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4.思い出の花言葉

 翌日。リクは放課後、電車に乗っていた。揺れる電車の中で、ただひたすら昨日の出来事を思い返していた。

「心配していた、か……」

 夏目に怒鳴られて、ずっと泣きじゃくっていた梨音……彼女の姿が、どうしてだろうか、昔の自分にそっくりな気がしていた。

『ごめんなさい、ごめんなさい……』

 おじいちゃんに出会う、それよりも前――まだ施設にいた頃の自分。はっきり言えばその姿しか記憶にないが、ただひたすら泣いている光景だけが何度も脳裏から離れようとしなかった。

 そしてもうひとつ。

『よかった……。大切な思い出、見つかってよかった……』

 あの少女が泣いていたことに、リクは気付いていた。野岡から何かの落し物を受け取った瞬間――彼女の、本当に優しい笑顔が見られた。そんな気がしていた。

 正直な話、気になることは山ほどある。事件のことも、少女のことも、自分のことも――今のところ結局何一つ分かっていないのだ。

 そんな状況に苛立ちを覚えながら、リクは電車からじっと外を眺めていた。

尾位(おくらい)市、尾位市に到着です。お降りの際はお手荷物、乗車券の忘れ物がないように……」

 やがて電車は目的地へと到着した。

 リクは考えるのを一旦やめ、電車を降りる。目的の場所は駅からさほど遠くなく、歩きで五分程度の場所にあった。そこまで何を考えていたのかは、リク自身あまり覚えていない。

 見えてきたのは、小さな施設。白い建物の門には、「みらい園」と書かれていた。

「こんにちは、お久しぶりです」

 リクは事務所の扉を開き、とぼとぼと挨拶をした。

「あら? あらあら、もしかしてりっくんじゃない?」

 中から眼鏡を掛けた初老の女性が現れた。

「園長先生、僕だって分かるんですか?」

「もちろんよ。随分大きくなって……」

 笑顔で応対をする園長に、リクは少しうれしい気分になった。ここに来るのは、ほとんどリクが引き取られて以来、実に五年となる。

「本当に大きくなったわね。ささ、あがって。ちょうど今日はね、りっくんにとっても懐かしい人が来ているのよ」

「懐かしい、人?」

 リクは中に入り、そのまま廊下を歩いた。

 しばらくすると、部屋の中から子どもたちの声が聞こえてきた。

「お姉ちゃん、次この絵本読んで!」

「はいはい。ちょっと待っててね」

 ――えっ?

 その声は、リク自身よく知っている声だった。

 いや、まさか、とは思いつつ、リクは窓からそっと部屋の中を覗き込んだ。

「むかしむかし、とある山に小さなカボチャ畑がありました……」

 ――そんな、彼女が何故ここに?

 優しい声で絵本を読んでいたのは、あの少女だった。リクの頭の中に更なるクエスチョンマークが浮かんでいく。

「あの、園長先生。あの人は……」

 リクは園長に尋ねる。すると彼女は、

「あらあら、忘れちゃったのかしら。昔はあの子に、『お姉ちゃんお姉ちゃん』ってずっとしがみついて離れなかったのに」

 ――お姉ちゃん?

 リクの記憶が強烈なフラッシュバックを始めた。それは過去の出来事……リクがまだ小学校にも入っていなかった頃の話だ。

『お姉ちゃん、ごめんなさい、ごめんなさい……』

『大丈夫だよ、りっくん。お姉ちゃんは怒っていないから』

『でも……』

『正直に謝ってえらいね。お姉ちゃんはいつだって、そんなりっくんの味方だよ』

 ――そうだ。

 リクは彼女のことを、ずっと昔から知っていたのだ。その記憶を、彼はずっと閉ざしていた。何故忘れてしまったのか、自分でも分からない。

 彼女はそのことを覚えていた。だから偶然再会したリクに対して、あんな風にちょっかいを掛けてきたのだ。

 しばらくして、彼女はこちらに気が付いた。驚く様子もなく、ただ優しい笑みをこちらにプレゼントしてきた。気恥ずかしさのあまりリクは一瞬目を背けた後、ゆっくりと彼女のほうへと目を見上げた。


