第165話「物質界の主」
「相応の覚悟ねぇ?相応っていうのも気になるが、そもそも覚悟というものに覚えが無いねぇ」
「なんだと……?」
剣を交えれば怪我をする。
ましてや、俺が持っているのは世界最強の神殺し、グラムだ。
殺さないように手加減をするとはいえ、女性が負って良い傷の領分を越えるのは間違いない。
そんな俺の警告をメルテッサは一笑に伏し、鷹揚に腕を広げ、天を仰いだ。
その瞳は、曇天の空のように濁っている。
「『覚悟とは、喪失の享受だ。故に、持たざる者には覚悟など存在しない』。ぼくの師である悪典が持っていた聖書に記されている言葉。ぼくはこれが好きでねぇ」
「俺には全く理解できんな」
「理解する為の学が無いのか、考える事を放棄したのか。過程は違うにせよ、キミが馬鹿なのは分かった」
「それで、その言葉が何なんだよ?」
「ぼくに覚悟をさせたいのなら、先に幸せを覚えさせないといけないって話だ。……ぼくは失うべきものを何も持っていない。空虚で空論、他人の真似ごとをして生きているだけの傀儡なんだ」
真っ黒な笑みの中に隠れた、自虐。
それを隠しもせずに表情に浮かべ『自分の人生は空虚なのだ』と、メルテッサは言った。
確かに、テトラフィーア大臣やロイの話に出てきたメルテッサは不幸な存在だった。
目立つ功績を上げても、その道に長く留まる事が出来ず。
新しい事を始めては、止めるの繰り返し。
姫様の道楽などと言われる事もあったというが……、本当に自分自身に向上を感じられないというのなら同情を禁じ得ない。
「確かに虚しかったんだろうぜ。だが、それは勘違いだ。だって、お前の側にはロイがいただろ?」
ロイは顔の割にアホな事をするし、何だったら、レベルが上のタヌキ相手に一人で突っ込むという極大の自爆テロを引き起こした事もある。
だが、周りの空気を読む事には長けていたし、人を思いやる優しさだって持ち合わせている。
そんな男が側にいて、『空虚な人生だ』は無いな。
「お前は幸せを知らないんじゃねぇ、知ろうとしないだけだ」
「……そうかな?」
「そうだ。ロイの前で一度でも笑った事があるのなら、その回数分だけ幸せが有ったはずだぜ」
こんな説教じみた事を言う権利は俺に無いのかもしれない。
でも、親友を馬鹿にされてるみたいで、ちょっとだけイラっときた。
ただ、それだけだ。
「……世迷い事を言って済まなかったね。キミが気になる事を言うものだからさ」
「付け加えておくが、俺にとっちゃ『覚悟』は軽い言葉じゃねぇんだ。相応ってのも、剣で切り捨てられるくらいの心構えはしておけって意味だ」
あの子の命を助ける。
リリンとの約束を成し遂げる為の誓い……、その『覚悟』は決して『喪失の享受』なんかでは無い。
「くく、じゃあ覚悟とやらをしてみようか。もし、ぼくに勝てたら、この身体の全てをキミに捧げるよ」
「……は?」
うん、ちょっと待て。
俺が恰好を付けている間に、トンデモねぇ事を言い出すな。
「ぼくのこの身体、その隅々、いや、臓腑に滴る血の一滴までキミのモノにしていいって言ってるんだ。犯すでも、嬲るでも、好きに蹂躙してくれたまえ」
「……ぐるぅ?」
「出会ったばかりの男に身をゆだねる。一般的な女性としてみれば、これ程に恐ろしい事は無い。きっと覚悟が必要だ」
「……ぐるぅ?」
「もっとも、ぼくは三大欲求の中で性欲だけは体験していない。文字通りの意味で、喪失を享受してしまうかもしれないけどね」
「……げっげー?」
「おい、その鳴き声やめろ」
思わず鳴いてごまかしたくなるほどに、めんどくさい事になった。
英雄、色を好む。とか、敗者は勝者に身を委ねる。とか言うけどさ……。
そんな事をしようものなら、俺の臓腑に血が滴る。
魔王の尻尾で捉えられて、神殺しの矢で滅多刺しだ。
「どうだい?」
「そうだな!マジいらん!!」
「……そんなにハッキリ断るのか」
「あぁ、心の底からいらん!!断固拒否だッッ!!絶対にいらんッ!!」
「……。覚悟はできなかったが、決意は出来た。うんうん、吊るして、もいで、捨ててやる」
明らかにメルテッサの雰囲気が変わったが……、俺にどうしろってんだよッ!?
「よしっ!約束だぜ!!」とでも言おうもんなら、大惨事大魔王大戦が勃発するんだぞ!?
肯定どころか、そのフラグですらマジでいらねぇ!!
「ま、そもそもぼくが勝つ訳だし、意味の無い取り決めではあるね」
「随分と自信が有るんだな?」
「そりゃそうだ。だってキミらの準備は全て意味が無い。それこそまさに空虚だよ」
ワザとらしく肩を竦めたメルテッサの視線は、周囲一帯のチェスボードに向いている。
リリン達の暴虐により、戦場の魔道具はすべて消滅している。
自分でも参照元が残っていなければ意味が無いって言って――。
「確かに地上の魔道具はリリン達が消滅させた。だが……、」
「ご明察。ぼくはもう既に、戦場に有った魔道具の性能の習得を済ませている。そしてそれらの魔道具は……空の彼方で遊覧飛行を楽しんでいるとも」
メルテッサの言葉に呼応するように、ゴゥン……。ゴゥン……。っと天空が響いた。
その鐘の音の様な重低音は、俺達のメカゲロ鳥に間違いない。
「キミ達の言うとおり、物質主上は参照元の魔道具が無ければ意味が無い。ただしそれは、ぼくが備えていなければの話だ」
「なるほどな。メカゲロ鳥に魔道具の複製を乗せて置けば、移動式の武器庫になる訳だ」
「意味が無いと気が付かず、意気揚々と戦場を爆破して行く。これほどの滑稽は、ぼくの人生でも最上位だよ」
確かに、それを知らずにやったのなら滑稽だ。
だが、この作戦はワルトとテトラフィーア大臣が主導になって計画した策謀。
その程度の保険など、想定してないはずが無い。
「メルテッサ、空が賑やかだな」
「何の話……!」
メルテッサの声を遮り、雷鳴が轟いた。
そして、眩い閃光に穿たれた曇天に映ったのは、全長500mは有ろうかという巨大な……二つの影。
「目には目を、ゲロ鳥にはゲロ鳥を。悪いが、お前の備えには既に手を打ってある」
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「ぐるぐる、きんぐぅー!」
……許せぬ。
あぁ、己が姿をした哀れな船よ。
……許せぬ。
朽ちてなお羽根を翻し、主に嘴を向けるというのか。
理知の宿る瞳で天穹空母を一瞥したキングフェニクスは、吹き荒れる怒りのままに鳴いた。
自分の姿を模した存在が恩人であるレジェリクエに弓を引く不義理、それが心の底から許せないのだ。
「ぐるぅ。きんぐ」
ブラックパールの様な瞳で見据え、その姿を網膜に焼きつける。
それは、キングフェニクスの……、いや、『崩界鳥・アヴァートジグザー』の戦闘儀礼。
粉微塵に破壊する前の形状を覚え、声高らかに、一歩を踏み出す。




