第4話 パンク
高井栞は好天のGW、極めてご機嫌で走っていた。つい先程までは。
高校2年生である栞は父に買ってもらったロードバイク・白地にチェレステカラーが入ったビアンキ[Via Nirome7(Sora)]に乗るサイクリストだ。高校入学時から入っていたチアリーディング部は、2年になった途端辞めた。部内の派閥争いに嫌気がさしたのだ。部内ヒエラルキーを気にしてLINEのスタンプにまで気を遣うってどうなのよ。加えて、チアリーディングですっきりさせたかった脚に筋肉がつきつつあって、これって逆効果じゃん、やってらんねえとボヤいていた所に、丁度雑誌で見掛けた女性サイクリストの記事に嵌ってしまったのだ。有酸素運動が身体に良い事は解る。更に長距離を軽く漕いでゆくことで脚も締まると言う。モデルでもある彼女のグラビアがそれを証明していた。
「そうなのか! さらば筋肉、welcome美脚!」
栞は貰った覚えの無い入学祝を取り返そうと、娘に甘い父親を口説き落とし、ビアンキを手に入れたのだった。栞に厳しい母親には、チアリーディング部を辞めることで、部費や遠征費がかからなくなるからチャラ、と経済効果を攻めて説得した。
そんな訳で先月手にしたばかりのロードバイクで初めてロングランに出掛けた栞だったのだが、早速恐れてい たパンクに見舞われたのだ。しかも取り外しが面倒な後輪だった。派手な音もなかったので栞はパンクの瞬間が判らなかった。しかしご機嫌な走行が何だか後ろ髪引かれるみたいに重く不自然になって、そーっと停止し後ろを見たらタイヤがペッチャンコだった。
んー?えー?ぎゃー!
驚きの三段活用で声を上げた栞は、自転車を降りるとサドルを押さえながら後輪をじっくり見た。これが噂のパンク大魔王か。ビアンキを買った時にショップでパンクの簡単なレクチャは受けたし、初めてロングランに乗り出すに当たって、昨晩はYOUTUBEで修理方法も見ていた。だが、現実となると話は別だ。第一ここは落ち着いた室内じゃない。汗ばむ陽気のサイクリングロード。脇は土手でその向こうには一級河川ときている。
どうしよう、そもそもどこで修理するの? 栞の動悸は速まるばかり。道具はある。予備のチューブやパッチだって持ってる。そして携帯ポンプもある。栞はシートチューブに結わえてあるポンプをまず外してみた。だけど自転車ってどこに置いたらいい?逆さに置くんだよね、平らな広めの場所・・・なんて見渡してもない。
駄目駄目・・・こんなんじゃ明るい美脚生活は手に入らない。まずは落ち着くのよ、メンタルから何とかしなくちゃ。
栞はビアンキをそーっと土手に寝かせ、1年間みっちり仕込まれたチアのポーズを取ってみた。ポンポンの代わりはポンプだ。形は違うけど名前は似てる。そうだこうやって落ち着くんだ。
よし、Ready OK?
ハンズオンヒップス! パンチアップ!! 栞はポンプを青空に突き上げた。Go!Fight Win!
すると目の前に1台のロードバイクがすーっと停車した。あら?
「何かご用?」
ローディがこちらを向く。
「へ?」
栞はポンプをそろそろっと下した。
「あ、パンクね」
ローディは自転車をビアンキの横に寝かせると栞に話しかけた。
「やったことないの?」
「は・はい、まあ」
「それでレスキュー呼んでたのか」
「レ・・・スキュー・・・ですか?」
栞は我ながら間抜けな声を出した。ローディはヘルメットとサングラスを外しながら、にこやかに言った。
「だってほら、キミ、ポンプ振ってたでしょ?助けてって」
「いや、そんなつもりじゃ・・・」なかったと言いかけて栞は言葉を飲み込んだ。これラッキーなんじゃない?
「そうでした!」
栞の口からは真逆の言葉が出ていた。
「チューブとか持ってるかな?」
「はいはい、あります。一式全部あります」
栞は寝かせたビアンキのサドルバックからチューブを取り出して見せた。
「んー、ほんじゃ貸してみ。よく見てて。いつも助けが来るとは限らないから、自分で出来なきゃ困るでしょ」
ローディはビアンキを逆さにして道の端っこ立てた。
「こけないように支えててね」
「はい」
素早くギアをトップに入れて、ブレーキ緩め、クイックを戻してタイヤを外す。自分の自転車のサドルバックからタイヤレバーを取り出すと、タイヤのビートを外し始めた。ポイントを説明しながらテキパキと作業が進み、20分後にはチューブ交換されたタイヤがリアに嵌っていた。一旦ビアンキを土手に寝かせるとローディは言った。
「ちょっと空気は少なめだからさ、後で入れた方がいいよ」
「はい。どこで入れるんですか?」
「そうだなあ、ちょっと待って」
ローディは土手に座りスマホを取り出した。栞も隣に腰を下ろす。
「そもそもキミはどこへ行く所?」
「えっと、この道ずっと行った所に青い橋があるって聞いたからそこまでです。ってか初めてなんです、遠出するの」
「そうなの?で、いきなりパンク?ついてるねえー」
ローディは笑いながらスマホを触り
「ちょっと戻ってサイクリングロード降りてコンビニ寄ろうか。俺はそっち向きに帰るんで引いてあげるよ。コンビニに空気入れあるからさ、入れてそこからどうするかはご自由にどうぞ」
「はい。あの、どちらまで帰るんですか?」
「俺?俺はミカゲ台だよ」
「え?一緒です。私もミカゲ台。三丁目ですけど」
栞はほんの少し運命を感じた。ローディは決して若くはないが栞の父親よりは随分若そうだ。お兄さんとおじ様の間くらい? こういう人、一人知ってると美脚ライフに向けて何かと便利に違いない。よし、ヨイショだ。
栞は少し甘い声を出した。
「あのう、もう今日は恐いので私も帰ります。ついて行っていいですか?」
「ん?うん、まあいいけど。三丁目か。俺は一丁目なんだけどね、ほらヒナタ公園の隣のマンションだよ」
栞も知っているマンションだった。ミカゲ台のバス停の目の前だ。二人はソロソロと走り始める。
「キミは高校生くらいなのかな?」
「はいそうです。2年です。ここはよく走るんですか?」
「うん、以前はね、週イチで走ってたんだけど、奥さんが亡くなっちゃって、最近ようやく走り始めたところ。だから足痛いわ」
栞はなんて答えていいのか判らなかったが、一応哀悼を示すべきと考えた。高校生には難問だよ。
「それはあの、お淋しい・・・ですね」
「はは。有難うね。淋しいけど、一人は気楽ってのも事実でね。なんて言うと天国から怒られちゃうか」
これ以上の回答は控えよう、高校生には超難問だ。以後、栞は黙って付いて走った。
コンビニで空気を入れ、栞はアイスを奢ってもらい、二人はそのまま住宅地を走りミカゲ台に帰って来た。マンションの前で栞も自転車を降りる。
「今日は有難うございました。あの、一応お名前聞いていいですか?」
「え?ああ、俺? 西陣と言います。京都の西陣織の西陣ね。とっつきにくい苗字でしょ。三丁目ってもうそこだから、キミも気をつけて帰ってね」
「はい、有難うございました。西陣さん」
栞はぺこりと頭を下げるとビアンキに跨った。左門はSCOTTを押して駐輪場へ向かった。




