第149話「友達」
「素直に謝るよ。……僕が間違っていた、ごめん。リリン」
真摯に、真っ直ぐに。
リリンサの目を見たワルトナは、偽りのない本心からの懺悔をした。
ワルトナは、聖女や聖母として経験してきた幾千の懺悔を参考に、この瞬間のシミュレーションを重ねてきた。
だが、そんなものは参考にもならなかったと、リリンサの長い沈黙に耐えている。
「……むぅ」
そして、リリンサの口から吐息が漏れた。
それは一秒にも満たない、返事と呼ぶには相応しくない鳴き声。
だが、その『むぅ』の意味を、ワルトナは知っている。
『納得できていないけど、話は聞く』
そんな意思を読み取ったワルトナは、静かに想いを口にする。
「ラルラーヴァーとしてユニを好きだと言った事に嘘は無い。……僕は、ユニやあの子に育てて貰ったんだ」
「……。ユニクに?」
「ユニがユルドおじさんと旅をしていた時の話さ。僕はユニに拾われ、蟲量大数を探す旅の最後の一年を一緒に過ごした。そのたった一年が、僕の人生の始まりだったんだ」
今から行われるのは、饒舌であるワルトナの、言葉を選びながらの告解。
指導聖母であるワルトナは、煙に巻く説明や、情に訴えかける口調、意味を取り違えさせる破綻会話術など、リリンサをねじ伏せる為の手段をいくらでも用意できる。
だが、彼女がしようとしているのは、小手先の技術を使った懐柔では無い、心の底からの謝罪と告解だ。
レジェリクエの様な感情を相手に伝えられる声が有れば良いのにと、ワルトナは心の中で思った。
「誰かと食べる食事、眠りにつくまで交わす会話、眩しい朝日の中に見る高揚感、人間として当たり前の感情は、全て、ユニ達に教えて貰ったんだ」
「身体が小さくて体力の無い僕は、旅の足手纏い以外の何者でもない。それでも、ユニ達は僕に毎日笑い掛け、一緒に食事をしたり、お風呂に入ったり。感情が乏しい僕は当たり前に享受していたけれど、あの一瞬こそが、この世で最も尊い幸せだった」
本当に大切な宝物を自慢する時のように、ワルトナの顔から自然な笑みが零れた。
幸せを噛みしめる告解。
それに続くのが絶望であろうとも、僅かにも揺らぐ事はない。
「だけど、それは長く続かなかった。ユニ達の旅の目的は『あの子』を治す解毒薬を手に入れること。その為に『世界最強の解毒薬』を生成できる『混蟲姫・ヴィクトリア』を探し、主である蟲量大数に戦いを挑む事になったんだ」
「……そして、ユニ達は負けた。あの子の死は避けられないものとなり、アプリコット様も同様の状態になってしまった」
出来るだけ簡潔になるように、けれど、絶対に誤解を生ませないように注意を払いながら、ワルトナは語る。
そうして物語の根幹を話し終え、リリンサを騙していた真意へと移っていく。
「……『あの子』は、僕とユニ、そしてリリンの大切な人だ」
「大切な人なのに、あの子って呼ぶの……?」
「『あの子』としてしか、呼称ができないんだ。世界から、存在ごと切り離されてしまっているから」
リリンサは、ズキン……、と頭の奥が痛んだ気がした。
僅かに眉をしかめ、ざわつく感情を無視して話を促す。
「あの子を蝕んでいたのは、記憶と存在を壊す毒。いくら創世魔法で肉体を癒しても意味がない。だからアプリコット様は記憶を司る白銀比様の力を借りて、あの子と自分自身を世界から隔離した」
「パパが白銀比様と一緒にいたのは、そうしないと存在を保てなかったから……?」
「そうだよ。そして、皇種であり強い魂のアプリコット様と違い、あの子は白銀比様の権能に耐えられない。だから、あの子の魂は別の所に封印されている」
ワルトナが真っ直ぐ前に向けた視線の先にいるのは、頷いたリリンサ。
自分の胸に手を当て、ポツリと呟く。
「……私?」
「っ!……こんな時ばかり、察しが良いじゃないか」
「なんとなく、そうなんじゃないかって気がしてた」
リリンサに見つめ直されたワルトナは、その瞳の中に懐かしさを覚えた。
きっと、昔も今みたいに僕の顔を覗きこんでいたに違いないと、緩みそうになる涙腺を必死に締めつける。
「あぁ!まったく……、これで大前提はおしまい。後は、僕が何をしようとしているのかって話だけど」
「……聞かせて」
「僕はユニとあの子が好きだ。ずっと一緒に居たい。だから、もう一回、二人に頭を撫で貰う為に……、『リリンサ』を育てようとした」
