第201話「心無き亡国の統括者③」
「厳粛に聴取なさぁい。これより、ブルファム王国、並びに、レジェンダリア王国より、世界核戦争終結の意を発する」
荘厳に語られた幼声が、地平線の彼方まで伝播する。
その声の発生源は遥か天空、高度10000m。
雲に姿を隠した天穹空母・GR―GR―GGが、鷹揚に翼を広げている。
レジェンダリア技術者の有志によって建造されていた二機目のメカゲロ鳥は、体躯を切る風に世絶の神の因子を宿させた。
この機体はレジェリクエの声を遥か遠く、地平線の彼方まで伝える為の――、音響兵器だ。
「この声はどっから……?つうか、いつの間にか戦争してたんだな」
ブルファム王城前に集う、万の群衆。
彼らの多くは、今から何が行われるのかを知らずに、ここに集まった。
今朝の朝刊に『ブルファム王から、直々の勅令がある』との告知を見て、見物がてらに来たに過ぎない。
ブルファム王国は何もかもが極端な国だと、周囲の国で囁かれている。
国民の数は大陸一であり、世界経済は必然的にブルファム王国中心となる。
同時に、それらを統治する為の軍事力を持ち、特出した戦闘力を持つ高位冒険者を用いない『国同士の戦争』では最強であった。
だが、ブルファム王国を揶揄する言葉は、そんな物の為にあるのではない。
『絶大な力を持つ王を中心とした、独裁貴族政権』
これこそが、ブルファム王国の国是。
王こそが絶対であり、王に対し、何人たりとも命令を突きつける事は許されない。
王に順ずる貴族も同上。
いかなる理由あれど、下位者が上位者に逆らう事は許されない。
そして、女性は男性に拒絶を返す事は許されない。
ブルファム王国の法には、『人を傷つけた者は、法によって裁かれる』という一文はある。
むやみやたらに他者を害するのは、被害者が女性であっても犯罪だ。
だが、それに反しないのであれば、女性は男性の言葉を拒絶することは許されない。
強制的な婚姻であっても、女性が法律に反する以上の被害を受けない場合、国はそれを了承する。
生活をする上での理不尽な扱い、雇用者や販売者による男女差別によって報酬や商品の価値が変わったとしても、それが法に反する以上のものでない限り問題視されることはない。
ブルファム王国にとって、女性は失敗の象徴だ。
アニマ連合を纏めた初代国王、ディアナ・ライセリア・ブルファムが、どのような想いで統治をし、何を成したのか。
それを、ここに集った男ばかりの群衆の中で理解している者は少ない。
「見ろよ。国王が現れたぞ」
「あぁ、出てきたな。なんだろうな?発表って」
「ついに男児が生まれたか?」
「なら良いが。最近は病気だっつう話だろ?」
王は絶対だ。
だが、歴代の王同士での比較は不敬とはならない。
そして、ブルファム王城のバルコニーの上に立った国王ルイは、歴代で二番目に酷い王だとされている。
王としての務めは、王子を産ませ、ブルファム王朝を永遠のものとする事。
決して血を絶やす事は許されず、同時に、王を名乗る者はブルファム王家の血を引く男児でなければならない。
男児を残せていない国王ルイは、務めを果たせない落第者の烙印を押されているのだ。
「――長きに渡るブルファム王国の歴史に於いて、今日ほど混乱を生む日はない」
空から響く幼声による、いくつか式辞。
それを聞いた群衆は深層心理を掌握され、身じろぎひとつすること無く、王城のバルコニーへ視線を向けている。
そうした準備の後で登壇したルイが語ったのは……、『混乱』の報告だった。
「忌まわしき日だと呪う人もいるだろう。拳を握り涙を溢す人もいるだろう。だが、今日という日は訪れた」
集った群衆の多くは、ブルファム王国の有権者を中心とする男性で構成されている。
そもそも、王城前に参集できる時点で、それなりに高い身分だ。
さらに、王の御前に立つという誉れを、女性に許すはずが無い。
この場にいる者は、ブルファム王国の名を体現した愚者ばかり。
レジェンダリアとの戦争も、王都の最北端に出現した冥王竜降臨も知らず、のうのうと生きている。
