第10話「涙」
「あれ?居ないのか?」
イイモン古道具店を後にし、どうせ町に出たんだからとブラブラ散歩をしていたら、すっかり暗くなってしまった。
俺はホテルの自室のドアを開きながら、予想外に暗い部屋を見て驚く。
当然、部屋には明かりがついていて、中では、さぞやゆったりとしたリリンがくつろいでいるのだろうと思っていたからだ。
だが、部屋の中は真っ黒。
小さい照明なども点いてはおらず、部屋の中は静まり返っていた。
どうやら、リリンは出掛けているらしい。
行き違いになってしまったか。
まぁ、すぐに帰ってくるだろう。
そう思いながら照明のスイッチに手を伸ばそうとして、なんだか奇妙な音に気がついた。
「……ひっく……えっぐ……ぐすっ……。」
え、何この音?
何かがすすり泣くような音。声を押し殺すようにして、微かにだが、はっきりと聞こえてくる。
もしかして、この部屋は、”いわく”付き物件だったのだろうか……。
リリンが居ないのも、このすすり泣く声に怯えて出ていったから………?。
どうしよう……。俺は霊的なもんに出会った事はない。
対処の仕方なんて分からないぞ?連鎖猪ならどうにか出来るけど。
俺は恐る恐る、スイッチに手を伸ばし、パチリと押した。
「………………。おかえり。ゆにく」
「うおぉッ!?!居たのかよ!!電気ぐらい点けろって!」
「……ごめんなさい」
あー、吃驚した!居るなら居るって言ってくれよ!!
電気がついて部屋に明かりが灯る。すると部屋の中心でソファーに座っているリリンと目があった。
だが、リリンは力無い視線で、「おかえり」とだけ声を発し、押し黙ってしまっている。
……様子がおかしい。
いつもなら、町はどうだった?とか、鳶色鳥の情報は集まった?とか聞いてくるはずだ。
理解が及ばず、とりあえずリリンの顔を覗き見る。
するとどういう事だろうか?
リリンの目尻は少しだけ赤く腫れていて、涙をぬぐった跡がありありと見て取れたのだ。
「リリン、どうしたんだ?もしかして泣いていたのか?」
「……すん…。…ぐす。ユニクぅ……」
う。
声をかけただけでリリンの目が潤んでしまった。
もしかしなくても、何かしらの異常事態が起こった事は間違いない。
俺は、少しだけ後悔した。
何がプレゼントでリリンを喜ばせよう、だ。
ふらふらと遊んでいる間にも、リリンは助けを求めていたのかもしれないというのに。
俺は出来るだけ優しく「大丈夫か?何があったか話せるか?」と声をかけ、リリンの返答を待つ。
リリンは少しだけ沈黙した後、悲しそうな声で語り出した。
「……完結してしまった…………」
「えっ?」
「英雄ホーライ伝説が、完結してしまった…………」
「…………。」
なんだよそりゃ!!心配して損したわ!
俺は心の中でツッコミを入れつつ、リリンの様子を探る。
……うん。間違いない。
これは本当にショックを受けている時の顔だ。
いつもの平均的な表情すら崩れ去り、悲しさが一面に出ている。
本一冊でそこまでかと思う所もない訳ではないが、リリンの様子を見るに何やら訳ありな様子。
とりあえず当たり障りのない言葉で様子を見よう。
「そっか……完結しちゃったんだな。悲しいよな」
「………ぐすっ………。ずっと続くと思っていた。私が大人になっても、お母さんになっても、おばあちゃんになっても、ずっとずっと、続くと思っていた……」
それは無理があるだろ!
作者だって人間である以上、寿命というものがある。
というか、俺はその作者に心当たりがある訳だが。
その心当たりとは、もう、棺桶に片足を突っ込んでいそうな村長である。
どう考えても無理が……ん?
