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1.少年探偵、始動

 渋い顔をしながら、(あずま)武彦(たけひこ)はスーツの上着を脱いだ。

 平日早朝の喫茶店。モーニングサービスのブラックコーヒーを一口啜り、店内を見渡す。見るからに憂鬱な顔をしたサラリーマンやら、ご近所同士の主婦連中やら、年金暮らしの老人やら、客は様々だった。

 刑事という職業柄、気がつくと周囲の様子を観察してしまう。元暴走族の総長だった頃には考えられなかった癖だ。今では頭髪の金色だけが当時の面影を残している。

「ちょっと、東刑事!」

 女性の声に呼ばれて、ようやく彼は対面の人物を見た。

 黒縁眼鏡に冴えない黒のスーツ。やや低い背に化粧っ気皆無のすっぴん顔の部下、宮古(みやこ)このは。中学生くらいにしか見えない彼女といると、いつ援助交際と間違われて補導されるか分かったものではない。最も、自分も彼女も警察の人間なのだが。

「ん? ああ、なんだ?」

 気の抜けた声で、武彦は返事をする。

「なんだ、じゃありませんよ。いつまで待てばいいんですか?」

 しびれを切らしかけているのか、彼女は剥き終えたゆで卵の殻の残骸を、ただひたすらせわしなくいじっていた。

「さぁな。そろそろ来る頃じゃないのか?」

「そろそろって、いつのそろそろですか?」

「そろそろはそろそろだろ」

「だからそのそろそろはいつですか?」

「そろそろ、そろそろっとやってくる頃だ。黙って待ってろ」

 はぁ、とため息を吐いてこのはは頭を抱えた。

 ――相変わらずいい加減なのか仕事が出来るのか良く分からない人だ。

 刑事課に配属されて、早半年。未だに新米気分が抜けない彼女に、いつも叱咤激励をしてくれるのがこの上司だった。第一印象は強面の三十代男という感じで一歩引いた位置にいた。しかしひとたび事件が起きれば、目が覚めたようにフットワークを生かし全力で捜査を指揮する、まさにスーパーマンのような頼れる男となる。彼女はそんな武彦を尊敬してきた。

 と、まぁここまで好印象な面を挙げてきたが、時折この上司は意味不明な行動に出る。今回のこれがそうだ。協力者、といってふらっとどこかに旅立つ。

 そしてしばらくして帰ってくると、それまで半目だった瞼が全開になり、無駄のない機敏な動作で捜査資料を漁る。そしてその後に事件解決の知らせが入るのだ。

「今日こそ、その“協力者”ってのが誰かを教えてもらいますから!」

 このはは目を見開いて、意気揚々と叫んだ。

 自分の上司が信頼を置いている、“協力者”なる人物。武彦は今日もその人物に会いに行くと言っていた。ならば自分は部下として、その人物の姿を一目拝んでおくべきだと考えた。

「別に隠しているわけじゃねぇよ。会うのは俺一人で充分だと思っただけだ」

「それはダメです! 私だって東刑事の部下なんですから!」

「部下ったって、お前なぁ……」

「それに」このははいかにも知的そうに眼鏡をクイッと寄せた。「今回の事件、一筋縄じゃいかないことぐらい分かっていますよね」

「ああ、もちろんな」

 軽く舌打ちを挟み、武彦はもう一度コーヒーを啜った。そして座椅子の横に置いてあった新聞を手に取り、じっと一面を眺めた。

 例の事件は、既にマスコミにも知れ渡っている。それも、警察が調べ尽くした点も無駄に事細かく、だ。問題はそこに書かれている、ある容疑者の名前。正確には、本名ではないのだが、その人物の存在こそが、今回の事件をより複雑にさせているといっても過言ではなかった。

