第102話「亡国の夜②」
「ご機嫌はいかがかしら、ブルファム王」
真紅に煌びやくドレスの端を摘まみ上げ、女王レジェリクエは愛想を振りまいた。
カーテシーと呼ばれるその所作は、片方の膝を自ら曲げることで、相手に恭順の意を示す。
同じ王という立場であっても、若輩のレジェリクエが取る事は、なんらおかしい事ではない。
だが、レジェリクエがブルファム王に向けている瞳は、遥か天空から相手を見下ろす――、支配者の目。
憐れみすら含んだ視線が捉えているのは、精一杯に絞り出したブルファム王としての威厳だ。
「レジェリクエ女王、自らの謁見とはな。天女と見間違う美貌を前にして感嘆を禁じ得ない。今にも涙を流してしまいそうだ」
「あら、お上手ぅ。その言葉は聖女レジュメアスとして受け取っておくわぁ」
魔王と聖女と亡者とカミさまが謁見を申し出ています。
そんな報告を受けたブルファム王・ルイは、達観した目で天井を見上げ、覚悟を決めた。
もし、訪れた者の中に魔王が含まれていなければ、尊厳を捨てて逃げ出したかもしれない。
だが、魔王……、心無き魔人達の統括者を名乗られてしまっては、王という威厳を振り翳すしか選択肢が残されていなかった。
「それで何用だ?まさか、属国の申し出に来た訳ではあるまい」
「もちろんよぉ。此処には侵略者たる魔王レジェリクエと、救済者たる聖女レジュメアス、その両方として赴いたのぉ。今更、犬に成り下がる予定はないわぁ」
「聖女レジュメアスか。ならば、聖女シンシアも仲間であろうな?」
「正解ぃ。シンシアの正体は、心無き魔人達の統括者・戦略破綻。あぁ、指導聖母・悪辣とも言うわねぇ」
ルイの顔色は酷い土気色であり、この場にいる誰よりも地獄の住人と呼ぶのに相応しい。
衰えた身体を見てくれだけの法衣で飾り、染み出た寝汗を拭っただけ。
寝室から出ることすら叶わず、出来うる限りの見栄を講じているものの、纏う覇気には勢いが無い。
それでも、ルイはブルファム王なのだ。
侵略者たる魔王レジェリクエに弱った姿を見せる事は許されない。
「ふむ、これは驚いた。大陸の二大聖女……、いや、テトラフィーアを含めれば三大聖女の全てが魔王そのものだとは。この世に救いはないのか」
「いいえ、救いはあるし、掬いもあるわ。だからこそ、魔王としての副官にチュインガム、聖女としての副官にカミナを連れてきたのぉ」
「それで亡者とカミさまか。カミナ・ガンデの逸話は聞いておる。なんでも、この世界に不治の病など無いと豪語しておるようだな」
「豪語なんていう大言壮語ではないわ。事実よぉ」
「百にも及び不治の病と告げられた私に、それを言うのか」
「あらやだぁ。この話のエピローグを先に語ってしまうなんて無粋、読書家として看過できないわぁ」
「なんだと……?」
レジェリクエの言葉は、「貴方の病を治しに来た」という暗示だ。
だがそれは、予定されたエピローグ。
計画通りに進んだ未来だと告げる事で、一人の男『ルイ』の選択肢は大きく削ぎ落されている。
「私も読書を嗜む者だ、期待をしておこう」
「ありがとぉ。それじゃ、魔王レジェリクエとしての王務を遂行してしまいましょう」
「ふむ、残ったのは『亡者』か。話を聞いただけでは分からなかったが、確かに亡者である。……久しいな。チュインガム。息災にしておったか?」
ブルファム王であるルイと、レジェンダリア王であったチュインガムは面識がある。
かつてのレジェンダリアはブルファム王国の支配下に置かれていた小国。
地理的条件から属国とまでは呼ばれていなかったが、不利な条件での貿易を強いられていた身分だった。
ブルファム王の方が圧倒的に立場が上であり、必然的に、ルイは威圧的な態度をチュインガムに向けていた。
その名残か、もしくは顔見知りがいる事による安堵なのか、ルイの口調が僅かに強くなる。