「現時刻を以て宣言する。我がブルファム王国は、レジェンダリア国との戦争に敗戦した。余は、運命に敗北したのだ」
だからこそ、国王ルイが言葉が向けている相手は彼らでは無い。
城門を超えた先にある、市井。
そこで暮らす生まれ持っての弱者へ届ける為に、ブルファム王は空から声を響かせている。
新聞に掲載された告知には、勅令を発表する場所の指定は無かった。
国王の言葉だからと、常識的に考えた有権者はブルファム王城へと赴く。
そして……、町で耐え忍んでいた弱者の周りには、同じ志を持つ仲間ばかりが残された。
「……馬鹿な。我らがブルファム王国が敗北しただと」
「嘘ですよね?女王レジェリクエが勝ったなんて……」
ブルファム王城前と、市井。
レジェリクエの支配声域の強制力を超えて湧きだす感情は、両極端。
それは、絶望。
それは、希望。
「500年に渡るブルファム王国の歴史では、強い男尊主義の元、安定した施政を敷いてきた」
「女性と比べて力が強く、体力も多い。時間という一律の理の中で多くの仕事をこなせるのは男性だ」
「同時に、二代目国王・ラルバ……、ライセリア王の娘が敷いた圧政による反発、これにより多くの戦死者を出した世界大戦が起こっている」
「事実として、女性であるラルバ王は失敗した。だからこそ、ブルファム王国では男尊主義を国是とし、長きに渡る政治を行ってきた」
「……真に、無様であった」
国の頂点に立つ国王からの、直々の言葉。
それは、自分達を構成する大前提の否定。
受け入れられない、
受け入れる事が許されない、国家規模の、懺悔。
「女性であるというだけで、虐げ、権利を奪い、差別をする。真に無様極まりない。我が身の可愛さにそれを先導してきた歴代の王、及び、私は国民に陳謝しなければならぬ」
「……なんだよそれは。ふざけんなよ」
「歴史は変えられぬ。だが、罪であったと認め償う事は出来ると、余は気付かされたのだ。レジェンダリア国王、レジェリクエの言葉によって」
「ふざけるなッ!!使命も果たせぬ落第者がッ!!」
国王に向けた侮辱は、極刑級の重罪だ。
だが、その声は止まらない。
延々と繰り返される罵詈雑言が、ブルファム王城前にて席巻する。
「女ばかりこさえる能無しの王がッ!!勝手に戦争を始めた上に負けただとッ!?」
「種もなければ意気地もない奴を王とは呼ばんッ!!詫びたいんなら死ねッ!!」
「退け、弱腰王ルイッ!!ラルバに次ぐ愚王がッ!!」
日ごろの鬱憤を晴らすかのように、湯水のごとく暴言が飛び交う。
中には拾った石を投げる者さえいた。
だがそれは、この王城前に限った話だ。
「もう、虐げられなくて良いの……?」
誰にも聞かれないように絞り出した言葉。
ボロ切れの服を来た下女が、痛む腹を押さえて呟く。
食事も、睡眠も、性欲も、ままならない。
一欠片のパンを得る為に、彼女達は体に傷を作らなければならない。
「降ろせッ!!国王を降ろせッ!!そこから引きずってだ!」
「姫を一人残らず捉えろッ!!次代の王を作れッ!!」
「誰がほざいて良いと言ったのかしら?余は、厳粛に聴取なさいと命じたのだけれどぉ?」
七つの魔法陣が天空を穿ち、七色の光を発した。
それは、ブルファム王国が繰り返す日常の崩壊。
当たり前だった『無様』を正す、魔王の降臨だ。
「ごきげんよう、余がレジェンダリア国女王、運命掌握・レジェリクエよ」
横一列に並んだ七枚の認識阻害の仮面、その一枚を外して晒された素顔は、どこからどう見ても幼女だ。
女であり、子供。
それは、ブルファム王国内に於いて最弱の象徴。
「理知を以て言葉を語れぬ家畜ども。まずは理解しなさい。貴方達は負けた、圧倒的な力を従えた運命にねぇ」
パチン。と乾いた音が鳴る。
魔法陣を背景にして立つ白髪の魔王が指を鳴らすと同時、周囲一帯が薄暗く変貌した。
バチバチバチ……、と空が弾けて亀裂が走り、左右に開闢。
蠢く魔法陣を纏って出現したのは、永劫の深淵を凝縮したかのような煌めく黒竜鱗。
