第121話「目標との邂逅①」
「ちょっと待っ……ッッ!!」
振り翳された赤い魔剣が俺の前髪を切り裂き、クルリと刃を返す。
まるで、「ちょっと待ったよ」とでも言いたげな追撃の構えが狙うのは……、俺の首筋だ。
「《重力破壊刃ッ!!》」
真っ直ぐに突き出された刺突。
それを迎え撃ち、叩きつけた衝撃を使って距離を取る。
身軽なレラさんは吹き飛ばされながらも余裕で態勢を立て直して、無音で着地した。
「流石ユニくん、ちゃんと目で追えてるじゃん!」
「リリンと一緒に強くなった自覚があるからな。回避くらいはできるさ」
「んー、おねーさんが褒めたのは視線の話。回避は失敗してるよ」
「……は?」
つぅ、と俺の首筋に汗が伝っていく。
この感覚は汗だ。汗のはず……。
痛みは無く、知覚も無かった。
だが、俺が汗だと思った液体は紛れもない――、血液だった。
「ははは、なんだよこれ。痛くもねぇのに血が出てやがる……」
「皮膚の表面たる表皮、その最外側は角質層っていって痛覚が存在しない。血だって血管を裂いた訳じゃないから、すぐに止まるよ」
「今の一瞬で、そんな手加減をしたっていうのか?」
「だってユニくん、待ってって言ったじゃん」
にこにこと笑う表情は、俺の知るレラさんのものだ。
俺が我儘を言い、それを逆手にとって罠に嵌め、たしなめる時に浮かべる笑顔。
とても懐かしいそれが、今は、ただただ恐ろしい。
「おねーさんが本気で戦いたがってるってのは、これで分かってくれたかな?」
「あぁ、全力で対処しなくちゃ切り捨てられる事も、対処したにも拘らず切り捨てられそうな事も理解した」
「おっと、ずいぶん聞き訳が良くなっちゃって、可愛くないなー」
「……なぁ、レラさん。何でこんな所にいるんだよ。何で戦場で剣を向け合わなくちゃいけないんだよッ!!」
随分と声を荒げてしまったが、状況は理解できている。
レラさんの正体は『英雄・ローレライ』で、レジェンダリアの王位継承を引き起こした末にレジェリクエに王位を譲り、俺を育て――、そしてプラムさんを攫った。
だが、時系列が膨大すぎて、それぞれの経歴が結び付かない。
あんなにも優しかったレラさんが、500人もの人間を虐殺できるローレライ……?
そして今は、俺達の敵……?
ははは、嘘だろ……?
「ユニくんはレジィほど賢く無いからにゃー。ちゃんと説明しなくちゃ分からないか」
「馬鹿な俺でも分かる様に教えてくれ、昔みたいにさ」
「まず、おねーさんはブルファム王国に与していない。レジィのおねーさんとしての興味があったから見に来ただけ」
「見に来ただけ……?敵じゃないって事か」
「そうそう、おねーさんとして純粋に応援に来ただけだよ。だから、最低限の干渉しかしていない。この戦争はレジィのだから」
大魔王陛下を「レジィ」と呼ぶ声は、俺を「ユニくん」と呼ぶ時と同じものだ。
そこに込められた親しみを感じ、僅かな嫉妬を感じそうになる。
「大魔王陛下のおねーさんだって言うんなら、俺達が剣を向け合う必要は無いよな?」
「にゃはは、あんなにちっちゃいレジィが大魔王ってだけで超面白いんだけど!」
「真面目に答えてくれよッ!?」
「殺し合う理由が聞きたいって事でいいのかな?」
ぞわり。っと背筋が粟立ち、ガチガチと奥歯が鳴った。
ついさっきまで俺とレラさんの距離は3m程もあったはずだ。
だが今はレラさんの顔以外が見えないほどに近く、俺の頬には冷たい左腕が添えられている。
「う、うわぁあああ!!!!」
「女性の顔見て悲鳴を上げるなんて、殺される理由には十分じゃないかな?にゃはは!」
ケラケラケラと腹を抱えて笑うその仕草は、じじぃに仕掛けた悪戯が成功した時のもの。
この爆笑具合は、湯呑の底にワサビを仕込んでいた時のだろうか。
からかわれているのは分かっている。
だが、向けられる殺気は正真正銘の本物で。
訳が分からないが、きっと、油断すれば殺される。
「はぁ、はぁ、っく!何なんだよさっきからッ!!今が戦争中だって分かってんだろ!?」
「分かってるさ。ユニくんよりも、深く深く分かってる。なにせ、おねーさんは神様の目を持ってるからね」
「口癖だったよな、それ。……で、「ちぇ、そんなん使われたら勝てないじゃん」って俺が言う訳だ」
「そうそう、懐かしいね」
「なぁ、俺達が戦う理由って何だ?これだけ茶化すんだから、ちゃんとした理由があるんだろ?」
レラさんは知られたくない事を隠す時は、茶化して誤魔化そうとする。
今になって思えば、ナユタ村での暮らしはおかしい事ばかりだ。
タヌキの強さ……、アイツは本当に神話クラスの害獣だったから良いとして、真頭熊やら破滅鹿やらが頻繁に食卓に並んでいたのはおかしい。
そして、その獲物を狩って来たレラさんに話を聞こうとすると、いつだって誤魔化されていた。
「最初は純粋に、ユルドさんの息子ってどのくらい強いのかなっていう興味があった。結局、おねーさんが戦う前にユニくんは記憶を失っちゃった訳だけど」
「ユルドさん……、ってことは、昔の親父を知ってるのか?」
「昔というか、今のユルドさんも知ってるよ。ユニくんの面倒を見ていた時も割と頻繁に会ってたし」
「いつ会ってたんだよッ!?あんの全裸親父がナユタ村の近くに来てたってことかッ!?」
「郵便を持ってくる冒険者いたじゃん。あれ、ユルドさん」
「……全裸親父の癖に変装してんじゃねぇええええええよッ!!!!!!」
こんの、英雄ぜんら……郵便変装親父ィィィィ!!!
