第145話「カタストロフ・アップル②」
「「《供食礼賛、悪喰=イーター!》」」
朗らかに声を揃えて悪喰=イーターを呼び出し、リリンサは目の前の敵に視線を向けながら、静かに思考を開始する。
内部にセフィナが乗っていないなら、私の全力をぶつける事ができる。
けれど、決して油断して良い相手ではない。
ソドムのエゼキエルもセフィナのアップルルーンも、いうならば、命の保証がされた訓練の様な闘いだった。
パパやユルドルード、不本意だけど忌むべき師匠達……、殺意がない格上に挑むのに慣れている私には有利が働いている。
だけど、アレは私達に明確な殺意を向けている。
アップルルーンという名前で呼びたくなくなるくらいに悪意に満ちたアレは、絶対に壊さなくちゃいけない存在。
魔神シリーズだけでは、たぶん力不足。
勝利の鍵を握るのは、悪喰=イーター。
「セフィナ、悪喰=イーターはどうやって使……!」
「《ヴィギルーン!》」
頭の中に高らかに響いたゴモラの鳴き声。
それを聞き終えた瞬間、リリンサの意識は視界一面に広がる書架の壁の前にいた。
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「ん、本棚に本がたくさんある。ここはどこ?」
「ここはリリンサの悪喰=イーター、その目次ページだよ」
カチャン。と証明が切り替わって映し出された、ちょっと豪華なミニテーブルの上。
そこの上にいるのは、紛れもないリンサベル家の守護獣・ゴモラだ。
「ゴモラの言葉が分かるようになってる」
「それはキミがゴモラを知っているからだよ。その記憶に付属する知識が、悪喰=イーターから与えられたんだ」
「どういうこと……?と聞きたいんだけど、今は時間が無いと思う」
「心配いらないよ、ここは那由他様の権能によって作られた『世界』。リリンサがいる世界とは別の世界だから、時間の流れも法則も違うものになるし、その扉から出れば入る前の瞬間に戻れる。もっとも、ここに長居し過ぎて入る前に何をしていたか忘れるバカタヌキもいるけど」
名前をぼかして語ったゴモラの横に、純白の星マークが輝くタヌキの映像が映し出された。
操縦席で何やら忙しそうにしているそのタヌキが「天使シリーズが一個もねぇってどういう事だよッ!?メンテナンスの日だって聞いてねぇぞッッ!!ムーーーッッ!!」と叫んだのを聞いて、ゴモラは爆笑している。
「なるほど、使い方を覚える時間はありそう」
「うん、それで何が知りたいの?」
「ん、質問その①。悪喰=イーターは知識の権能を持つ那由他様の力で作られた『全知』だと聞いた。もし、本当に全知であるのならば、私はこの世界最強の魔導師になったという事?」
ふてぶてしい性格のリリンサは、いきなり喋り出したゴモラも、何で書架が並んでいるのかも、どういう仕組みなのかも、全部投げ捨てて度外視した。
そういう理論的なのは後で覚えれば良いと、本題を優先させたのだ。
「ふむ、確かに、悪喰=イーターには数千年の歴史の中でタヌキが観測した魔法の全てが記憶されている。もちろん、魔法十典範も、大罪の名を冠する滅亡期に生み出された魔法もあるよ」
「それじゃあ……!」
「だけど、それは人間には過分すぎる。故に、ゴモラが与える悪喰=イーターの知識は、その人間の記憶と所縁のあるものだけに限定している。事実上、世界最強の魔導師は那由他様だけだ」
リリンサの目の前の書架は前も横も上も、地平線の彼方まで続いている。
何百万冊あるか分からないそれは、まさに全知の名にふさわしい情報量だ。
だが、ゴモラはそれを否定した。
彼女が契約した人間に与える悪喰=イーターは、その人物の記憶に由来する知識を那由他が持つ悪喰=イーターから抜粋して創り上げたもの。
故に、リリンサがまったく知らない知識は手に入らない。
例えば、希望を頂く天王竜に関する知識は書架に保管されているが、四大大陸の一つを沈める程にホロビノと激しい戦いをした『凱王蟲・ダンヴィンゲン』に関する知識は一ページも存在していないのだ。
「全知は那由他様にのみ許された権能であり、武器だ。流石に、人間に無尽蔵に知識を与える事を那由他様はお許しになっていない。タヌキ帝王であるゴモラでもアクセスできない情報もある」
「そんなにしょんぼりしなくて大丈夫。十分に凄いと思う!」
僅かに影を落としたゴモラを撫でながら、リリンサは近くの書架に視線を向けた。
