第111話「覚悟」
「リリンとユニクは戦場に向かった。後はワルトナに連絡するだけで、万事が滞りなく完了する。……のだけれど」
全長10mに縮んだ希望を費やす冥王竜が、悠々と空を飛んでいる。
強大な力と威厳を纏っていた姿はそこには無く、だいぶ愛嬌のある顔立ちだ。
背中に美女と美少女と美青年を乗せていることからも、大災厄と呼ぶには程遠い。
「なぜか、電話が繋がらないわぁ。テトラ、何でだか分かるぅ?」
「いえ、私は人間の感情は聞き取れても、機械の声は聞こえませんの」
「あら残念。……もし、こんな状況で居留守を使ったんだとしたら、貴方の乙女をユニクルフィンの前で散らしてあげるから覚悟なさぁい。ワルトナぁ」
ここ最近で最も真剣な目で暴言を吐いたレジェリクエは、それはそれで楽しそうだなと思い直し、ちょっとだけ機嫌が良くなった。
この戦争の結果がハッピーエンドを迎えた後、たっぷり売った貸しを返して貰おうと密かに計画する。
そして、そんな黒い笑みを浮かべている大魔王へ、勇敢にもロイが語りかけた。
「あの……、話が良く見えないんですが。ワルトナさんは捕まっているんだから、電話に出られなくて当然なのでは?」
「あぁ、そう言えば、貴方は知らなかったわねぇ」
「とても嫌な予感がするが、あえて聞こう。僕は何を知らないんです?」
「リリンの敵のラルラーヴァーの正体は……、ワルトナ・バレンシア。当然、余と仲間よぉ!」
「……なるほど。今度はユニフとリリンちゃんが魔王の餌食にされるのか。って、えぇっっっ!?!?!?」
何度も何度も酷い策謀を垣間見た事により、ロイの感覚は麻痺していた。
だからこそ、今度の策謀はどんなのだ?という好奇心が湧き……、その結果、自分が受けた物より重そうな策謀に直面。
一気に蒼白になった顔で周囲を見渡し、やるせなさそうな顔をしているテトラフィーアと目が合った。
「えっっ、あの、この事はテトラフィーア様もご存じで?」
「存じてますわ。この時ばかりは、腹芸が得意で良かったと思っておりますの」
「友人や恋人を騙しててその笑顔。女性って怖いな……。って、どういうことですか!?ユニフとリリンちゃんは一緒に僕を転がした魔王仲間だったでしょう!?」
愛した妻が大魔王の手下だったというのは、ロイに取って、地獄の底に引きずり込まれるような絶望だった。
その結果、七転八倒の末に生き延びたロイは、レジェリクエ達に絶対の忠誠を誓っている。
だが、その絶望から引き揚げてくれた友人にも魔の手が伸びていると知っては、黙っている事は出来ない。
「ラルラーヴァーへ向けているリリンちゃんの怒りは本物だ。それなのに陛下はラルラーヴァーとグルだという。まさか、リリンちゃんやユニフは敵だというのですか?」
「あら違うわよぉ。リリンもユニクも親友だものぉ」
「ますます訳が分からない。一体何がどうなっているんだ?」
「戦争と一緒に考えるから、訳が分からなくなるのよぉ」
「戦争とラルラーヴァーの目的は別……?なるほど、そういうことか」
いくつかのヒントを貰い、ロイは自分なりの結論を出した。
そして、なんてことだ……。と小さく息を飲み、動揺が宿る目で二人を見る。
「ずっと前から……、いや、リリンちゃんが家族と別れた時から、ワルトナさんは敵だった。そして、何らかの目的が有ってリリンちゃんに近づいた」
「うんうん、それでぇ?」
「そして、心無き魔人達の統括者を設立し、数年の時を過ごした。で、準備を終えたワルトナさんは、この戦争を隠れ蓑にして目的を達成してしまおうと思っている。違いますか?」
「あはぁ、誤字が一つ。それ以外は満点よぉ」
おおよそ満点という答えを貰ったロイは、それ故に苦々しい表情を溢した。
領主として指導聖母・悪辣とは何度も取引をしており、その狡猾さは十分に身に染みている。
ハッキリ言ってしまえば、リリンサとユニクルフィンに勝ち目はないと思っているのだ。
「そんな顔をしなくて良いわよぉ。余が言った誤字というのは、『敵』という所。ワルトナはリリンとユニクの『味方』だものぉ」
「味方なのに騙していた?そんなことってあります?」
「ここから先はプライバシーの侵害だから明言は避けるわぁ。ただ、ワルトナはリリンを害するつもりが欠片もない。だから、セフィナも大切に育てている。これだけ分かっていれば十分だわ」
レジェリクエがラルラーヴァーの正体を暴露したのは、意図的にやった事だ。
ここから先は、既定路線から外れた本物の戦争。
ユニクルフィンやリリンサと行動を別にしたのもワルトナと合流する為であり、最初から一人でメルテッサを討つつもりは無かったのだ。
