第162話「敗戦の”戦略破綻”」
「ヴィギルーン!」
「あ、戻ってきた」
白黒に染まっていく戦場の遥か天空。
この光景を愉快そうに眺めている少女達も、やはり白と黒の組み合わせが映えている。
黒い獣・ラグナガルムに騎乗した白い髪の少女・ワルトナは、茶色い獣・ゴモラを普通に出迎えた。
いつもは溢れ出てくる怒りと嫌悪感も、今は見て取る事ができない。
タヌキに対して思う事がありまくるワルトナだが、自分が依頼した仕事を終えた者に苦言を呈する趣味は無い。
「ちゃんとユニに手紙を渡せたかい?」
「ヴィギルン!」
苦言を呈す事は無くても、確認はする。
なぜなら、仕事を頼んだ相手が歴史に名だたるクソタヌキの片割れだからだ。
な.お、歴史書にソドムの名前しか登場しないのは、ゴモラが仕出かした問題を全て押し付けているからである。
「よしよし、報酬の『クラッシュナッツアップルパイ~紫青苺を添えて~』だよ」
「ヴィィ~ギルルゥン!」
指導聖母・悪辣、心無き魔人達の統括者・戦略破綻、聖女・シンシアの三大権力を総動員して調べ上げた、隠れた菓子名店『ローレンラン』。
そこの主人に「キミが思う世界で一番おいしいリンゴのお菓子を作っておくれ」という特別な注文で出来たものこそ、この『クラッシュナッツアップルパイ~紫青苺を添えて~』だ。
それは勿論、カツテナイ魔獣を従える為の懐柔用ギフト。
だが、味見も無しに他タヌキに勧めるのは良くないよね!という名目で味見をしたワルトナ達が、
「うん!暫くはこの店からスイーツを取り寄せようっと」
「それがいいな。あーマジうめぇ」
「わふっ!わふわふっ!!」
と心に決めたほどの逸品だ。
「これでユニは真面目に戦場を見るはず。そして、僕の英姿を目撃する訳だ」
「駒並べは止めたようだな。剣を構えて、それっぽく振舞っているぞ」
「よし!僕の正体がラルラーヴァーだって知ったらびっくりするだろうな、ユニ。そんでもって、僕が想いを寄せている事もバレちゃうわけだ。……受け入れ貰えると思う?ラグナ」
「大丈夫だと思うぞ」
「だよね!ユニはラルラーヴァーの事を気に掛けている風だったし、情報操作もしてある。もしかしたら、……リリンよりも大事にしてくれちゃったりして!」
「人間の叙事は分からぬが、赤き先駆者は我とじゃれ合えるほどなのだ。メスを侍らすくらいの甲斐性くらいはあろう」
「だよね、だよねぇ!って、侍らせて貰っちゃ困るんだけど。リリンとあの子が一番、僕が三番。あとはまぁ、……乳枠のテトラフィーアで十分だ」
ユニクルフィンに恋焦がれ続けたワルトナは、当然、女性としての魅力も磨いている。
美容や健康には人一倍……、いや、リリンサの分も含めて人三倍に気を使っており、大人の女性の嗜みとして化粧や服のコーディネートも勉強済み。
しかし、身体的な豊かさはどうしようもない。
当然、そういった美しさは、装飾品や品行方正で対抗する事ができる。
だが、それすらも完璧なテトラフィーアが相手では、どう頑張っても勝てる見込みがない。
そして、ユニクルフィンが豊かな母性に魅かれると知ってしまったから仕方がなく、自分の胸を見下ろして本当に仕方がなく、テトラフィーアを大魔王ハーレムに加えたのだ。
「ワルト、一つ聞きたいのだが」
「なんだい、ラグナ?」
「何故、名乗り出ないのだ?」
ユルドルードの旅に同行したラグナガルムは、ワルトナがどんな思いを秘めているのかを理解している。
人間の情事に疎いと言っていても、満月狼一族を統べる皇が恋愛感情を知らぬ訳が無い。
それこそ、「コイツらの子供の面倒も、我が見る事になりそうだ」と身構えていたほどなのだ。
だが、ワルトナから聞かされた状況は、それとは掛け離れたもののように思えた。
そして、ラグナガルムがユニクルフィンと関わりがあった事を告げないで欲しいとお願いされ、疑問に思っていたのだ。
「そうだねぇ。リリンやセフィナへの根回しが先だから、かな」
