第64話「知ってはいけない感情」
「ちょっと違うね。アプリを殺して、ぼくぁが奪ったんだ」
平然と語られた……、自供。
まるで悪びれた風もなく、ただの世間話であるかのように淡々と。
だからこそ、その中に含まれているモノが計り知れない。
「何を言ってるんだ?アプリコットさんを殺した?」
「アプリは英雄であり、人間の皇種でもあった。そんな存在が、そこらの生物に負けて腹に穴を開けられる?ありえないだろう」
「……百歩譲って、リリンの話が間違いだったとしてだ。あんたがアプリコットさんを殺す意味なんて無いだろ」
プロジアさんはアプリコットさんや親父と友人だったはずだ。
実際、ユルドルードの息子を名乗ってからは態度が軟化したように感じたし、後ろの英雄メイドも一人を除いて敵意を解除した。
今更、リリンの敵だと言われても信じられない。
「仮に敵意を持っていたとしても、アプリコットさんの寿命は長く無かったはずだ。手を汚す必要なんて無い」
「理由なんてシンプルなものさ。この力を渡したく無くてね」
「この力……?」
プロジアさんは左手の紋章が良く見えるように翳し、ヘラヘラと笑っている。
渡したくない力というのは、人間の皇種としての力で間違いない。
「皇種が死ぬと継承者が自動で選別され、次代の皇種が生まれる。だが、アイツらほど規格外じゃないぼくぁ選ばれるはずがない」
「そう言えばギンがそんな事を言ってたな。次に強い奴が皇種になるんだったか?」
「だが、その仕組みには例外がある。『同種族の生物がその皇種を殺した場合、その者が次の皇となる』。ちなみに、人間の皇種がいないとされているのも、このルールが理由だね」
同じ種族の皇を殺せば、皇に成り替わる事が出来る……?
なるほど、確かにそんなルールが有ったんじゃ、時代の有権者から狙われ続けるだろう。
「なぁ、そんなに皇種の力ってのは凄いものなのか?友達を殺してまで奪って、満足できるものなのか……?」
「満足しないさ。力だけあっても意味がない。力は行使してこそだ」
「じゃあ、それで何を――」
「ユニク。もういい」
俺の言葉を遮ったリリンは、怒りと悲しみが混じった複雑な表情をしていた。
まるで別々の心が相反する感情を吐き出しているみたいに、その相貌が揺れている。
「リリン?」
「パパを殺したのが野生動物じゃない事は、パパから直接聞いている。そして、それが人間である事も」
「……知っていたっていうのか?」
「パパはそれが誰なのかを教えてくれなかった。いずれ分かる事だし、今は知った所で意味がないからと。でも、出会ってしまったのならッ……!」
リリンを止めなければならない。
そう思って肩を掴んだ俺の指先には、鳥肌が立っていた。
粟立つ肌が感じる恐怖は、プロジアさんよりもリリンに反応している。
人間の最高到達点。人間の皇種、プロジア・フォルトマン。
それよりも遥かに強い覇気と殺意を撒き散らしたリリンが、ギリリと歯を鳴らした。
「離して、ユニク。アレがパパを殺したというのなら、私は許す事が出来ない」
激昂に刈られたリリンは犬歯を剥き出しにし、細めた瞳の奥には濃緑色が揺らめいている。
親の敵だと言われたんだから、怒り狂うのも当然だ。
戦うんなら、俺も一緒にやる。
だからな、ちょっとだけ待っててくれ。
「リリン。いざとなったら俺も一緒に戦ってやる。だから、まずは確認させろ。……プロジア」
「なにかな?」
「何故、それを俺達に告げた?理由があるんだろ?」
意味もなく自らが親の敵であると告げるなど、ただの馬鹿だ。
何かの思惑がそこにあるはずで、俺達を怒らせるのが目的のはず。
ならば、コイツの思惑に乗るのは危険だ。
「そうだなぁ。放火犯の心理って知ってるかい?」
「知らんな」
「放火犯は自分が火を付けた現場に居座って、燃える様子を見物しているって奴。ぼくぁとキミらがここで出会ったのは偶然だった。そして魔が差した」
「魔が差した?」
「自分が起こした事の顛末。ぼくぁがアプリを殺した結果、リリンサがどうなったのかを知りたくなったのさ。ただそれだけだよ」
コイツにとっては、それを俺達に告げた所で問題なんて起こりえないんだろう。
プロジアは、未だに俺達の目の前で悠々と座っている。
立ち上がる事も武器を手に取る事もなく、足元の蟻など踏み潰せばいいとでも言うように。
「リリンがどうなったかなんて見りゃ分かるだろ。そんな事の為に俺達を煽ったのか?」
「馬鹿だとでも言いたげだが、それで結構。ぼくぁアプリやノウィンに勉強で勝てた事は無いし、ユルドに体力で勝てた事もない。イミルには……酒じゃ勝てなかったなぁ」
「思い出に浸るのは勝手だが、おかげさまで俺達の気分は最悪だ。この落し前はどう付けてくれるんだ?」
「子供の癇癪なんて知らないよ。勝手にどうとでもすればいい」
「ずいぶん身勝手なんだな。これが人間の皇か」
「僕なんて全然マシさ。娘の為に世界を窮地に貶めたド級の馬鹿や、人間を辞めたアホ、友達を救うと吠えた身の程知らずに比べればね」
それは……、アプリコットさんや親父、俺の事を言っているのか。
世界最強・蟲量大数に挑んだという俺達。
その全容は掴めていないが、プロジアの言うとおりに世界の危機を引き起こしていたとしたら?
