第106話「大魔王朝礼②」
「いや、セフィナが言うには、『大聖母ノウィンは実母』。つまり、ダウナフィアさんだって言ってるんだ」
「……。えっっ」
可能な限り明るい雰囲気で告げたが……リリンが抱いている衝撃は計り知れないだろう。
なにせ、生き別れたと思っていた実母が黒幕だったなんて、泣くに泣けない非情な結末だ。
凍りついたリリンにどう声を掛けて良いか分からない。
俺が迷っていると、テトラフィーア大臣が訝しげに呟いた。
「ユニフィン様、それは裏を取ってある証言ですの……?唐突に仰られても受け入れがたいですわ」
「裏か。正直に言って取っちゃいないが、テトラフィーア大臣も大魔王陛下も、そんな噂を聞いたんじゃないか?」
オールドディーンは、セフィナが大聖母ノウィンの実子だという噂が広がっていると言っていた。
緻密な情報戦で制した大魔王共が、この情報を手に入れていないというのは考えにくい。
王宮にはワルトも潜伏しているし、普通に知っているはずだ。
「それは……、」
「いいわ、テトラ。余が説明してあげる」
「陛下?いいんですの?」
「もちろんよぉ。この場にワルトナがいても同じ事をするものぉ」
噂を知っている素振りをした二人に向けて、リリンが小さく『むぅ……』と鳴いた。
ノウィンの正体が母親だという事にも思う所があるだろう。
……が、自分が知らなかったのがとても不満ならしい。
流石にクッキーを口に詰め込んで誤魔化すのは無しだな。
後回しにした俺が悪いんだし、誠心誠意、リリンに説明をしよう。
「リリン、意図的に黙っていた事は悪いと思ってる。せっかくのディナーだったし、後で話そうと思っていたんだ」
「その事はいい。で、ノウィンがお母さんってどういうこと?」
「セフィナがそう言って回っているって事しか知らない。だが、じいちゃん達はそれを事実だと思っていて、状況的にも不自然じゃない訳だ」
「ありえない。確かに、ノウィンは私の事を娘のように可愛がってくれた。お菓子もいっぱいくれたし、誕生日プレゼントもたくさん貰った。おねだりした魔導書だって手配してくれたし、冒険者活動で困った時は相談にも乗ってくれた」
「なるほど、かなり情を注いで貰っていたと」
「でも、私がお母さんを間違えるなんてあり得ない。それに、お母さんはランクの低い魔法しか使えない。大聖母は無理だと思う。それから……」
事実を受け入れがたいリリンは、思いつく限りの否定をした。
リリンの証言を総じて言うなら、『ダウナフィアさんには大聖母を行えるだけの実力は無い。だから違う』だ。
……だけどな、リリン。
それは証拠にはならない。
高すぎる実力があるのなら、それを隠す事だって容易なんだ。
「だから、だから、ノウィンはお母さんではない。ずっと私を騙していたなんて、そんなことはないっ……!」
「リリン……」
「ユニクも違うと言って!そうだ、疑うならノウィンに直接聞けばいい!!きっと違うって言ってくれるからっ!!」
そう言ってリリンは、必死の形相で携帯電魔を取り出した。
だが、その手の上に別の手が重ねられて、リリンの動きを遮る。
その手は……、大魔王陛下の手だ。
「リリン、余も、ノウィンの正体はダウナフィアだと思うわ」
「そんな……。レジェまでそんな事を言うの?絶対に違う、お母さんはそんな酷い事をしない……」
「聞きなさい、リリン。ダウナフィアの正体と、リリンが言う酷い事、それは必ずしも両立するものじゃないわ」
「そう、なの……?」
「そうよ。ねぇ、ユニクルフィン?」
何かを確信しているという大魔王陛下と、リリンの縋る様な顔が俺に向いている。
唐突に話を振られても、俺じゃ決定的な情報を持っていない。
だが、俺なりの解釈くらいはしてやる事は出来る。
「前にも言ったと思うが、リリンの大好きなお母さんが酷い事をする訳ないだろ。何か事情があるに決まってる。例えば、あの子とかな」
「……あ」
「第一、ダウナフィアさんがリリンを裏切るはずがない。俺達はまだ知らないから誤解しているだけで、待っているのはハッピーエンドだ。きっとな」
具体的な事を何も言えなかったが、リリンの揺らいでいた瞳が落ち着いた。
そして、リリンは、もう一度だけ小さく『むぅ……』と鳴くと、いつもの平均的でクールな表情に戻る。
これで良い。後は、俺やリリンが納得すれば、全ての懸念が取り払われる。
「ユニクぅが言うとおり、ダウナフィアは何らかの理由があって大聖母ノウィンを名乗っている。これには余も賛成」
「でも、お母さんにはそんな事は出来ない。それはどう説明するの?」
「リリンの持論では、ダウナフィアは実力が足りないって話ねぇ?」
「そう。お母さんは魔法が苦手。せいぜいランク3までしか使えない」
「それで英雄の妻がよく出来たわねぇ?」
「お母さんは料理が上手。ぱ……お父さんは胃袋を掴まれていた!!」
「なら、実力がないって事で良いわぁ、それでも大聖母を名乗る事は出来る。リリンの理屈は破綻してるわぁ」
「えっ?」
「余が立てた推論では、諸悪の根源はワルラーヴァーよぉ。コイツが全部悪いわぁ」
実力が無くても大聖母は出来るし、全ての元凶はラルラーヴァーにある?
