第41話「勝利の賭け」
「この状況は、最悪に等しい。最善の一手を打ちつづけたとしても、最後は運によって左右され、何もかもが台無しになる可能性すらある」
リリンは悔しそうにこれだけ呟いた後、押し黙ってしまった。
俺にだってこの状況が最悪だってのは分かる。視界の先の大軍勢は、一匹残らずリリンよりもレベルが高く、一際体の大きい個体のレベルは、60,000を超えているのだ。
リリンが一対一で戦っても全力の戦闘を行わなければならないほどに強き、三頭熊。
俺達は無力に等しく、戦闘に参加する資格すらない。戦闘にすらならないだろうからだ。
しばしの沈黙のあと、せきを切ったのはハンズさんだった。
そもそも時間がないと切り出し、リリンに問いかける。
「おい、嬢ちゃんよ。率直に聞くが、何が出来て、何が出来ない?あの熊どもを倒す事は出来んのか?」
「……倒すこと自体は、出来る、と思う。しかし、私達の置かれている状況がそれを許してくれない」
「どういう事だ?」
「この状況で戦闘を始める事がそもそも出来ない。なぜなら、戦闘が始まったら三頭熊の群れは私だけじゃなく、ユニク達も同時に狙ってくる。そして、それは私にとって最悪の結末。友人や大切な人を失う事は絶対に避けたい」
「おい、ちょっと待てよ嬢ちゃん。じゃあ何か?村の人を見殺しにすんのか?」
「それは……。出来ればしたくない」
「”出来ればしたくない”だぁ?出来なけりゃしていいなんて事になんねぇだろうが!」
「おい、ちょっと落ち着けおっさん。まずはリリンの話を聞こう」
今にもリリンに掴みかかりそうなほど詰め寄ったおっさんをなだめ、冷静さを取り戻しさせた。
こんな状況で仲間割れなど、絶対に避けるべきだからな。
リリンは、「分かってる。どうにかしないといけないのは分かっているから」と思考を巡らせているようだ。
「私は、それでもユニク達の安全を優先したい」
「おい、何も変わっちゃいねえぞ?具体案を言えよ」
「私が三頭熊と戦うためには条件が……」
「リリンちゃん。要は、僕達がいるから戦闘を始められない。君はそう言いたいんだね?」
ここでロイが会話に割って入ってきた。シフィーも言葉こそ出さないものの、こくりと頷いている。
「言いたくないけれど、そう言う他ない。冒険者の基本どうり行くのなら一度町まで退避し、改めて討伐部隊を編成するべき。しかし、この先の村は、どんなに急いだとしても全滅に等しい被害を受けてしまうだろう。それも私は避けたい」
リリンの話を聞いて、事態の難しさに改めて気付かされた。
このままでは戦闘を始められず、時間切れとなり村は全滅。
戦闘を無理やり始めると、俺達に被害が出ることになる。
この矛盾に気が付いた瞬間、俺達はこの場所に来るべきでは無く、町に帰っておくべきだったと思考がよぎった。
しかし、だ。もし、俺達が街に帰っていたら、リリンがここに来るのがもっと遅くなっていたはずで、それは村の全滅を意味するのだ。
最善の行動を選らんだが為の苦悩。
リリンの苦しみには、さらに複雑な要因が存在した。
「それに、ホロビノの姿が見えない。あの子がここに居ないのは監視を続けられないほどに怪我をしたか、それとも、もう……」
リリンは俯き、眼を伏せている。ホロビノの事が心配なんだろう。
いくら裏切りドラゴンのホロビノとはいえ、リリンの命令を無視するとは思えない。
三頭熊の群れの近くに居ないのならば、それなりの原因が有るはずで、最悪の事態も考えなくてはいけない。
現状、三頭熊と戦闘が出来るのは、リリン一人。
俺がもう少し強ければと、本当に残るのは悔いばかりだ。
「リリン。どんな危険な事でもいい。俺達に出来る事は何か無いのか?この戦いに勝つために」
「……ユニク達には、逃げて欲しい。可能ならば、村の人々を連れて出来るだけ遠く、早く確実に」
「俺達だけで逃げろってのか?リリンはどうするんだよ?」
「この戦いに完全勝利する方法が一つだけある。私が一人でここに残り、23頭の三頭熊全てと同時に戦闘を行う。全ての意識を私に向けさせ続けて、ユニク達が逃げる時間を稼ぐ、それしかない」
「んなッ、そんなことさせられるか!危険すぎるだろ!一人じゃ視野の共有も出来ないんだぞ?」
「そうだ!僕達は逃げて、リリンちゃんだけ危険な目にあうなんてだめだろうッ!」
「でも、それ以外に道はない。命を助けたいのなら、命を賭けるのが冒険者。私の覚悟は出来ている。それに、もし分かれた先で、ユニク達が別の三頭熊に出会ってしまったら……」
「ッ!危険なのは俺達も一緒ってことか」