 ――まさか、あの天下の“義賊”がねぇ。

 武彦が頭を掻いていると、喫茶店の扉がチリンと鈴の音を鳴らすのが聞こえた。

「いらっしゃい」

 マスターの活気に満ちた声が耳に入るなり、武彦はそちらのほうを向く。このはも釣られてそちらに目線を向けた。

「おう、こっちだ」

 やはり思ったとおり、来たようだ。

 その目的の人物は返事をする間もなく、淡々とした足音を立てながらこちらに近づいてきた。

「おう、朝っぱらから悪いな。まぁ座れや」

 気さくな声でその人物に話しかける武彦。

 このはも本来ならおはようの挨拶ぐらいしておきたかったが、驚きのあまりとてもそんな気分にはなれなかった。

 武彦が会いに来た、「協力者」なる人物。

 それがまさか……。

「あの、刑事……」

「ん?」

「まさか、その“協力者”って……」

「ああ、こいつだが?」

 何事もなかったかのように答える武彦に、このはは軽く咳払いをした後、

「この“男の子”ですか?」

 このはは「男の子」の部分を強調していった。

 目の前に現れた協力者なる人物は、紛れもなく「男の子」だった。それも、大学生や高校生ぐらいならば話はまだ分からないでもない。しかし、その「男の子」は明らかに幼さを残した「小学生」くらいの男児だった。

「おはようございます、東刑事」

 明るさの欠片もない馬鹿丁寧な口調で、少年は軽く挨拶をする。

 短い銀色の髪に、茶色いニット帽。地元の有名な学園の制服を着こなして入るものの、首の後ろからは緑色のパーカーのフードがはみ出ている。身長からは三、四年生ぐらいに見えるが、本当は高学年ぐらいなのだろう、とこのはは彼の落ち着きようから察した。

 少年は表情を崩す気配もなく、すっと武彦の対面、このはの隣に座る。

「どうだ、調子は?」

「特に変わったところはありません。それよりも、早く話に入ってください。遅刻します」

 少年に急かされて武彦は慌てて時計を見る。時刻は既に七時五十分を回っていた。

「ああ、悪い。とにかくこれを見てくれ」

 そう言って武彦は懐から写真の束を取り出した。

「これは……」

 少年はそれを手に取り、ちらちらと眺める。

 写真に写っているのは、一人の女性。年齢は五十代、といったところだろうか。ただし、その女性は明らかに“死んでいる”のが明白だった。

 写真の場所はどこかの寝室のようだった。洋風の、比較的豪華な家具類が並べられ、女性は部屋の奥のほうで大の字になって血まみれで横たわっている。

 二枚目は、入り口のほうから撮った写真だった。写真の右側にはベランダがあり、開いたままになっている。その左横にはこれまた真っ白なベッドが置かれている。更に左には、大きな洋風ダンスがあり、その前には何故かスーツケースがタグの付いたままぽつんと置かれていた。

 三枚目は、死体を間近で撮ったものだった。よく見ると首の右側から血が流れており、真っ白な寝巻きを紅く染め上げている。寝起きなのだろうか、化粧は全くしていない。何よりも異常だったのが、窓際に置いてあったであろう鉢植えが彼女の身体の上に散乱していたことだった。

「被害者の名前は時村(ときむら)静江(しずえ)。時村グループの社長、時村(ときむら)茂一(しげかず)の妻だ。グループの名前ぐらいは聞いたことはあるだろ? そこの社長婦人様が、五日ほど前の深夜に自宅の寝室で亡くなっていたわけだ」