そこに保管されているのは、よく使う魔法に関する書物。
そして、『雷人王の掌』と書かれた本に指を掛け、静かに本棚から引き抜いた。
読書にふけるリリンサを横目で見ながら、ゴモラはその無邪気さを慈しむ。
「どうして、どうして、こんなにも知識が有って、我が子一人救えないのですかっ……!本当に必要な知識が手に入らないなら、これに何の意味が有るというの……」
最愛の娘の喪失を悟った『母』は、この『全知』に縋った。
今までの人生で幾度となく訪れ、解決方法を調べてきたこの書架は、リンサベル家に受け継がれてきた力だ。
焦りながらも、何処か安心したような表情でここへ訪れたダウナフィアへ、ゴモラは告げた。
「天命根樹から受けた毒を打ち消す為の知識は、ここにはには無い。それどころか、その攻撃がどういうものであったのか、天命根樹そのものの知識でさえ、存在していないよ」
セフィロ・トアルテの中心に生えていた木が皇種化した際、ダウナフィアは不安定機構・深部にいた。
そして、大聖母ノウィンの所に皇種出現の報告が届いたのは、全てが済んだ後だった。
街に居合わせた三人の英雄『ユルドルード』『アプリコット』『プロジア』、そして英雄見習い『ユニクルフィン』。
その四名の超越者によって天命根樹は速やかに倒され、被害は20万人に抑える事が出来た。
残った根が及ぼす影響が分からないという理由で街は放棄されたが、人口の96%が生き残る事に成功したのだ。
だからこそ、天命根樹を知らないダウナフィアの書架には、毒を打ち消す知識が存在しない。
探す手間を省く為に事実を告げ、諦めさせてやることが、ゴモラにできる優しさだった。
「ゴモラ、質問その②。この知識は私の記憶に関連していると言った。けど、私が知らない事も載っているように思える」
「ヴィギルン……」
「……ゴモラ?」
「知らない知識もあるよ。ここは、キミの記憶を目次にして作った参考書籍群とでも表現する方が良いかな」
「なるほど、私は雷人王の掌を知っているから本の表紙が作成された。そして、それに関する情報を悪喰=イーターから抜き出してページにしていると」
「探したい情報を想い浮かべるだけでその本が出てくるよ。試してみて」
ふむふむ……と平均的に鼻を鳴らし、リリンサは必要な情報を連続で思い浮かべた。
そうして本の山を積み上げ、一番上の『悪喰=イーター』と書かれた取扱説明書を手に取る。
なるほど、悪食=イーターを使いこなす知識を最初に持ってくる辺り、要領の良さはダウナフィア譲りだね。
セフィナなんか、キミに関する本を呼び出して半日くらい眺めていたよ。……床に寝転んで。
「ん、本を呼び出すだけじゃなく、万物創造の悪喰=イーターで作られたこの空間ではイメージそのものを具現化する事ができると。凄く便利」
さっそくイスとテーブルを召喚したリリンサを眺めながら、ゴモラは可愛らしい姉妹の未来を案じた。
この書架を手に入れた誰しもが、最初は無邪気にはしゃいだ。
それでも、やがては、限界を悟って膝を折る。
ゴモラに事実を告げられたダウナフィアは、100年にも及ぶ時をこの書架で過ごした。
司書であるゴモラに告げられ、思いついたあらゆる本を調べても答えは見つからなかった。
だからこそ、全ての本を手に取り、一冊一冊、自分が思いつかなかった些細な情報を見逃さないように丁寧に目を通したのだ。
そして……。
「ご、ゴモラ……、教えてください。どうすればいいのですか、どうすれば助けられるというのですか……、何か対価が必要なら、どんな物でもあげるから……」
最後の本の最後の一ページを読み終えた時、ダウナフィアの希望は失われた。
力無く崩れ落ちて、瞳は乾ききっている。
「ヴィア……」
「効率的な疲労回復方法……?こんなもの、何の役に立つというのですかっっ!!」
余りにも憔悴しきったダウナフィアに休めと伝える、それがゴモラにできる精一杯の答えだ。
「ゴモラよ、お前がやりたいというのなら好きにするが良いじゃの。……だが、過分な知識は身を滅ぼすと思うがの」
遥か昔にされた、那由他からの警告。
過ぎた知識を与えたことによる、絶望。
それでも、ゴモラはセフィナとリリンサに悪喰=イーターを与えた。
確かに絶望もあった。
だが、この悪喰=イーターが役に立ち、数多くの命を救ってきたのも事実だ。
「リリンサ、満足するまで調べると良い。今この瞬間にキミが望む知識はちゃんとあるよ」
