第104話「亡国の夜④」
「あ、あああ、あぁぁぁああああ……」
レジェリクが真摯な顔で告げた、真実。
それは、国王としても、ルイとしても、簡単には信じられぬ……夢。
幾度となく夢の世界でその未来を想像し、目覚めた後で絶望した。
決して悪夢では無い、ルイという男の理想。
だが、その夢を見る度に、自責の念に苛まれていったのだ。
願い欲し叶う事が無いと諦めた、夢物語の悪夢。
唐突に突きつけられたそれを前に、ルイはどうすればいいのか、分からない。
「……許されない事をしたと思っているわ」
「テレーズ……」
「これは許されない行いよ。王位継承権を持つ子の略取は、例え母親であっても極刑となるわ。それほど大きな罪を犯したのよ、私は」
開口しながらも黙るしかできないルイへ語りかけたのは、静かに話を聞いていたテレーズだった。
その顔は複雑な心境を宿し、筆舌しがたい物となっている。
「私は、ネシア正妃と仲が悪かったわ。小さな嫌がらせは煩わしかったし、怒りもした。でも、心のどこかで憐れんでいたの」
「憐れんでいた……?」
「あの人は不幸な人よ。祖国の傀儡としての人生を義務付けられた人。私とは何もかもが違う、不自由な人」
「ネシアにはある程度の裁量権を与えていたはずだ。女性が出来る範囲を超えてはいないが……」
「そういう事じゃないの。誰かに与えられた自由は、本当の自由なんかじゃないわ。私への嫌がらせが、あの人が出来る最大の自由だったの」
「嫌がらせが自由……?そんな事が……」
「それでも、お腹の子を害そうとしたのを許す事は出来なかった。それにね……、少なからず、貴方にも思う所があったのよ。幼馴染なんだから、もっと庇ってくれても良いのにって。だから、家出をした」
「家出だと……」
「そう、実家に帰らせていただきます。って奴ね。それなのに、こんなに大事になっちゃって、ネシアも死んで、貴方も病気になって、国も傾いて……。こんな事になるとは思わなかった」
「テレーズ……」
「私が居なくなれば、ネシアが王子を産むと思っていた。ほとぼりが冷めた後で迎えに来てくれると思っていた。ブルファム王国は安寧な日常が続くと思っていた。……ごめんなさい、私が勝手な事をしたから、全部、おかしくなってしまった……」
ルイを抱きしめ濡れていたテレーズのメイド服の上に、ぽたぽたと涙が落ちた。
思わず立ち上がって抱きしめようとするルイだが間に合わず、テレーズはそのまま泣き崩れる様に力尽き――、歩み寄っていたカミナによって支えられ、椅子に座らされた。
「手を伸ばせど届かない。口惜しい事でしょう。狂おしい事でしょう。でも、誰にも文句を言う事は出来ないわ。これは貴方の罪よ、ルイ」
「罪、か」
「余は言ったわ。これは、貴方自身が選んだ最悪の選択肢だったと。余がここに来る前に、国王ルイが全てを取り戻す可能性はいくつもあった。運命掌握の名において、その可能性を肯定しましょう」
「可能性……、そうだ。私は持っていた。テレーズを再び手にする可能性を。恐れるが故に、自ら手放していたのだ……」
「失ったものを取り戻す事は出来ない。ネシア正妃に謝る事も出来ないわね。それでも、まだ、出来る事はあるわ」
聖女の様な頬笑みで、レジェリクエは語る。
まだ、罪を償う事は出来るのだと。
後悔と懺悔の先に、新たな未来があるのだと。
優しく、優しく、聖女のように語る。
大切な妻は、貴方の手に戻ってきたのだと。
「国ばかりでは無く、私も救ってくれるというのか」
「貴方は国王を退位すると宣言した。だから、目の前に座っているのはレジェンダリアの魔王じゃないわ」
「そうか……。ありがとう、レジュメアス猊下」
「その言葉を最初に向けるのは私にじゃないわ。レジュメアスに礼を言うのは、次の王を育て終わって、貴方が幸せを取り戻した後で良いのだから」
**********
「すまない事をしたテレーズ。どれだけ詫びようとも足りないのは分かっている。でも、もうこの手を離したくないのだ」
「酷いことをしたのは私もよ。だから、これから二人で償いをしていくの。迷惑を欠けた人全員に報いていきましょうね」
「許してくれてありがとう、テレーズ……」
「いいえ、その言葉は私のだわ、ルー……」
「テレーズ……!」
「ルー……!」
「あはぁ、甘々ぁ」
「こら、水を指すようなこと言わないの!」