「やっと気付いた?ずっとカマかけていたのに、りっくん気付かないんだもん。ちょっと薄情だったよ」

「すみません……」

「いいよ、別に。りっくんまだちっちゃかったもんね。覚えていないのも無理はないよ」

 事務室のソファに腰掛けながら、リクは照れくさそうに彼女を見ていた。

 来客用のテーブルの上に、一輪の花がぽつんと花瓶に添えられている。その花は今回の事件で何度も出てきた、あのスイートピーだった。

「スイートピーの花言葉……」

 リクはじっくりとその花を眺めた。

「『優しい思い出』ですね」

 リクは花瓶にそっと手を触れる。

「そうだよ。調べてきたんだね」

「ええ。どうしても気になって……」

 少女は再び笑みをこぼし、そして懐から何かを取り出した。

 銀色の、小さな丸くて平べったい物。それはペンダントだった。彼女はリクに見せながら、ペンダントの蓋を開けた。

 中を見た瞬間、リクは驚いた。

「これは……僕?」

 ペンダントの中には、一枚の写真――おそらく小さい頃のリクであろう子どもと、まだ小学生ぐらいの彼女。二人で仲良く笑いながら写っている光景だった。

「そう。私の宝物」

「それ、昨日野岡さんが拾ってくれた……」

 少女はこくんと頷いた。

「見つかって良かった……。屋敷で無くして、ずっと探していたんだけど、本当に良かった……」

 無邪気ないつもの姿からは想像もつかない、彼女の優しい笑顔。いや、これが本当の彼女なのかも知れない。じっと見つめているうちに、リクはぽっと顔が赤くなった。

「それにしても、あなたは何故ここに?」

「私ね、月に二回ぐらいここでボランティアをしているんだ」

「ホント、彼女は面倒見がいいのよ」

 園長がお盆を持って現れた。二人の前にそっとお茶を差し出すと、リクたちの対面に静かに座った。

「それよりもりっくんこそここに来るなんて珍しいわね。どういう風の吹き回しかしら?」

「りっくん、もしかして……」

 リクは真面目な顔で頷いた。

「そうだ、園長先生。少しお尋ねしたいことがあります」

「あら、急にどうしちゃったの?」

 軽く深呼吸した後、リクは手を組んで園長に尋ねた。「この『みらい園』に、仙道組の連中が来た、なんてことはありませんでしたか?」

 唐突な質問に、園長もさすがに憂いた表情を浮かべた。彼女もまさか彼にいきなりこんな質問をされるとは思っていなかっただろう。

 少し間を置いて、園長は口を開いた。

「え、ええ。来たわよ。この土地を売れ、だなんて無茶苦茶なことを言ってきたわ」

「やっぱり……」

 夏目のリストに、この「みらい園」の名前が出てきたとき、もしやと思った。リクが今日ここに来たのは、そのことを確かめるためだった。

「大丈夫、でしたか? 僕はずっとそれが心配で……」

「あらあら。心配してくれたの?」

 園長はお茶を啜った。

「でもそれに関しては大丈夫よ。私の知り合いにね、法律に詳しい人がいて、彼に協力してもらって『法的手段に出るぞ』って言ったらすぐに退散したわ」

 そういわれてリクはほっと胸を撫で下ろした。

「良かったね、りっくん」

「でもね、うちは大丈夫だったけど、他所の施設で何軒かそういう被害に遭っているところがあるみたいよ」

 そういわれて、ますます仙道組に対する怒りが増してきた。そういう卑怯なやり方を行う連中と茂一はつるんでいたのだろうか。だとすれば、殺されても仕方がないのかもしれない。

 しかしリクはそこから考えを改めた。たとえどんな理由があろうとしても、殺されて当然の人間なんていない。それはリク自身が常日頃から自分に言い聞かせていることだ、と心の中にとどめた。

「そういえば、ほら。こないだ時村さんの家に怪盗アリシアが入ったっていうニュースがあったじゃない」

 その話が出された瞬間、ふたりの耳がぴくりと動いた。

「あ、あのニュース、ですか……」

「いえね、時村さんって、昔はうちみたいに身寄りのない子どもたちのために寄付とかしてくれていたのよ。社長さんが代わってから多忙とかでそういうことはなくなったんだけど……」

 リクは眉間に皺を寄せる。

「時村グループが、ですか?」

「ええ。前社長の誠太郎さんはそういったことに積極的で。素晴らしい方だったわ」

「でも……」

 今は、違う。茂一は寧ろそういった施設を仙道組を利用して買収している。茂一の本性を知った今となっては、なんとなく彼のやり方がわかるような気がしてきた。

 おそらく、兄がそのような慈善活動をしているのが気に入らないのだ。要するに、これらの買収行為は全て兄への当て付けなのだろう。片や恵まれない子どもたちに対する慈善活動を行い、もう片や己の私利私欲のためのみにグループを利用する――同じ兄弟でこれほどまでに違うのかと思うところもあった。