「親族、係累に至るまで皆殺しにされたと聞いたがな。その体を見る限り、亡者と似つかぬぞ」
「ほっほっほ。息災とはほど遠い。事実として、私は仏になっておる。この身は冥界より舞い戻っておりますれば」
「冥界より……、暗喩か?」
「事実だと言ったはずですぞ。儂は一度死に、そして生き返った。今は真王陛下に忠誠を誓う『愚王大臣』として奮闘しておる」
これ以上は語る必要が無いとばかりにグオは一歩下がり、副官に徹した。
その態度を以てして、忠誠を誓った真王陛下はレジェリクエだと告げる。
「魔王の配下に亡者か。なるほど、よく考えられた冗談だ。亡命の意味を取り違え、転生という聞き触りの良い甘言を国是としているだけはある」
「でしょぉ?シンシアが考えてくれたのぉ」
「聖女の導きであったか。私も恩恵にあやかりたいものだ。人格だけ若返ってもどうにもならぬ」
「流石に、数年単位の肉体時間の逆行なんて出来ないわよぉ。せいぜい、一時間が限界ぃ」
「命を巻き戻す時計王、伝説級の魔法として名高いものではあるが……、そのレベルなら扱えても不思議ではないか」
ルイの瞳に映っているのは、二つのレベル99999だ。
人類の守護者と名高い、エアリフェード、シーライン、アストロズに比肩するレジェリクエとカミナのレベルは、ルイのレベル『82110』と比べるまでもない。
かつては見下していたグオですらレベル9万を軽々と越えている現状に、ルイは苦笑いを溢した。
「レジェリクエ女王、そろそろ世辞は良い。私の寝起きに合わせて待っていてくれたのだろう?」
「くすくす、理知あるブルファム王陛下と対談が出来そうで何よりだわぁ」
「……あぁ、私は王だ。言葉という剣を持つ者だ。油断してくれるなよ、心無き魔人達の統括者」
「魔王に刃向かうと宣言する愚か者ぉ。余が直々に人生を踏みにじってあげるから覚悟なさぁい」
レジェリクエは『ブルファム王陛下』と形式ばって呼び、ここから先は国を賭けた戦争だと宣言した。
それを理解したルイも挑発を返し、剣呑な空気が張り詰めていく。
そんな光景を傍観している者は3名。
カミナ、グオ、そして……ダマスィリールだ。
「まずはそうねぇ……、居眠りが趣味のルイ陛下にぃ、余が持つ力を語って差し上げましょう」
「今までの紛争が児戯のように思えると聞いたぞ。冥王竜まで従えておるのなら、フィートフィルシア陥落は当然であろうな」
「聞いたと思うけどぉ、余は冥王竜の力を使用していない。荷馬車の代わりをさせただけよぉ」
「ならば誰がフィートフィルシア軍を下したのだ。一名の死者も出さぬなど、軍の仕業ではあるまいよ」
「余の同胞にして、心無き魔人達の統括者の決戦兵器、無尽灰塵が成した暴虐よぉ。尻尾の一振りで木端微塵ぃん」
「尻尾……?隠していた切り札と使ったという訳か」
「いや、そのまんまの意味よぉ」
「……意味が分からぬ。それでは尻尾が有るようではないか」
「あ、映像、見るぅ?」
そうして唐突に、大魔王上映会がスタートした。
それは、戦地に出ていたセブンジード隊が撮影した臨場感あふれる阿鼻叫喚地獄。
天穹空母から撮影した映像を使った解説も分かり易く、戦いの素人であるルイの心に絶望を刻み込む。
「なんだコイツは、人間か?」
「魔王よぉ。でも、祖父は真っ当な人間だから、一応、人間という括りの中にいるわぁ」
「随分と気になる言い回しだな。親がまともでないように聞こえたぞ」
「祖父を例にした方が分かり易いと思っただけよぉ。だって、無尽灰塵……、リリンサ・リンサベルの祖父は、アプルクサス・ノーブルホーク。あなたのご飯番ん」
「……馬鹿な。アプルクサスは息子を亡くしておるのだぞ」
「死んだ事にして婿入りしたのよぉ。普通に婚姻すらできないなんて、大聖母ノウィンも苦労しているわねぇ」
