第112話「悔悟」
「お前の上に立つ指揮官は誰だ。誰の命令で出陣した?答えろ」
「そ、そんな人はいない。私は誰かの指示で出陣した訳ではない。仲間の仇打ちという崇高な使命を……ぐっぁ!」
「血反吐を吐けど、思惑は吐けずか……。では、コイツの軍は本当に何も知らぬまま、ここまでの戦果を上げているというのか?」
尋問を繰り返した結果、拳から滴り落ちるウラガの血を拭いながら、バルワンは壁に付けられた液晶パネルを見やった。
そこに映し出されているのは、出陣したレジェンダリア軍100名の行動記録と現在の状態。
そして、100枚の顔写真の内の8枚が赤く染められているのは……、その者が戦闘不能に陥っている事を意味している。
「バルワン軍団将、質問にお答えするのならば、この方は何も知らないであろうと申し上げます」
「ヴァルタサブレ査問官?」
「私も尋問をして長いですが、この方からは満ち足りている気配をまるで感じません。要するに、腹を空かせた鵜なのです」
「食ってない魚は吐けぬ。ノウリ国の諺か」
「えぇ。テトラフィーア様ほどでは無くとも、私も嘘を見抜けると自負しております。この方は本当に何も知らない”お頭”なのでしょう」
常にやるせない顔付きで周囲に溶け込こみ、決して中心に立とうとしないこの男こそ、レジェンダリアの裏側……『ポーンの騎士』の一人。
隷属手帳システムや捕らえた敵兵を尋問し得た情報などの精査を行う、情報掌握部門長『ヴァルタサブレ』だ。
「ヴァルタサブレ査問官が言うのならば……、だが、この戦果はどう説明する?中にはランクが下の者と戦って負傷した兵すらいるのだぞ?」
「通信機ジャックと、敵兵の強化。これらは、レジェリクエ陛下の様な超状の力を行使しているのではと推察できます」
軍団将であるバルワンに与えられた最たる仕事は、戦場で先陣を切る事だ。
だが、女王レジェリクエや、総司令官テトラフィーアが不在の今、全軍の指揮を彼が担っている。
得意・不得意など、口にする事さえ許されない。
忠誠を誓う心無き魔人達の統括者とテトラフィーアの命令に従う事こそが、バルワン・ホースが自分で決めた人生だからだ。
フランベルジュ国にある豊かな田園地帯に生を受けた彼は、屈強な肉体に物を言わせ、数々の武勲を打ち立てて来た。
まず初めに村に出た三頭熊の討伐から始まり、流れて来た犯罪者集団の逮捕に、冒険者達と協力して行った特殊個別脅威の撃退。
果ては、蛇峰戦役へ参加し、率いた一部隊の全員を生還させたなど、多岐に渡る。
だが、彼の人生には、唯一にして決定的な敗北がある。
武勲を認められて仕えていたフランベルジュ軍、その副将軍として立った最前線。
そこで、青い髪の少女と自国の姫の二人に、完膚なきまでに叩きのめされたのだ。
「損耗率8%……。死亡者こそ出ていないが、それも時間の問題かもしれん」
「サンジェルマ軍団将がいる所は損耗が軽微ですが、逆に、N0.が低い者が集まってしまった場所は全滅の可能性すらあります。通信機が使えれば、こんな事には……」
「これでは、リリンサ様に追い付くどころか、陛下やテトラフィーア様に顔向けも叶わぬ。愚図だと笑ってすら貰えぬだろう」
いくらバルワンが指揮官に向いていないと言えど、軍団将たり得る知識と戦術は身に付けている。
だが、絶対の忠誠を誓った上司も、信頼を置いている部下もおらず、更にレジェンダリアの戦術の根本を崩されている状況では成す術が無いのだ。
もしここに、情報の取り扱いに長けているセブンジード隊『命脈消音』がいたら。
もしここに、自身の足を使って情報を集める事の出来る『ポーンの騎士』が揃っていたら。
優秀な頭脳が有ったとしても、そこに情報が届いていないのなら、それはガラクタに過ぎない。
「仕方が無い。私も戦場に出て情報を集めてくる」
「軍団将の全員が陣地を離れるのは、軍規に違反するのでは?」
「このままではレジェンダリア軍に戦死者が出て、どちらにせよ命令違反だ。私は指を咥えて見ている事などでき――、」
廊下に仕掛けてある赤外線感知からの反応を受け、バルワンは即座に戦闘態勢を取った。
戦時下にある現在、指令室であるこの場所に不用意に近づく兵士はいない。
機密情報漏洩の観点から、近づいた者全ては戦争が終結するまで第一級敵兵として扱われる事になるからだ。
「ヴァルタサブレ査問官、後ろへ」
そして、敵の存在を認識したバルワンの索敵を潜り抜けられる者は少ない。
『バルワンのバッファはランクが2つ違う』などと言われているように、魔法によって引き上げられた肉体感覚が僅かな痕跡を捉えるからだ。
「……誰だ?」
「余よぉ」
キィ……、っと僅かな音を立て開いた扉の先に立っているのは、見目麗しい金髪軍服ロリ。
