呪いが祝いに変わる瞬間
呪われたのかもしれない、と彼女は思った。
この二年、ずっと視線を感じるのだ。
視線の正体。
もしも、それがあの子の幽霊なら、と考えない日はない。
この世界には悪がいた。
悪役がいた。
断罪されるべき、悪をおこなう役割の少女が存在していた。
その少女は死んだ。
断罪を、自分の行いを苦にして自殺した。
「そう。あれは予定調和だ。誰も悪くない。悪くない。私は悪くない」
彼女は、自分自身にそう言い聞かせる。
また、視線を感じた。
ここは彼女の部屋だ。
壁と、廊下に続く扉があり、あとは家具が置いてある。どこにでもある普通の部屋。
覗き穴もなければ、彼女以外いない。
しかし、どこからか視線を感じるのだ。
耳元で、子供の無邪気な声が囁いた。
――うそつき――
きゃはははは、と声は嗤う。
視えない存在に、その声に怯える彼女をあざ笑う。
「悪くない。私は主役なんだ。だから、悪いのは、役割を全うしなかったあの子だ!!」
――うそつき、うそつき――
声は彼女を【うそつき】呼ばわりする。
「うそじゃない、うそじゃないっ!!」
彼女が否定するために叫んだ時、部屋の扉が殴られた。
「いい加減にしろ!!このバカ娘!!
お前のせいで俺達がどんな目にあってるかわかるか!?」
父親だった。
怒り狂ったまま、扉が開けられ彼女の父親が部屋に入ってきたかと思うと、彼女をなぐり飛ばした。
怒りが治まるまで、父親は何度も元凶である娘を殴った。
悪役令嬢という役割だったはずの少女を貶め、自殺にまで追い込んだことで彼女はおろか彼女の家族までもがその責任を負う事になった。
裁判によって決まったのは、彼女を含めたイジメに加担した者達が慰謝料を支払うというものだった。
命の価値にしたら安い、しかし払うにしたら高い金額に、主犯とされた彼女の実家は判決を受け入れこそすれ、しかしいつまで経っても払おうとはしなかった。
そのことは、あっという間に広まり、信用を無くした彼女の父は職を失い、半ば殺人者を産んだ者と見做された母は気が触れてしまった。
やがて、借金をしつつも贖罪のための、謝罪のための金を支払った。
そして、家族が壊れてしまった。
彼女は転生者だった。
この世界は、彼女が前世で遊んだ乙女ゲームの世界だった。
そして、彼女はその主役に転生したのだ。
運命の人と結ばれることが約束された人生のはずだった。
幸せになることが、約束された人生のはずだった。
それなのに、美少女だったはずの顔はいまや父親からの暴力で見る影もない。
服だって薄汚れたものばかり。お風呂にもまともに入れないから、臭いもする。
「うう、ううううう」
殴られて、しかし、抵抗できない。
出来るのは、唸りとも泣き声ともわからない声を出す事だけだ。
どうしてこうなったのだろう。
悪役であった少女が自殺して、その遺族の者から裁判を起こされてから、全てが変わってしまった。
主犯グループ、そのリーダーが彼女だったとするならその取り巻きであった攻略対象者達も同じ判決を受けた。
証拠が揃い過ぎていたのだ。
どんなに抵抗しようと、罪を軽くすることしかできなかった。
「お前さえいなければ!!」
父親は尚も殴り続ける。
金が無くなり、借金まみれになって両親は変わってしまった。
とても優しい父親だった。母親も自慢の母親だった。
それなのに、役割を全うせず死んだ少女のせいで全てが狂ってしまった。
これは、なんだ?
壊れた家族、狂った家族。
ただそれだけが、彼女の現実として横たわっている。
日常はある日唐突に終わりを告げる。
そんなこと、彼女は身を持ってわかっていた。
異常が日常になって久しい。
だからこそ、その日常を壊す転機が訪れた時、彼女は躊躇うことはなかった。
壊れた父親、狂った母親、両親を見捨てる事に躊躇はなかった。
彼女の異常となった日常を壊したのは、一通の手紙だった。
差出人はU・N・オーエン氏。意外にも両親は娘あてのその手紙を開けることなく、未開封のまま彼女に手渡した。
その手紙には、とあるパーティーに参加して行われるゲームで優勝すると莫大な賞金が手に入るというものだった。
家庭が、家族が壊れる前の彼女だったならきっと怪しんだことだろう。
しかし、今の彼女はただただ現状から逃げだしたくて仕方がなかった。
こんな狂った家に居るのは嫌で嫌で仕方がなかった。
幸いというべきか、両親は彼女に手紙の事を聞いてはこなかった。
パーティーに参加する場合は、同封されていた封筒に返事を書いて出さなければならなかったが、手間ではなかった。すでに切手も貼られていたので、本当に返事を出すだけだった。
そうして過ごす事しばし。
もうあとパーティーまで一週間と迫った時、小包と一緒にパーティー会場までの行き方の詳細が送られてきた。
小包には、もう着る事は無いだろうと思っていた上等な服が入っていた。
こうなってくるともう、彼女は舞いあがってしまっていた。
この地獄から抜け出せる。
その希望に、舞いあがってしまっていた。
だから、気付けなかった。
彼女は気付く事ができなかった。
両親が、かつて、幸せだったころと同じように優しく微笑んでいた事に気付く事ができなかった。