「死因はやはり、首の……」

「ああ。右の頚動脈を刃物でざっくり、とな。凶器は調査中だが、おそらく部屋にあった果物ナイフだろう」

 少年は真剣な面立ちで三枚の写真をじっくり眺めた。

「なるほど……」

「ちなみに今朝の新聞は呼んだか?」

「いえ……、早朝急に呼び出されたものですから」

 少年が言いよどむ。ちなみにここでこのはは「総長に早朝呼び出される」という駄洒落がふと頭に浮かんだが、黙っておいた。

「そりゃ悪かった。それで、ここからが重要な話だ。この写真を見てくれ」

 武彦は新たに一枚の写真を取り出す。

 そこに写っていたのは、真っ白な壁。壁紙のザラザラした模様の中央に、ぽつりと一本のネジが打ち込まれていること以外は何の変哲もなかった。

「壁? このネジ……。ここに何か掛けられていたってことですよね?」

「ああ、夫人の所有していた“絵”がな」

 しばし沈黙が流れた。

「絵?」

「ああ、特に価値があったものじゃねぇんだが……」

 武彦は言い淀む。

「ということは、これは物盗りの犯行、ってことですか?」

 少年が尋ねると、武彦は再び何かを懐から出す。

「これを見てくれ」

 取り出されたのは、一枚のカード。葉書一枚分の大きさに、ゴシック体で文字が書かれている。

『この部屋の絵、確かに頂きました。クレフティス アリシア』

 そこに書かれていた文を見て、少年の瞳が一層真剣になる。

「怪盗、アリシア……?」

「ああ、そういうこった」

 その名を知らないはずはなかった。いまやその怪盗は世間、日本全国を騒がせている大犯罪者である。

 事の発端は、半年前。隣町の宝石店オーナーの自宅に一枚の予告状が届いたことに始まる。当然初めは単なるイタズラだと思い込み、オーナーも警察に届けずにいた。しかし、その予告の日、突然家の電気が消えたかと思うと、彼の家にあった宝石が盗まれていた。

 しばらくして、その宝石が警察のポストに置かれていた。そして調査の結果、宝石は偽者でありオーナーは宝石詐欺を繰り返していたことが判明された。

 その後もこうしてアリシアは事件を匂わせている場所に予告状を出し、そして怪盗行為と共に事件を解決する義賊として世間に名を知れ渡らせた。

「その怪盗さんがこの町にも現れた……。そういうことですか」

「ああ。しかし今回はちょっとばかし毛色が違うがな」

 腕を組み顔を顰める武彦の本意は、少年にも汲み取れた。

 怪盗アリシア、あくまで「何も傷つけずにターゲットを盗む」ことがポリシーであった。実際これまでの事件は人殺しはおろか現場の人間に怪我をさせたことはない。せいぜい薬のようなもので一時的に眠らせた程度だ。

 つまり、今回のアリシアのやり方は極めてイレギュラーである。予告状もなしに現場である寝室に忍び込み、盗みを働く。しかし途中で目が覚めた被害者に見つかり、突発的に殺害。そう考えるのが自然なのだろうが、奴にしてはいささか乱暴すぎるやり方だった。

「だから厄介なんだ。この事件がアリシアの仕業なのかそうじゃないのか、それだけで話は大きく変わってくるからな」

「なるほど……」

 少年はカードを手に取って眺めた。

「アリシア、ギリシャ語で『真実』という意味ですね。やはり今回の絵も何らかの犯罪に関わっているんでしょうか……?」

「それがだな、その絵は夫人が以前海外旅行先で土産として買ってきたもので、単なるインテリアとして飾っていただけだ。価値もなければ、犯罪に関わる要素なんてこれっぽちもなかった」

「なるほど。ますます怪盗の線とは言いがたくなってきましたね」

「けどそれだけじゃな。どちらの線で捜査すべきなのか、こちらも頭を抱えているところだ」

「そうですか」

 淡白な返事と共に、少年は再び写真を見た。

「ちなみに他の部屋とかは調べたんですか? これだけでまだアリシアの殺人と決め付けるのは無理があると思いますが」

 少年の眼は鋭く武彦を見据えた。

「それがだな」武彦はため息を吐いて、「あの屋敷の主人、時村茂一ってのがこれまた厄介な奴でな。現場以外の場所を必要以上に調べさせようとしやがらねぇ。それどころか、妻を殺したのはアリシアの仕業だ、屋敷を調べる暇があったらさっさとアリシアを捕まえろの一点張りと来た。おかげで余計に捜査が難航しちまっているというわけだ」

「ふぅん」

 軽い返事の後、少年は視線を写真に戻した。

「どうだ、何か気になることはあるか?」

 武彦が尋ねても、少年は写真と睨めっこするばかりで何も反応はなかった。

「ちょっと、刑事」

 先ほどから黙っていたこのはがようやく喋った。

「何だよ?」

「こんな子どもに貴重な捜査資料見せていいんですか?」

「大丈夫だって。協力者、と言っただろ」

「しかし……」

 このはは何度も少年のほうを見る。少しばかり大人びた、いや大人ぶったような真剣な表情を浮かべてはいるものの、どう見ても彼は子どもだ。このはにしてみれば不安しか抱かなかった。

