第117話「戦線復帰④」
「ぐるぐる……、きんぐぅー!!」
熱波が蠢く轟炎の渦中、君臨せしは偉大なる眷皇種。
万雷すらも支配した英知は、古の皇狐が娘を預ける程に信頼が高い。
矮小なる人間の戦乱なぞ、児戯。
本気を出す必要性すら感じぬが――、『キングフェニクス』としての初陣は相応しいものにする必要があるだろう。
申し訳ないとは思っている。
だが、女王との盟約がある以上、お前達は我が贄となる運命なのだ。
そんな意味を込めて、キングフェニクスは高らかに鳴いた。
「ぐるぐる……、きんぐぅー!!」
「おい、これはなんの冗談だ?ストライン?」
だが、二度目の決別を行使したヴァトレイア達に取って、この鳶色鳥は闖入者でしか無い。
ましてや、鏡銀騎士団に属する冒険者である彼らは、貴族からの依頼で鳶色鳥捕獲任務を何度も受けている。
それゆえの失笑。
焼き鳥屋を助けに来たのが鳥という事も踏まえると滑稽でしか無く、失笑と侮蔑を込めた薄ら笑いを浮かべた。
「……はは、冗談じゃねぇぞ」
「なんだ。自分でも笑ってるじゃねぇか。つーか、腹焼かれてんのに喋る元気があるんだな」
「まったくもって冗談じゃ済まされねぇよ。なにせ、お前らは卵だ。本物の鳳凰に勝てる訳がねぇ」
「鳳凰?くはは、痛みで幻覚を見てらぁ。……すまん、今、楽にしてやる」
それだけ言ったストラインは満足そうな笑みを浮かべ、大地に寝そべった。
自分は重傷を負っている。
これ以上に無理をして体力を消耗すれば、女王陛下の命令に背きかねない。
五体投地となったストラインは、四肢から力を抜き、天空を見上げた。
彼は既に、此処が戦場だとは思っていない。
偉大なる鳳凰が君臨する『ただの狩り場』だと知っているからだ。
「あぁ、昔のよしみで教えてやる」
「運に任せんのはダメだよなぁ。二度も失敗してんだ、この手でお前を殺すしか――」
「そのお方こそ、レジェンダリア国・侵略大臣。キングフェニクスⅠ世様だ」
「……は?」
「……は?」
「……は?」
「……は?」
四つの疑問の声を掻き消したのは、『鋼鉄の花』が開花する音だった。
ヴァトレイアはストラインの首を落そうと、炎を弱めた炎上剣を振り上げていた。
そして、その灼熱に耐えられるように鋼鉄で出来ていた剣は啄ばまれて変形し、刀身に銀色のアサガオを裂かせている。
「は?」
「は?」
「は?」
「は?」
自重に耐えかねた刀身がポロリと大地へと落ち、ヴァトレイアの相棒が死んだ事を悟らせる。
鳳凰の卵として活動していた時、運よく手に入れる事が出来たこの魔剣は、ヴァトレイアの生涯を支える予定だった。
こんな所であっけなく、ましてや、意味も訳も分からず、剣としての形状すらも失われる程に破壊されるなど、想像すらしていない。
「はぁ?」
「はぁ?」
「はぁ?」
「はぁ?」
「《絶雷守癒聖籠!!》」
停止した思考でも、目からは情報が入ってくる。
現在進行形で流れていく映像は、まるで意味が分からない光景だ。
大地に寝そべっているストラインの腹の上に謎の鳶色鳥が立ち、翼を広げた。
幾度となく捕らえた、むしろ生かして捕らえるのが難しい、弱者の代表例だった鳶色鳥。
それが嘶きを発し雷を放つという、信じ難き光景が繰り広げられている。
鷹揚と広げた翼の動きに合わせて散らばった雷光は規則性を帯びて並びーー、傷付いた小鳥を介抱する為の『鳥籠』と化した。
「あったけぇ……。焼かれた腹が薄らと痛痒いが……。これが本物の不死鳥の治癒の炎……」
……いや、それ、ゲロ鳥だし、喰らったのは雷だぞ。
そんな視線を無視したストラインの体中には微弱な電流が流れ、長年の冒険者稼業で凝り固まっていた肉体を弛緩させた。
それは、緊張している筋肉の強張りだけではない。
生物として活動する上で常に動き、睡眠時すら完全に緩む事のない『心筋』や血管を動かす『平滑筋』すらも緩めさせ……、胎児が肉体を形成する時と同等の、原始の回復力を発揮させる。
「ストライン、なんかおかしいわ」
「二週間ぶりに俺と口を利くくらいには嫌な状況って事か?ヴィシャ」
「つっ……!」
「冗談だ。鳳凰だのフェニックスだの名乗ってやがる大層なゲロ鳥だが、コイツは捕まえる必要がねぇ。焼き鳥にすんぞッ!!」