間違っていたのは俺達の方……、なのか……?
「……いい加減にしろ、プロジア」
「なにかな?」
「お前に何が分かる。あの時のパパの気持ち、ユルドルードの想い、ユニクの優しさ。そのどれか一つも知らないで、好き勝手な事を言うな」
「これは人間の代表者の声さ。だから言うよ、お前が死んでおけばすべて丸く収まっていた」
「黙れッ!!《ルーンムーンッ!!》」
押さえていたリリンが身をよじり、覚醒させたルーンムーンを振りかざした。
その能力『魔導回帰』により、24時間前までに使用した魔法は無条件で使用できるようになる。
迸った雷鳴は、雷人王の掌。
最高位の雷撃が空気を焼き切りながら直進し――。
「シルフィードの雷杯」
プロジアが取り出した一杯のグラスに吸い込まれて、呆気なく潰えた。
「別に驚く事は無いだろう?威力も速さもアプリ以下だし、対応するのは容易だよ」
「ちぃ!《五十重奏魔法連× 五十重奏魔法連×五十重奏魔法連……》」
「ぼくぁ遅いと言ったはずだ」
ワイングラスの様に雷杯を回していたプロジアが、中身をぶちまける様に乱雑に振るった。
水の代わりに零れたのは、リリンの雷人王の掌。
構築中だった50の魔法陣を瞬時に焼き尽くし、雷鳴と共に消えてゆく。
「椅子から立つどころか、防御姿勢すら取らないとはな」
「これでも、ぼくぁ人間の皇。玉座に座して弱者を見下ろすのは理に叶ってるでしょ?」
肩を竦ませて見せたプロジアは、今の攻防は戦闘ではないと言いたげに湯気立つグラスを眺めている。
……いいのか?そんなに顔を近づけたらあぶねぇぞ。
「さ、どうす――!」
「《空間破壊》」
俺が飛ばした斬撃によって両断された雷杯が地面に接触し、甲高い音を響かせた。
プロジアは斬撃が当たる直前で気付き、雷杯を投げ捨てて無事。
そして、それが合図だったとでも言うように、俺達と敵の両方が一斉に動き出す。
「ますたーをよくもっ!」
「青い方は任せなさい、フレティーヌ」
二人のメイドが俺とリリンの左右から接近。
残ったメイドの一人はプロジアの横で杖を召喚して詠唱に入り、もう一人は弓を引いた。
俺はリリンから素早く手を離し、向かって来ていたメイド――、フレティーヌに狙いを定める。
さっきは互角の戦いだったがな……、そりゃ、情報収拾をしていたからだぞ。
「っ!?おま、さっきまで手加減してや――、」
「痛いだろうが、ご主人さまを恨んでくれ」
俺の腹へ突き出された短剣めがけて、グラムを本気で振るった。
半粒子状に砕け散らせた短剣は、慣れていないと突然爆発したかのように見える。
そして、呆気に取られたフレティーヌの足を掬ってバランスを崩し、腹に左手の肘を叩きこんだ。
更に、俺は衝突の瞬間に惑星重力制御を発動している。
その力を相手の体に流し込み、強制的に地面へと縫いつけさせた。
「ガフッ!?」
通常の重力の5倍、だいたい300kgの負荷が全身を襲う。
それに耐えきれずに噴き出た嗚咽を無視し、俺は次――、既に放たれた矢に向かう。
7本の矢が狙っているのはリリンだ。
それら全てを惑星重力制御で引き寄せ、グラムで撃墜。
その勢いのまま、射手に向かって駆け抜けた。
「速っ……!」
「弓矢対策は万全なんだよ。悪いがな」
覚醒させたグラムは、片刃のファルシオンだ。
その背に刃は無く、振るった所で絶対破壊が適用されるはずもない。
持ち返したグラムを振るい、弓本体を狙って振り飛ばす。
斬れないとはいえ、鋼鉄製のグラムは鈍器として十分な威力を持つ。
ワザと力で叩き壊せば、手を痺れさせることができる。
真っ二つに折れた弓が視界の奥に消え、悔しそうなメイドの顔が代わりに映る。
「ちょっと休憩しとけ」
意識を刈り取るべく刃を返したまま振るい――、迎え撃たれたグラムはピクリとも動かなかった。
俺の殴撃を防いだのは、赤い手斧を装備したプロジア。
ついに椅子から立ち上がり、その目に鋭さが増している。
「女を殴るのは感心しないな、ユニクルフィン」
「そうか?これが最善手だったと思うけどな」
そしてーー、俺に出来たのは、ここまでだった。
プロジアによって動きを止められた俺の周囲には魔法陣が展開し、後は合図一つで終わるだろう。
リリンはメイドの一人と激闘を繰り広げている。
