第148話「思惑の告解」
「ワルトナ?」
天空に君臨する黒獣の上。
そこにいるワルトナへ視線を向けたリリンサは、小さく疑問を口にする。
その表情は、本来ならば、平均的な表情を崩してしまう程の安堵と安心になるはずだった。
一寸の揺らぎもなく親友と言い切れるワルトナが敵から逃げ出す事に成功し、あまつさえ飄々としているのだから当然のことだ。
だが、今のリリンサが浮かべている表情は、困惑と焦燥。
その視線が捉えているのは……、ワルトナが持つ、赤と白の弓。
「いやー、まったくキミらは本当に僕の予想の斜め上を行ってくれる。本当にもう……、なんだあのカツテナイ機神は?とか、そんな魔神装備どこで仕入れてきやがった?とか、相反する天使装備もどっから出しやがった?とか、尻尾が虹色に輝くってどういう強化だ?とか、また何かしやがったなニセタヌキィ!とか、あんの馬鹿デカイ悪喰=イーターは何なんだよッ!?とか、言いたい事がいっぱいある訳だが……、とりあえず、二人が無事で安心したよ」
ワルトナが浮かべている表情を、リリンサは良く知っている。
たまに失敗してピンチに陥っていた後に見せる、脱力が混じった安堵の表情。
障害を乗り越えて勝ちを悟った時のワルトナの表情を、リリンサは始めて怖いと思った。
「キミらが戦い始めたってラグナに聞いた時には、血を吐きそうになるくらい吃驚したもんだよ。あー、マジでストレスで吐きそう。どこかに傷付いた胃の代わりに食事をしてくれる権能とかないかなー」
「……ワルトナ、その弓は……、なに?」
すたん。っと可愛らしい音を立て、ワルトナはリリンサと向かい合うように地上に降り立った。
悪い事を考えている時の屈託のない微笑は、見慣れている。
僅かに安心し、脳裏に浮かんだ疑問を無理やりに抑えつけたリリンサは――、ワルトナの間に割り込んできたセフィナを見て硬直した。
「お、おねーちゃん……!」
「な、なに?セフィナ」
「ワルトナさんと喧嘩しないで!!」
セフィナの言葉は、リリンサからすれば脈絡がなく訳が分からない。
だがそれでも、セフィナが一生懸命に訴えているのは分かる。
それは、昔と同じ、絶対に譲らないという強い瞳と意思。
「……喧嘩?何を言っているの?」
まずは落ち着いて、セフィナの主張を聞く。
頭ごなしに叱らないのが『良いおねーちゃん』である条件だと知っているリリンサは、動揺を隠しながら疑問を返す。
「ワルトナさんにはお世話になったの!だから、おねーちゃんは喧嘩しちゃだめなの!!」
「お世話になった?捕虜になったワルトナに魔法を教えて貰ったってこと?」
リリンサの脳裏に浮かんだのは、セフィナが使用した『 逆行する時間と約束・歪曲する真実の虚偽』。
ワルトナの得意魔法であり、切り札でもある魔法を教えて貰っていたのだから、『お世話になった』と言う資格は十分にある。
リリンサは、そうだと納得したかった。
だが、ワルトナが敵の陣営であるセフィナに切り札を教えるという愚策はしないと、理性がそれを否定する。
受け入れたくない、思考の帰結。
言葉が見つからず、声すら出ず……、そんなリリンサへ、セフィナは一生懸命に伝えようとする。
リリンサが最も聞きたくない、『真実の虚偽』を。
「ワルトナさんには、ずっとずっと、お世話になってきたの!」
「ずっと……?セフィナ。一ヶ月はずっとじゃない」
「そんな短くないもん!!おねーちゃんと別れた後、いっぱいご飯を食べさせて貰ったり、お洋服を買って貰ったり、依頼を手伝って貰ったりも……、だから、ワルトナさんは私にとって大切な人なの!喧嘩しちゃだめなの!!」
「何を……、言っているの?もしかして、メナファスがワルトナに連絡していて、一緒に裏切っていた?はは、人が悪いにも程が――」
「ワルトナさんは悪い人じゃない!私が我慢できなかっただけで、ちゃんと会わせてくれようとしたもん!!ずっとずっと、6年間、お世話になってきたんだもんっ!!」
『6年間』
それは、全ての答え。
リリンサが絶望の末に生きる希望を得たのも、
師匠達を『忌むべき変態』と嫌悪できるくらいに、感情を取り戻したのも、
心無き魔人達の統括者を作り、再び、心の底から信頼できる友達を得たのも、
自分の全てを捧げたい恋人と出会い、毎日を笑顔で過ごせる日々を取り戻したのも、
全ては、6年間のできごと。
その思い出の殆どには、ワルトナが映っている。