ギスギスした雰囲気を拭えないまま、ヴァトレイアは腰に差していた代わりの剣を抜き構えた。
これは鏡銀騎士団に属している者に与えられる標準装備だが……、炎系の魔法陣が付与されている炎上剣と同等の性能の魔剣だ。
「フーシ前に出ろッ!!ヴィシャ、水魔法。ドゥーマ、アンチバッファで速度を殺せ!!俺が仕留めるッ!!」
ヴァトレイアの治癒力を促進していた鎧は砕かれ、足からは再び鈍痛がするようになっている。
動き回るのは得策でないという判断は、正解か、失策か。
その答えに意味などないと、キングフェニクスのみが知っている。
「俺は足を怪我してるんだ。お前ら、コイツをおびき寄せろ!!」
「《局地収斂雷過!》」
「今度はなん……、か、身体が勝手に!?!?」
ヴァトレイアは、動かないつもりでいた。
足に怪我をしているのも理由の一つ。
だが、ここ最近行った野生動物との戦いでも、ヴァトレイアは前に出ていない。
同じく前衛職であるフーシが敵をおびき寄せ、後衛の二人が敵の戦力を削ぐ。
そして、弱らせた所をヴァトレイアがトドメを差すという、不公平な役割分担が基本となっている。
だが、そんなものは、矮小な人間側の都合でしか無い。
キングフェニクスが唱えた魔法、それは、生物の体内を流れる血液にマイナスの電荷を与え、自分にプラスの電荷を纏う事で引力を発生させる大規模殲滅魔法。
強い意志を持って全力で抵抗をしない限り、指定範囲内にいる生物の全てはキングフェニクスの元に集う事になるのだ。
「ぐあっ、い、痛い痛い痛いッ!!だれか、止めッ!!がッッ!!」
前衛として肉体を鍛えているヴァトレイアとフーシは、突然の引力に逆らわない動きをする事で肉体を守った。
だが、魔導師であるドゥーマは圧力を受け流す事が出来ずに転倒し、びしゃり。っと地面へ叩きつけられている。
そして、倒れたからといって引力の影響から外れる訳もなく……、ジャリジャリと地面に擦られて血塗れとなり、突き出していた岩に頭をぶつけて意識を失った。
「ドゥーマは無視だ、フーシ!さっさと前に出ろ!!」
「……あぁ」
意識を失ったドゥーマは岩に引っ掛かり、ぶらぶらと揺れている。
このまま置いておけば手と足に酷い裂傷を負うだろうが、幸い、仰向けなお陰で顔は無事だ。
早々に見切りを付けたヴァトレイアだが、そもそも、それ以外の選択肢が用意されていない。
強制された近接戦闘に逆らう技量など、彼らは始めから持ち合わせていないからだ。
「お前は普通の鳶色鳥ではなさそうだ。殺す」
腰に差した二対の長剣を抜き、フーシは流れに身を任せて走りだした。
彼が持つ剣『空想剣』には、ヴァトレイアの炎上剣のような一撃で命を奪う攻撃力はない。
しかし、それを補って余りある手数の多さを実現する、速度上昇の効果が備わっている。
「《音速の剣技・イタチ風!》」
風を切り裂く音速の太刀筋、それはフーシの全身全霊を賭した必殺技。
そしてこの瞬間、彼の人生で最高の威力を発揮することになる。
特殊な保護膜に覆われている空想の剣は、刃に受ける抵抗を減らす。
空気抵抗は勿論、物体を切断する時の摩擦抵抗も軽減し、なめらかな切れ味を実現するのだ。
そして、メルテッサの能力によって強化された現在、発揮する切れ味は、野生動物の肉を解体する時と同等。
一切の苦労を感じさせずに両断できるものとなっている。
一直線に迫る刀身、それに目もくれず、キングフェニクスは高らかに鳴いた。
「もらっ……」
「《電磁路回避!!》」
「……は?」
回避不能、防御不能、必中必殺であるはずの太刀筋が、自ら避けた。
鳶色鳥を切り捨てるはずだった剣筋は、その身に触れることなく進路を変更し、虚しく空気を切り裂いている。
そして、それから何度も剣を振るうも、目に見えない流れに絡め取られて避けてしまう。
フーシを襲っている未知の現象。
それは、キングフェニクスが新たに纏った『金属を反発する磁界』の仕業だ。
それを纏っている限り、金属で出来た武器が彼の身に触れる事は叶わない。
「くそっ!当たれ、当たれよッ!!当たれば、お前な――ッ!!」
「《至極電極蹴爪!!》」