「あの、ちょっとこれを見てもらえますか?」

 リクは懐から一枚の写真を取り出した。その写真はアリシアのメインターゲットともなった、あのスイートピーの丘の絵だった。

「あら、この絵……」園長は眼鏡を正して写真を眺めた。「見たことがあるわ。確か、暮磯(くれいそ)町にあった『白い花の家』っていう施設で。でも、これがどうかしたの?」

「その『白い花の家』ってどこにあるんですか?」

 リクは慌てたような口ぶりで尋ねる。

「残念ながらね、そこはもう閉鎖しているのよ。実はちょっと前から経営が悪化していたらしくてね、そんなときにさっき言った地上げ屋たちに脅されて……」

 園長は憂いを帯びながら説明する。リクは静かに肩を落とした。

「でも、園長先生」

 少女が口を開く。

「場所だけでも教えて欲しいんです。どうしてもこの絵について知りたいんです」

「そうなの。まぁ理由は聞かないことにするわ」

 そういって園長は立ち上がって奥に向かった。

 しばらく沈黙が続き、事務室内の印刷機の音だけが静かに鳴り響く。やがてその音も消えていき、再び園長が戻ってきた。

「はい。地図を印刷しておいてあげたわ」

 リクはうれしそうにそれを受け取り、「ありがとうございます!」と勢いよく感謝する。

「りっくん、よかったね!」

「ええ。園長先生、助かりました。本当に、ありがとうございました」

 リクは何度も頭を下げる。そんなリクを見て、園長はふふふと笑みをこぼした。

「いいのよ。あとね、その絵なんだけど……」

 園長が写真を指差した。

「その絵もが描かれた場所もね、実は『白い花の家』のすぐ傍にあるのよ。もしよかったら行ってみたら?」

 リクはまたもや頭を下げて、

「本当にお世話になりました!」

 駆け足で、事務室の扉を開いた。

 少女も彼に続いて外へ出ようと思った矢先、

「りっくんのこと、ちゃんと見ていてあげてね」

「えっ?」

 園長に呼ばれて、少女は振り返る。

「実はね、全部知っているのよ。あんたたちが今何を抱えているのか」

 少女はきょとんとした顔で、

「先生……」

「りっくんは強くなったわね。誰かのために一生懸命で、でも本当は誰よりも寂しがりやさんで」園長は少女を見て、「そんな彼を支えてあげられるのは、やっぱりあなたなんじゃないかしら?」

 園長にそう言われて、少女は昔のことを思い出す。

 毎日のようにリクに袖を引っ張られて、服に鼻水がこびりつくほど泣かれて、それでも少女はリクを見捨てなかった。

『お姉ちゃんはいつだってりっくんの味方だよ』

 その気持ちは、あの頃からずっと変わってはいなかった。

「分かりました。行ってきます、園長先生」

「しっかりと頼むわね。“亜理紗(ありさ)”さん」

 園長に見送られ、少女もまた勢いよく走り出した。


 『白い花の家』は暮磯町駅から、小高い山を登った先にあった。少しばかり長い距離を歩いたせいか、着いた頃には既に日が傾いていた。

 その名が示すとおり、建物は真っ白だった。しかし、ところどころが薄汚れていて、黒やら茶色やらの染みが目立つ。いや、暗い雰囲気も相まってか完全に真っ白などとはとてもいえるような建物じゃなかった。

 閉鎖されているため、中は入れず、リクたちはしばらく周囲を歩き回った。

「誰もいないね。そりゃそっか」

「本当は立ち入り禁止なんですよね、ここ」

「多分、昔は子どもたちの声に溢れて賑やかな場所だったんだろうね……」

 少女はまじまじと眺めながら、感慨深く話す。

 ひととおり外周を見回った後、リクはふと近くに小道があることに気がついた。

「あっちも行ってみましょう」

 リクに連れられて、二人はその小道を抜ける。薄暗かったが、うまい具合に月明かりが落ちてくれていたので迷うことなくそこを抜けることができた。

 小道を抜けた瞬間、二人はその光景に絶句した。

「うわぁ……」

 白く赤く花開く、スイートピーの畑。まるで絵に描かれたその光景がそのまま飛び出したかのような、美しい姿。月明かりに彩られ、花たちのハーモニーは静かな子守唄を奏でているかのようだった。