「……うそ」
「そうさ。僕が嘘付きなのは、キミが一番よく知っているだろう?」
「ちがう。セフィナが言っている事が嘘、そうだ、ワルラーヴァーに騙されて……」
「そうだとも、セフィナは騙され続けているんだ。今この瞬間も、ラルラーヴァーの思惑通りに姉を追い詰めている。真実を突き付けてね」
「ちが……っ!」
「違わない。だってさ、リリン。この仮面に見覚えがあるだろう?」
ワルトナが懐から取り出した仮面は、リリンサの敵の証明だ。
認識阻害の仮面であるそれは、素顔を隠しやすくする為に特徴的な意匠が施されている。
心の底から嫌悪しているそれを、リリンサが見間違うはずがない。
「……待って、ワルトナ。それはだめっ……!」
強い拒絶の言葉と共に伸ばした、リリンサの腕の先。
そこには、白い仮面を被った『敵』が立っている。
「僕こそがラルラーヴァー。……キミ達の敵だ」
仮面を付けて、素顔を隠し、ワルトナは名乗った。
降って湧いたように現れた『恋敵』ではない、リリンサの人生そのものを騙し尽くした――、悪意だと。
「おねーちゃん……?わぷっ!」
「おっと、おねーちゃんの事は聖母様に任せる場面だぜ、セフィナ」
「めなふぁふはん……?」
後ろから抱きかかえられ、セフィナの口には饅頭が詰め込まれた。
足元のゴモラにもアップルパイで封印を施したメナファスは、静かに一歩下がって存在感を消す。
「どう……、して……?」
「僕はラルラーヴァーだから、キミの敵だと名乗った。それだけだねぇ」
「……どう、してッッ!!」
眉間に皺を寄せ、犬歯を剥き出しにした、リリンサの怒り。
そして感情のままに、リリンサは右腕を振り上げる。
それは……友人の絆を断ち切る、魔神の右腕。
「ワル、トナぁあああっっ!!」
「落ち着きたまえ。まったく、感情に任せて特攻する癖を治せって、何回言ったか分からないねぇ《束縛の雨》」
前に振るおうとした魔神の右腕が、後ろに押し飛ばされた。
空間に縫い付けられた右腕には、青い矢が突きささっている。
それは……、友人の絆を貫き縛る、虚空の射矢。
「くっ、動かなっ……」
「覚醒神殺しの矢での拘束だ。いくら魔神と言えど簡単には外れない」
感情のままに掴み掛ろうとしたリリンサは磔られるも、僅かにも感情を衰えさせていない。
ぐちゃぐちゃになってしまった思考、それを支配している最も強い感情は――、拒絶。
「どうしてっ!?ワルトナは私の一番の友達、裏切るはずがない!!」
「どうもこうもないさ、僕は最初からキミの敵で、裏切る為に近づいたんだ。あれあれぇ、これもキミが良く知る魔王な手段だねぇ?」
「つっ!」
「リリン、僕はね、最初から何も変わっちゃいない。偶然を装ってキミに近づいた時には既に、全ての事情を把握していたし、そもそも、僕をキミの所に差し向けたのはダウナフィア様だ」
「うそ、嘘……、うそだッ!!」
「嘘じゃないよ。確かに嘘を生業にする指導聖母な僕だけど、この気持ちにだけは嘘を吐きたくない。僕は大好きなユニを取り戻す為に、キミ達を騙し続けていたんだ」
パリン……、と音を立てて、魔神の右腕を拘束していた矢が消えた。
そしてそのまま、リリンサは重力に従って崩れ落ちる。
「なにが……、どうなっているの……?ワルトナは一番の親友で、ユニクは大切な恋人、そのはずなのに……」
ぽたぽた……。ぽたぽた……。と、リリンサの瞳から涙が落ちる。
受け入れがたい事実に矛盾を見つけられず、理性の中で肯定されてしまったのだ。
地面に指を這わせ、湿った土を握りしめる。
それがリリンサにできる、唯一にして無価値な抵抗。
「こんなの、やだ……」
「あぁ、そうだ。僕だって嫌だよ。誰もこんな仲違して終わる結末を望んじゃいない」
「……ぇ」
「僕はユニとあの子を取り戻す為に、人生を賭けた。それ以外の全部を蔑ろにしてでも、絶対に取り戻すって誓ったんだ」
それは、リリンサに取って思いがけない言葉。
慈しむような声色は、何度も何度も、自分に向けられたものと同じ物で。
良く知っている声に釣られ、リリンサは顔を上げた。
そして、その瞳が捉えたのは、仮面を外したワルトナだ。
「でもね、リリン。キミに出会って考えが変わったよ。大切な人を取り戻す為に、大切な人を蔑ろにしてはダメなんだ」
「……っ」
「素直に謝るよ。……僕が間違っていた、ごめん。リリン」