そして、同行を申し出てしまったロイは、強制的に仕掛け人の立場に引きずり込まれている。
「むしろ、貴方は自分の心配をするべき。現状、最も命を落とす可能性が高いのって貴方なのよ」
「先程、レジェリクエ陛下はラルラーヴァーと戦争は別だと仰いましたね。という事は、メルテッサは」
「そう。ブルファム王国側のラスボスはメルテッサ・トゥミルクロウ。東塔の結界が強化されていたでしょう?アレはメルテッサを閉じ込めておくために、ワルトナが仕掛けたものよ」
「あのカツテナイ・タヌキ結界がですか?」
「前言撤回。ワルトナが懐柔したゴモラが仕掛けたものよ」
颯爽と登場したタヌキにイラっとしたレジェリクエは雑に話を打ち切り、本題を切り出す。
レジェリクエが情報漏洩のリスクを冒してまでロイを同行させたのにも、理由があるからだ。
「王家の血を引くメルテッサの勝ち筋は、余と貴方を殺す事。さっき言った命を落とす可能性があるというのは冗談じゃなくて、本当の意味での警告よ」
「それは覚悟していますが……、ラルラーヴァーはメルテッサの上に立つ大牧師なんですよね?」
「上司が部下に負けるはずが無いって言いたいのでしょう?実際、余もテトラもそう思っていたし、ワルトナ自身もそう思っていたわ」
「なら……」
「だけど、メルテッサはワルトナの拘束から平然と逃げ出し、勝ち目が無いはずの戦いをすると宣言した。確実に貴方か余を殺せる算段を用意しているでしょうね」
一気に現実的になった戦死という未来。
何処か漠然としていたそれに直面したロイは……、冥王竜襲来のときに死亡フラグを立てまくった事を思い出した。
「先に言っておくけどぉ、場合によってはメルテッサには死んで貰うことになるわ」
「あんなにも犠牲者を出さない事を望んでいたのにですか?」
「それは、味方側の損耗がゼロの場合よ。優先するは味方の安全。それがワルトナと余の策謀で確立されていたからこそ、敵の命も保証するというだけの話」
「では……、僕が王位に就く為には、妹を始末しなければならない可能性があるということですか」
その言葉を言い終えたロイは、ギリリ。と奥歯を噛みしめた。
ロイは甘く考えていたのだ。
戦争という、人間同士の殺し合いを。
「全ての黒幕はラルラーヴァーで、戦争の責任を取るのは自分とは無関係の人。そんな考えが有ったんじゃないかしら?」
「それは……」
「女王という立場から断じるわ。そんな甘い考えは捨てなさい。王とは導く者であり、時に、人を死に導く決断をしなければならないのだから」
「人を死に導く……、僕が」
「余は12歳の時にそれを知り、その結末を拒絶する為の力が欲しくて、心無き魔人達の統括者を作ったの。……それでも、結局、多くの血が流れたわ」
ロイもレジェリクエもテトラフィーアも、この戦争の裏側で多くの人が死んでいる事など分かっている。
相手が殺意を向けてくる以上、どうしても避けられない戦いがあるからだ。
それに、直接的に殺していなくとも、戦争が与える世界への影響力は凄まじい。
例えば、高ランクの冒険者が不利益を受け、不愉快を弱者へと向けたのなら。
強者と弱者の関係は、そのまま、加害者と被害者の関係に変わるだろう。
「怖気づいたかしら。今なら降りる事も可能だけれどぉ?」
「……いや、僕はブルファム王になるよ」
「どうしてかしら?」
「色々と足りていないのは自覚しているが……、純粋にやってみたいんだ。僕の手で民を幸せにしたい」
「その為に数百万人を殺す必要があるとしても?」
「あぁ、人の幸せを踏みにじる様な悪人には死んで貰う。そうだな、まずは社会的に殺し、奴隷以下の家畜でもなって貰おうか」
「くすくす。余の掌で踊っている分際で言うじゃなぁい」
最後の最後でロイが行ったのは、『僕も貴方と同じく、人を殺したくない』という意趣返した。
レジェリクエが隷属階級の一番下を家畜として扱っている理由。
それは、いざという時に処分しても『殺人』にはならないという、免罪符だった。
目的の為に人を殺す事を選んだ、最も尊敬する姉。
玉座に座った彼女の表情を知っているレジェリクエは、ローレライに関する事で唯一、そうなりたくないと思っている。
「とりあえずぅ、余達の秘密を知ってしまった貴方が降りるとか言い出さなくて、ホッとしているわぁ」
「……待ってくれ、安全に降りれるんじゃなかったのか?」
「余は降りれるって言っただけぇ。もちろん、それを選択した以上は一緒にいる意味が無いものぉ。直ぐに降ろしてあげたわよぉ。今すぐに」
その言葉を聞きながら、ロイは眼下に広がる雲海を見下ろす。
そして、色んな思いを抱きながら、冥王竜の背中にしがみついた。