忠誠を誓う女王の登場に、バルワンの心臓が僅かに跳ねた。
「こっ酷くやられたわねぇ。さんざん絶望を振りまいて来た余だけれどぉ、まさか、自分がそうなるとは思っていなかったわぁ」
「……申し訳ありません、レジェリクエ陛下。全て私の不徳の結果であります、テトラフィーア様」
紅色の唇を薄く釣り上げ、レジェリクエは頬笑んでいる。
その姿はあまりにも美しく、そして、あまりにも恐ろしかった。
愚図だと笑ってすら貰えぬだろう。
バルワンに取って、その言葉は最上級の悔恨を含んだ自虐だった。
だが、そうであったならどれだけ良かったかと、両目に映ったレベル99999という表記が、心の底からの後悔をさせた。
「私の質問に答えて頂きますわ、バルワン」
「何なりとお申し付けください、テトラフィーア様」
「なぜ、私達に向けている感情が恐怖と敵意なのか、それを説明してくださいまし」
レジェリクエに続いて部屋に入って来たテトラフィーアの表情は、非情に険しい。
細くしなやかな指が挟んでいるのは、魔法陣が刻まれた金属プレート。
明らかな戦闘態勢に、相対しているバルワンは拳と心に覚悟を灯した。
「貴方達が偽物かもしれないと疑っているからです」
「何か、根拠が有りまして?」
「一時間ほど前に、レジェリクエ陛下を騙る輩から電話が掛って来ました。私に都合の良い指示を出し、優位に事を進めるつもりだったのでしょう」
「陛下の声はとても特徴がありますわ。聞き間違いはありえませんわね」
絶対音階を持つテトラフィーアが証言するように、レジェリクエの声は特徴的だ。
独特なイントネーションと外見に合った甲高い声は、女児そのもの。
だが、支配声域の効果を宿し、背筋を凍らせるほどの重みのあるそれは『支配者的存在』として認知される。
「陛下、バルワンが言っている事に嘘はありませんわ」
「携帯電魔から聞こえたのは確かに余の声だった。だけれど、どこかに違和感を感じた貴方は、余の下着の色を確認した。そうなのね?」
「はい。私が考えたのは、既にレジェリクエ陛下が敵の手に落ち、敵が成り変わっている可能性です。シルバーフォックス社の存在から、類似の組織が有ったとしても不思議ではないと判断しました」
「なるほどぉ。余が洗脳されている可能性も含めているのねぇ」
レジェリクエはいつの間にか持っていた鉄扇を口に当て、少女のように笑った。
突然に和らいだ空気に、バルワンの警戒はますます強くなっていく。
そして、事切れた様に笑い声を止めたレジェリクエは……、苛立ちと共に舌打ちをした。
「ごめんなさいねぇ、バルワン。余が見誤ったばかりに貴方には迷惑を掛けたわ」
「見誤った……ですか?」
「そう、見誤ったわ。ただその場所にいるだけという簡単なお仕事だから、2等級奴隷でも出来ると思っていたの」
「……なにを、仰っているのですか」
「そのままの意味よ。貴方がするはずだった戦争ごっこは、全部が茶番。……だって、ラルラーヴァーは余の同胞、心無き魔人達の統括者・戦略破綻なのだから」
「な”!?」
抑揚のない声で告げられた真実は、バルワンを酷く混乱させた。
未だに、目の前の人物が敵かどうか分かっていないこの状況で、信じ難き情報を告げられる。
結果、精神的に身動きが取れず僅かに拳が緩み――、ふわりと風が舞う。
「……弱い。余りにも弱いわ。バルワン。本当に余が洗脳されていたら、どうするつもりだったのかしら?」
「それは……」
「辞世の句でも読んで潔く死ぬのかしら?でも、一文字以上発音するのは難しいと思うわぁ」
バルワンの胸の中から、冷酷で重い女王の声が響く。
彼の喉に突きつけられているのは、抜き身の長剣に変化した『壱切合を染め尽す戒具』。
その切っ先は鋭く、僅かにでも動けば、即座に喉を突き破れる。
「陛下、この場にいる人の感情は十分に聞き取れましたわ。怪しい人物はいらっしゃいませんので、こちらの茶番も結構ですわよ」
「あらそう?本当にごめんさなさいねぇ、バルワン。怖かったかしらぁ」
そして、再びふわりと風を舞わせ、レジェリクエはテトラフィーアの横に戻った。
身長140cm程度の少女が動いた僅かな風圧。
それを受けたバルワンは、全身から汗を吹き立たせ、崩れ落ちそうになる膝を必死に抑えつけている。
この時、バルワンは理解した。
ここから先は、魔王達の領分なのだと。
「今ので分かったと思うけどぉ、余もテトラも本物よぉ」
「分かっております。敵が私を生かす意味など」
「より傷口を広げるという意味では、貴方を殺さずに傀儡にした方が効率がいいわ。まぁ、私は本物だから問答はやめにしましょう」
「いえ、本当に生かす意味が無いのです。敵兵は私の名も騙り、この戦いの引き金を引かせました」
「その話、詳しく聞きたいわねぇ」




