第192話「亡国の姫」
「《神聖破壊・神すら知らぬ幕引き》」
……あぁ、終わりか。
眩い光に包まれながら、メルテッサは空を見やる。
打ち砕かれて消えるのは、文字通りの意味での『身体』。
粉々に散り舞い、崩壊していく機体を自分自身の肉体と重ね合わせているメルテッサは、見知らぬ感情に震えている。
ユニクルフィン。
英雄・ユニクルフィン、か。
神の後押しがあったぼくでさえも届かない、理さえも超えゆくキミは、一切の曇りがない勝者の顔をしているね。
だから、知らなかったんだろう。
きっと、キミは敵の死を笑う奴じゃないと思うから。
『命を賭けて』
その言葉に嘘は無い。
ぼくは、本当に命を掛けてキミに挑んだ。
最後の最後に使った、魔王シリーズを使っての同調。
ぼくの体を魔道具として改変し、機体と融合させるしか、チェルブクリーヴを自在に操る方法は無かった。
まさか、タヌキが居ないと操縦できないなんてね。
それに気が付いた時は愕然としたし、どうにか出来ないかと躍起になって、余計な時間を使ってしまったよ。
肉体を機体に融合させるという事は、チェルブクリーヴが傷付く度に、ぼくの体も傷付くという事だ。
命を奪わないように配慮しながら戦っていたキミだけど、魔道具には一切の容赦が無い。
だから、チェルブクリーヴに乗って敗北すれば、ぼくの体は壊されてしまう。
チェルブクリーヴの腕がもがれる度に、知らない感覚がぼくを掻き立てた。
意識が白く塗り潰される様な、熱く激しい、何か。
その正体をぼくは知らないけれど、きっと、誰しもが持っている物なんだと、今になって思う。
きっとこれは、痛み。
『人の痛みを知れ』、と何度も恨まれたぼくだけど、痛みという感覚が存在するなんて思ってもみなかった。
痛みという事象は心理表現じゃなかったんだと、今、初めて知ったんだ。
チェルブクリーヴの操縦席から投げ出されたメルテッサは、真っ青な空を見て、感嘆の息を吐いた。
何千何万と見た、何の変哲もない青空が酷く眩しい。
ポロリ、と瞼の端から涙が零れて消える。
今まで灰色に見えていた景色は、こんなにも綺麗なものだったのか。
これもまた向上なのかもしれないと、ぽつりぽつりと、メルテッサは心の中で呟く。
じゃあね、ユニクルフィン。
ぼくの初めてのひと。
残り少ない時間はキミから貰った、この心地いい痛みに抱かれながら壊れるとするよ。
……あぁ、こんな気持ちになるなんて、昨日までは想いも寄らなかった。
生も死も悪平等。
生きていても死んでいても同じなんて、我ながら素っ頓狂な事を言っていたもんだね。
死に掛けた心を波立たせる為に、数え切れない程の悪事を行った。
死というものを、簡単に考え過ぎていた。
今更、こんな事を言う資格は無いと分かっているけれど、ぼくの手をキミが握ってくれているから。
この瞬間に、明確に何かが変わったんだと、思うから。
……ほんの少しだけ、我儘を言っても良いかな?