「大聖母だとッ!?!?あの得体がしれぬ女に娘がいるというのかッ!!」
ブルファム王として指導聖母と繋がっているルイは、大聖母とも面識がある。
そして、会うたびに抱く感情は……、未知の恐怖だ。
大聖母ノウィンは認識阻害の仮面を付けておらず、素顔を晒している。
必然的に正体を探る事は容易な筈であり、初めてノウィンと面会した時に「大聖母は飾りか」とルイに思わせた。
だが、どれだけ時間を掛けようとも、大聖母ノウィンの素性に関する情報を、たったの一欠片も手に入れる事ができなかった。
持ち込まれる情報の100%が指導聖母と行った対談であり、それ以外の全てが闇に包まれている。
大聖母ノウィンは得体がしれぬ女という評価に落ち着くまで、時間は掛っていない。
「この情報はアプルクサスに伝えてあるわぁ。今頃、孫との会談を楽しんでいる頃よぉ」
「亡者が家庭を築く。何人蘇らせば気が済むのだ?」
「そうねぇ、最低あと一人は蘇るわねぇ」
「まだ隠し玉があるのか。魔王に相応しき所業よ」
威厳と威勢と建前で取り繕うルイに対し、レジェリクエはリラックスしながら悠々と紅茶を嗜んでいる。
九万人の冒険者がリリンサ一人に敗北したと告げても、
ブルファム王国の希望・澪騎士ゼットゼロと冥王竜が相討つ映像を見せても、
記憶と読み時間を巻き戻す超越者との戦いを知らしめても、
レジェリクエの顔からは愉悦が消えない。
まるで物語の続きを急かされて語る母のように、結末を知っているという余裕の笑みが続く。
「これで分かったかしら?ブルファム王国の敗北が」
「今、耳元で『認めて良い』のだと囁かれれば、私は調印を押すだろう。だが、私は王なのだ。この国に住まう者の幸せを求めなければならない」
「あら?カッコいい事を言うじゃなぁい。優柔不断な男だと罵って欲しいんじゃなかったのぉ?」
「な、に……」
「正当な王位継承権『絢爛謳歌の導き』を持たぬ偽りの王に告げましょう」
「馬鹿なッ!!それはッ!!」
レジェリクエが取り出したそれは、古のブルファム王国の秘宝。
その存在を以てして王とする、『絢爛謳歌の導き』だ。
「余は既に、貴方の持ちうる全ての裁量権を掌握している。国営を担う官僚は余に忠誠を誓った奴隷が、裏側に潜んでいる指導聖母は同胞が、そして、私生活は……」
「まさか」
「答えは直接聞くと言いわ。ねぇ、そうは思わないかしら?ダマスリィール」
レジェリクエ達が入室して以降、ドアの横で控えていたダマスリィールが静かに傅いた。
その所作を以てして、ルイは思い知る。
あぁ、これこそが、魔王の所業なのかと。
「……そうであったか」
「あらぁ?貴方は取り乱さないのねぇ」
「憤りは感じている。だが、それ以上にダマスリィールには感謝しておるのだ。病に苛まれた私を支えたのも、紛れもなく彼女なのだから」
「例え偽りの主従関係だったとしても、抱いていた信頼は揺るがない。あはぁ、王としては失格ねぇ」
「才能のない優柔不断な王なのだ、私は。ダマスリィール……、騙す+釣り糸か。知ってしまえば酷い名だ」
「大衆の誘導は施政者の務め。その名前は、王配としての彼女の覚悟よぉ」
「王配だと……?ま、さか……、ダマスリィール、お前は……」
傅いていたダマスリィールが顔を上げると、別人へと変貌していた。
外見的な変化は、上げていた後ろ髪を解き、襟元のボタンに似せた認識阻害の魔道具を外しただけ。
そんな些細なはずの変化は、彼女が浮かべた獰猛な笑みによって何倍にも高められている。
「寝起きで妙な事を言い出すんだもの、バレちゃったと思って焦ったわ」
「テレーズ……なのか……」
「それはそれとして、今度『じゃじゃ馬』って呼んだら酷い目に遭わすって約束したわよね?ルー」




