第131話「理の超越者②」
「ははっ、流石は魔王。伝説の大災厄に乗ってご登場とは、驚嘆を隠せないよ」
漆黒の翼をはためかせて空に君臨している冥王竜の頭上から、レジェリクエとロイが錆鉄塔へ降り立った。
魔法で作った階段を下りる姿は、まさに、女王と侍従。
着ている服が軍服であるのにもかかわらず、万人を魅了する風格を纏わせている。
「お初にお目に掛るわねぇ。余がレジェンダリア女王・レジェリクエよぉ」
「これはこれは、ご丁寧にどうも。挨拶を交わすまでもなく知っているだろうけど、ブルファム第六姫のメルテッサだ。よしなに」
物語じみた魔王の降臨を垣間見たメルテッサは、僅かに頬を緩ませている。
メルテッサの唯一の趣味は読書だ。
そのジャンルは偏っており、空想物語……、いわゆるファンタジー小説を選んでいる。
いや、それら以外の書物を理解する事が、彼女には難しい。
記された内容が『空想』によって構成されている創作小説ならば、必要となるのは己の理知のみ。
それ故に、物語じみた光景に人一倍の憧れが有るメルテッサは、伝説の竜を駆る女王の姿に感動すら覚えたのだ。
「早速だけど、本題に入らせて貰うわねぇ。レジェンダリアに降伏する気は無いかしら?」
レジェリクエが胸に付けているマイクを通してメルテッサの好意を聞き取ったテトラフィーアは、さっそく戦闘管制を開始した。
交渉する余地ありとレジェリクエに報告し、自分は聞き役に戻る。
「降伏ねぇ。既にブルファム王は調印し、国際上はレジェンダリア国の統治下にあるというのに?」
「国際情勢なんて無視できる力を持つ貴方がいるから、この戦争が終わらないって言ってるのぉ」
ブルファム王位なんてどうでもいい。そんな感情を含んだ返答に対し、レジェリクエは想定内だと奥歯を噛み締めた。
これは、想定しうる可能性の中で最も高いと判断した、最悪のシナリオ。
メルテッサの思惑は戦争や国といったものに由来するものでは無い、個人的な感情の結果だった。
「王位に興味が無いって顔をしているわねぇ?」
「まぁね。ただ、しいていうなら、ロイがそこに居る意味は知っておきたいかな」
「指導聖母としての情報網を持っているなら、分かるんじゃないかしら?」
「本当に興味が無くてさ。まぁ、ここまでくれば馬鹿でも分かる。ロイはぼくの兄だったんだね」
抑揚のない平坦な声で語られたそれには、僅かに吃驚している程度の感情しか込められていない。
アルファフォートの様に取り乱さなかったのは、こうなる可能性を考慮していたからだ。
「次代のブルファム王はロイが継ぐ。正当な血筋を持つ王位継承であるからこそ、ブルファムの支配系統をそのまま残す事も出来るわ。指導聖母としての立場も変わらないわよ」
「本当に興味が無いんだ。ぼくが望むのは平和という名の停滞では無く、戦争という名の向上だからね」
「向上ねぇ。それが目的だというのなら、ロイの代わりに王位を継ぐのはどうかしら?」
指導聖母・悪性としてのメルテッサは、ブルファム王国を実効支配していたと言っていい。
調停役である王は病に伏せ、多くの実権を握っている指導聖母は彼女の統治下にあるからだ。
「いらないよ、そんな物。もっと直接的な向上が目の前にあるというのに」
「王というのは、貴女が思っているほど安い物では無いわ。国を豊かにするのも向上の一形態よ」
「それは所詮、他者由来だ。ぼくが欲しいものじゃない」
レジェリクエは既に支配声域を発動し、偽りのない感情をメルテッサへと向けている。
敵意や大前提を無視した純粋な言葉での説得であり、長年連れ添った友人の様な気安い会話だ。
だからこそ、テトラフィーアが聞き取った拒絶は覆せないとレジェリクエは判断した。
「では、貴方は何が欲しいのかしら?」
「言っているだろう。向上だ」
「それすらも、貴方が拒絶しているように見えるのだけれど?」
「拒絶しているのはぼくの方じゃない。世界がぼくを拒絶しているんだ」
「どういう事かしら?」