「分かった。これから何度も訪れる事になると思う。お土産は何が良い?」
「くす……、アップルパイで」
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「……セフィナ、悪喰=イーターの中に行って来た。すごいね」
アップルルーンを倒す為に必要な情報を調べ終え、勝つ為の戦略も既に組み終えた。
この方法ならば高い確率で勝つ事ができるし、セフィナを危険に晒す事もない。
平均的に満足した顔を、自分と同じ事をしているであろうセフィナに向けた。
「だよねー!悪喰=イーター凄いお得だもんね!」
「……お得ってなに?」
「だって、今まで食べたご飯図鑑が有るんだよ!」
「むぅ!?」
「それを見ながら具現化して、ゴモラと一緒に食べる事ができるの!行ったことあるお店にもう一回来た時とか、待ち時間で復習して、ちょっとの味の違いとか比べられるんだよ!!」
「むむぅ!?!?なにそれ、すごいっ!!」
物凄い斜め上の使い方を示されたリリンサは目を丸くし、ちょっとだけ涎を垂らした。
ツッコミ不在な現在、その妄想を止める人はいない。
「確かに凄い。さすがセフィナ、天才だと思う!」
「やった!おねーちゃんに褒められた!!」
「これは研究の甲斐が有りそう。ふふ、これでレジェやテトラの特殊能力にも対抗できそうだし、後の楽しみも増えた。良い事づくめだと思う!」
強かに悪喰=イーターの悪用方法を考え始めたリリンサは、平均的な魔王の笑みを溢した。
この能力を使えば、頭の回転の速いレジェリクエやテトラフィーアに対抗できると思ったのだ。
悪喰=イーターで最も優れている能力は、無限の思考時間を手に入れたという事。
会話中は勿論、戦闘中でも即座に致命傷を受けない状況ならば、ゆっくりと時間を取って考える事ができる。
なるほど、昔のユニクがソドムに勝てなかったのも納得。
一度見せた技は完全攻略されるから、新しい技を使うしかない。
その技だって、考える暇を与えない超必殺・即死技でないと意味がない。
頑丈なエゼキエルで戦っているソドムを倒すのは、とても難しいと思う!!
「さてと……、時間もないし、さっさと倒してしまおう。セフィナ、第九識天使の使い方は分かる?」
「大丈夫だよ!いっぱい使った事あるもん」
ユニクルフィン探しの旅を始めてすぐ、リリンサはワルトナと出会った。
そしてそれ以来、第九識天使を使った連係プレーを戦術の基礎としている。
だが……、第九識天使を扱う冒険者は極めて少ない。
単純にランクが高い第九識天使は難易度が高く、そもそも、品質の悪い魔導書すら流通していないからだ。
慣れてるんだ。へぇー。
確かに、指導聖母だったワルラーヴァーなら、第九識天使の魔導書を持っていても不思議ではない。
でも、戦術を真似されたみたいで、ちょっと腹が立つ。
セフィナがワルラーヴァーの正体を知っていそうなのは好都合だけど。
「そう。じゃあ使うね《第九識天使》」
「いいよ。あ、似てるね」
「似てる?」
「視点の置き方とか、声の聞こえ方とかだよ。まぁ、同じ魔法なんだし当然だよね」
セフィナは無邪気に納得しているが、そんな事は無いとリリンサは知っている。
第九識天使は流通していない魔法だが、汎用性は極めて高い。
それ故に、リリンサとワルトナが気まぐれに他の冒険者に魔法を教える時には優先し、使用者によって共有感覚に個性が出ることを経験している。
「私達の第九識天使を知っている?なら、魔法を教えた相手の中にワルラーヴァーがいたということ……?」
「どうしたのおねーちゃん、考え事?」
「ううん、なんでもない。今は戦闘に集中しよう」
「うん!」
思考を共有している状態での雑念は、致命的なミスを呼び込む。
ワルトナに幾度となく「戦闘中に飯の事を考えるんじゃないよ、この脳味噌胃袋がッ!!」と怒られたが故の戒めだ。
「攻撃は私がする。セフィナは後ろから援護をして」
「わかった。絶対におねーちゃんを攻撃させないから、安心してね!」
「ふふ、さすがセフィナ。とても頼もしい。……いくよ!」
「うん!」
魔神の脊椎尾を稼働させながら、リリンサは手前にいたアップルルーンへ突撃を仕掛けた。
その行動原理は理解済み。
決められた動作しかできない『自律行動モード』など敵ではないと、魔神の尻尾から開戦の合図を撃ち出した。