いや、ラルラーヴァーは大聖母ノウィンの部下であり、ただの実行犯のはず。
確かに悪いは悪いが……、黒幕はノウィンだよな?
「それはおかしくないか?ラルラーヴァーはノウィンの部下だろ?」
「そうかしら?突然、『大牧師・ラルラーヴァー』なんていう地位が出て来て、指導聖母の実権を『大聖母』から奪っている。とっても不自然じゃないかしら?」
「実権を奪っただって?」
「組織というものは、二つ下の階級に居るものを直接的に使役する事は憚られるものよぉ。従って、大聖母は不安定機構・黒の実権を手放したに等しいわ」
「何故そんな事を……?いや、違う。始めから手放していないって事なのか?」
「そう。例えばねぇ、ラルラーヴァーが『元・大聖母』であったのなら、ノウィンを大聖母にしても問題がない。新しい立場『牧師』として、変わらず指導聖母を使役しているのだから」
「なるほどな。大聖母をお飾りの役職にして成り変わったと。認識阻害が得意な指導聖母ならではの方法か」
ワルトの話によると、指導聖母同士でも素性は伏せられているらしい。
当然、ノウィンもそうであるはずだし、中身が秘密裏に入れ換わっていても、近くに本当の大聖母がいるのなら不都合は起こらない。
結果的に、ノウィンさんは大聖母としての立場になって守られると同時に、その身を拘束される事になる。
「じゃあ、お母さんは周囲の目があるから逃げられず、私にも事実を伝えられなかった。だけど、可能な限りで愛情を向けていたってこと?」
「それが、余が最も可能性が高いと思っている推論。ワルトナも同じような結論を抱いているでしょうね」
「ん、ワルトナが『大聖母ノウィンはグレー』だと言っていたのは、こういう事だった……!?」
「リリンに正体を教えてしまえば、簡単に親子の再会を果たせたでしょう。でも、裏側に潜むラルラーヴァーが何を仕出かすのか分からない。ワルトナは安全策を取ったのねぇ」
「なるほど。じゃあ結局、悪い幼虫のせい……ッ!」
「そうそう、『わるラーヴァー』がぜぇんぶ悪いのよぉ。今度会ったら、全部の怒りをぶつけてあげなさぁい」
「分かった。魔王の脊椎尾に乗せて、背後から思いっきりブチ込んでやるッ!!」
……うん、それはやめろ。
あんなカツテナイ超兵器を人に向けるんじゃない。
しっかり背後から狙うとか、殺意高過ぎだし。
取りあえず無難な所に落ち着いたが……、一つだけ問題点がある。
それは、不安定機構の実質的なトップが俺を狙っているという事だ。
英雄である親父も不安定機構に属している以上、大聖母の部下という立ち位置だ。
今までは大聖母がリリンを通じて仲間側に居たから良いが……、ラルラーヴァーが実際の支配者だとすると、どんな恐ろしい策謀が飛んでくるか分かったもんじゃない。
というか、既に俺の戸籍は改竄されて、ラルラーヴァーが配偶者の欄に書かれていたりして……?
で、それに気が付いたリリンが激怒して、第二次世界大戦が勃発する訳だな?
