第32話「遭遇」
「……ふう。ロイの奴戻ってこないな」
俺はあれからテントに戻り、ホーライ伝説を読み始めた。だが、しばらくしてもロイの奴が戻って来ない。
ロイは「初めてのキャンプ、せっかく綺麗な月が明かりもある事だし、僕は外で原典書を読むことにしよう。出来る事なら魔法の発動もしてみたいしな!」と、一人で読書に励んでいるはずだ。
一応、夕食後にリリンに第九守護天使を掛け直して貰っているし大事はないと思うが、一応確認しに行ったほうがいいだろうな。
ほら、ドラゴン団子に巻き込まれているかもしれないし。
俺はそっとホーライ伝説を閉じつつ、テントの入口から外に出る。
すぐ隣のテントではリリンとシフィーがなにやら騒がしい様子だ。魔法の勉強をしているはずだが、キャッキャウフフと楽しそうな声が聞こえてくる。
……本当に勉強しているのだろうか?
少々の疑問を残しつつも、俺はロイを探した。
明るいって言ったってランプくらいは横に置いているはずだからな、何処かにその光が……ってあったあった。
草むら一歩手前のなだらかな丘の上で、ゆったりと座りながら読書に勤しんでいる。
まぁ、生存確認は済んだわけだが、せっかくだし声をかけに行こう。
決して邪魔をしに行く訳ではない。俺だけ原典書を貸して貰えなかったからと、拗ねている訳でもない。
「よ、順調か?ロイ」
「あぁ、ユニフか。読書自体は順調そのものだ。もうすぐ二冊目も読み終わる。しかし、魔法の原典書と言うものは難解な言葉がたくさん出てくるんだな、ちょっと面喰らったよ」
「ん、どれどれ?うおうッ!!難読文字だらけだ」
ロイの読んでいる原典書を覗き見てみると、そのページを埋めつくさんとする難読文字の群れ。
難しい難読文字がビシリと並び、当然のようにルビは振られていない。
これ、普通に読むだけでも苦労するんじゃ……?
そう思いつつ、よくよくページを見てみれば、既に俺が読めない難読文字がちらほらと垣間見えた。うん、俺には難しすぎるようだな!
「こんなもん良くスラスラ読めるな、ロイ」
「ははは、騎士たる僕には雑作もないものだがな。日ごろの勉強の賜物だろう」
ロイは俺との会話もよどみなく受け答えをしてくる。しかしその目線は原典書に向けられたままだ。
どうやら読書を続けながら俺との会話を両立しているらしい。
器用すぎるなと思いつつ、これじゃ本当に読書の邪魔をしかねない。危険もないようだし、テントにでも戻るか。
「というか、よく読書しながら会話できるよな……。邪魔しちゃ悪いから戻るとするか」
「いや、待ってくれユニフ、少し聞きたい事が有るんだ。このまま話せないか?」
「いや、俺は構わないけど、読書しながらで大丈夫か?」
「それなら問題ないさ、僕は並列思考訓練を受けているからね。読書をしながらの会話など、問題なく出来るよ」
ここで突然、ロイの新たな特技が披露された。
ロイの言う並列思考訓練とは、書物や報告書を始めとする文字列を読みながら他者と会話をするという、指揮官としては必須級の能力の事を指していて、ロイは特にこの能力が優れているという事だった。
それに、複数の報告を同時に聞き分けたりも出来るらしい。意外とスゴイ奴なのかもしれない。
「へぇ、すげぇな。そんでなんだよ?俺に聞きたい事ってさ?」
「あぁ、それはな、僕の身の上話についてだ。この間話しただろう?率直に聞きたいんだが、どう思った?」
「どうって……?正直少し変だなとは思ったな」
「変とは?どこが変に感じたんだ?」
「いや、ロイの親御さんは未成年でロイを授かったんだろ?なんていうか由緒正しき騎士の家系にしては、秩序がなさすぎるように感じた」
「ふむ、確かに僕が14の時に異性なんて意識した事はなかった。というか今でもよく分かっていないくらいだ」
へぇ、騎士様は恋愛経験ゼロらしい。まあ、俺も人の事言えないけどな。
ロイは顎に手を当てて、考えをまとめているようだ。
