第137話「バルワン・ホースの失態」
『バルワン、サンジェルマ、トウトデンの三名は東北南から進軍し、西の平原を捜索。セフィナを見つけ次第、身柄を保護してくださいまし』
テトラフィーアから下された命令に従い、軍団将の三人は技量の限りを尽くして戦場を駆け抜けた。
すれ違った敵兵を一撫でし、瞬く間に戦況をレジェンダリア有利へと傾けて行く。
片手間に敵を倒していようとも、既にセフィナの容姿を確認している三人が見逃す事などあり得ない。
だからこれは、誰がセフィナの一番近くにいたかという幸運を競う勝負であり、難しい任務ではないと思っていた。
「こちらバルワン、8―gにて捜索対象に酷似した少女を発見。タヌキと狼を連れている」
『セフィナですわね。慎重に接近し、対話をしなさい。くれぐれも戦闘は厳禁ですわ』
戦場を走り抜けること30分。
開けた視界の250m先に純黒の髪を持つ少女が座りこんでいる。
当たりを引いたのは自分だったか。と思いながら、バルワンは僅かに気を重くした。
終末の鈴の音、軍団将バルワン・ホースは強面だ。
趣味『ガーデニング』、特技『ハーブ料理』という全く顔に似合わない私生活を送っていようとも、それは変わらない。
そして、色んな意味でセブンジードと対極を成す彼は、自他共に認める口下手だった。
『軍団将バルワンは、女王陛下が秘密裏に開発した血も涙もない戦闘マシーンだ。仲良くなりたい奴はエンジンオイルでも差し入れてやれ』
そんな噂は、一度でもバルワンと任務を共にした事があれば解ける誤解だ。
だが、軍団将として多忙を極めるバルワンが前線に立つことは少なく、セブンジードが流す冗談ばかりが広がって行く。
そうして出来あがった『屈強な男』が声を掛けようとしているのは、全てが柔らかそうな女の子セフィナ。
今も地面に杖でお絵描きをしている。
「ふんふふーん。ふふふーん。できた!どう?どう?」
「ヴィギルン!」
「わふん」
「でしょー!」
楽しげに笑う少女と、タヌキと、狼。
そんな妙な組み合わせは、この戦争に参加した者の中でぶっちぎりの最強格。
バルワン・ホースは、セフィナの横にいる二匹の『レベル999999』を見て息を飲んだ。
「すまない。少々、伺いたい事があるのだが……」
「ひゃい!?」
完全に油断していたセフィナは驚いて飛び跳ね、持っていた杖――、メルクリウスを構えた。
突然の来訪者にドキドキしつつ、恐る恐る口を開く。
「はい、なんです……」
『不審な人に声を掛けられても答えるんじゃないよ』という真っ黒な聖母からの教育を思い出し、セフィナは無理やりに口を閉じた。
そして、見るからに怪しい筋肉ダルマにジト目を向けて、静かに様子を窺っている。
突然現れたレベル90000を超える敵兵に愛想を振りまいてしまう程、セフィナは常識知らずではないのだ。
「……誰ですか?」
「バルワン・ホース。レジェンダリアの軍団将だ」
そして、バルワンは普通に答えてしまった。
もしここにいるのがセブンジードだったのなら「給仕兵だよ。リリンサ様に食事を持って行く途中なんだが、どこかで見かけなかったかい?」などと言って華麗に誘拐しただろう。
だが、悲しい事に、バルワンは口下手だった。
「可愛いタヌキだな。その狼も……、黒光りしていてカッコイイ」
「……貴方が『バルワン』なんだ。ゴモラ。」
バルワンが必死になって考えた友好の言葉は、セフィナに無視された。
セフィナにとってゴモラは『可愛いカッコイイ』し、ラグナガルムは『カッコイイ可愛い』。
そんな当たり前の事を言われても心に響く訳がなく、そもそも……、既にセフィナの敵愾心は最大値だ。
「ゴモラ、ラグナ。この人、おねーちゃんを洗脳した人ッッ!!」
「……くぅん?」
「ヴィギルン?」
「敵だよ、構えてっ!!」
「ヴィギルーン!……ヴィ!」
「キャインッ!?……ワォォォォン!」
大好きなおねーちゃんが極悪非道な心無き魔人達の統括者と一緒にいるのは、もしかしたら、バルワンに洗脳されたからなのかもねぇ?