ワザとらしく大振りに視線を逸らし、ワルトナは僅かに距離を取る。
それでも、逃げはしない。
最後まで嘘偽りなく語る、それこそが贖罪なのだと気が付いているから。
「あの子を世界に呼び戻す為には、少なくとも英雄に匹敵する魔力を『リリンサ』が持つ必要がある。そう聞いた僕はキミに近づいた。……最初はさ、利用するだけしたら、縁を切ればいいと思っていたんだ」
「ん……」
「僕にとって、ユニとあの子が同列一位で、その他にユルドおじさんやラグナがいて、それ以外は同列で最下位。ユニやあの子と比べたら、どんな関係も劣るんだって」
「……今は?」
「違うんだ。困った事に、本当に困った事に、僕には大切な人がいっぱい出来てしまった。その人達はユニやあの子と比べても遜色なくて……、そして、最たる存在はキミなんだ、リリン」
ちょっとだけ恥ずかしいと思いながらも、ワルトナは言葉を止める事をしない。
想いを声に乗せる力を持っていないからこそ、気持ちを伝える為には、口を開き続けるしかないと知っているから。
無言で頷くばかりの幸せだったからこそ、僕は取り溢してしまった。
もしもあの幸せの中で、ほんの少しの勇気を出して、ユニの真似事でもしていたら。
最後の戦いに連れて行って貰えて……、そして、僅かにでも役に立つ事が出来たなら、失わないで済んだかもしれないんだ。
「僕にとってのリリンはね、ユニやあの子とは違う。無条件の愛情を与えてくれる人じゃない、初めての対等な友達」
「友達……」
「そう。友達なんだ。垣根なく本音で語り、冗談を言い合ったり、馬鹿にし合ったり、たまには喧嘩もしたね。そんな存在は僕の人生で初めてで、だからこそ、その大切さには気が付いていなかった」
「それ、で……」
「失いたくないって思ってる。だから謝るんだ。……リリン、騙していて本当にごめん」
最後まで言えたと、ワルトナは僅かに安堵した。
許して貰えるかは分からない。
常識的に考えれば、許されざる事をしていたという自覚もある。
それでも、心の底に隠していた罪悪感をやっと懺悔する事が出来たから。
感情のままに頭を下げたワルトナの瞳から、綺麗な滴が落ちていく。
「……ワルトナ」
「なんだい?」
「顔をあげて欲しい」
泣き顔を見られたく無いけれど、それも罰だと思って諦めた。
静かに顔をあげたワルトナを出迎えたのは、リリンサの泣き顔。
「……。やだ……」
「なにが、嫌なんだい?」
「ひっく、許して……、あげない。ひっく、こんなにしっかり謝られても、簡単に、許して良い事じゃない……」
「あぁ、そうだろうね。僕だって立場が逆なら、きっと許せないと思うから……」
「だから、簡単には許さない、もっと詳しく話を聞いて、私もいっぱい話をして、ひっく、ちゃんとしてからじゃないと許せないっ、まだ、許せないよ……」
「何度でも、キミの気が済むまで謝るよ。だって僕は、リリンと友達でいたいから……」
お互いの顔に手を添え、指に力を込めて頬を摘まみ、ぷにぷにと弄くり回す。
そんな懐かしい触れ合いを合図にして、リリンサとワルトナは抱き合った。
お互いの心の中に燻っている疑心や憂いが完全に晴れた訳ではない。
それでも、触れ合った頬を伝う涙と泣き声が、二人が友達であると示している。
「良かったぁ!おねーちゃんとワルトナさんも、ちゃんと仲直り出来たね!」
「そうだな。指導聖母が懺悔で泣いてりゃ世話ねぇなとは思うがよ、悪い事じゃねぇわな。……で?」
ゴモラを抱きしめながら二人を見ていたセフィナの横で、周囲を警戒していたメナファスは更に横に視線を向けた。
そこにいる人物に「何の用だ?」と促し、物語の進行を促す。
「私としても、御二方が和解できて何よりだと思っていますわ」
「お前はレジェとセットだろ。何で一人でこんな戦場に出て来た?」
二人と肩を並べて立つテトラフィーアは、正確にいえば一人で来た訳では無い。
護衛としてセブンジードとナインアリアを連れているテトラフィーアは、この大陸でも屈指の索敵能力を持つ。
メナファスが問題視しているのは、レジェンダリア軍の最高位諜報員の集まりの中にレジェリクエが居ない事だ。
「陛下でしたら、寝台の上にいらっしゃいますわ」
「冗談には聞こえねぇな?」
「冗談ではございませんわ。陛下は軍司令部の天幕の中に安置されております」