「物質主上なんて力のせいで、ぼくは向上というものを経験した事が無い。行った全ての事象は過去最高であり、他者依存。それよりも優れている事も劣る事もなく、そうして生まれた究極の『悪平等』がメルテッサ・トゥミルクロウという存在だ」
静かに、だが、強い口調で語られた言葉には悲しみの感情が宿っている。
テトラフィーアに言われるまでもなくそれを聞き取ったレジェリクエは、僅かに眉をしかめた。
確かに、物質主上は向上心を得にくい能力ではある。
だが、それらを使い、人間が持つ欲求を満たすことは可能だと思ったのだ。
「幸せは人によって違うわ。道具を使っての向上は出来なくとも、それで得た結果での満足は出来るでしょう?」
「人間が持つ三大欲求の話かい?生憎と、僕はそれを持ち合わせていないよ」
「根源的な欲求を持っていない?そんな事は……」
メルテッサの言葉は信じられるものではなく、普通に考えれば嘘だと断じられる。
だが、そこに嘘偽りは無いとテトラフィーアが証言した。
それを以て、メルテッサは『ただの人間』だという大前提が崩壊していく。
「物質主上なんて力を与えられた代わりに、僕は悦びを感じる心を授からなかった。三大欲求、『食欲』『睡眠欲』『性欲』。それらを僕は感じる事が出来ないんだ」
「まさか、そんな事が……?」
「キミが言うように、人生は人それぞれだ。そして結局、どれだけ満足できたのか。それに尽きるとは思わないかい?」
「理解できるわ。女王の贅沢な生活での苦悩と、平民の貧しい生活での幸福。そのどちらも知っているから」
「でもね、人に存在するという三大欲求じゃ、ぼくは悦びを感じることが出来ない。 何を食べても多少の違いはあれど大した刺激にはならないし、睡眠をとっても眠る前と変わらず同じ状態だ」
「根源的な快楽すら感じないですって……?じゃあ、貴方はどれほどの虚無感を抱いてきたというの……」
「あ、そうそう。キミが好きな性欲だけれどね、試してないし試す価値もないと思ってるよ。半ば強制されてる食欲と睡眠欲ですら大した刺激がないのに、性欲がそれより優れた悦びを産み出すとは思えなくてさ」
レジェリクエは心の底から戦慄した。
数多の亡命者を受け入れてきた彼女は、涙を流し絶望する人々が味わった苦悩を知っている。
だが、そんな人達の絶望は、美味しい物を食べ、眠りたい時に眠り、好きな人に愛されたという過去の幸福の上に成り立っているものだ。
そして、それすらもメルテッサには与えられていない。
人間としての最低限の幸福すら持っていない彼女は、レジェリクエが知る限りで最も『悪性』。
幸福を知らない人間にそれを説いた所で、何の意味もありはしない。
「そうだったのね。可哀そうな子」
「憐れむのはやめたまえ、もう過ぎた事だ。ぼくはもう、悦びを見つける事が出来る。奇しくも、あんなに嫌悪していた物質主上を使ってね」
「貴方が望むのは向上……、いえ、成長だった。だから、既に決着が付いていた戦争の結果を覆す事で、己の成長を実感しようとしている」
「そうだよ。誰が王位を継ぐかなんていう結果はどうでもいい。過去のぼくには出来なかった事を、今のぼくならできる。その証明をしたいんだ」
成長に伴う悦びを感じる事が出来ないメルテッサの、初めての快楽。
それが戦争であったことに、レジェリクエは悲しみを覚えた。
戦争とは、方法。
それ自体を目的にしてはいけない。
そんな姉の言葉を思い出し、用意していた甘い選択肢を切り捨てる。
「分かったわ、戦いたいのね。……やるからには殺すわよ」
「こんな人生に未練なんて無い。生きているのも惰性なんだ、終わるならそれでいい」
メルテッサは言葉を吐き捨て、レジェリクエは腰にぶら下げていた一切合を染め伏す戒具を手に取った。
そんな一触即発となっていく空気、それを遮ったのは……、ロイだ。
「……待ってくれ。戦うのは最後だと言っていただろうッ!!」
ロイに取って、メルテッサは手の掛らない妹の様な存在だ。
東塔に出入りするようになったのは、ロイが6歳の誕生日を迎えた時。
今年で14年目にもなる往来は、友好を超えて親愛を向けるには十分すぎる。
実際に血が繋がっていると知らなくとも、ロイは彼女達を姉妹の様に思っていたのだ。