目の前で起きたのは、スライスチーズを裂くように簡単な光景だったと、フーシは思った。
冒険者が重用する携帯食料の最たるものがチーズであり、持って来た塊をナイフで裂く光景は日常的に目にする。
そんな日常の様に、自慢の剣が簡単に斬り裂かれた光景を見て、フーシは絶句するしかできない。
キングフェニクスの脚に輝くは、雷光の蹴り爪。
雷が迸っている半月状のそれは、高めた電荷によって高帯電状態にある――、金属を容易に切り裂く、キングフェニクスの刃だ。
「ひっ!一旦、離れ……られなっッッ!?!?」
「《稲妻審撃!!》」
それは、声高らかな、別れの言葉。
自然界における雷は、一秒間に340mの距離を進む。
キングフェニクスが発動したのは、それと同等の性質を得る大規模殲滅魔法。
発動より5秒間、事実上の光速を得るという最高位バッファ魔法だ。
そして、キングフェニクスが発している磁界は、近づけば近づくほど強力になる。
手が届くまで接近してしまったフーシの体は引き寄せられ、逆に、持っていた剣の柄は反発し離れようとするのだ。
別々の方向に引っ張られた体は身動きが取れず、光速と同等の攻撃に成す術が無い。
持っていた剣の柄、装備していた鎧、所持していた小道具、その全てを一秒以下の時間で粉微塵に破壊されたフーシは、痛みを感じる間もなく意識を手放した。
「なんだ今のはッ!?鎧が役に立たなかっただとッ!?!?」
ヴァトレイアが言う鎧とは、鏡銀騎士団から支給されている白銀甲冑の事だ。
破壊される時に発生した装備者へのダメージを無効化する筈だったそれは無残に砕け散り、そして、無傷で生還する筈だったフーシは血だまりに沈んでいる。
その傷は、紛れもなくゲロ鳥の嘴に突かれた跡。
それは、今の一瞬で受けたであろう攻撃が複数回であった事を意味する。
破壊された時のダメージを無効化する鎧であっても、後に続いた数十回の刺突には対応する事が出来ない。
「《雷塊鉄集巨鳥!!》」
「今度はなんだッ!?一体何が起こってんだよッ!?!?」
キングフェニクスは身体から稲妻を発し、周囲一帯に散らばった金属片へと撃ち放った。
稲妻によって光を灯された金属片はカタカタと揺れ出し……、ふわりと空に舞い上がる。
偉大なる眷皇種である以前に、キングフェニクスは鳶色鳥だ。
故に、その遺伝子に刻まれた本能のまま、強固な巣を作る為の素材を収拾する。
無数に散らばった剣や鎧、魔道具の破片の数々の浮遊。
それは何も知らない者が遠目で見たならば、たんぽぽの綿毛が空へと舞い上がって行くような美しい光景だと思うだろう。
しかし、観察する事に長けている冒険者にとって、それと相対している敵にとって、その光が向かう先にあるのは、絶望。
仲間の装備が舞い上がり曇天の中に消えていき、そして。
雲の中で光が弾け、その中にいる得体のしれない巨大な鳥の影を浮かび上がらせた。
「なんだ今のはッッ!?なんだ!?なんか空に、い……る……?」
誰かが空に向けて放ったのか、巨大な炎が曇天に突き刺さった。
刹那、曇天だった天空の一部が吹き飛ばされ――、全長30mはあろうかという銀色の翼が相見える。
「馬鹿な……、あれは、冥王竜なのか……?」
ヴァトレイアとて、十分に優れた冒険者だ。
情報収拾の重要性は身に付けているし、冥王竜が顕現したという噂も聞き及んでいる。
だが、その正体が、稲妻によって結合している剣や槍、鋭利に尖った鎧の破片で出来た『鋼鉄の鳶色鳥』などというのは考えも及んでいない。
「は、はは、ははは、なんだよありゃぁ……」
「アンタっ、冥王竜は死んだって言ったわよね?ねぇ!!」
「う、うるせぇうるせぇ!!詰め寄ってくんな、うっとおしいッ!!」
「きゃあ!」
冥王竜などという特殊個別脅威は、自分の手に負える訳がない。
なにせ……、化け者揃いの鏡銀騎士団、その団長である澪騎士・ゼットゼロですら敵わずに戦死。
天より降臨した神の化身がようやく討ち取ったのだと聞いている。
そんな化物が生存していると知らされ、その責任を取れとばかりに詰め寄られたヴァトレイアは錯乱し、感情に任せてヴィシャを殴った。
今が戦闘中という事すら忘れ、押さえていた感情を爆発させる。