何度息子を馬鹿にすれば気が済むんだァアアアアアッッ!!!!
つーかてめぇ、月2ペースで村に来てんじゃねぇかッ!!!!!
「はぁ……はぁ……。絶対に殴るからな、親父」
「ま、ユルドさんは優しいから殴らせてくれるよ。ダメージを与えられるかは別問題だけど」
「くっ!!って事は、レラさんは親父に言われて俺の面倒を見てたって事か?」
「いいや、お師匠に言われてだね」
「お師匠だと……?それって確か、王位継承問題を止めたっていう……、まさか」
「ナユタ村の村長、あれ、初代英雄・ホーライ」
「てめぇもか、村長ィィィィィ!!!!!!」
伝説の師弟が結託して子供を騙すなんて酷過ぎんだろッ!!
育児放棄どころか、児童虐待だぞッ!!
警察に訴え……ても勝ち目が無いから、不安定機構にでも――、あ、繋がっちゃいけないもんが繋がった。
「なんかもうさ……。大聖母ノウィンが黒幕?」
「正解。筋書き書いたのあの人らしいよ?神様に献上する冒険譚だとか」
「黒い……、俺の周囲にいる奴らが全員残らず黒い……。あ、タヌキだけは茶色い……」
「昔っから気になってたけど、ユニくんのタヌキに対する執着って何なの?」
「記憶を失っても、忘れられない事はあるんだ」
このままタヌキ談義を始めてもいいかと思うくらいに、精神的なダメージを負った。
というか、さっきからふっくらタヌキ共の鳴き声がしないな?
プラムさんを見つけた訳だし、アルカディアさんが騒いでも不思議じゃな……、あぁ、弁当を食ってんのな。
「つーか、あんのショボくれた村長が本物のホーライなのかよ。レベル9981だっただろうが」
「おねーさんもそうだけど、英雄は自分のレベルを下方表示してる。そうしないと生活しにくいから」
「全くのデタラメって事か?」
「いいや、大体は下四桁か五桁を表示するね。そうすると緩やかにレベルが上がって行くから、頻繁に変えなくて良いんだ」
「レラさんのレベルは7000台だったよな。じゃあ、今は?」
レベル目視状態でレラさんに視線を向けても、数字が浮かんでこない。
何らかの認識錯誤で非表示にしているんだろう。
そう思っていると、パチンとレラさんが指を鳴らした。
そしてそこには、『―レベル262988―』と書かれている。
「レベル26万……、だと……っ」
「そうそう、そうなる訳。意図的にした時は楽しくて良いけど、街ですれ違う人にそんな顔されたらウザいでしょ?」
「まぁ、確かにそうだけどさ。ちなみにじじぃは?レベルが上がったの見たこと無いんだが?」
「上四桁だから、なかなか上がらないね」
「……?」
「村長のレベルは『998001』」
「きゅうじゅうきゅっまっ……」
「おねーさんの4倍近いとか、どう考えても人間じゃないでしょ。絶対に妖怪だね!」
……うん、完全に同意だ。
化けクソタヌキと互角以上に渡り合う夜叉に違いない。
「はぁ……、もういいや。そんで、レラさんが俺と戦う理由が出てこねぇんだが?」
「にゃはは、前のユニくんなら、これで煙に巻けたのになー」
「残念な事にリリン達と……、特に大魔王陛下と交流するようになってからは飛躍的に動じなくなったんだ。簡単には流されねぇよ」
「ホント残念。……おねーさん的にも、そしてユニくん的にも、ここで殺し合うのは有意義。お互いに望むことだよ」
「俺が殺し合いを望む?そんな事は絶対ないって言ってんだよ。レラさんは何がしたいんだ?俺は、レラさんの事……家族だと思っているんだぞ!?剣を向け合うのは間違ってるだろッ!!」
「人間関係を一人で決めないで欲しいね。ユニくんが戦いたくなくとも、おねーさんは戦いたいと思っている」
「何でそこまで……ッ!?俺が何かしたのか?」
「英雄ローレライとしては次の英雄、その実力を知っておきたい訳さ。それがおねーさんの理由」
そう言えば、レラさんはプロジアの側近メイドと戦ったと言っていた。
この世界にいる強者を知っておくのは必要で、それが理由で目を付けていたミオさんを助けたのかもしれない。
だが……、
「なら、もっと穏便な方法があるだろ?大魔王陛下とも会ったって聞いたけど、戦ってはいないよな?」
「レジィの強さは知っているし、テトラフィーアちゃんは英雄になる気は無いって言ったからね。襲う理由が無いよ」
「じゃあ何で俺はダメなんだ……?」
「おねーさんが殺さずとも、殺されるから」
「……え」
「これはレジィの戦争だ。だから、これ以上は何も語らない」