待てよ。
今すぐにリリンが結婚し、最短手順で行った場合、間に合いそうな気がしてくるな。
なにせ、村長は妖怪じみた動きをするから、あと30年くらいは生きそうなのだ。
……といっても、俺の憶測にすぎない。
まったくの別人が執筆している可能性も十分にある。
俺はリリンを慰めようと再び口を開いた。
だが、リリンは一向に元気を取り戻す素振りはなく、その心のうちに秘めていた想いをポツリポツリとつぶやいた。
「………この本は、私のお父さんとの思い出の本だった」
「え?」
「幼かったあの日、お父さんに読み聞かせをして貰っていた。私はいつも右ひざの上で、セフィナは真ん中で抱えられながら、優しく語ってくれるお父さんの声が何よりも大好きだった……」
リリンは懐かしい思い出を語る。
消えてなくなってしまった物を慈しむ様に、それでいて、優しい声色で。
少しの間、語った後、リリンは俺に視線を向けた。
「私もお父さんと同じように、子供たちに読み聞かせが出来るようになる日を心待ちにしていた。それなのに……」
「リリン。残念な気持ちはよく分かる。だが、本というのはいつかは完結するもので、そしてその瞬間に出会えた事は幸運な事なんだぜ」
「……幸運?」
「そうさ。それともリリンはこのホーライ伝説の最終巻を楽しめなかったのか?」
フルフルとリリンは頭を横に振った。
一見頼りなく見えるが、その動きは一かけらも迷いがない。
「楽しめなかったわけがない。この21巻はホーライ伝説の最終巻を締めくくるのに相応しい。私のお気に入りの青年『アプリ』が覚醒するシーンなど、全ての巻を通して見てもベスト3には確実に入る」
「だろ?なら悲しむんじゃなく、笑うべきだ。伝説のホーライもそうして欲しいだろうさ!」
「うん……ありがと、ユニク。元気が出てきた」
よし、どうやらリリンは気持ちを持ち直してくれたらしい。
もうひと押し元気づけておくか。
「しかし、お気に入りキャラは『ユルド』じゃないんだな?息子の俺としちゃ、ちょっとショックだぜ!!」
「確かにユルドもすごく好き。だけど、『青年・アプリ』には特別な思いがある」
「?」
「私のお父さんの名前は、アプリコット。だからどうしても感情移入してしまう。ただの偶然だというのに……」
あ、やべッ!!地雷を踏み抜いちまった!?
だが、リリンは特に気にしていない様子。完全に持ち直しているみたいだな。よかった。
しかし、実際の所どうなんだろう?
本当にじじぃが作者なのだろうか?
俺は目の前の机に置かれているホーライ伝説に目を向けた。
リリン曰く、あとがきにて唐突に最終巻だった事が告げられているらしい。
「ちょっと見ても良いか?」
「うん。後書きは408ページから」
しっかりページ数を覚えているし。
ん。どれどれ……内容で真偽が分かると良いんだけど。
「この本をご愛読して下さった諸君には、感謝の言葉を述べるほかあるまい。じゃがここで、この『ホーライ伝説』はお終いなのじゃよ。なにせ、最新の英雄まで語りつくし、書く内容が無くなってしまったからのう。だから、この辺でさらば。願わくば時代の英雄が現れしとき、再会の機会が有らんことを!!」
こうして、実にカッコイイ言葉でホーライ伝説は幕を降ろした。
だが、この後に書かれていた、たった数行だけの追伸が非常に問題だらけだったのだ。
『追伸』
「ワシは久々にゆっくりとした人生を歩もうかと思うておる。実は、面白そうな子を手に入れたのでな!辺境の村で、ウナギでも養殖しながら余生を過ごすとするわい。ほほほ!」
…………。はぁ………。
これはもう間違えようもなく、犯人はじじぃだ。
つーか、あの不条理ウナギ、じじぃが育てていたのかよッ!!
じじぃよりも強くなってたじゃねぇかッ!!どうしてそうなるんだよッ!?意味が分からねぇよ!!
はぁ、はぁ、はぁ……。
もうツッコミきれない。じじぃはほっとこう。
さて、ホーライの正体がホウライだと確証を得た訳だが、ここで一つ問題がある。
この事実をリリンに伝えるべきかという事だ。
リリンは伝説のホーライに憧れていると言っていた。だが、実際の正体はあのショボくれたじじぃだ。
……これは伝えない方が良さそうだな。
夢は夢のまま。知らない方が良い事も有る。
俺はこの事実を記憶の中に厳重に封印した。
どのくらい厳重かというと、袋に詰めてひもで縛った後、可燃物置き場に持っていって火を放つくらい厳重に、だ。
これでもう、記憶から呼び醒まされる事はない。
この記憶は闇に葬られた。さらばだ!
**********
「それでユニク。鳶色鳥は見つかったの?」
すっかりいつもの調子に戻ったリリンが今日の成果を聞いてきた。
鳶色鳥については悪化の一途を辿っているのだが、せっかく雰囲気が戻りかけているのに、ここで落ち込むようなことは言いたくない。
ならば今こそ、プレゼントを渡してしまおう。
せっかくだし、喜んで貰えるといいんだが………。
「鳶色鳥の方はイマイチだったな。その件については後で話すよ。それよりも、だな」
「?」
「実は、さ。プレゼントを買ってきたんだ」
「えっ!?!?!!!!」
リリンは、短く言葉を漏らした後、動かなくなってしまった。
俺の予期しない行動で、思考が固まってしまったらしい。
くくく、いつもとは間逆の反応だな。
さぁて、どうなる……?
俺は後ろ手に隠していた紙袋を取りだした。