姉妹を簡単に仲直りをさせる為には、第三者のせいにしてしまえばいい。と、数年前にワルトナが仕込んでいた嘘を覚えていたセフィナは、バルワンを敵だと認定した。
真剣な顔で神魔杖罰・メルクリウスを構え、姉の仇へ鋭い視線を向ける。
なお、セフィナの横にいる二匹の守護者は、リリンサが洗脳されていない事を知っている。
だが、ラグナガルムが疑問の声を上げようとしても、絶対者であるゴモラに小突かれては流れに乗るしかできなかった。
「洗脳だと……?待ってくれ。私はそんな事をしていない」
「悪い人はみんなそう言うもん!!絶対に認めないもん!!」
「うぬ……、それはそうだが」
「優しいおねーちゃんが悪いことする訳ないもん!全部あなたのせいでしょっ!!尻尾だってきっとそうだもん!!」
冤罪だ!あんな尻尾、誰が好んで生やさせるんだッ!?とバルワンは叫びたかった。
だが、既に手に負えるような状況では無く、そして……、運もなかった。
「……おい、バルワン。この役立たずめ」
「我も失望を禁じ得ぬ。セフィナは既に気が立っておるではないか」
バルワンの背後から二人の男が現れ、並び立った。
それぞれのレベルは90000を超えており、レベル79422なセフィナにとっては十分過ぎる脅威。
更に敵愾心を強めたセフィナは、今にも飛びかかりそうな雰囲気で声を荒げている。
「三人……。あなた達が、おねーちゃんを洗脳した心無き魔人達の統括者だね。絶対に許さないんだから!!」
「……。おいバルワン。お前マジでどうすんだよこれ」
「拗れまくっていおるな。上手く納められる気がせぬぞ」
「誠心誠意を尽くして語りかければ良いのではないだろうか?」
「八割の新人が泣きだす奴な、それ」
「残りの二割は夢に出たそうだぞ」
「……どうにもならぬ。テトラフィーア様に指示を仰ぐのが良かろう」
思いがけず名案が浮かんだバルワンは、すぐに胸のカードに向かって語りかけた。
改めなくても聞いているだろうが、事態は一刻を争う。
そうして、三人はテトラフィーアからの指示を待つ事にし――、長い沈黙に疑問を覚えた。
「通信が繋がっていない?」
「指示が来ないだけか、あるいは……魔道具を無効化されたか」
再びの想定外に直面した三人は、今が人生最大の窮地だと思った。
目の前にいるのは、自分達のボスであるリリンサの妹。
傷つけることは許されないばかりか、怯えさせただけでも、どんな懲罰がやってくるのか分かったものじゃない。
そんなセフィナは敵意剥き出しで睨んできており、その横には得体のしれない魔獣が二匹。
困惑する三人は出来うる限りに強面を柔らかくしようとし――、逆に顔が強張った。
「マジかよ。『終末の福音』だと……」
後方の空が虹色に輝き、荘厳な鐘の音が響き渡った。
それは、総司令官テトラフィーアの大規模個人魔導。
世絶の神の因子を本気で使う場合に使用するものであり、重要な局面であることの証明だ。
「どうやら陛下とテトラフィーア大臣がメルテッサと接触したようだ」
「メルテッサ?ブルファムの姫だったよな?」
「彼女がラスボスだと陛下は仰せになった。そして、セフィナに帝王枢機を使われると陛下が不利になるらしい」
第九識天使を通じて意思の疎通を終えた三人は、強張った顔をセフィナに向けた。
ここで失敗すれば陛下を窮地に追い込む可能性があると、自分達の重要性を再認識したのだ。