二股を賭けたせいで何度も戦争起こるとか、どう落とし前を付けるつもりだ、俺。
「さて、気持ちの整理が付いた所で、戦争の顛末のお話をしましょう」
「顛末……、という事は、ブルファム王との会談は上手く行ったんですね?」
「そうよ、ロイ。もちろん、貴方の素性も伝えてある。ルイは涙を流して頭を垂れたわぁ」
「……。でしょうね」
「あら、貴方が想像しているよりも100倍は美談よぉ。ブルファム王の私室に招かれた余達は――」
ダウナフィアさんの正体をリリンに告げた事により、安否の確認が取れた。
少なからず心配していたであろうリリンは、懸念が消えてから元気を取り戻し、朝食バイキングの2週目に突入している。
まだ家族を完全に取り戻した訳じゃないんだが……、俺は将来が心配だ。主に食費の。
「僕はあんなにも絶望したのに、ブルファム王は惚気まくっているだと?途中までは殆ど一緒だったのに、この差は一体何なんだ!?」
「あっちは余が手を出す前に出来あがった天然ものぉ。で、こっちは余が手ずから育てた養殖ものぉ」
「なるほど。ロイという男は食い物にされる為に育てられていた訳だ。ふっ、魔王め」
大魔王陛下が愉快そうに指差した養殖ロイが悔しそうにしている。
というか、あんな酷い策謀に参考元があっただけで驚きだぞ。
まぁ、結果的にブルファム王は救われたみたいだし、これで世界戦争も終結だな!
「あぁ、そうそう、ロイ。後で一緒に来て貰うわよぉ。ブルファム王が会いたがってるのぉ」
「望む所だ。いつまでも逃げてはいられないからな」
「よろしい。さて、無事に王位も簒奪できた事だし、後は……あら?電話が鳴ってるわよ、リリン」
「むぅ?誰って、ワルトナ!?」
これからの予定はセフィナを探して捕獲。
その場にラルラーヴァーが居れば拘束し、大聖母をしているダウナフィアさんに会いに行く。
これでハッピーエンドになるはずで、プラムさんを発見したアルカディアさんと合流出来ればなお良い。
そして、ラルラーヴァーと和解すれば、トゥルーエンドへ……。とここまで妄想していると、リリンの電話が鳴り始めた。
直ぐに画面を確認したリリンは驚愕し、慌てながら通話ボタンを押した。
すると、聞こえた来たのは、切羽詰まったワルトナの声だ。
「ん、ワルトナ!!」
『はぁ……、はぁ……、リリン。、今すぐここから離……』
「ちょっと待って、よく聞こえなかった。ワルトナ、今、何処にいるの!?」
『ブルファム東、平げ……、レジェの軍がーー!!』
「ワルトナっ!?」
『リリンッ今すぐこの国から逃げろッ!!ラルラーヴァーには勝てなっ――!!うわぁああああああ!!』
「えっ!?ちょ、ワルトナッ!?」
そして、ワルトの悲鳴を最後に電話は沈黙した。
突然の展開に唖然とするも、どうする事も出来ない。
まだ通話状態が続いているが……、リリンが必死になって受話器に語りかけても、声が帰ってくる様子は無い。
「ワルトが誰かに襲われた?レベル七万を超えているワルトを襲える奴なんて――、ラルラーヴァーか」
「あはぁ、あの口ぶりじゃ、相当、追い詰められているようねぇ」
「どういう事だ?戦争の決着は既に付いた。ラルラーヴァーが何かをするにしても手遅れのはずだろ?」
「この状況から察するに、逆転の目が残されているという事なんでしょうねぇ」
「逆転の目?」
「たとえば、余達を一人残らず全滅させる手段を持っている。もしくは――、」
『いやいや、そんな大層な事はしないよ。ただ、物事には順序ってもんがあるだろう?僕を除け者にして、戦争に勝利したと宣言するのはどうかと思うんだよねぇ』
沈黙を保っていた携帯電魔から、漆黒を纏った声が発せられた。
それは酷く重苦しい冷酷な声だ。
「ラルラーヴァーっっ!!」
『くっくっく、ごきげんよう。リリンサ。どうしたんだい?そんなに牙を剥き出しにして。ご飯を食べたばかりだろうに、お腹が空いているのかい?』
「私が望んでいるのはご飯ではない。ゴミのようにお前を踏みにじること。ワルトナに何をしたッ!!」
『僕を踏みにじるだってぇ?もしかして、僕が今、悪辣にしているようにかい?』
「お前ッ!!すぐにワルトナを放せッ、さもないと容赦しないッ!!」
『容赦しないねぇ。ははっ。それは僕のセリフだよ。聞け、心無き魔人達の統括者』