「いつもいつも俺のせいにしやがってッ!!上手く行かない事、全部が俺のせいかッ!?えぇ?お前だって俺に股を開いてストラインを裏切ったビッチだろうがッ!!」
「痛っ……、アンタ、そんなこと思ってた訳ッ!?」
「思ってたさッ!!お前が俺を断っておけばこんな事にはならなかったんだッ!!俺達が落ちぶれる事も、二度もストラインを殺し掛ける事も無かったッ!!」
「私のせいだって言いたい訳ッ!?はぁ、信じらんないッ!!」
「黙れよビッチィ!!てめぇが他のパーティーの奴らに股開いたの知ってんだよッ!!」
「それの何処が悪いのよッ!!アンタだって女を買ってんじゃないッ!!」
幸か不幸か、言い争いをする二人の立ち位置はキングフェニクスから遠く、磁場の影響が少ない。
体を引っ張られる感覚に陥りながらも、どうにか踏みとどまれる程度の圧力であり、危機感を感じさせるものでなかった。
二人は本能的に理解しているのだ。
あの空に浮かんでいる冥王竜を創り出したのが、この鳶色鳥だという事も。
今すぐ言い争いを止めて、協力して鳶色鳥に戦いを仕掛けても、逆に殺されるのは自分達だという事も分かっている。
だからこれは、相手を逆上させて囮にしようという、弱者の知恵。
そして、そんな醜い争いも、間もなく終わる。
「お前ら、落ちぶれたな」
「「あ……、」」
「喧嘩は昔からあったよな。だが、こんな見苦しいもんじゃ無かったはずだ」
ザリザリ……、と足を引きずりながら近づいてきたストライン、その拳に嵌められているのは、ヴァトレイアやヴィシャにとっても見覚えがある手袋。
新人冒険者として活動を始めて得た最初の報奨金で買った、三人がお揃いの――、鳳凰の卵のシンボルだ。
「し、死にぞこないの癖に、説教か。ストライン」
「そうだよ。死にぞこなってなお、見てられねぇや。いや、一度死んで、そんでよ、転生して得た幸せを知ってるから放っておけねぇんだ」
「なに……?」
「お前ら、俺の焼き鳥を食えよ。酒もとびきりに良い奴を出してやる。そんで、恨みつらみ全部、吐き出しちまえ」
「何、言って……」
「《雷霆戦軍・鬼面金剛杵》」
ゆっくりと歩んでいたストラインの姿が消え、そして、戦いの幕が下ろされた。
軋む身体を奮い立たせ、血が零れる腹を厭わず、三発の殴打を二人に叩き込む。
既に鎧を着ていないヴァトレイアには一発、まだ鎧を着ているヴィシャには二発。
肋骨の隙間から心臓を揺らされた二人の意識は途絶え、そして――、三人並んで大地に倒れた。
「痛ってぇ……。そう言えば、駆け出しの頃、連鎖猪に出くわした時もこんな感じになったよな。……ヴァトレイア、ヴィシャ、久しぶりに再会したんだ。飯くらい誘ってもいいだろ……?」
空を見上げているストラインの目には、大粒の涙が溜まっている。
どこで間違えたのか分からない。
それでも、こんな関係になってしまった事が悔しかったのだ。
「いいなそれ。俺も参加させろよ、ストライン」
「誰だッ!……って、ロンリゴンさんか」
「その酒盛り、三人追加だ。こちらにいらっしゃるミルティーナ様は酒豪であらせられる。良い酒を出さないと後で怖いぞ」
戦いの幕が引かれた直後、三人の人影が倒れているストラインを見下ろした。
美男、盗賊、美女。
花束の中に怪獣が紛れ込んでいる様な凄惨な光景に度肝を抜かれつつ、ストラインは「生きていたらな」と小さく返事を返す。
「安心してください。私は治癒魔法の他、医療知識を会得しており、陛下からは救命救急の魔道具も預かっております」
「そう、なんですか……。痛てて……、助かったぁ」
「絶対に死なせません。仕事終わりのお酒を美味しく飲む為に私は頑張っているのです。美食の魔王たる無尽灰塵様の御用達店、死なせてなるものですか」
それを聞いたストラインは目を丸くし、「塩とタレ、どっちが好みだい?」と聞いた。
相手が誰なのかは知らない。
ただ、ロンリゴンが連れて来た人なら悪い奴じゃないと確信している。
そして、治癒魔法と魔道具による治療が行われ……。
「……な、焼き鳥屋を馬鹿にするもんじゃねぇだろ?ヴァトレイア」
ストラインは、気絶している幼馴染の頭を小突いた。