「セフィナ、落ち着いてくれ。確かに私達はレジェンダリアに属しているが、キミと戦う意思は無い」
「……そうなの?」
「そうだ。実は、リリンサ様にお願いされて迎えに来たのだ」
「……じゃあ、おねーちゃんは何処にいるの?」
「え、それは……」
「ほら、やっぱり嘘だっ!!」
ワルトナに教育されたリリンサがそうであるように、セフィナもしっかりと常識を身に付けている。
基本的に人を疑わない素直な性格ではあるものの、セフィナはランク7の冒険者。
施された英才教育により、敵の甘言に惑わされることは無い。
「待ってくれ、そうだ。お菓子があるぞ。ヨーグルト味のプロテインバーだ!」
「おねーちゃんを酷い目に合わせた人のなんかいらないもん!この人達を捕まえてワルトナさんが帰ってくるのを待つ。それがいいよね?ゴモラ!」
「ヴィギルン!!」
「よっし!覚悟し……あ、電話だ」
魔導師として真っ当に戦い始めようとしたセフィナを遮ったのは、首から下げている携帯電魔のコール音だ。
――、それは魔道具であり、この状況を作り出した全ての元凶。
「セフィナ。僕はノウィン様に呼び出されてしまってねぇ。直ぐに戻ってくるから、メナフと一緒に大人しくしてるんだよ」
「んだよ、ワルトナの奴、オレまで呼び出しやがって。セフィナ、ちっと行ってくるから、ラグナと一緒に留守番してろ」
『携帯電魔』で呼び出された二人は戦場を後にし、セフィナだけが残された。
そして、その後で掛ってきた電話に従ってセフィナは小屋から抜けだし、この開けた平原で二人を待っていたのだ。
「ワルトナさんからだ。もしもし?」
『 もしもし……。困った事に、緊急事態に陥ってしまってねぇ』
携帯電魔から返ってくるのは、『優しいワルトナさん』の声。
それに一切の疑いを抱かなかったセフィナは、大切な恩人の役に立つ為に声を弾ませて答えた。
「えっ!?えっと、私にできる事ってありますか!?」
『今すぐアップルルーンを呼び出して、目の前の魔王の下僕を捕まえておくれ。出来るね?セフィナ』
電話の主……メルテッサは、物質主上を用いて戦場を覗き見ていた。
数万を優に超える魔道具の分布や性能発揮履歴、そして、傍受した通信などを利用し、高い精度で戦況を把握していたのだ。
セフィナに聞こえないように、メルテッサは笑う。
これでチェックメイトだと、目の前の外敵を見据えながら。
「はいっ、分かりました!ワルトナさん!!《神域侵食・ルインズワイズ!》」
凄く尊敬している人が言った、緊急事態。
それを想像する事は出来ないけれど、きっと、とても困ってる。
そう思ったセフィナは迷わなかった。
それこそが、想定された状況の中で最悪の一手であると知らずに行使してしまったのだ。
「待てッ!それはダメだッ!!」
「《来て!=ゴモラの帝王枢機・アップルルーンゴモラっ!!》」
天地が開闢し、九つの魔導規律陣が紅の光を放つ。
それに照らされたセフィナとゴモラの姿は消え、代わりに真紅の魔導巨人が天空にて織り立つ。
「くっ、なんということだ……」
セフィナを止めようとした軍団将達は腕を伸ばすも、全く届かなかった。
ラグナガルムによる威圧の遠吠えにより筋肉が委縮し、思うように動かないのだ。
そうして軍団将は、カツテナキ機神と相見えた。
「ワルトナさんが困ってるんです!!だから……全力で行くよッ!!」




