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池木屋山十一  作者: 利田 満子
1/1

ビバーク1

「寒いなあ。眠るにはまだ早いし、眠とうならへんし、どうしたらええかなあ」貴洋が誰に言うともなく言った。

「別にすることなんかないだろう。眠くなるまでじっとしてればいいのさ」賢一がそっけなく言った。

「智子、何考えとるんや」貴洋が聞いてきた。

「明日はどうするのかなって考えてたの。勿論、この夜を無事に過ごせたらの話しだけどね」

「そんなこと考えとったんか。大丈夫や、心配せんでも。このまま夜を過ごすんは、ちょっと辛いけど、死ぬようなことはあらへんわ」

「さっき、明日は来た道を引き返すって言ってたわね。やっぱりそれが一番いい方法なのかしら。もう一回下る道を捜してみては。登るよりも下る方が楽なんじゃない」

「確かに登るよりも下る方が楽に違いない。しかし、それは道がはっきりしている場合だけだ。道も分からないのにがむしゃらに薮漕ぎをしたんじゃ駄目さ。よく言われてることだし、先生も言ってたと思うけれど、道に迷ったら絶対に谷には下りてはいけないって。谷の流れを伝って行けば簡単に里に降りられるような気がするけれど、途中に滝でもあったらもうそれ以上は進めないし、うまく滝を巻いて降りたとしても次に降りられないような滝があったら駄目だし、登り返すのも難しいだろう。文字通り万事休すだよ。穏やかそうに見える山でも谷は結構険しい場合が多いって先生が言ってたよな。谷を降りるより稜線や尾根を目指して高い方へ登った方がいいのさ。尾根筋には必ず道か悪くても踏み跡があるんだよ。もう、トイシ谷の方へ行くのは諦めよう。今日あれだけ捜して道がなかったんだ。あるのかも知れないけれど、そんなことで体力を消耗するわけにはいかない。明日は確実な道を辿るんだ」賢一は落ち着いた声で言った。、

「この道を登り返す体力が残っているかしら、明日になっても」

「でもそれしか方法がないだろう。道はわかっているんだから。今夜はできるだけ体力を維持するように努めよう。・・・しかし、いったい何故この道を行くことになったんだ。本当に馬鹿だなあ。腹も立つよ」賢一はまた口論になりそうなことを言った。

「言い出したんは俺や。そやけど、おまえも賛成したんやからな。俺だけの責任とは違うわ。俺ばっか責めんといてほしいわ。頂上を出る時誰も反対せえへんだんやから三人の共同責任や」

「しかし、やっぱり言い出した奴が一番悪いんだよ。それにしてもよくこんな道を行く気になったものだよ、感心するよ」

「道の状態は行ってみやんとわからへんやないか。そんなに言うなよ。そやけど、ガイドブックも当てにならへんなあ。もうちょっとましな道やと思たんやけどなあ」

「今頃言っても遅いけれど、ガイドブックのせいにするなよ。もうちょっと、慎重になるべきだったんだよ。頂上を降り始めて薮が深くなった時に気がつくべきだったんだよ。薮を掻き分けて進むんだから当然歩くのは遅くなるだろう。明るいうちにテントまで行けるか時間を計算するべきだったんだよ」

「そんなに言うなよ。下り始めたらなかなか登り返そうとは思わへんやんか」

「何言ってるんだ。おまえのせいでこんな目に遭ってるんだぞ。ちょとくらい反省したらどうなんだ」

「反省せえって言うたかてこんな所でどないせえっちゅうんや。もう来てしもたでしゃあないやんか。それにおまえもこちらに行く気になっとったやんか」

「また言い逃れをする。だからお前は馬鹿なんだよ」

「馬鹿とはなんね」

 私の前を互いに非難しあう言葉が飛び交い始めた。

「二人とも止めてよ」これを止めさせるには私がヒステリックに喚くしかなかった。しばらくの間は息遣いも消されてしまいそうな風の吹く音だけになった。目を閉じると私一人だけが、ビバークをしているんじゃないかと思ってしまう。薄く目を開けると両側に二人がいる。

