かしくも遠い響きになんだがじんわりとしつつも、自分の顔を指差して答えた。
「今はこんなんですけど、私は元々人間なんですよ」
青年はぽかん、としてから、すぐに興味深そうな表情を見せた。
確かにこんな存在が元・人間だとは到底思わないのかもしれない。
「へぇ?それはとても、とても面白そうな話だ。
是非とも聞かせておくれ」
「いいですよ。話すと長くなりますけど。
あれは_____________ 」
そうして、青年には事の発端から現在に至るまでの全てを話すことになった。
※
「んまぁ〜そんなこんなで今に至るわけですね!」
「経緯が分かってよかったよ。話してくれてありがとう」
私は彼に出された紅茶とお菓子を食べながら、寛いでいた。
口がないのにどうやって食事しているかって?
なんと驚いたことに、この身体、意思を持てば食べ物がすり抜けるようだ。
口の部分に当てた物が、ヒュオン!と胃に到達する。
咀嚼はできないが、味を感じることはできる。
いくら食べても全く腹が膨れず(元々常に空いていない状態なのだが)胃に溜まる気配はない。
これ、太らない.......よね?
デブののっぺらぼうとか、バケモノというより怪人みたいじゃんってちょっと思ってしまった。
「いやー、それにしても。
まさかこの身体で食事できるなんて夢にも思いませんでした」
これらのクッキーやらスコーンやらプリンやらのお菓子は、すべて青年の手作りのものらしい。
自分に口はないからいただくことはできない、と出された時に断ったのだが、どうしても食べてほしい、と彼は私の口のあるべき部分に無理矢理クッキーを当てたのだ。
地面に落ちるだろう、と思われたクッキー。
勿体ない.......と思うと、ヒュン!とその場から消えていたのだ。
「ああああ美味しいぃぃ.......!」
その瞬間、涙が出た。
いや、出ないけど。
食事をしたのはいつぶりだろう、と。
この身体はてっきり、食事がいらない代わりに食事ができないものだと思っていた。
思い込みとは恐ろしいものである。
あらゆる固定概念を捨てることを私は決意した。
「強引ですまない。
結果的に喜んでもらえたみたいだけれど、自分で作ったものを、誰かに.......そう、自分以外の誰かに、食べてほしかったんだ」
そこからぽつり、ぽつり、と彼は自分の経緯について話し始めた。
「名乗るのも遅れてしまったね。
私の名前はユズルだ。改めてよろしく」
私と、それからこの世界についても話そう、と彼は話を続けた。
自我を持った時、既にこの身体は今の歳であったということ。
自身は本を生かし、守るための存在だということ。
自分達のような、世界の〝裏側〟同士は強く惹かれ合うこと。
それが世界の意思とも言えることで、必然的に巡り会う運命なんだと。
今まで数多くの存在を見てきたが、他者に友好的な者は少なく、全く無関心の者、もしくは攻撃を仕掛けてくるような者が多いそうだ。
本を守れなければ自身が消えると気付いたのは、初めて自分以外の〝裏側〟と戦闘になった時らしい。
また、力の源である本を奪い取ろうとする者は多くいて、常に気を抜けない状態だと苦笑いを零した。
「私や、えっと.......ユズルさん、みたいなのってそんなにたくさんいるんですか?」
「はは、私達はもう、友達というやつだろう。
そんな関係に、さんなんて他人行儀じゃないか」
笑顔の圧力だった。
友達、かぁ。
なんだか胸が温まるような響きだった。
こんな存在になっても、友達ができるなんて。
夢にも思わなかったことだ。
「じゃあ.......ユズル.......?」
「あぁ、では質問に答えてあげよう。
けして多くはいない。世界にもバランスってものがあるんだろうね」
確かにそうだ。
ユズルや私のような存在がたくさんいたら、地球は今頃大変なことになってそうだし。
それを聞いて少し安心した。
するとユズルは、思い出したように話を変えた。
「あ、名前!そうだ、キミの名前。まだ聞いてない」
今更!?と思ったが、これは名乗らなかった自分に非があるのだろう。
名乗ることをしなかった私は、事情を説明することにした。
「それが私、人間の頃の記憶と一緒に、自分の名前まで忘れちゃってて.......」
「なるほど、今のキミは顔もなければ名前もないってことかい。
本当に災難だねぇ」
ニコニコとしながら言われてもな。
今、自分に目があったら、恐ろしい目付きで彼を睨んでいただろう。
「それじゃあそんなキミに、私が名前をつけてあげよう。
名前がないし、そうだね、ナナシ。これがいい」
随分適当なネーミングセンスだ。
名前がないからナナシ、だなんて。
でも、顔がないからカオナシ、よりはいいかもしれない.......。
「そのセンスは置いておいて、確かに、名前がないのは困りますね。
これからはナナシと名乗ることにします」
顔無し人生、そこまで捨てたものではないみたいだ。
新しい友達、それから、新しい名前。
ユズルと、ナナシ。