第100話「幸せなディナー」
「皆様、お待たせしました。本日のディナーでございます」
「ユニク、おじいちゃんが来た!」
ドングリ弾劾裁判が無事に終わった俺達は、当たり障りのない雑談に興じていた。
オールドディーンやアルファフォート姫の日常は平凡で、特筆するべき事が無いくらいに真っ当。
領主という立場のロイは興味深げに頷いていたが、貿易や為替という、経済政治がまったく分からない俺には飽きる内容だったとだけ言っておこう。
その一方で、アルカディアさんとドングリの日常はとってもスリリング。
特殊個別脅威な蛇をぶん殴った話は、俺とリリンと手羽先姉妹の目を輝かせた。
そんな楽しい時間が過ぎ、ついにアプルクサスさんが帰って来た。
その手が押しているのは、銀色に輝くディナーカート。
上ある銀色の蓋が、俺達の想像を掻き立ててくる。
「凄く良い匂い!あぁ、楽しみ過ぎるっ!!」
「めっちゃ良い匂いするし!?オレンジもあるっぽいし!!」
料理の匂いを嗅いだリリンとアルカディアさんは、もう既に平均を凌駕した満面の頬笑みだ。
アプルクサスさんが配膳を始めるのを、ワクワクしながら待っている。
「ふん、随分と量が多いではないか、アプルクサス。晩餐会でも始めるつもりか?」
「そうですとも。これは私達の孫との出会いを祝う晩餐会なのです。どれだけの料理を用意しようとも、多すぎる事などありませんよ」
アプルクサスさんに続いて、十数名のスタッフが室内に入って来た。
どうやら、アプルクサスさんが持って来たのはメインディッシュだけで、パン、前菜、スープ、魚料理、肉料理、生野菜、甘味、果物、ジュース類などは別のスタッフの担当のようだ。
そして、それらの料理を乗せたディナーカートが一列に並び、配膳の準備が整った。
これらの料理はリリンがリクエストし、アプルクサスさんがコーディネートした特製フルコース。
更に高まって行く期待に、俺の喉がゴクリと鳴る。
「ユニク、この料理達は私が選び、おじいちゃんが最も美味しく食べられる組み合わせを考えてくれたもの!例えば、メインディッシュの一つの『鳥の唐揚げ』は、他の料理の風味を損ねないように、柑橘系のソースが掛っている!!」
「なるほど。唐揚げは美味いけど、油を使ってるから他の料理との相性が難しいもんな。だが、今日の料理はどういう風に食べても最高の味になる訳だ」
「そう!!他の料理はもちろん、別のメインディッシュの邪魔もしない!!」
「……他のメインディッシュ?ちなみに、メインディッシュだけで何種類あるんだ?」
「5種類!!」
「5種類もあるのか。うん、それは……、楽しみだぜ!!」
メインディッシュだけで5種類もあるのかよ!?なんて、無粋なツッコミはしない。
なにせ、これは祖父との出会いを祝う晩餐会。
だから今日だけは、どんだけ食っても良い。
大魔王ハムスターを超越して、食イ意地ハッテル・タヌキリリンになったとしても、なーんにも問題ないのだッ!!
「では、給仕を始めると致しましょう。本日は五種類のフルコースを御用意させて頂きました。これらのメニューの中から、好きな料理を、好きな量だけ御注文ください」
「あ、すごい!!胡桃のパンも良いし、ミルクロールも良い!!」
「遠慮はいりませんよ、リリンサ。どれも私と私の自慢のスタッフが考案した自信作なのです」
「じゃあ、私は全部のパンを一個ずつ!!あ、おじいちゃんが考えたのは二個にして!!」
「デニッシュペストリー・ダブルベリーを二つですね」
「うわぁ……!飴細工みたいなイチゴがいっぱい乗ってる!!」
リリンの前に置かれたトレーの上には、パンで出来た宝石が乗っている。
その中で特に輝いているのは、一粒一粒がカラメルでコーティーングされた木イチゴのパン。
ラズベリーとブラックベリーの色どりが美しい、魅惑のデニッシュだ。
「りんなんちゃら、これ、全部、選んでいいし?ホントに良いし?」
「もちろんいい!好きなの選んで!」
「やったし!!ドングリもお礼言うし!!」
「ヴィィ~ギルロロォ―ン!」
執行猶予つきの判決が下されたドングリの身柄は、アルカディアさんに引き渡してある。
その結果、ドングリはアルカディアさんの膝の上にお行儀よく座り、首にはテーブルナプキンが巻かれた。
……今日は祝いの席だからな。タヌキがテーブルマナーをマスターしていても不問にするぜ!!