「レジェリクエ陛下、戦うのは最後の手段では無かったのですか。まだ何か……、皆が幸せになる未来があるはずです」
「えぇ、最後の手段よ。余とメルテッサが共に幸せを望んだ、最初で最後の手段」
「殺し合う事が幸せだと……ッ!?」
「そうよ。これは、メルテッサが初めて望んで手に入れようとしている、誰に与えられたものではない……、幸福」
今までの話を聞いていたロイにも、この戦いを二人が望んだのは分かっている。
だが、ロイには到底理解できるものではなかった。
向上した事が無いというメルテッサ、その成長をロイはずっと見てきたからだ。
「メルテッサ、キミが寂しい思いをしていたのは分かった。だが、もうそんな思いをさせはしない。王となった僕がキミの幸せを見つけてみせる」
「魔王と聖母の戦いに水を差す様な事を言わないでくれ。……恋愛小説も嫌いじゃないけどね」
「キミの方こそ、茶化すのは止めたまえ。僕は東塔で姫達を見てきた。知っているんだ。キミの成長を」
「ぼくの成長……?」
「僕が初めて会ったキミは、言葉数が少ない女児だった。それも、礼儀も王族マナーを知らない不出来な子。キミは孤児院育ちだったからね」
「そうだが、それがなんだというんだ」
「だが、今は姫達の中で最も礼節を弁え、王族としての知識も深い。それは、キミが成長したからだ」
「……、」
「キミは成長していないんじゃない。自分の成長を正しく認識できないだけなんだ」
そんな事は言われなくとも、分かっている。
だが、誰かに与えられた向上に何の価値があるというんだ。
そう断じようとしたメルテッサだが、喉元が緩み、言葉を発する事が出来なかった。
誰かに認めて貰ったのは、いつ以来だろう。
指導聖母として素顔を隠して暗躍し、少なくない功績を上げてきた。
そしてそれは、メルテッサとして記録される事は無い。
気が付いていたんだ。指導聖母では、メルテッサは成長できないのだと。
「認識阻害の仮面か……。まったく、キミの事がますます嫌いになったよ、悪辣」
「メルテッサ、今ならやり直せる。降伏するんだ」
「……嫌だな」
「なっ」
「嫌だよ、ロイ。せっかく始めた挑戦を投げ出すのは嫌なんだ。それじゃ、今までと変わらない」
病的なまでに白い肌と、くすんでいた無機質な瞳。
陶磁器の様な美しさを持つ彼女だが、それは同時に、生物らしさが無いということ。
そんなメルテッサは、生まれて初めて、身体に血が通った気がした。
「前言を撤回して良いかい。レジェリクエ女王」
「なにかしら?」
「キミを倒してブルファム王位を奪い返す。もう二度と仮面を付けなくて済むように」
「良い顔立ちになったじゃない。でも、余が有している戦力は圧倒的よ。勝てるのかしらぁ?」
支配声域を通じて、心の底からの嘲笑を贈る。
くすくすくす……と嗤うレジェリクエの声は、生まれ変わったメルテッサへの手向けの花だ。
「あぁ、その点は心配はいらないよ。神様が言うには『物質主上』の前では、レジェリクエも、テトラフィーアも、リリンサも、ラルラーヴァーも話にならないってさ」
「なに?」
レジェリクエが上げた疑問の声は、二重の意味を持っていた。
メルテッサの言葉に対応する返事と、テトラフィーアの戦闘管制への相槌。
そして、より驚愕が大きいのは『空に特大の魔力反応が出現した』という報告の方だ。
「キミらのアホの子が、全長500mもある特大のプレゼントをくれてねぇ」
「……あはぁ。何度、余の邪魔をすれば気が済むのかしらね?」
「これに戦況を覆すに足る力がある事は、よくご存じだろう?」
曇天の空ごと次元を割って出現したのは、腹部に巨大な穴を開けた全損不可避な、天穹空母―GR・GR・GG―。
決して動くはずのないそれは、事実、動力機関部が吹き飛び空洞となっている。
だが、失われた機関部は魔法陣で再構築され、周囲の機械部を正常に動かしていた。
「これは文字通り、神から与えられし力。ぼくやキミが持つ特殊能力が『世絶の神の因子』なんて呼ばれているのは、世界を終わらせる為の力だからだよ」