ぎこちないながらもお互いに想いやっているルイとテレーズを背景に、レジェリクエとカミナは視線を交わし合った。
戦争の決着はこれで終わったが、まだいくつかの問題が残されている。
その中でも優先度が高いのは、ルイの治療計画についてだ。
「カミナ、ルイの完治はどのくらいの期間で可能かしら?発病してから7年も経っているんでしょぉ。相当拗れているんじゃなぁい?」
「あら、病歴7年なんて普通よ、普通。不治の病というと悪いイメージがあるけれど、一般的にありふれているわ」
「言われてみればそうよねぇ。それで、一度目のカンファレンスでは『根本的治療は難しい』というのが答えだったけれど、今の貴方には治せるのかしら?」
「眼底部に出来た瘤を切除するのは、昔の私でも出来たわ。ただ、しない方が延命に繋がると判断したのよ」
「大陸中の医師が出来ないと言った手術を簡単そうに言うのねぇ。それで、何でしない方がいいのかしら?」
「ブルファム王家の血筋には、原因不明とされる奇病が多すぎる。だから、瘤ができた原因は遺伝子的なものよ」
いきなり登場した遺伝子という言葉に、レジェリクエはうんざりした顔を浮かべた。
脳科学ですら意味不明なのに、人間の設計図の話を持ち出されても、訳が分からないのが目に見えているからだ。
「病状の進行は非常に緩やかで、すぐに命を脅かすものではないわ。このまま未治療で放っておいても10年くらいは大丈夫のはずよ」
「命があるという意味ではでしょぉ?人格が変わるのは問題よぉ」
「だから、通常は手術を行うわ。でも、それが遺伝子によって決められた『正常』だと、話が異なってくる」
「病がある事が正常?」
「遺伝子によって決められるということはそういう事なの。手術を行って切除しても、すぐにそれが再生しようとして、周囲の臓器に負担を掛けることになる。結果的に手術を行ったが故に亡くなってしまう事もあるのよ」
「なるほど納得ぅ。で、カミナ先生はどういう風に根的治療を行うのかしらぁ?」
医学が常に進化しているように、カミナも常に進化している。
それを知っているレジェリクエは、嘲るようにカミナを煽った。
その内心で、溜め息をつきながら。
「新型帝王枢機に搭載された電気神経信号を直接読み取る『ダイレクト・ブレイン・コントロール』システムを構築する時に、遺伝子学を勉強し直してね」
「ほら出た、タヌキィ」
「ムーに見せて貰った医学書には度肝を抜かれたわ。必要な事しか調べてないから最低限だけど……って、私の書いた薬学書を完全に凌駕してるんだもの」
「人間よりタヌキの方が人間に詳しいってどうなってるのよぉ?」
「それから、悪喰=イーターに蓄えられていた情報を調べて、遺伝子学を完璧に理解済み。後はどの遺伝子が問題を起こしているかを悪喰=イーターで調べて……」
「……ちょっと待ちなさい。カミナも悪喰=イーター持ってるの?」
レジェリクエの戦略が破綻した最たる原因。
それはアホの子が持つ未知のタヌキパワーだ。
リリンサの供述により、悪喰=イーターという強大な力をセフィナが持っている事が判明している。
タヌキとの関係性を疑っていたが、ワルトナと和解した事により、それが那由他から授かった権能だという裏も取れた。
仮にゴモラとセフィナを離れさせる事に成功したとしても、自力でタヌキパワーを引き出される可能性があると知り、レジェリクエは頭を抱えていたのだ。
「ムーと契約したから持ってるわよ。私が扱えるのは、形態変化の悪喰=イーターね」
「形態変化?悪喰=イーターって那由他様が持ってる権能じゃないのぉ?」
「あまりにも能力が強大すぎるから、5つに分けて管理しているのよ」
「へぇ……。どんなのがあるのぉ?」
「『万物破壊』『分解吸収』『形態変化』『真理究明』『万物創造』の五種類ね」
「……セフィナが持ってるのは?」
「万物創造の悪喰=イーターね!」
「よりにもよって一番ヤバそうな奴が、アホの子の手にぃ……」
そこは腹ペコ姉妹的に『分解吸収』でしょぉ。
何を作り出すか分からないって、アホの子に一番持たせちゃダメなやつでしょぉ……。
聞かずには居られなかったレジェリクエは、聞かなかった方が良かったと後悔した。
「あぁ、契約したタヌキ帝王によって中心の能力が違うってだけで、どの能力も扱えるわよ」