そして、まとまった考えを確認するかのように一言だけ呟いた。
「そうか、だから二人とも……。」
「ん?どうした?」
「いや、なんでもないさ。そんなことよりさ、君は冒険者になって何かしたい事がないのかい?」
「俺か?そうだな、とりあえずタヌキ捕りの名人にはなりたいな!」
「なんだそれは!もっとこう有るだろう?大きな夢がさ」
「大きな夢か、そういうロイはどうなんだよ?冒険者になってやりたい事があるのかよ?」
「あぁ、よくぞ聞いてくれた!僕の夢は―――」
ガサリ。と近くの草むらが鳴った。
よくもまぁ、タイミング良く鳴らしたもんだな。何がいるんだ?タヌキか、ヘビか。
ロイも気分良く話そうとして中断させられたせいで、少々ご立腹な様子。
俺もロイも草むらに視線を向け、茂みの動きを凝視した。
ガサガサと鳴る音は段々と近付いてきて、揺れる茂みも大きくなってくる。
何か変だ。そう俺が思ったの同時に、そいつは茂みを割りながらその巨体を露わにした。
「………ブモォ」
「「…………。」」
「おい、ロイ。連鎖猪って奴はどんな姿なんだ?」
「ははは、決まっているだろう。あんな感じのドでかい化け物さ……」
「「…………。」」
すくり、と俺達が立ちあがるのと、目の前のドでかいイノシシが雄たけびを上げたのは、ほぼ同時だった。
「ブモォォッォオォォォォォォォッッッ!!」
「うっそだろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!!」
激衝と呼ぶべき雄たけびは、緩やかだった空気を一変させる。その場で身構えた俺達を震え上がらせ、恐怖を振りまいた。
生物として、弱きものとして、巡る思考。
敗北、惨殺、捕食。
考え付く思考の全てがマイナスのイメージに支配され、脳内の全てを埋め尽くしていく。
「なんでだよッ!このタイミングで何で出てくんだよッ!!」
「僕が知るかッ!昼間ユニクがストーキングしてたからだろッ!!」
チクショウ!俺だってやりたくてやってたわけじゃないのに!
あぁ、最悪だ。今はリリンはテントの中、俺たちじゃコイツは対処できそうもない。
目の前の化け物イノシシこと、連鎖猪は、その3mはあろうかという巨体を震わせている。間違いなく興奮しているだろう。
臨戦態勢に入るのも、もうすぐのはずだ。
どうする?選択を間違ったら、危険どころの騒ぎじゃないぞ!!
「と、とりあえずレベルの確認をするぞ!ロイ!!」
「あぁ、そうだな……。まずは現状確認だよな」
―レベル41051―
「「…………はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」」
ちょ、ふっざけんな!ウナギやホロビノよりレベルが高ぇじゃねぇか!
勝ち目がないってレベルじゃない。一瞬で勝負が付きそうなレベル差だ。なにせ俺とロイのレベルを足しても未だ8倍以上の差が有るわけで。
流石に、理不尽に慣れてきている俺もちょっと扱いに困る。
俺達が慌てふためいている間にも、連鎖猪はその準備を終えていた。
その体の全てを茂みから出現させ、俺達の前に立ちふさがる。
距離にして、おおよそ7mといった所か。その毛並みは茶を基本とした色合いだ。
しかし、不思議な事に毛並み自体が青い光を放っている。バチリバチリと嫌な音を立てながら。
「ロイ、リリンのテントまで何秒で行ける?」
「何も邪魔さえなければ、30秒といったところだ」
「30秒だな?じゃあ任せたぜ?俺はその間アイツの足止めをしとくから」
「な、おい正気か!?ユニフ!」
「正気も正気。大マジだよ。ほら来るぞッ!!」
7m。
そう7mあったはずなのだ。俺達と連鎖猪の間にはそれだけの距離があった。
だが、今やその距離はマイナス値を示している。前にいた連鎖猪は今はもう、俺達の後ろにいるのだから。
何が起こったのか、分らなかった。
ただ、俺もロイも吹き飛ばされながら、勝算の無い戦いに身を投じることになった不幸を、嘆いただけだ。