第130話「理の超越者①」
「あらぁ、錆鉄塔って聞いていたけれど、随分と情緒が有るじゃない。良い趣味してるわねぇ」
荘厳に飛ぶ冥王竜の頭上に君臨しているレジェリクエは、近づいてきた目的地を見て感嘆の声を上げた。
女王である彼女は、美しい古城や歴史的価値のある教会などは訪れたことがある。
だが、遺棄された崩壊寸前の施設などとは縁遠く、近くで見る機会を設けた事もない。
そんな関わりがない場所へ向かっている理由、それは……、ブルファム王国最後の指導聖母・メルテッサがいるからだ。
「レジェリクエ陛下。確かに僕は、メルテッサは古びた施設にいるだろうと言いました。ですが、似たような施設が他にもある中で、どうして、あの錆鉄塔だと確信しているのですか?」
「教育問題よぉ、何でだと思う?」
「……魔法、いや、確定確率確立での予見でしょうか?」
「不正解ぃ。相手の位置を探る程度じゃ使っていられないわよぉ。正解は……」
「正解は?」
「心理学的考察と、三角測位による位置割り出し。貴方にも出来る技量を使って探したのよぉ」
レジェリクエの遥か後方、冥王竜の翼の根元にしがみ付きながら、ロイは青い顔で目を見開いた。
動向を掴めていない敵の位置を把握する方法など心当たりは無く、ましてや、それが自分にも出来る方法だと言われても理解ができなかったからだ。
だが、レジェリクエに真剣な瞳を向けられてしまえば、自分の勉強不足だと納得するしかない。
そうして出来た教えて欲しそうな表情で、話の続きを促した。
「知識があれば僕にもできるという事は分かりました。ならばこそ、その知識の御教授を賜りたい」
「まず見るべきは人間の承認欲求。『自分が起こした行動の結果を、直接見たい』という心理があるの。放火犯は現場で火事を眺めているという故事を知らないかしら?」
「聞いた事がありますね。なるほど、この付近にいた兵士が、最も早く物質主上の影響を受けたという事ですね?」
「あの錆鉄塔は、最初に効果が出た場所から見える位置にあるわ。メルテッサは望遠鏡などを使って覗いているんでしょうねぇ」
「望遠鏡も魔道具か……、だが、この南にも似たような鉄塔が有ります。そっちの可能性は無いのですか?」
「三角測量的に考えて、そっちからじゃ見えないのよ」
ロイが例えに出した鉄塔は劣化が進み、先端部が折れてしまっている。
必然的に視線の位置が低くなり、見渡せる景色も狭い。
レジェリクエとテトラフィーアは、そういった事前に収拾していた地形情報や数学的計算式に基づき、この錆鉄塔がメルテッサの現在位置だと割り出したのだ。
「王になるには数学も必要になるのか。あの、僕は文系なのですが……?」
「全部を一人でやる必要は無いわぁ。ただ、部下に指示を出す為には広い知識が必要となる。辞典の目次だけを覚えておくような感覚ね」
「なるほど、何の知識が必要なのかさえ分かれば、後は専門家に聞けばいいと。勉強になります」
「でも、全部を他人に任せるのはダメよぉ。『他の追従を許さない、何か』を持つ事が王としての資格なのだと、余は思うわ」
王とは人に指示を出し、国益を得る職業だとロイは思っている。
その考え方に基づくならば、多くの事案を同時に処理するために配下を上手く使うことが王の資質だ。
だが、レジェリクエはそれを否定した。
「それは、なぜでしょうか?秀でた部下に支えられた王の話など、歴史書を紐解けば数多く出てきますが」
「端的に行ってしまえば舐められるからよ。『他の追従を許さない』とは統治している地域で一番になるという事であり、尊敬の対象となるわ」
「そうか。秀でた部下に信頼されるには、その部下が出来ない事を出来る必要がある。相互扶助関係になっているのですね」
「余の同胞、心無き魔人達の統括者は、それぞれの得意分野で大陸最高峰を担っている。一見して地味なメナファスでさえ、裏社会知識では余の上を行くわ」
「メナファス・ファント……『赤髪の魔弾』ですね。子供の頃、夜更かしをしていると誘拐されて食べられてしまうと怖がらせられたものです」