全長10mは有ろうかという巨体は、まさに、言い伝えられてきた『冥王』。
赤く輝く宝珠が、瞠目する群衆を睨みつけている。
「呼んだか?我が同胞、レジェリクエよ」
「この光景を見せてあげたくてねぇ。昔と比べてどうかしら?ねぇ、希望を費やす冥王竜」
親しげに言葉を交わす冥王竜と幼女、その光景はブルファム王国にとって絶対に受け入れられるものではない。
幼き頃から、いや、遥か数百年前から語り継がれてきた、希望を費やす冥王竜の逸話。
漆黒の翼を翻して太陽を消し、奪った光を核熱の炎と化して拳に纏う。
抗う術など、絶無。
毎日、必ず夜が訪れるように、希望を費やす冥王竜の降臨はすなわち――、死だ。
「――変わらぬな。ウジャウジャと湧いた人間を見ると、つい叩き潰したくなる」
ごくり。と喉を鳴らすことすら、群衆はできなかった。
なんなら、今すぐに呼吸すら止めてしまいたい。
ただ漠然と眺めているだけの瞳が自分に向けられてしまったらと考えるだけで、人生を振り返るほどの絶望が襲いかかっている。
「聞きしに勝る荘厳なる御姿。かの竜こそ、甚大なる希望を費やす冥王竜である」
一同が息を飲む中、国王ルイが静かに口を開いた。
その姿は、弱腰王と呼ぶにしては、あまりにも威風堂々としている。
「我がブルファム王国に於いて、この名を知らぬ者は居らぬだろう」
「ラルバ王が起こした世界大戦の要因の一つである希望を費やす冥王竜は、我が国の恐れを集約した存在だからだ」
「そして、レジェリクエ女王はかの竜と同盟を結び、それを自分の手で切り開いた『運命』だと語った」
「何も掴むことができないとされる小さな手で運命を手繰り、強大な力を引き上げたのだッ!!」
どんな時でさえ冷静を失わなかった国王ルイの弩号が、呆然と立つ群衆を打つ。
天穹空母によって増幅されるまでもなく、数千の民の心を揺らしたのだ。
「何度でも言おうッ!!私達は負けたのだッ!!」
「認めねばならぬ、自らの過ちをッ!!500年もの長きに渡り積み上げた、負の因習をッ!!」
「この手に何を掴むのかは、誰にも定められぬッ!!もう二度と、自分の運命を他者に委ねてはならんのだッ!!」
圧倒的な存在を前に、敗北を語る。
王への罵詈雑言で統一されていた群衆の心は散り散りとなり、様々な感情へと分散した。
冥王竜を恐れ、王の言葉を肯定する者。
女子供に媚を売る王を罵倒する者。
あらゆる意味で失望し、ただ天を見つめる者、などだ。
一方で、市井で言葉を聞いた多く者達が、力無くその場に座り込んだ。
張り詰めていた緊張、虐げられる恐怖。
それが過ちだったと知り、どうすればいいのか分からない。
「良い演説だったわ、国王ルイ。流石は、余が生まれる前から孤独な戦いをしているだけはある」
「レジェリクエ女王……!」
「聞きなさい、瞳に光りを宿したブルファム王国民よ。国王ルイはブルファム王国の歪んだ施政を取り除く為に尽力した功労者。決して弱腰では無いと、余が保障するわ」
事の成り行きを満足そうに見守ったレジェリクエは、聖女の様な頬笑みで国王ルイに向き直り、強張っている頬に手を伸ばした。
優しく触れた指先から伝う、慈愛。
それは、誰しもが一度は経験している母からの寵愛に似ている。
「ルイは強き王であったわ。余達も何度も土を付けられてもいる。そうでしょう?希望を費やす冥王竜」
「あぁ、そうだ。我は敗れ、地に落された」
冥王竜が、落された……?
それは混乱を極める群衆を導く、とっておきの真実。
絶対の象徴、それを落とす武力を国王ルイが持っている。
成人男性であるルイがそれを持つ事の意味を理解した群衆は、再び男尊女卑を湧き立たせ――。
「誰に、落されたのぉ?」
「こ奴の娘だ」
信じられぬ言葉に、耳を疑った。
「……どうやら、ぼくの出番もあるらしい」
いつの間にか、国王ルイとレジェリクエの間に紫色の髪の聖母が立っていた。
深くフードを被った中から世界を見た彼女は、小さく息を吸ってから、台本が無い本心を紡ぐ。
「キミ達は、幸せを知っているかい?」