「犬っこだ!っと我に抱き付き、毛をむしった娘共だぞ。そんな繊細な輩か?」
「今は繊細だよ。頬っぺたなんか饅頭そっくり」
「饅頭に似てるのか。確かに自然界では味わえぬ繊細な甘味。……今日のおやつは饅頭が食べたいぞ」
「もちろん準備しているよ。饅頭みたいな頬っぺたの姉妹と一緒に食べようね、ラグナ」
「わふっ!」
大好物に誘導されたラグナガルムは、それ以上の追及をする事は無かった。
そして、それをしたワルトナは心の中でポツリと呟く。
違うんだ、ラグナ。
僕は、ユニやリリンに真実を告げるのが怖くなってしまっていた。
本当はセフィナが暴走したあの日に告げることだって出来たんだ。でも、僕はそれをしなかった。
自然な形でリリンが気付くまで……、運に任せて逃げ続けた弱い僕を、キミは笑うかい?ユニ。
「さて、これ以上、格好悪い所は見せられない。リリンに負けないように僕も本気を出すとしよう」
「うむ、求愛は本気でやらねばな」
「きゅっ……。まぁ、そういう事になるのかな?」
好きな異性に自分の立派な姿を見て貰う。
それは、ラグナガルムからしてみれば求愛以外の何物でもなく。
ワルトナの頬が赤くなってしまっても、真面目に声援を送った事実は変わりようがない。
「リリンとセフィナ、あとポンコツドラゴン二匹の暴虐により、戦場の半分がチェスボードに置き変わった」
「……ポンコツ?」
「必然的に、追いたてられたブルファム兵の全てが僕の担当区域に入った訳だね。ようこそ、哀れな咎人よ。大牧師の名の元にキミ達を救いだしてあげよう」
「冥王竜がポンコツだという噂は聞いた事があるが、……二匹?まさか……。なんと恐れ多い事を!?」
戦場の東北方角の大部分が白と黒の盤面へと変わり、湧き立つ湯気に塗れた生物は二人と二匹しか存在していない。
逃げ出した者の全てが南西へと離脱、そして、それに反した者の全てが魔王の住まう死地へと誘われた。
テトラフィーアが指揮する物質主上封緘。
その半分はワルトナとラグナガルムの担当だ。
「ラグナ、饅頭が食べたいのなら、その対価分は働いて貰うよ」
「何をすればいいのだ?白くは出来ぬが、赤黒くは出来るぞ」
「僕のふかふか毛並みが汚れちゃうから却下で。3秒だけ雑兵共の動きを止めてくれれば十分さ」
「饅頭に比べれば些事すぎる。まさか、ミニサイズではあるまいな?」
「ほい、手付饅頭だよ」
手慣れた様子で饅頭を召喚し、ラグナガルムの口に放り込む。
餌付けはワルトナが誇る特殊技術の最たるものだ。
「これは……、イチゴ入り、だと……!」
「おいしいよね、イチゴ餡。なお、他にも五種類ほど用意している」
「ヴィーギルアップル!?」
「リンゴ餡もちゃんとあるから大人しくしてろ、ニセタヌキィ!」
もぐもぐもぐ……という静かな音が、天空の風に混じって消える。
そのほんの数秒で世界を見渡したワルトナは、愛しい人への想いを口ずさんだ。
「《親衛。子供の頃の大切な憧憬は過ぎ去った。あんなにも暖かった手は冷めきり、強調ってかじかんだ》」
「もぐもぐ……」
「《虚空。冷え切った手を見て、後悔した。握り返す事すら、僕は出来ていなかったから》」
「……ごくん。すーはー」
「《シェキナ、神様なんて射抜かなくていい。ただ、いっぱいに増えた温もりを握りしめていたいから、僕に力を貸しておくれ》」
「《ウォォォォォオッッン!!》」
漆黒の毛並みを持つ満月狼の皇、ラグナガルム。
その最大の攻撃手段は、容易に岩を切り裂く鋭爪でも、菓子の様に竜肉を咀嚼する靭牙でもない。
全長数十kmにも及ぶ広大な縄張りにいる仲間を統率する為の、声だ。
人間が扱う発声器官による魔法次元の解錠とは異なる、もっとも原始的であるが故に対策が困難な、音の振動による直接的な衝撃。
ラグナガルムから発せられた遠吠えは大気を激しく揺さぶり、通常の何倍もの大気圧を発生させる。
そして、周囲360度から押し寄せる大気圧は互いを相殺し合い、均衡。