「ま、そりゃそういう反応するわな、普通は。でもひとつ言っておくが、こいつはな、こう見えても凄腕の探偵……」

「僕を探偵って呼ぶな!」

 突然、黙っていた少年が叫んだ。

 気が付くと少年は武彦たちのほうを睨みつけ、しばらくするとまた写真を眺め始めた。

 このはは開いた口が塞がらなかった。

 それに対して、武彦は

「ああ、そうだったな。悪い悪い」

 と、慣れたやり取りで軽く謝る。正直な話、このはは今すぐにでも帰りたい気分に陥っていた。

「東刑事」

 何かをひらめいたように、少年は目線を上げる。

「何だ?」

「ひとつだけ、いいですか?」

「おう」

「この写真ですけど……」

 そういって少年は二枚目の写真をそっと前に差し出す。

「これがどうかしたのか?」

「このスーツケースです。タグが付けられたままこんなところに置きっぱなしにされています」

 武彦は写真を手に取って眺めた。このはもそれを横から覗き込む。

「それがどうかしたのか?」

「部屋の中は荒らされて入るものの、比較的整理整頓はされています。しかし、このスーツケースだけ出しっぱなしになっている。もしかして被害者はつい最近までこのスーツケースを使っていたんじゃないんですか? だからまだ片付けていなかった」

 少年の発言に釣られて、このはは慌てて手元の資料を読み返す。

「た、確かに。事件のあった日、被害者はロンドンから帰国しています」

「なら、何故その旅行の間を狙わなかったのでしょう?」

 あっ、と声を漏らしてこのはは写真を見る。

 武彦は冷静な顔で「なるほどな」と頷いた。

「で、でもそれはたまたまという可能性もあるんじゃないかな。何の気なしに入った家で、偶然その日帰国していた被害者の部屋に入ってしまって……」

「普通の物盗りならありえるでしょうね。でも、相手は怪盗です。そもそもいつもは予告状を出してから盗みに入るような奴です。しかも現場は寝室ですよ。眠っているとはいえ明らかに人がいることは明白です。それよりももっとリスクの低い時間帯を狙うのではないでしょうか? そのぐらいの下調べを怠るような奴とは、僕には到底思えません」

 このはは黙ったまま首を傾げた。

「確かに、堂々と盗みを働く奴とはいえ、今回の件はリスクが高すぎるな」

「結果として殺人が起きてしまった。誰も傷つけないのがポリシーの怪盗にとって、これは致命傷です」

 武彦は腕を組んで、少し考え込んだ。

「一理あるな。これで怪盗の線は薄まったわけだ」

「けどまだ怪盗がやっていないと決まったわけではありませんよ」

「おっ、早くも掌を返したな。チビ探偵さん」

「だから僕は探偵じゃありません! それに僕はいろんな可能性を考慮しているだけです」

 少年が再び怒り出す。“チビ”の部分にはさほど怒っていないところに、このはは首を傾げた。

「そうかそうか」

 にこやかに武彦が答える。

 少年は黙ったまま、メモ帳に何か書き込んだ。そしてその手が止まったかと思うと、何も言わずにそのまま席を立ち上がった。

「それじゃあ、僕はこれで。学校がありますので」

「おう、じゃあな」

「一応メモしたので、何か新しく気付いたことがあったら連絡します」

「期待しているぜ、探……」

 言いかけて、武彦は軽く咳払いをした。

「じゃなかったな。頼んだぜ、綾辻(あやつじ)

 少年、綾辻リクは無表情のまま頭を下げて、そのまま喫茶店から去って行った。

 すっかり温くなったコーヒーを飲み干し、武彦は

「それじゃあ俺たちも行くぞ」

 そそくさと立ち上がる。

「ちょっと待ってください。私、まだトーストが……」

「咥えたまま署に行け」

「そうですね、きっと曲がり角で運命の人とぶつかって……。って、いつの時代の少女漫画ですか!!」

「お前、ノリツッコミ下手だな」

 武彦に言われてしまい、このはは赤面してしまう。気持ちを落ち着けようとトーストを一気に口に含み水で流し込んだ後、再び口を開いた。

「それにしてもさっきの子、なんか変わっていますよね」

「まぁ、な」財布を取り出しながら武彦は返事をした。「ただ、下手な大人よりは信用ができるガキだ」

「でも、自身は『探偵って呼ぶな』って……」

「あれはあいつなりの戒めって奴だ」

 このはは首を傾げながら、「戒め、ねぇ……」

 しばらくこのはは考える。そこまでして、彼は一体何をしたいのだろうか。探偵でないことをあくまで主張するなら何故彼は協力してくれるのだろうか。

 もしかして、暇をもてあましているのだろうか。あの年頃の子どもなら暇な時間にはゲームやら何やらをしているはず。いや、友達がいないのだろうか、好きな子とかいないのだろうか……、と彼女の思考はどんどん脱線していく。