「実際のメナファスは子供が大好きな保母さぁん。そして、子供を食べちゃうのは余の方よぉ。くすくすくす……まったく、酷い噂だわぁ」
「……。えっっ」
ロイと会話をしているレジェリクエだが、その視線で錆鉄塔を注意深く観察している。
こちらから錆鉄塔が見えている以上、メルテッサからもレジェリクエの姿が見えているからだ。
そして、それを理解した上で憚る事なく会話をしているのは、メルテッサの動きを観測する為だ。
『こちらテトラフィーア、対象に変化なし。魔力も感知されておりませんわ』
「c1、dd3」
『了解。星型五角形に伝令――、』
傍受される可能性を考慮し、レジェリクエは決めておいた記号で返答をする。
二人が狙っているのは、女王自らを囮として見せつけ、錆鉄塔の周囲に設置した観測員にメルテッサの動きを補足・分析させることだ。
これが戦争である以上、一騎打ちなどというのは愚行。
軍を用いて勝つ事こそが施政者の戦いであり、レジェンダリアが持つ優位性だと分かっているレジェリクエは、それを十全に発揮して敵を追い詰める作戦を選んだのだ。
「レジェリクエ陛下、一つ良いでしょうか?」
「なにかしら?」
「メルテッサを……、殺すのですか?」
この戦争では一人も犠牲者を出さない。
そう宣言して始まった戦争だが、もう既に犠牲者が出てしまっている。
そしてそれは、メルテッサの意思によるものだった。
責任は彼女にあり、それに対する懲罰も必要だろう。
それを理解しているからこそ、メルテッサと親しい関係のロイは奥歯を噛みしめている。
「えぇ、場合によっては殺すわね」
「迷いが無いんですね。それも、王になる為の資質ですか?」
「そうよ。王とは取捨選択をする職業。全てを救うなんて偉業は英雄の領分だもの」
その言葉を聞いたロイは、冷酷な判断だと思った。
仕方が無いというのは分かっている。
それでも、一人の人生を奪う権利が、同じく一人の人間である自分にあるのか?と考えてしまったのだ。
だが、もう一人の傍聴者のテトラフィーアが抱いた感情は違うものだ。
レジェリクエが英雄を目指している……、全てを救う者になりたいのだと知っているからだ。
「顔を上げなさい、ロイ。王が下を向いて良いのは、民衆への演説だけよ」
「分かってはいるんですが……、僕にはまだ、割切る事が出来そうにありません」
「なら、なおさら下を向いている暇は無い。時間を無駄にすれば、取れる手段が狭まってしまうのだから」
「ではっ!?」
「メルテッサを殺すのは最後の手段よ。まずは余の軍門に下らないかと打診し、断られたら、今まで通りに指導聖母の立場を保証する等の交渉をする。それが、余の感情論ではないのには気が付いているわよねぇ?」
「ブルファム王の娘であるメルテッサは、殺してしまうと禍根が残る、か……」
「そう。メルテッサを殺すのは、生きていると発生する不利益が禍根を上回ると判断した場合よ」
ブルファム王として内定しているロイが、レジェリクエに対して不信感を持つ。
それは新たな戦争の火種であり、数百万人の人生を揺るがせかねない事態だ。
それを上回る不利益など無いと思ったロイは安堵し、僅かに肩の力を抜いた。
もしもの時には自分を差し出してでも、メルテッサの存命を願い出るつもりでいたからだ。
「さて……、テトラも見えているかしら?」
『はい、メルテッサの姿を確認しましたわ。音響測位探知では周囲に人影は無し。一人で待ち構えています』
レジェリクエが見ている錆鉄塔の最上部はアンテナ台となっており、直系10m程の円形だ。
そして、劣化によって角度が変わり水平になっているその上に、メルテッサは現れた。
「対話をする気は有るみたいねぇ。プルゥ、アンテナ架台に身を寄せなさい」
「うむ。だが、レジェリクエよ、あ奴からは強い神秘性を感じる。気を付けるのだぞ」
メルテッサの周囲に渦巻く魔力に危機感を抱いた冥王竜が警告を発し、レジェリクエは頷いて答えた。
世絶の神の因子を持っていないロイですら、今のメルテッサは別人のように感じている。
ただ立って空を見上げている姿でさえ、近寄りがたい雰囲気。
それはまるで、神に憑かれているかのようだと、ロイは思った。