「それでは……ごくり。いただきます!」
宮廷マナーには、決められた食前の挨拶は無い。
だが、リリンは目の前に並べられた料理に向かって手を合わせ、感謝の祈りを捧げた。
例えそれが間違った行いだとしても、食事に対する礼節を欠かさないのがリリンの矜持なのだ。
そして、リリンはアプルクサスさんが作ったパンに手を伸ばす。
「さく、もぐもぐ……。ふぁぁあ……」
艶めかしい声を上げ、リリンが身悶えた。
今まで食べて来たどんな料理よりも美味そうな表情に、思わず俺もパンに手が伸びる。
そうして口の中に充満した濃厚な甘みに、自然と頬が緩んだ。
「うっわぁ。何だこのパン。やわらうめぇぇ」
「持った感触は堅いのに、舌に触れたら溶けてなくなった……。なにこれ、魔法……?」
俺の知っているデニッシュは食感を楽しむパンだ。
だが、これは違う。
手に持った外層以外の全てが、まるで綿菓子のように舌の上で蕩けて溶ける。
これは間違いない。パンの歴史を変える逸品だ。
「次はスープ!濃厚ワンタンスープから行く!!……はうぁー」
品数が多いだけあって、給仕される一品一品の器は小さい。
目の前に置かれたワンタンスープも、蓮華で五匙ほどの量しか無く、通常なら物足りなさを感じるはずだ。
だが……、俺の脳と胃袋を満たしたワンタンの旨みが、そんな雑念を塗り潰した。
今はただただ、幸福感に包まれている。
「あぁ”~~、うますぎるしぃ~~」
「ヴぃぃぎるろぁ~~ん」
そのあまりの美味さに、タヌキすらも蕩けた。
こうして、俺達の晩餐会が進んでいく。
俺、リリン、テトラフィーア、ロイ、じいちゃん、アプルクサスさん、アルカディアさん、こんにゃく姫、ふっくらタヌキ。
全員が笑顔になった幸せな一瞬を、俺は生涯忘れないだろう。
**********
「くすくすくす……、今頃、リリンは楽しんでいるかしら?」
「宮廷料理長が生涯を掛けた料理でしょ?普通に美味しそうよね。私もあっちに行けば良かったかなー」
「それはだめよぉ。後で余がご馳走してあげるからぁ」
「妙な仕込み料理は無しで。純粋な宮廷料理を楽しみたいわ」
「分かったわぁ。じゃあ、とっとと王位を譲って頂いて、私達も祝杯と行きましょぉ」
「期待しておくわね。って、そう言えば研究に熱中し過ぎて、今日は何も食べて無かったわ」
ブルファム王城、最上級来賓室のソファーの上で、二人の女性が寛いでいる。
一人は煌びやかなドレスを身に纏った女王、レジェリクエ。
もう一人は、純白の白衣を着こなした女医、カミナ。
ブルファム王への謁見を申し込んだ二人の大魔王は、その時が来るのを待ち焦がれている。
「それにしても、リリンとユニクルフィンくんとワルトナの三角関係には頭を抱えたわー。だって、まさかの世界規模なんだもの」
「世界を舞台にした恋愛冒険譚。あはぁ、ぞくぞくするほど刺激的ぃ」
「文学として読むなら面白いと思うわよ。でも、現実って考えるとね」
「カミナは昔っから考え過ぎなのよぉ。好きな男性に射止められる為に、あらゆる手段を尽くす乙女達。こう考えると可愛くなぁい?」
「あらゆる手段の中に大陸統一が含まれてるのは、流石にどうかと思うわ」
二人が当たり障りのない雑談に興じているのは、ブルファム王の目覚めを待っているからだ。
この来賓室に通されてから、既に2時間が経過している。
高い知能指数を持つ二人だからこそ、これだけの時間があれば、互いの情報を交換し終えるのは容易い事だ。
「ワルトナとセフィナちゃんは大聖母主催のパーティーに呼ばれているのよね?なんの集まりなのかしら?」
「普通にホームパーティーだってぇ。『恋する幼虫』になってから定期的にしてるらしいわぁ」
「それにしては、ワルトナの顔が微妙だったわね?」
「大聖母ノウィン様のぉ、手作り料理が振る舞われるんだってぇ」
「やけに家庭的なのね。大聖母」
「基本的には美味しいんだけどぉ、ときどき微妙な味の創作料理が混じってて、どんな反応を取るのか見られてるみたいよぉ?」
「ちょっと家庭的過ぎない?大聖母」
「面白いし良いんじゃなぁい?」
くすくすと笑うレジェリクエと、僅かに眉をひそめているカミナ。
対極的な態度だが、それこそが、二人が最もリラックスしている姿だ。
医師として弱音や小言が許されない環境に身を置いているカミナは、日常生活で笑顔以外の表情をする事が少ない。
特に、患者や同僚の前では着丈に振舞う事が多く、その表情には常に偽りが含まれている。
だが、心無き魔人達の統括者のカミナは、感情を隠さない。
一切の気遣いをしなくて良い無垢な友人。
それが、カミナ・ガンデの心無き魔人達の統括者なのだ。
「陛下、カミナ様、ブルファム王が目覚めた様ですぞ」
「あら、そうなのぉ?それじゃぁ、ご挨拶に向かうとしましょうか」
扉から姿を露わしたグオが口を開き、レジェリクエが笑みを溢した。
その瞳が見据えているのは、小さい頃に交わした、大きな約束。
大陸平定という偉業を成す為、レジェリクエとカミナが静かに立ち上がる。