リリンは、申し訳なさそうに、俺達の危険性について説明をしてくれた。
三頭熊は習性として単独行動する事が多く、少数が隠れていても不思議ではない事。
見つかり戦闘になってしまったら、逃げ切る事は不可能という事。
いくつかの後ろ暗い話は俺達の恐怖を駆り立てた。
リリンは、俺達を怖がらせようとしてこんな話をしているんではないはずだ。
ただ、事実を述べているだけ、それなのにリリンは今にも泣きそうな表情で語っていた。
「……私が悪い事は分かっている。私が弱いから、あんなの程度に手こずってしまう私の未熟さのせいで皆を危険にさらしていて、その不甲斐無さに泣きたくなる。けれども、どうか、ユニク達には納得して欲しい」
「何を謝っているんだ?頭を下げるべきなのは俺達だろ?」
「そうですよ!リリンちゃんが謝る必要なんてありませんから!!」
「そうだ。僕らはリリンちゃんよりも、ずっと弱い。本当なら一番に戦場に立たなくちゃいけないのは騎士の僕らのはずだ」
「みんな、ごめん。ごめんね……」
歯切れの悪い言葉で謝罪を繰り返すリリン。
確かにみな一様に危険が付き纏うだろう。だが、一番危険なのはリリンである事に間違いない。
俺はもう一度、リリンの想いに答えるべく口を開き、かけた。
だが、俺の言葉は発せられる事はなく、誰かが放った別の言葉にかき消されてしまったのだ。
「別に悪くはないさ、リリン。冒険者としての判断はともかく、人としての判断はそれで正しく非常に合理的だ。リリンにはそれを達成せしめる実力が有るんだから」
俺以外の誰かが、リリンの事を慰めた。
掛けられた言葉の持ち主はリリンの事を呼び捨てにしている、ロイやシフィー、ましてや、おっさんなどではない。
完全な第三者。
突然現れたその”白銀甲冑”は、一切の音もなく俺の横を通り過ぎる。
俺は、視界の端に姿が映って初めて存在に気づき、そして、気付いた時にはもう後ろ姿だった。
曇りなき純白の光を鎧に称え、草を踏みしめる音も、人であるという気配もないままに、悠然とロイやシフィーの横をすり抜け歩いて行く。
その声を聞いて、姿を見て、リリンの瞳が大きく開かれていた。
どうして、と声を漏らし、わずかだが瞳から涙がこぼれたように見えた瞬間、風を切る音を残し、リリンの体が宙を舞う。
三頭熊を狩るために掛けたバッファが効果を発揮し、音速に近い速さでリリンはその白銀甲冑に全力で飛び込んだのだ。
そして、白銀甲冑は慣れた手つきでリリンを優しく受け止めた。
不思議な事に、一切の音を発生させずに。
「澪!!」
「お願い聞いてやれなくて悪かったな、リリン」
「ううん。どうしてここに? そんなことより、今は緊急時、力を貸して欲しい」
「あぁ、もちろんだ。それに私の目的と一致しているからな。まぁ、その前に自己紹介でもしておこうか。おい、そこの3人で誰がユニクだ?」
「え、あ、あぁ。俺だ」
「へぇ、君か。まぁ深い話は後にしよう。とりあえず一方的に名乗らせて貰うぞ。私の名は『ミオ・ロウピリオド』、まぁ、知らないだろうな。だけどこっちの肩書き『澪騎士・ゼットゼロ』なら聞いた事はないか?」
「俺はリリンから聞いている。兄弟子だよな?」
「正解だ。だけど、君は私の声明を知らないのだな。後の二人はあんなにも可愛らしい反応をしてくれているというのに」
へ?可愛らしい反応?なにそれ?
俺は指された指の先に視線を向けた。するとそこには、完全に平服し頭を下げているロイとシフィーの姿。
こいつら何しているんだ?
「ロイ?シフィー?どうした?」
「こうするのが礼儀だ。お前も頭を下げろ。ユニク」
「そうです。この大陸の守護者、澪騎士様に向かって無礼が過ぎます」
「そういってもなぁ……」
良く見ろロイ、シフィー。
確かに、全身を余すと来なく身に包み、顔すら見えないその白銀甲冑は威厳そのものであるけれど、前面に可愛らしい少女が張り付いているんだぞ?
ちょっと無理があると思う。
可愛らしい少女こと、リリンは「澪!澪!!」と存分に甘えているし。
正直、見たことない表情としぐさ。いつものクールなリリンからは一かけらも想像できない。
「ははは、まぁ君は特別だとリリンから聞いているからな、驚きはしない。それよりも、三頭熊を狩ってしまおう、リリン。出来るか?」
「出来るし、やりたい。あんなのに恥をかかされた恨みを晴らさなければならない」
まるで母親にお手伝いをお願いされている子供のような仕草で、トンデモナイことを言い出す。
リリンは続けてこう言ったのだ。
「あいつら全て、一匹残らず、血祭りに上げてやる」