6.僕を探偵と……
時村家で起こった事件は、世間でも瞬く間に記事にされた。暴力団とつながっていた時村グループに対する非難も大量にあったが、きちんとしたマスコミの報道が発表されると、彼らに対して同情をする声も出てきた。
「あー、さーてと!」
数日後、菜緒と少女は時村家の前に来ていた。
彼女らを待つかのように現れたのは、梨音と夏目だった。
「お久しぶりです、梨音さん」
「あら、あんたたち。お久しぶり!」
以前のようなキツい口調もなくなり、梨音は笑顔で彼女らを出迎えた。
「本当に大変でしたね」
「全くよ。あの子たちが無茶苦茶なことしてくれたせいで、うちにいくつ石が投げ込まれたことか」
うわぁ、と少し引きながら彼女らは愛想笑いをする。
「でもね、これでよかったと思っているの。私も今まで親に反発して遊んでばかりだったけど、今回の事件で私は私の出来ることをやるべきだってことに気付かせてくれた」
「グループのほうはどうなっているんですか?」
「もう連日役員会議よ。とりあえず真面目な上層部をかたっぱしから集めて、社長代理を立ててグループを一からやり直していくつもり」
「よかった。なんとかなりそうですね」
「当たり前よ」梨音は親指をグッと立てて、「叔父様が守ろうとしたものを、そう簡単に潰すわけにはいかないでしょ。とりあえずあたしは大学で経営を一生懸命勉強して、ゆくゆくは会社を継いでいくつもり」
梨音は夏目を睨みつけた。夏目は少し挙動不審になりながら直立する。
「あんたも、協力しなさいよ」
「な、なんで俺が……」
梨音は夏目を冷たい視線で見据えた。
「またいつあんたにグループが潰されるか分からないからね。当分はうちの使用人としてきちんと働いてもらいます! 目を離すとどんな弱み握られるか分かったもんじゃないわ」
「だから、俺はもう復讐なんて……」
「言い訳無用!」
梨音に声を出されて、夏目はしゅんと肩を崩した。
その様子に、二人は見合ってクスクスと笑い出した。
「しかしよう、怪盗には逃げられてしまうわ、結局収穫なしかよ」
武彦は新聞を眺めながら、悪態を吐いた。
「あー、東刑事。もういいでしょ、アリシア様のことは!」
「よかねぇよ! あれで俺、また給料下げられるし、菜緒には冷たい目で見られるし、散々だぜ!」
コーヒーをずずっと飲み干し、武彦はマスターに向かって「お代わり!」と注文する。
「もう……」
若干呆れ果てながらも、このはは今回の事件のことを思い出していた。
――アリシアが颯爽と現れたこと。
――アリシアが自分を眠らせたこと。
――アリシアがそんな自分になりすましたこと。
――スイートピーの丘で佇むアリシア。
――アリシア。
――アリシア。
――アリシア。
以下略。
「おいこら!」
武彦が睨みつける。
「は、はい……」
「お前、まさかアリシアのクソヤローのこと考えたりしていないだろうな?」
元暴走族ヘッドの、強烈な睨みつけ。
このはは冷や汗を何とかぬぐいながら、彼の目をじっと見つめた。
「ま、まさかぁ、そんなことはありえませんよぉ……」
本当に図星だった。
しかし武彦は彼女のそんな様子を気に留めることもなく、水を飲んだ。
「ま、いっか。仙道組の組長も逮捕できたし」
「そ、そうですよ。殺人事件のほうも解決したわけですし」
「おい、宮古」
武彦が再び呼びかける。
「は、はい……」
「今日はこの後、時間あるか?」
「えっ?」
少し驚きながらも、このはは武彦を見つめる。
「事件解決祝いに、パーッと飲みに行くか!」
それを聞いた瞬間、彼女に笑顔が戻った。
「いいんですか?」
「おう、俺の奢りだ!」
「やったー!」
彼女は手を挙げて喜んだ後、
「あ、でも出来れば焼き鳥はまだちょっと……。あと串カツも」
病室は閑散としていた。いや、人はいる。
「やっほー、りっくん」
少女は手に持ったケーキを見せつけた。
彼は相変わらず、ブスッと顔を顰めて外を眺めていた。
「もう、りっくんってば……」
腕に巻いたギプスを押さえながら、リクはため息を吐いた。
「あなたねぇ、もっと静かにしてもらえませんか?」
「ここ静かすぎるもん。もっと音が欲しいよ」
リクはゆっくりとため息を吐いた。
「本当に、あなたって人は……」
リクは呆れながら、彼女をじっと見る。
「僕は結局、何も出来なかった」
「そんなことないよ!」
「そんなこと、あるんです!」
「りっくん!」
少女は優しく、リクを抱きしめた。
「おねえ、ちゃん……」
思わずリクは彼女のことをそう呼んだ。
今思えば、彼女はずっとリクのことを見ていたのだ。
中庭で会った、あの時も。
一緒にあの屋敷で使用人として働いていたときも。
みらい園に一緒に行ったときも。
そして今も。
「お姉ちゃん……」
「よしよし」
少女は、頭を撫でて、リクをずっと抱きしめた。
「りっくん偉いね。本当によく頑張ったよ」
「僕は何もしていませんよ。ただ……」
リクは外を眺めた。
「思い出、守れてよかった」
「そうだね」
「亜理紗、お姉ちゃん……」
リクが発したその言葉に、彼女は目を丸くした。
「えっと、りっくん?」
「思い出したんですよ。あなたの名前、海藤亜理紗、ですよね?」
少女はじっとリクを見つめる。
「当たり」
「良かった……」
二人は見つめあって、お互いに笑いあった。
「僕も思い出を取り戻せてよかったです」
「でも、りっくん」
少女は一旦リクから離れた。
「いつまでも思い出ばかりに縛られてちゃダメだよ」
しばらくきょとんとした顔を浮かべるリクだったが、
「分かっていますよ」
その意味を理解して、リクは元気よく返事をした。
「僕はこれから、おじいちゃんみたいな探偵にならなきゃいけないんです」
「分かればよろしい」
そういって、少女は再びリクに近づいた。
――チュッ!