「案外、年上とかにモテそうな子ですよね。ねぇ、東刑事……」彼女は呼びかけるが、返事はない。それどころか、喫茶店内を見回しても彼の姿はどこにもなかった。

「って、いないし!」



 (せんと)ヴィヴリオ学園は、小中高一貫の、大きな学園である。

 焔王(えんおう)市内の五分の一ほどの面積を有しており、勉学はもちろん一人ひとりの個性も重んじているので通う生徒の幅も広い。小中高それぞれの校舎周辺に花壇が植えられており、これが敷地の区分目安となっている。とはいえ、明確な区分ではない上、ある程度は自由にそれぞれ行き来できるため、初等部で中等部の生徒を見かけたり、高等部で初等部の児童を見ることも珍しくない。

「と、いうわけで! 我が新聞部の今月の目標は、『狙うのはスクープではなく、“大”スクープ!』でいこうと思います!」

 真昼間から校内に響き渡る女子生徒の声。

 貴重な昼休みを無駄にされた、またどうでもいいことで時間を取られた、無意味――等々の言葉を押し殺して、部室内の生徒たちは目を虚ろにしている。

「はい、みんな起きる! 賛成なら賛成、反対なら反対と意見を出しなさい」

「賛成」

「賛成です」

「さーせー」

 部員たちから発せられる、気の抜けた賛成。

 部長として前に立っている濃い茶髪の拳を握ってガンッと黒板を殴る。

「ちょっと、いい加減にしてよ! いい? うちは部活申請してまだ一ヶ月も経っていないんだよ? ここで一発ドカーンとやっておかないと、あれだよ、ヤバいよ!」

 少しだけ目を丸くしつつも、部員たちは冷静に彼女を見据えた。部長である彼女の気合の入れ様は半端ないものだが、どこかあまりにもずれている。

 部員たちは一斉にため息と吐いて、

「それよりも、ねえ……」

「あの幽霊部員さん、呼んできてもらっていいかな?」

「ああ」部長は頭を抱えた。「またあそこか……」


 綾辻リクは一人、初等部の中庭でベンチに座り込んでいた。時刻は正午過ぎ、ちょうど昼休みの時間帯である。座りながらメモ帳片手にペンを咥えて考え込んでいた。周囲は昼食の弁当を仲良しグループで食べ合っている風景。しかし、リクはそんな光景をものともせず、ただ一人静かに佇んでいる。

 ――犯人は本当に怪盗なのだろうか?

 アリシアのやり口にしては整合性の取れていない、奇妙な事件。かといってアリシアの仕業に見せかけるにしても雑な部分が多すぎる。

 どちらにしろ、犯人の思惑についてはさっぱり見当がつかない。昼休みの頭からリクはひたすらそのことばかり考えていた。

 そして、しばらくして気が付く。

 いつもこうして一人考え事をしていると、“あの女”がやってくる、と。

 そう、いつもいつも、邪魔をしにやってくる女が……。

「りっくーん!」

 ――ほら来た。

 リクは言葉に反応しないように、鼻ひとつ動かさないように心がけた。

「やっほー、元気!?」

 中庭の端から突き抜けるような明るい声。同年代の女子より更に高めの、底知れないほど突き抜けた声だ。

 ――無視だ。今はひたすら事件のことだけを考えろ。

 リクは何とか自分に言い聞かせる。

「あれ? りっくん、また考え事?」

 ――無視、無視。

「りっくん、りっくんってばぁ!」

 ――そうだ、この声は虫だ。虫は無視。つい下らない駄洒落を考えてしまった。

「りっくーん、返事しない子にはこうだぞぉ!」

 ――むにゅっ!

