幕間-とある工作員の不幸の始まり
行商人ジャンはとても上機嫌だった。
彼の目に宝の山が見えてきたからである。
その宝の山は、サンテラという名前の都市だった。
本来なら魔王領と接する最前線の街であり、危険が伴う場所で近寄りたくはない。
だが今のジャンには頼もしいボディガードたちがいる。
「いやぁ、ぼろい。ぼろいねぇ」
顎ヒゲを撫でながら呟くと、楽しそうな表情で御者が振り向く。
「嬉しそうですねぇ、旦那ぁ」
「そりゃあそうさ。商人にとって落ちてる金が拾えることほど愉快なことはない」
「やぁ、そりゃあそうですな。俺もガキん頃は麦畑を見ちゃあ麦穂が全部金になりゃあいいのにと夢想したもんでさ」
「金の成る話だな。いいね、この状況にぴったりじゃあないか」
ジャンは御者の男には少しボーナスを上乗せしようと決めた。
ケチ臭い彼がそう思うくらいには、彼は上機嫌だった。
なぜならばこの馬車は大金を運んでいるも同然だからだ。
連なった馬車は20台。
その全ての荷台にはぎっしりと食料が積まれている。
真正聖王国で安く仕入れた出来の悪い作物が中心だが、これが全て大金に変わるのだ。
なぜなら、サンテラでは今未曾有の食料危機に見舞われているから。
「危ない橋を渡って年月も費やしはしたが、ああ、その全てが報われる日が来た」
数年前から彼はサンテラに食料を売りにやってきていた。
その際にはいくつかの農具も用意し、農家の人間と話をするのに自然な体裁を整えていた。
そしてその場で、囁いてきたのだ。
毎年サンテラの街からは食料の輸入を増やすように要求されている。
このペースだと近い内に食料難になるだろう。
今から食料を貯め込むと良い。
作物を育てる農家の人間が、食べるものがなくなるなんて、そんな理不尽な目に遭いたくなければ。
「いやはや、農家なんてやるくらいだ、純朴な人間が多くて助かった」
「悪いお方ですなぁ」
御者と二人でくっくっくと喉を鳴らして笑う。
最初は話半分に聞いていた農家の人間たちも、次第にそれを信じるようになった。
なぜなら、作物の値段が年々値上がりしていったから。
だんだんと食料が不足していったのだ。
原因は単純。
大部分の農家が言われるままに「物は試し」と作物の一部を売らなかったからだ。
少数ならまだしも、ほぼ全ての農家が一割ほど手元に残せば、全体の量としてはかなり減る。
そこへジャンが周辺の街の食料を買いあさり、自身もサンテラへ売る量を減らしていく。
あっという間に食料は高騰し、農家は飢える人々を見て恐怖しさらに食料を抱え込む。
悪循環は拍子抜けするほど簡単に完成した。
あとは疲弊した街を真正聖王国が刈り取ることで、収穫は完了する。
「あの街の連中にゃ悪いことしたなぁ、ああ、同情すらするぜ。でもなぁ、迂回してきただけで『西の方から来た』なんて言葉を信じるのが悪いんだぜぇ?」
対立関係にある真正聖王国のことは、当然サンテラでも警戒している。
だが最短ルートである東を避け大きく迂回する西側ルートを通るだけで、彼らはあっさりとジャンの商談を受け入れたのだ。
ジャンからすればありがたいことこの上ない。
「この稼ぎがありゃあ、しばらくは工作員なんて危ないことしなくても平気だな」
「バカンスですかい? どこか遠出するなら俺にも声かけてくれますかね」
「ああ、その時にも御者は君に頼むとしよう」
ひっひっひと二人は笑う。
締め付けのために今までは売る量をセーブしてきたが、最後の機会である今回は大量の食料を売りつけることができる。
さて、インフレはどこまで進んでいるだろうか。
楽しみで仕方がないジャンは舌なめずりを一つした。
「だ、駄目だ旦那……どこも同じだ、農家の連中は全部売りに出しちまってる!」
宿に戻ってきた御者の男の声に、ジャンは頭を抱える。
誤算、どころではない。
サンテラの街では今、インフレどころか食料価格の下落が始まっていた。
『ふむ……見ればどれも質が悪いですな。これではお支払い出来るのは……運送費ほどになってしまいますが、よろしいですか?』
この街の商人組合の組合長……コルネドと言ったか、あの男の満面の笑みが脳裏に焼き付いて離れない。
どういうわけか、どんなルートを使ったのか、街には大量の食料が出回っていたのだ。
今年が奇跡的な豊作だった?
あるいはエルランディアで農業革命でも起きた?
分からない。
それらの情報は一つとして耳に入っていないし、直前までは餓死者が出始めて食料難は最高潮との報告だって聞いていた。
なのにこの短期間で、いったいなにがあった?
しかも、だ。
「一時的な回復なら、農家と商人組合を仲違いさせれば継続もできた……だってのに、なんだあの野郎……!」
ぎり、と奥歯が鳴る。
農家に売りしぶりをさせたのには、食料の流通量を減らす以外にも意図があった。
農家と商人組合との関係を悪化させる、というものだ。
街が食料難なのにも関わらず自分たちの分を確保する農家。
当然、商人組合はそれを快く思わないだろう。
なにかが原因で食糧難が回復した場合、農家が慌てて売ろうとしても意趣返しとばかりに安く買い叩かれる。
そのタイミングでジャンが農家に甘言をもたらせば両者の関係は険悪となり、さらなる長期的な食糧難へと発展させて締め上げは可能になる。
はずだった。
「それを……あの男……損を承知で通年どうりの価格で買い取っただと? 安く買える時に高く買うなど、商人として失格だろうが!」
商売としては間違いなく致命的だ。大儲けのチャンスを逃したと言っても良い。
しかしそれが、真正聖王国の工作員であるジャンに取ってはこの上なく致命的だった。
まずい。
非常にまずい。
農家たちはみんな文句一つ言わなかった商人組合に感謝している。
もうサンテラで同じことは出来ない。
それどころか食糧難に関する調査が進めばジャンの工作が露呈する可能性すらある。
かと言って、失敗しましたと言って許される仕事でもない。
「……早馬だ」
「へ?」
「早馬だよ! 用意しろ、一刻も早く連絡を取る」
「な、なんて連絡するので?」
「決まってるだろ!? 攻める絶好の好機、ここを逃せば他にチャンスはない、そう伝えるんだよ! おら、早くしろ!」
「へっ、へいっ!」
御者の男が慌てて外に出ていく。
馬車の馬を一頭外せば足は用意出来るだろう。
まだ町の人間はやせ細った姿が目立つ。
食料が改善されたのはつい最近とみて良いはずだ。
なら、まだ回復しきってはいないはず。
今サンテラを叩けば落とせる。落とせれば問題ない。
ただし、工作員としては、だが。
「……あの食料、どうすんだよちくしょう……いったいなにが、どんな奇跡が起こったってんだよぉぉぉぉぉぉぉ……!」
バンバンとベッドを叩くジャン。
彼はその不運が始まったに過ぎないことを、まだ知らない。