「これが、あの絵の……」

 この絵の向こう側に、手を繋いでいる少年少女が立てばまさに例の絵が完成する。じっくりと歩き回り、褪せないその光景を観賞していた。

「あの絵に描かれた二人は、一体どんな思いだったんだろうね?」

 確かに、言われて見ると気になることでもある。

 花言葉は、『優しい思い出』。絵のモデルになった二人の子どもたちは今頃大人になって、仲良く手を繋いでいたこの瞬間を思い出しているのだろうか。

 まるで、それはかつてのリクと少女……。

「りっくん、危ない!」

「えっ?」

 少女に呼び止められて、リクははっと足を止めた。

 目の前に、突然巨大な崖が聳えていた。崖には柵もなく、少し余所見をしていたら不注意で滑り落ちてしまうところだった。

「あ、すみません……」

「もう、気をつけなきゃダメだよ」

 少女は彼に近づき、崖下を眺めた。

「ほら、あんなところに岩が突き出している。ここから落ちたら確実に死んじゃうよ」

 ――落ちたら、死ぬ?

 リクはふと顎に手を添えて考える体制に入った。

「りっくん?」

 ――もしかしたら、自分たちは今までとんでもない思い違いをしていたのではないだろうか。

 茂一が殺害されたコレクションルーム。事件の直前、確かにあそこには異常がなかった。

 もしかしたら、それこそが……。

 だとすれば、犯人は……。

「すみません、先に帰ります」

「えっ?」

「事件の真相が掴めそうなんです。急いで戻りましょう!」

 リクに急かされて、少女も走り出した。



 全速力で走ったため、駅に着く頃には二人とも息があがっていた。しかしリクはその考える体制をやめなかった。寧ろ先ほどよりも険しい顔つきになっていた。

「まもなく、焔王市行きの電車が参ります。白線の内側に下がってお待ちください」

 リクの中で、粗方の考えはまとまった。

 今度はそれらを全て疑い、壊す。そこからもう一度疑いが晴れるまで推理を固める。それがリクのおじいちゃんに教わった、「ゼロの推理」だ。

 ――ブレイク。


「暮磯町、暮磯町。お降りの際、お手荷物、乗車券のお忘れがないよう……」


 ――スタート!

 揺れる電車に乗り込み、黙りながら席に座るリク。


『この絵を描いたのはフランスの高名な画家らしいのだが、その画家の死後、彼の作品が評価されて、今では世界中にコレクターがつくほどらしい』

 ――十。


『しかし、このコレクションルームには常に厳重なロックがされている。その上、見てのとおり小窓がある以外は出入り口がない。いくら怪盗といえども、ここから盗むのは容易なことではないだろう』

 ――九。


『特に異常はない、な』

 ――八。


『それなんだよな。はっきり言って、奴の仕業にしてはいささか乱暴すぎるんだよ。いくらターゲットを盗むためとはいえ、剣で人を刺した上に火まで放つなんてな』

 ――七。


『なるほど。屋敷のみんなとの証言も一致している。全員にアリバイが成立、か』

 ――六。


『それと、放火はどうやら自動発火装置のようなものによるものらしい。茂一の遺体の傍に残骸が落ちていた』

 ――五。


『おそらくこのポスターと、もっと燃えやすい素材の額縁……。それこそ燃えても残骸の残らないようなもので出来た偽者だった。本物は事件前、既にあのコレクションルームから盗まれていたのでしょうね』

 ――四。


『組の幹部から既に割り出ている。奴ら、時村グループ、いや、茂一とやたらと縁があったらしい。あの絵も元は地上げのために差し押さえたものを茂一が買い取ったんだとよ』

 ――三。


『これ、落としただろう』

 ――二。


『ほら、あんなところに岩が突き出している。ここから落ちたら確実に死んじゃうよ』

 ――一。


「まもなく、戸枡(とます)町、戸枡町でございます」

 ――ゴール。

 リクは真剣な表情で座席を勢いよく立ち上がる。

「正確にはまだゴールじゃないけど……」リクは更に振りかぶって少女のほうを見る。「でも、急がないと……。嫌な予感がする!」

 電車が駅に到着し、扉が開く。乗車しようとする客たちをよろめきながら避け、リクはホームを駆け抜けていった。


 少女は丘をじっと眺めていた。

 思い出の花。スイートピー。

 この事件は全てここから始まっている。

「どうやら、気づいたようね。この事件の真実に」

 少女はゆっくりと首を振った。

「でも、まだそれが全てじゃない。それに気づいているかしら、探偵さん」


 少女はそういって、手元のカードをじっと見つめた。


 ――さぁ、今夜ラストゲームと洒落込みましょうか。



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