 突然、リクの後頭部に柔らかい感触が当たる。

 この柔らかさは、肉系の柔らかさだ。肉というより、脂肪に包まれた肉。それも肥満体の腹ではなく、もっとこう、弾力に富んだ……。そう、女性特有の柔らかい部分のものだ。そんなことを考えて少し冷静になろうとしたが、考えるごとにリクの我慢の限界は頂点に達しようとしていた。

「また、あなたですか?」

 ため息を吐きながら上体を前に出し、後ろを振り返るリク。

「あはは、やっと返事した!」

 おどけた笑顔で笑う彼女を見て、リクは軽く舌打ちをした。

 明るめの長い茶髪に、透き通るような白い肌。背はリクよりも高いが、クラスで一番背の低いリク視点なので多分平均的な身長だろう。彼女から放たれるふんわりオーラが、リクにはどうも心地悪かった。

 一番大事なのは、ここは初等部の中庭であるにも関わらず、目の前にいる彼女は明らかに高等部のブレザーを着用していた。

「いい加減にしてください! 何度も言っていますけど、ここは初等部の校舎です!」

「もう、りっくんったら、顔真っ赤にして照れちゃって!」

「怒っているんです! 大体、いつもいつも僕に何の用ですか!?」

「んー、りっくんの顔見たいだけ」

 リクのこめかみに、一層力が入る。

「悪いですけど、僕は今考え事しているんです! 邪魔しないでください!」

「もう、りっくん。新婚旅行の場所なんてまだ早すぎるよ」

「そんな別次元の話はこれっぽちも考えていません!」

 リクの怒りは強まっていくばかりだが、目の前の彼女はそんな空気を読む気もないかのようににこやかにリクを翻弄させた。

 彼女とのこういったやりとりは、今に始まったことではない。

 二ヶ月ぐらい前だろうか、リクが何気なく中庭で座り込んでいると、突然彼女が話しかけてきた。そのときに何故か「りっくんって可愛いね」「もう将来はりっくんのお嫁さんになる」という話へ発展した。そのときはただ冗談でからかっているだけだと思ったが、その日から毎日のように彼女はリクにちょっかいをかけに来るようになった。

 昼休みは独りで過ごす主義のリクにとって、中庭はのんびりできる最高のスポットだった。しかし、彼女が現れてからというものの、その自由な空間が失われつつある。かといって校内で他にそういった場所がないため、やむを得ずここにいる。