「ねえ、眠ってる時に熊が来ないでしょうね。こんな山の中なんだから」

「熊、知らんわ。来るんなら勝手に来たらええやんか。来ても今の俺たちではなっともようせんけどな。ただ喰われるだけや。熊が出たら諦めやなしょうがないわ」

「馬鹿だなあ、この寒いのに熊なんか出るわけないだろう。もうとっくに穴に入って冬眠しているさ」私は賢一の言葉を聞いてちょっとだけ安心できた。

 またしばらく誰も何も言わなくなった。見上げるといつの間にか空には星がたくさん出ていた。白く輝いてはるか遠くから無機質な光を放っている。しかし、知っている星座を捜そうというようなのんびりした気分にはなれない。風は休みなく吹いているし、時々木々の枝を揺すぶって悲鳴をあげさせる。星の光は風に研がれ、温もりを奪われて地表に届くのだろうか。冷たさしかなかった。

 ポンチョを身体に巻きつけていてもそれほど暖かくはない。最初は薮が風を遮ってくれるものだと期待していたが、風は石楠花の薮を簡単に通り抜けてきてしまう。薄いビニール製のポンチョは風が直接身体に当たらないだけましといった代物だった。上半身はヤッケを着ているのでそれほど寒さを感じないですんだが、下半身はとても冬にははかないような薄い作業ズボンだたので非常に寒さを感じた。巻きつけたポンチョの隙間から入ってくる風がまるで氷のナイフでも突きつけられたように冷たかった。私は膝を抱える手に力を入れた。しかしすぐに力は抜けてしまう。

「ねえ、寒くない」私は震えながら言った。

「誰だって寒いさ。当たり前だろ」

賢一も震える声で答えた。

「こんなに寒いのが一晩中続くのかしら」

「あったり前だろう。夜中に急に日がでるわけがないし、山の中はもう冬みたいなものだからな」

「それにしてもたいへんなことになってしまったわね。こんなことになるなんて全然予想もできなかったわ」

「ああ」

「予定では明日帰ることになってたでしょう。こんなビバークなんかしてて明日中に家に帰れるかしら」

「明日は、まず池木屋山に登り返すだろう。それからテントまで戻るんだ。それだけならそんなに時間はかからないだろう。ただ、早朝に出てしまう一日に一本しかないバスには乗れないだろうね。すると森まで歩かなくちゃならない。森まで行けばバスは一時間に一本くらいありそうだから、明日中には変えれるんじゃないかな」

「そう、安心したわ。帰らないと家の人が心配するし、もうこれ以上学校は休めないものね」賢一と私は震えながらも会話を続けた。話しているとその間だけでも寒さを忘れることができた。

「二人とも何喋っとんのや」貴洋が会話に加わってきた。

「明日中に家に帰れるかってことよ」

「帰れるやろ、そんなん。帰らなあかんやろう。その次の日は学校があるし、休んだりしたら山に行ってたことがばれるやんか」

「私もそれが心配なのよ」

「絶対に明日帰らなあかんわ」

 しばらく会話が途絶えた。私はポンチョの中から遠くの方を見た。山の輪郭が黒く見えてその向こうがぼやっと僅かに明るかった。まるで山の向こうに町でもあるようだ。今いるところから少なくとも半径二十キロメートル以内に町などないはずである。不思議な感じがした。月がどこに出ているのか気になったが、頭を出して捜そうとすると冷たい風に直接当たることになるので諦めた。