その内部に閉じ込められた者は、均衡状態に陥った段階の姿で凝結される事になる。
逃げ惑っていたブルファム残兵2500名。
その身体の周囲360度がダイヤモンドで覆われたかのように、指先一つ動かす事が叶わない。
「《覚醒せよ、神栄虚空シャキナ=神憧への櫛風沐雨》」
硬直する残兵の遥か天空で、虹色の光輝が瞬いた。
指先一つ動かす事が出来ないから、その者達の大半は安寧で居られるだろう。
だが、空に視線を向けた状態で固定された者は、この世の終わりを目撃する事になる。
その始まりとして空に出現したのは、竪琴に見間違う大きな――、弓。
「見ておくれ、ユニ。これがキミのものになる力だ」
ワルトナの身長よりも大きい弓に張られた弦の数は、16本。
それらに指を這わせて音を奏でる事で、真なる覚醒をしたシェキナに矢が番われる。
人間の発声音階とリンクした弦による音の羅列により、複数の魔法の扉が同時に開く。
そうして取り出した魔法の要素だけを束ねる事で、ワルトナの想像通りの未来を創造する『虚空の矢』が形成されるのだ。
「《雨夜の星》」
副武装たる左目の望遠レンズを覗き、巨大な弓を天に向け、青い光と共に撃ち放つ。
その矢が穿つは、神の作りし空という概念。
ワルトナは水滴を振らせる『降雨』という現象を創造し直し、空に漂う雲の中に、数千万の矢を湛えたのだ。
「比喩表現として、『その英雄は雨水さえも全て避けた』なんてものがあるれけど、そんな事が本当にできると思うかい?少なくとも、雑魚のキミらには無理だよねぇ」
この言葉は、誰かに語り掛けた訳ではない。
想い人に見られていることが前提の、ワルトナの格好付けだ。
ザァァァ……という、天の鳴動。
全ての人間が一度は聞いた事があるであろう、雨が降り始めた音。
眼球だけしか動かせないからこそ、視界の外から迫る音だけを聞いたブルファム兵は、知っている現象だと安堵した。
そして、音がする方向に視線を向けていた者は、砂の城の様に雨によって砕かれていく世界を目撃し――、それが、己の命を吹き飛ばす破壊の雨だと絶望する。
「雨夜に人は似合わない。お家で大人しくしてな」
降りしきる雨《矢》の中、佇んでいる者はいない。
雨に振られた人間が、蜘蛛の子を散らす様に走り去った後の様に。
ワルトナが矢に仕込んだ転移の魔法により、強制的に自宅へ帰還させられたのだ。
「さてと、ここはルールに則ってこう宣言するとしよう」
もう一度、今度は地表へ向けて矢を番える。
出現した矢の先端に宿るは、白と黒の陽炎。
「……チェックメイトだ。メルテッサ《星雲の雨垂り》」
しゅるり。っと矢が弾け、螺旋を描きながら大地へと向かう。
拍子抜けするくらいに呆気なく矢は大地に突き刺さり、そして、ワルトナの想像通りの結果を想像した。
大地を走る格子模様はチェス盤ではなく、囲碁盤のオマージュ。
指定された白黒模様を作る前のちょっとした遊び心は、最後の締めをする想い人への応援も兼ねている。
この戦場の半分を埋め尽くした白黒模様を引き継ぐように、格子模様が塗り潰されていく。
その黒は、全ての物質を飲み込むブラックホール。
光りすら逃れられない超圧縮に耐えられる高位魔道具など、地表に存在していない。
その白は、全ての物質を放出するホワイトホール。
光粒子と同等となった事により無機物は人間の道具として、地表に存在しえない。
圧縮崩壊を起こす、黒
分裂崩壊を起こす、白
こうして、全長5kmにも及ぶ戦場の全てがチェスボードとなり、全ての魔導具が消失したのだ。
「あ、リリンが平均的に引きつった顔でこっち見てる。牽制も兼ねて手を振っておこう」
輝く白と黒。これは、小さなワルトナを守り続けた英雄の技。
きっと、いつか、僕も。
そう想い続けてきたワルトナが手に入れた技だ。
「お膳立ては済んだよ。さぁ、今度はキミの力を見せておくれ。……僕の英雄」