怒り狂うリリンを横目に、大魔王陛下は冷静に事態を検分していた。
細められた目は、今までのロイを苛めていた時のものでは無い。
レジェンダリア女王として、いや、心無き魔人達の統括者として、ラルラーヴァーという害敵を見定めている。
『世界の覇権を賭けた世界戦争、それはキミ達の勝利だ。心からの喝采を送るよ、おめでとう』
『だが、僕は全ての指導聖母を統べし『大牧師・ラルラーヴァー』。故に、僕の管理外になった世界を認める訳にはいかない』
『だから、ぐちゃぐちゃに壊してしまう事にした。僕と、セフィナが操るアップルルーンの手によって』
一方的語られた言葉は、想像を絶する悪意の塊だ。
セフィナはアホの子と揶揄されまくっていても、無意味に人を傷つけるような子じゃない。
それなのに戦争に参加するなんて、ラルラーヴァーに何かを吹きこまれた意外に考えられない。
最も起こりうる最悪の展開を前にして、緩く構えていた自分に腹が立つ。
『手始めに……、そうだね。まずはセフィナにレジェンダリア軍を潰させようか』
「お前……、いい加減にしろ。セフィナに悪事をさせるなんて、絶対に許さない」
『何をどう許さないっていうのさ?アップルルーンはレジェリクエすら下した超状の機神。キミひとりに何ができるのかな?』
「なんでも、そして、どうとでもできる。全ての魔王を手に入れた私は、アップルルーンも、そしてお前も、一方的にブチ転がせる」
『へぇ、それはすごい。ははっ!欲しい物があるのなら取りにくれば良い。英雄見習いたる僕に刃向かう勇気があるのなら――ザザッ』
アップルルーンが戦争に参加する。
たったそれだけで、盤石だった戦況がひっくり返されかねない緊急事態だ。
もし、アップルルーンがエゼキエルに匹敵する力を持つのなら、人類では抗いようがない暴力だ。
対抗できるとしたら、バルワンさんなどのレベル9万を超えたの軍団将のみ。
セブンジードが戦線離脱している現状、たった3人では勝利する手段は残されていない。
『あぁ、僕はキミ達の成ちょザザッ。どのくらい強くなったのか、楽しザザザ、ザザザッガガッ』
「さっきから何を言ってるか分からない!しっかり喋れッ!!」
「それにしても、電話が途切れ途切れだな。なにか不具合でも起きてるのか?」
「……おかしいわね」
「カミナさん?」
「この携帯電魔は転送魔法の原理を応用して作ったもの。音声が届かない事はあっても雑音が混じる事は無いわ」
「でも、実際に起こってるぞ?今じゃ、ほとんど聞き取れない」
明瞭なラルラーヴァーの声は雑音に掻き消され、今はノイズが聞こえてくるだけになっている。
カミナさんですら原因が分からないようで、俺達の間に妙な不気味さが残された。
そして――、ぷつっ。っと音を発し、突然、ノイズが鳴り止む。
『やぁやぁ、心無き魔人達の統括者。面白い事をしているね』
「……?今度は誰だ?」
『指導聖母・悪性。メルテッサと名乗った方がいいかな?』
「ワルトから逃げたっていう指導聖母か。お前もラルラーヴァーと一緒に暴れる気だな?」
『くふ、くふふふ、くぁーははは!!誰が、誰と、何をするだってぇ!?』
「なに?」
『謀らずとも面白い状況になったな。くく、これが神のお導きって奴なのかもね』
「神……?お前は一体何を言っているんだ?」
『さぁ、なんだろうね?ただ……、この退屈でつまらない世界が、今は酷く滑稽で楽しい。それで十分じゃないかな?ユニクルフィン、リリンサ、レジェリクエ、テトラフィーア、ロイ……、目障りな君ら、その全てを殺そう。誰もが望まないバットエンド。それを、ぼくと神はお望みなのだから』
やがて、皆が一様に絶句する中、一方的に電話は切れた。
ラルラーヴァ―による犯行声明とメルテッサによる犯行声明。
二重になった悪意に、大魔王陛下とテトラフィーア大臣すら驚きで硬直してしまっている。
「……陛下。今の言葉に込められた殺意、本物でしたわ」
「そう。なら、本気で対処する必要がありそうね。まったく、散々な結果にワルトナも苦笑してるんじゃないかしら?」
絞るように声を出したテトラフィーア大臣は、今の言葉が本物だと証言した。
敵は本気で俺達を殺すつもりでいる。
戦争は、まだ、終わっていない。