生暖かい感触とともに、リクの頬に何かが当たった。
それの正体に気付いた瞬間、
「わああああああ!」
病室内にリクの声が響き渡る。
「ほらほら、りっくん。病院では静かに」
「だって、その……」
頬を赤く染めながら、リクはなんとか体裁を保った。
「これはご褒美。頑張ったりっくんへの、ね」
「いや、だって……」
しどろもどろになった後、リクは、
「こほん!」
と何とか咳を入れた。
「ありがとうございます……」
とりあえずリクは感謝を言っておいた。
「うんうん。素直でよろしい」
亜理紗はにっこりと彼に笑顔で返した。
春風が、そっと差し込んだ。
確かリクと亜理紗が別れる日も……。
――チュッ!
『わぁ、亜理紗お姉ちゃん!』
『これは、将来立派な探偵さんになるりっくんへの、お祝い』
『恥ずかしいよぅ……』
『えへへ。でもね……』
その後の台詞は、確か……。
『将来、本当にりっくんが探偵さんになったら……』
『なったら……?』
『お姉ちゃん、りっくんと結婚してあげる!』
そういわれて、リクは
『ホントに?』
うれしそうに喜んだ気がする。
『うん、約束だよ』
『分かった。じゃあ、僕からも約束』
『なあに?』
『僕が本物の探偵さんになるまで……』
――そうだ。
リクは、あの日の約束をずっと心に閉まっていたんだ。
「亜理紗さん」
「なあに?」
「僕たちの約束、覚えていますか?」
「え、うん」
亜理紗はうれしそうに返事をする。
「りっくんが立派な探偵さんになったら結婚するって……」
「もうひとつのほうですよ」
リクは笑顔で彼女を見る。
「もうひとつ?」
「あの日、僕は自分に戒めを作ったんです。自分が立派な探偵になるまで、自分を探偵って呼ばないように」
リクは怪我をした自分の腕を眺めた。
「今回、僕は怪盗アリシアを捕まえることができませんでした。それに、結局仙道に撃たれてしまって、あとは野岡さんと刑事たちの活躍でした」
「でもそれは……」
「僕はまだまだ未熟です。それに、子どもだし、力もない」
「そんなの仕方がないよ」
「でも」
リクは力強く言い放った。
「僕はもっと強くならなきゃいけない。本物の探偵になるまで、一生懸命頑張らなきゃいけない。だから……」
リクは笑った。
その笑顔は、どこか彼の秘めた力強さを感じられた。
「僕の当面の目標は、怪盗アリシアを捕まえることだって」
「えっ……」
亜理紗はきょとんとした。
「確かに、彼女は今回何も盗んだりしませんでした。でも、彼女の目的はまだはっきりしないし、何を考えているのかも分かりません。だから、決めたんです。彼女を捕まえて、その真意を確かめる」
リクは亜理紗へ精一杯力強い笑みを送った。
「そのときには僕のことをこう呼んでください。
『探偵さん』って……」
彼女は思わずふふふと笑い出した。
「な、何がおかしいんですか?」
「ううん、なんでもないよ」
そして彼女は、口を開き、小さな声でこういった。
「素敵よ、探偵さん」
怪盗アリシアとしてなのか、海藤亜理紗としてなのかは分からなかった。
ただ彼女は、目の前にいる少年を、そう呼ばずにはいられなかった。