「あー、やっぱりここにいた!」

 背後から、別の女子の声が聞こえた。

「うわっ、バレちゃった……」

「バレちゃった、じゃない! あんた、新聞部のミーティングサボって何やってんの!?」

 良かった、味方だ。リクは思った。

 振り向くと、彼女と同じ制服を身に纏った女子生徒が、こちらを睨みながら佇んでいた。

「しかもまたこんなところに来て! 部長のあたしの目は誤魔化せないんだからね!」

 濃い茶髪の女子生徒は、腕を組みながら少女を叱る。

「だって、ミーティングなんていっても、どうせ目標語るだけじゃん」

「目標を馬鹿にするな! いいスクープに必要なものは、行動、嘘、そして信念! 『こうし』の原則忘れたか!?」

「嘘はダメだと思うんだ」

「それ以前の話だと思うんですが……」

「とにかく、部長としては信念持ってやってもらいたいの。わかる?」

「分からなくもないけどさぁ、それなら私、りっくんとの時間大事にする。ねぇ、りっくん」

 明らかにリクを味方につけようと、少女は笑みを向ける。

「すみません、この人昼休みの間だけでも檻に入れておいてくれませんか?」

「分かった。ついでに首輪も付けておくね」

「猛犬扱い!?」

 少女が半泣きで叫ぶ。

「ごめんね、いつもいつも。邪魔しちゃって」

「別にいいんですよ。これでようやく静かになるわけですし」

「ぶー、りっくん冷たい」

「僕は邪魔されることと訳の分からないものが何より嫌いなんです」

「あー、見事にあんた当てはまってるわ」

「ちょっと、菜緒(なお)ちゃん!」

「ところで君さぁ」

 菜緒と呼ばれた少女は、ひょい、とリクの前に出る。

「さっきから考え事しているみたいだけど、何考えているの?」

「あなたには関係ありません」

「ボールペン、美味しい?」

「んなわけないでしょう」

 思わずリクは咥えていたペンを吐き出す。

「どれどれ……」

 菜緒はリクの手からメモ帳をさっと抜き取った。

「あ、ちょっと!」

「んー、なるほどなるほど」

「菜緒ちゃん、次私にも見せて」

 手に取ったメモ帳をまじまじと眺める菜緒。しばらくして、彼女は何かに気がついたかのようにはっと目を見開いた。

「これってさ、真紀(まき)ちゃんの家で起こった事件じゃない?」

「えっ!?」

 少女も一緒になってメモ帳を眺めた。

「ほ、ホントだ……」

 それを聞いて、リクは首を傾げた。

「どういうことですか?」

「実は、この事件があった家って、私たちのクラスメイトの家なんだ」

「そ。で、殺されたのが……」

「伯母さんだってさ」

 しばらくリクは黙り込んだ。

 そして二人の顔をじっと見つめ、

「そうですか……」

 言葉に詰まったように、なんとか返事をする。

「りっくん、もっと気の利いた言葉ないの?」

「すみません。こういうとき、何ていったらいいか……」

「んー」何かを考え込む仕草をして、少女は、「とりあえず、りっくん立って」

「はい?」

 言われるがままにリクは立ち上がる。

「そして、こうやって女の子の手を握る」

 少女はリクの手を両手で包み込む。

「あとは、『君に涙は似合わないよ。さぁ、涙を拭って。マイ、エンジェル』と言いながら、掌にそっとキスを……」

「参考にならないので却下です。ていうか会ったこともない人にいきなりそんなことをする気になれません」

 手を振りほどいて、冷たい視線を浴びせながら、ふと菜緒のほうを見つめた。

「ところでさ、りっくんとやら」

 菜緒が声をかけてきた。

「何で君がこの事件のこと考えているのかなあ?」

「あなたには関係ありません」

「ふふん、実はこのりっくん、巷では泣く子も黙らせるほどの、ものすごい名探偵なんだよ」

 間髪を入れずに少女がバラした。何故か得意気な彼女の表情に、リクはイライラさせられた。

「ほうほう、名探偵さんですかぁ。それで捜査協力していると」

「僕を探偵と呼ぶな!」

 睨みを更に利かせて、リクは叫んだ。さすがにこの予想外の台詞には菜緒たちも目を丸くして驚いていた。

 少し赤面しながら、菜緒の持っているメモ帳をさっと取り返した。

「あのさ、りっくん」

「何ですか?」

「りっくんはその事件、どう思っているの?」

「どうって……」

「本当にアリシアの仕業だと思っている?」

 突然、天然少女の顔が険しくなった。

 リクは頭を少し掻きながら、

「まだ何とも。アリシアの仕業かもしれないし、そうじゃないかもしれないです」

「ふーん……」少女は少し考え込んだ後、「私は違うと思う」

「へぇ、随分自信たっぷりに言うんですね」

「根拠はあるよ」

 真剣な面立ちのまま、少女はメモ帳を開く。

「だって、アリシアだよ。怪盗アリシア。あの有名な怪盗が人なんて殺すわけないじゃん」

 思わず、リクはずっこけた。

「今ね、僕一瞬だけあなたの話を真面目に聞こうと思っていたところなんですけど……」

「いつも真面目に聞いてよぉ!」

 涙目になりながら、少女は一呼吸置く。

「私がアリシアなら、多分こんなことはしないかなあ」

「こんなこと? 殺し、ですか?」

「うん」

 リクはため息を吐いた。

「僕の持論。絶対に人を殺さない、なんて人はいません。今回だって、突発的な殺人の可能性が高いケースですから」

「絵を盗もうとしたら、この人が起きた、ってことだよね。じゃあさ、何で絵を盗んだりしたのかな?」

 リクはムッとなる。

「どういう意味ですか?」

「だってアクシデントとはいえ人を殺してしまったら、盗みなんて中止すると思うよ。それだけで時間ロスになるからね。私が怪盗ならそうする」

 一理ある。しかし、そんな精神的な話では納得できなかった。

「それだけですか?」

「それに、まず刃物持って攻撃なんてことはしない。せいぜい気絶させるぐらいか眠らせるか、とにかく命奪うのは怪盗のルールに反するからしないと思うんだ」

「たしかにそうなんですけどね……」

「あとひとつ」

 少女はメモ帳の死体の場所を指差す。

「死体は部屋の奥にあったんだよね? でも、絵は入り口にあった。でもそれっておかしいよね? だって、絵を盗んでいる最中に異変に気付いた被害者なら、まずそれを止めようと絵のほうに向かうんじゃないかな?」