「……ちなみに、人間で悪喰=イーターを扱える人って他にもいるのぉ?」
「大聖母ノウィンはセフィナと同じ悪喰=イーターを持ってるわ。あと、ソドムが契約している人間が二人いるらしいけど、誰かは知らないわね」
「大聖母も同じ系譜……!というか、明らかな上位互換ッ……!!」
「それと、アップルルーンの操縦も上手よ。あの機体は歴代の大聖母を乗せて来たから、人間が操作しやすいようにカスタマイズされてるの」
「英雄見習いに、皇種に、タヌキの権能に、帝王枢機まで……。あはぁ、勝率を測定する気にもならないわぁ」
ブルファム王を下した以上、ブルファム王国との戦争は終わった。
だが、妙に釈然としない気分となったレジェリクエは、この戦いが終わった後、全力でストレス発散をしようと心に決めた。
**********
「う”ぎぷるん……。ここどこですか……」
褐色の肌に明るい茶色の髪。
来ている服は簡素な皮鎧で、新人冒険者に似ている。
身長は150cm程と小さく、年齢は14歳程度に見えるだろう。
そんな容姿にさせられたプラムは、一人で荒野を彷徨い歩いていた。
アルカディアの帰還から程なくして、ドングリのタヌキ集落にエデンが訪れた。
その目的は、アルカディアが皇の紋章を使った事件の事情聴取。
トウゲンキョウに話を聞き、那由他が掛けているプロテクト突破の足掛かりを掴もうとしているのだ。
だが、良い結果は得られなかった。
アルカディアが那由他のプロテクトを突破できたのは、悪喰=イーターを所持していないから。
邪魔なプロテクトとは悪喰=イーターそのものであり、その力を取り除いて能力を行使するのは事実上不可能なはずなのだ。
しかし、アルカディアは発動させた。
そこに活路を見い出したエデンは、すぐにアルカディアと同じ血を引くタヌキを捜索。
そうして見つけたプラムを半ば強制的に人の姿に変え、観察する事にしたのだ。
「アルカディア姉様……。どこですか……」
さらに、人化したタイミングでタイタンヘッドが訪ねてきた。
そして、意思の疎通が図れるという理由からプラムを町に連れ出し、冒険者登録をさせたのだ。
そうしてプラムは、ドングリと一緒に流れに流れて七転八倒。
ブルファム姫の警護という一般の冒険者からしてみれば垂涎の仕事に付くことに。
だが、プラムにとっては美味しいご飯が出る以上の価値は無い。
食に従順なタヌキとしては満足な生活だったが、群れを放置してしまっているという焦りはしっかりと抱いている。
……が、帰り方が分からない。
『タコなんちゃら』という一文字しか合っていない情報を元にオールドディーンが故郷を探すも、結果は出ず。
途方に暮れていた時にアルカディアの姿を見つけ、思わず駆け出してしまったのだ。
「う”ぎぷるん……。お腹すいたです……。さみしいです……。どんぐりさん連れてくれば良かったです……」
プラムがドングリを連れて来なかったのは、ドングリが風邪を引いていたからだ。
突然の環境変化に体調を崩したドングリは、鼻水を垂らした。
幸いにして風邪の引き始め程度の症状であり、安静にしていれば直ぐに良くなるとも言われている。
だからこそプラムは一人で窓から飛び出し、直感でアルカディアを探し始め、真っ当に迷子になったのだ。
「森もないです……。川もないです……。餌場が無いのです……」
見た映像の中に見覚えがある森が映っていたから、だいたいの方角は分かっていた。
この国に辿りつく前に狩りをした森であり、間違えるはずもない。
だが、唯一にして最大の問題点は、そこに辿りつく前に人間の街を通らなければならないという事だった。
人間の街は濃い匂いで溢れている。
そして、森のように統一された匂いでは無く、様々な系統の匂いが混ざり合う世界は、野生動物の感覚を狂わせてしまう。
アルカディアですら、初めて人間の街に侵入した時はソドムに付き添って貰ったくらいなのだ。
「アルカディア姉様……。どこですか……」
か細い声で助けを呼ぶも、答えが返ってくる気配はない。
周囲にあるのはゴツゴツした岩ばかり。
遠くの方に光が見えるが遠く、乾いた風のみが吹きすさんでいく。
だが、その光の中から、途方に暮れるプラムを見ている者がいた。
「やっべ、ミオ、ミオ、あれ見て」
「ん?どうしたローレライ」
「バケモン見つけた!捕まえに行こーぜ!!」