……まだ、死にたく、無いな。
**********
「ん……、ここは?」
まっ暗闇から目を開き、メルテッサが吐息をつく。
瞳に映ったのは、見慣れた自分の身体。
すぐに椅子に座っているのだと気付くも、なぜ、そうしているのかは分からない。
ぼんやりとする意識にも馴染みがなく、背中や腰に帰ってくる感触も覚えがない。
ただ、柔らかいながらも、しっかりと身体が支えられている感覚は気持ちいいと思った。
「気分はいかがかしら?」
しばらく椅子の感触を堪能していたメルテッサに、正面から声が掛けられた。
慌てて視線を向けると……、そこには白いティーテーブル、そして、対面席に座っている者がいる。
段々と意識が明瞭になってきたからこそ、その存在を見て、僅かに息を飲んだ。
そうだ、ぼくは確か、ユニクルフィンに殺されて……。
「あぁ、なるほど。ここは死後の世界ってことでいいのかな?……レジェリクエ」
対面者の名前を呼んだメルテッサは、現状の把握を終えた。
一応のマナーとして疑問形で問い掛けているが、その声に疑いの感情は含まれていない。
そして、レジェリクエは、くす……。と可愛らしく笑った。
「くすくす……、そうね。こうして会えたんだもの。まずは紅茶でも嗜みましょうか」
テーブルの上にはポットがあり、傍らにはティ―カップとちょっとした菓子が添えられている。
それを視線で捉えたメルテッサは僅かにも感情が動かなかったが……、ありがとう、と提案を受け入れた。
「美しい陶磁器だね。キミの趣味なのかい?」
「えぇ、本当に可愛いティーセットだわぁ」
「……可愛い?なるほど、よく見たら鳳凰じゃない。ゲロ鳥だ」
レジェリクエが美しい所作で淹れた紅茶を手に取ったメルテッサは、レジェンダリア女王に相応しい絢爛豪華なゲロ鳥の意匠が施されたカップを見やる。
普段なら嫌みの一つでも言っただろうが、不思議とそんな気分にならなかった。
それに、別の事が気になっている。
「冷めないうちに召し上がりましょう。美味しいわよ」
「職業柄、ぼくは高級茶葉ばかりを飲んできた訳だが……、こんなにも香り高い紅茶があったとはね。いただきます」
無痛・無干渉を患っているメルテッサは、味覚にも異常をきたしている。
本来の十分の一しか舌の感覚器官が発達しておらず、繊細な味が分からないのだ。
そんなメルテッサはティーカップに口を付けて……、驚いた。
唇を伝う、暖かさ。
口内に染み込む、芳醇な甘みと香り。
喉を伝って落ちていく、幸せ。
「はふ……」
「ふふ、天に昇るような表情になってるわよ。美味しかったかしら?」
イタズラが成功した子供の様に、レジェリクエが頬笑む。
そして、指導聖母としてプライドが高いメルテッサも、緩んだ頬を締めようとしない。
「こんな紅茶が飲めるなら、死後の世界も悪くない」
再びティーカップに口を付け、今度は先ほどよりも時間を掛け、じっくりと紅茶を味わう。
身構えているせいか、先ほどよりも味が濃厚に感じた。
じんわりと広がる甘みを慈しみながら、メルテッサは肩の強張りを解していく。
「しかし、何もない場所だね。何処までも真っ白だ」
「余計な物が存在しない清らかな世界。それなのに、待ち時間に語らう相手と紅茶があるなんて、お洒落だと思わないかしら?」
「そうだね。もし、ぼく一人きりだったら、神様を恨んでいたと思うよ」
「唯一神・ヤジリ様ねぇ?これから会う機会があるのかしら?」
「ははっ、アレが仕事をしてる姿なんて想像できないよ。これからぼくらが向かうのは、天国か地獄か。いや、最初は冥府の選別かな」
「どうするぅ?闘技場のカウンター受付けに座った神様が『はい、きみ、地獄行きぃ!』って言って来たらぁ?」
「チェルブクリーヴで殴る」
「くすくすくす、余もやりたいわ」
他愛ない冗談を交わし合い、レジェリクエとメルテッサは笑い合った。
それは、お互いが施政者であるが故の社交辞令。
それでも……、多くの本心が混じっている。
「ねぇ、メルテッサ。お迎えが来るまでお話しましょうか」
「何の話だい?」
「なんでもよ。お互い、思い付いたままに話題を振って話すの、想い残しがないように」
「名案かもしれないね。じゃあ、ぼくから話題を提示しても良いかい?」
まるで、十数年の時を共に過ごしてきた友人の様に。
大陸全土の頂きに立つ女王と聖母が、静かに語らいを始める。