 そこでリクははっとする。

 確かに、被害者の死体は窓のそば、部屋の奥にあった。何故今までこの位置を疑わなかったのか、少し自分を恥じた。

「あ、でも怪盗が窓から逃げたとしたら……。その際に被害者に見つかって」

「それも違うと思うよ」

 少女が再び否定する。段々、リクは彼女の推理を聞き入ってしまいそうになる。

「だって、ベッドも窓際にあったんだよね? 部屋の入り口にある絵を盗んだ後、なんでわざわざ寝ている被害者の傍を通ったのかな? だったら、そのまま入り口から出て廊下の窓から出ると思うよ。私が怪盗ならそうする」

 リクは口をぽかんと開けたまま、もう一度メモ帳を見直した。

「確かに。奴にしては雑すぎる手口ですね。そもそも、こんな危険を冒してまでこの絵を手に入れる必要があったのか……」

「どう、参考になった?」

「ええ。僕では気付かなかった点を指摘してくださって、ありがとうございます」

 リクは少女に向かって深く頭を下げた。

「やった、りっくんに褒められたぁ!」

 おもむろに少女はリクに抱きついた。

「ちょ、ちょっと……」

 赤面しながら、リクはなんとか彼女の抱擁に耐えていた。

 その傍ら、

「あ、うん。そういうことだから。真紀ちゃん、よろしく頼むね。はぁい」

 菜緒はそう言うと、手元に携帯電話を切り、ふふふと不敵な笑みを浮かべた。

「はいはい、そこのバカップル二名」

 しばらく放ったらかしにしていた菜緒に呼びかけられ、二人ははっとそちらのほうを向いた。

「バカップルって呼ぶな!」

「そうだよ菜緒ちゃん。バカップルだなんて、一文字多いよ」

「五文字多いんですよ。それより、何ですか?」

 菜緒は呆れたようにため息を吐きながら、

「この事件、あたしたちで潜入調査してみない?」

「はぁ?」

 菜緒は高らかに笑いながら、リクたちを見つめる。

「実はねぇ、真紀ちゃんって子、相当この事件で参っているみたいなのよ」

「まぁそりゃそうですよね。それで?」

「それでねぇ、あたしたちでこの事件、解決してみない?」

 リクはため息を吐いた。

「何で僕が? 確かに捜査に協力はしていますけど……」

「百聞は一見にしかずっていうじゃない」

「警察に任せればいいじゃないですか。」

 そういうと、菜緒は悲しそうに話し出した。

「実は、その伯父さん……茂一さんって人がね、大の警察嫌いで、必要以上の捜査を拒んでいて……。それどころか、『妻は怪盗が殺したんだ。屋敷の捜査より早く逃げた怪盗を捕まえろ』の一点張りだから捜査も思うように進まなくて……」

 東刑事の話したとおりだった。

 しかしそうなると、主人である茂一に不信を抱く。怪盗の仕業であるにしろ、どうしてそこまで頑なに捜査を拒むのか。ましてや被害者は妻だ。警察嫌いとはいえ、怪盗の仕業と決め付けた態度を取るのは不自然すぎる。

「でも何故をそれを僕に?」

「ほら、りっくんだったら、その、伯父にも怪しまれないかな、って」

「いや、でも……」そこでリクははっと気がついた。「まさか、さっきの電話……」

「そうそう。実はもうとっくに真紀ちゃんに話は通してあるんだよね」

 いつの間に、と思いながら、リクは、

「分かりましたよ、いけばいいんでしょ、行けば!」

「さすがりっくん、話が分かる!」

 二つ返事で、なんとかその場をやり過ごした。頭を掻きながら、目の前の少女たちから目線を逸らした。


 まさかこの時は――。

 再び怪盗アリシア絡みの事件が起こることになるとは、思いもよらなかった。



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