「おいっ、退屈やなあ。二人とももう寝たんか。まだ寝とらへんやろ。寝るにはまだ早いし、寒うてとても寝られへんし、何かせえへんか」突然貴洋が言った。

「何かするって言うけど何をするつもりなんだ、この寒いのに。じっとしていた方がいいんじゃないか」賢一がそっけなく言った。

「しり取りでもせえへんか。これくらいやったらええやろ。順番に言うてくだけや」

「しり取り、小さな子どもの遊びじゃないか」

「まあ、そんなに言わんでもええやんか。何も喋らんとおると悲壮になるわ」

「馬鹿馬鹿しい」

「そんなこと言わんとしように、なっ。俺から行くでな。最初はリンゴや。ほれ、次は智子や」

「貴洋。あんた、本気なの」私は驚いて聞き返した。

「割と本気やけど。嫌なんか」

「別に嫌じゃないけど・・・」

「ほな、しょうに。さっ、何にするんや。早う言わんか。あれ、何やったかいな。さっき俺が言うたんわ」

「リンゴでしょう」

「ああ、そうやった、そやった。次は智子やでえ」

「待ってよ。ええと、そうねえ、それじゃあ、ゴリラ」

「ううん、なかなかええ線いっとるなあ。次は賢一や」

「おいおい、本気なのか」

「本気や。当ったり前やんか」

「ああ、しょうがないなあ。それじゃ、ラッコ」賢一は投げやりな感じで言った。

「ははあん、ぼそっと言う割には面白いもん言うやんか。次は俺やな。俺はなあ、ええと、コウモリや」

 次は私の番である。余り乗り気ではなかったが、とにかく言わねばならない。

「それじゃあ、私は可愛くリス」

 賢一はしばらくの間黙っていた。

「賢一、あんたの番よ」

「ああ、そうか。それで何だっけ」

「リス」

「そんならスイカ」賢一は面倒臭そうな言い方で答えた。嫌々やっているようだ。しかし、貴洋はすごく乗り気だ。

「ほんならカブといくかな」貴洋は賢一が言うとすぐに自分の思いついた言葉を言った。私は慌ててしまった。そんなにすぐには浮かばない。

「ブってなかなかな思いつかないのよね」私はさりげなく時間稼ぎをした。

「ちょっと待って、ええとブタさん」

「ブーッ、残念でした。ンで終わったから失格や」貴洋が大きな声で嬉しそうに言った。

「待ってよ。違うのよ。ただのブタなの。ブタさんって言ったのは、ブタだけじゃかわいそうだから、勢いでサンをつけただけよ」

「見苦しいなあ。そやけど、智子のことやで負けとくか。次、賢一の番やで」

「タヌキ」賢一は貴洋のはしゃぎようとは違って冷めたような感じで言うだけだった。

「タヌキか。ほんなら、キシャや」

 またすぐに私の番が回ってきた。すぐにはシャで始まる言葉を思いつかなかった。少しの間だけだったが、私は考えた。

「それじゃあ、シャボン玉。ねっ、可愛いでしょう」

「魔法使い」相変わらず賢一は面倒臭そうに言う。

「ほんなら、イカや」貴洋は楽しそうに言う。

「それじゃあ、カサね」私はちょっと楽しくなってきた。

「サカナ」

「ほんなら、ナベ」

「それじゃ、ベッド」

「あれ、ベッドやて。何かこの場では言わん方がええんと違うか」

「考えすぎよ。こんな山の中でビバークしてるより、家のベッドで寝たいという願望の現われよ」貴洋はすぐに茶化してくる。

「ドア」貴洋と私の騒ぎを無視して賢一は一言機械のように言うだけだった。

「ドアか。ほんなら、アッカンベーや」

「ええっ、そんなのありなの」私はクレームを言った。

「何でもええやんか」私はベで始まるものを考えた。

「それじゃ、ベ、ン、ト、ウ」

「ウサギ」

「ほんならギター」

「それじゃあ、タコ。海に棲んでるやつ」

「コマ」

「コマっとおいでなすったk。マイクや」

「それじゃあ、クマ」

「おいっ、そんなの言うたら本物のクマが来えへんやろな」

「考えすぎよ」

「マリ」

「リンゴ」

「ブーッ、リンゴはあんたが最初に言ったじゃない。駄目よ。貴洋の負けよ」

「今のは間違いや。リボンにするわ」

「ブーッ、それも駄目じゃない。ンで終わってる」

「ああ、しもた。ちょっと待ってえな」

「もう駄目よ。ジャーン、言い出しっぺの貴洋の負けが確定しました。何か罰ゲームでもやるべきだわ。歌でも歌ってよ」

「そんな殺生な。智子って意外に冷たいんやなあ」

「そうよ。冷たいのよ」

「もう一回初めからしようや」

「あらっ、罰ゲームは。これを忘れちゃ駄目よ」

「罰ゲームは後でやるで、もう一回最初からしように」

「あら、ずるいわね。誤魔化す気なの」

「後でやるで、絶対に」

「本当かしら。信じられないわ」

「本当やて。本当や」

「いいわ。そこまで言うのなら信じてあげる。でも、絶対よ。必ず後で罰ゲームよ」

「うん、分かった。分かったから、最初からしようや」

「それじゃあ、今度は私から」

「おいっ、ちょっと待ってくれよ。俺はしたくないから二人だけでやってくれよ」横から突然賢一がうるさそうに言った。

「どうしてなの。二人じゃ面白くないわ。賢一もやってよ」

「つまらないよ。小さな子どもじゃあるまいし、しりとりなんかやってられないよ」

「それは面白くないことはわかってるけど、何もしてないと退屈でしょう」

「じっとして明日のために体力を温存しておくとか、何とかして眠ることでも考えたらどうなんだ。全く馬鹿馬鹿しいよ」

「でも、さっき賢一は結構のりのりでやってたじゃない。すぐに言うんだもの」

「面倒臭かったから思いついたのを片っ端から言っただけさ。それがたまたまうまくいっただけのことさ」

「でも、すごいんじゃないの。もう一回やってよ」

「いや、もうたくさんだ。疲れたよ。眠たくなってきた」

「絶対にしないの」

「絶対に」言い切ると賢一はポンチョに包まったまま寝っ転がった。地面に横たわった太い石楠花の幹を枕代わりにしている。貴洋の反応はしょうがないなという感じだった。二人でするのではしりとりは面白くない。何にももたれないでいると疲れるので私もポンチョに包まったまま後ろの薮にもたれることにした。小さな枝がたくさん集まっていてソファのクッションのように柔らかくはなかったが、私の身体を受け止めてくれた。隣の貴洋も寝転がったようだ。

 しばらくは何も考えないでいた。風の音だけがする。相変わらずポンチョの隙間から入ってくる風が冷たい。目を閉じると自分がこんな山の中にいることが不思議なように思えてくる。私はいつもなら家の快適なベッドで眠っているはずだ。不自由なのはテントを張って昨夜のようにシュラフに入って寝る時だけである。だのに今はそのシュラフさえないではないか。薄いビニール製のポンチョだけなのだ。こんなことがあるはずがない。これは夢か何かに違いないのではと思いたい時が何度かある。しかし、頬に冷たい風が当たるとやっぱり山の中にいるという事実は変わっていない。

 鳥のように翼があったら飛んで楽にテントまで戻れるのにと、と思うのは誰でも考えることなのだろうか。でも、自分が鳥だとしたらわざわざ歩いて山なんかに登りはしないだろう。鳥は餌を捜すのに精一杯だから遠くの山に興味はないだろう。鳥でなくてもいい、パラグライダーがあったらどうだろう。乗ったことなどもちろんないが、ここから尾根にそって下って宮の谷へ降りていけそうな気がする。目を閉じているとテーブルに並んだご馳走が浮かんできた。暖かい牡蠣鍋だ。家族がテーブルを囲んでいる。食器を並べる音が聞こえてきそうだ。父さんがビールの栓を抜いた。母さんが父さんの持ったグラスにビールを注いでいる。兄さんも姉さんも箸を持った。だけど私の箸はない。


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