昨日の夜に一通り発動しておいた魔法の全てがタイムラグ無しで使える今はリリンが優勢だ。
だが、魔力切れを起こした瞬間に逆転され、俺達は詰む。
「にしても……、一番低くて11万か。まったく恐ろしいぜ」
惑星重力制御の影響下から抜けだそうと暴れているフレティーヌのレベルが110291。
リリンと戦ってる長剣使いがレベル118296。
そして……、目の前の射手が141032。
魔導師が146349だ。
「結局は戦いになって俺達の負けか。フレティーヌは殺しちゃいねぇが、どうする?俺達を殺すか?」
「彼女次第かな」
「リリンの事か?」
「さぁ、どっちだろうね?」
ルーンムーンを覚醒させておける時間は存外短い。
非常に強力な魔道具である分、消費する魔力が尋常じゃないからだ。
相手もそれが分かっているようで、わざと責めず時間稼ぎに徹している。
加勢するために俺が動けば、周囲の魔法陣からの攻撃で無事では済まない。
だが、万が一リリンに危害が及びそうになったら、俺は一か八かの賭けに出るつもりだ。
絶対破壊の波動を撒き散らし、俺が認識しているリリン以外の全てをブチ壊す。
出来るかどうか分からないし、一秒の遅延が起これば、魔法陣に焼き尽くされる。
そんな覚悟の中、その瞬間が訪れ……戦いの幕が下りた。
だがそれは、俺の予想と覚悟を裏切る結果だった。
「かふっ……」
「もうお前に用は無い。どけ」
リリンがルーンムーンを星丈ールナへと戻した刹那、俺の理解を超える事が起こった。
勝ったのはリリンだった。
振り抜かれた剣がリリンのふとももを抉ろうとし――、それを上から叩かれ刀身が折れた。
そしてリリンは、砕いた剣を魔法で打ち出し相手の腹へ刺し込んだ。
そのままメイドは崩れ落ち、フレティーヌが彼女の名前を叫ぶ。
ウィディアというらしい彼女は痛みに呻いた後、太ももから小瓶を取り出し飲み干す。
流れで腹から剣を引き抜いて、そのまま後ろに倒れ込んだ。
「ユニクを離せ、プロジア。さもなくば殺す」
「アースィ。ウィンディアの手当てをよろしく」
俺を取り囲む魔法陣を制御している彼女がアースィだったんだろう。
呼びかけに驚きつつも頷き、すぐに俺から意識を放してウィンディアの方に走って行く。
これで、四人の取り巻きは全て戦線から引いた。
だが、幾つか不安が残ってる。
「リリン……だよな?」
俺の横に来た人物は、リリンの姿をしている。
だが、どこか違う妙な気配を纏っていて。
「そうだよ。ユニク。久しぶり。」
いや、リリンだけじゃない。
リリン以外の誰かが、その中にいる。
「それにしても、やるじゃんユニクルフィン。同じ年頃のユルドよりも強いかもね」
「いや、まだまだ足りねぇよ。これじゃクソタヌキは斬れねぇ」
「目標が高すぎる気がするが……、まぁいい。ぼくぁと戦いたいのかい?」
「いや……、出来れば平和的に別れてぇな」
感覚で理解している。
英雄メイドが相手なら戦う事が出来るし、工夫次第で勝つ事も出来る。
だが、プロジアには勝てない。
殺し合いをすれば100%確実に俺達が――、死ぬ。
「じゃあ帰ればいい。ほら」
そう言われてすぐに、俺達の背後に空間の裂け目が出来た。
リリンがブチ破ってきた物とは別で、すぐに出て行けと言わんばかりに大きく口を開いている。
「いいのか?」
「いいさ。リリンサがどんな状態なのかも見れたし、もともと偶然通りがかっただけだしね」
「そうか……、行くぞ。リリン」
最後の最後に背後から襲われるなんて事がない様に、俺の意識は後ろに向けている。
それはリリンも同じで、俺の後ろで念入りに警戒しているようだ。
そして、空間の出入り口に手を掛けるまで進んでも、プロジア達は動かなかった。
見逃されたのか、本当に偶然だったからこそ興味がないのか。
それの答えが出ないまま、俺は空間の裂け目を通り抜けた。
「はぁ……、何とかなったというべきか……。運が無かったというべきか」
「一方的に損害を与え、私達はほぼ無傷で生還した。実質的に勝ちだと思う!」
「そーいう事にしておくか。気持ちを切り替えていくとしよう」
相手は間違いなく格上。
レベル50万もある奴とまともに対峙して生き残れたんだから、勝ちで良いのかもしれない。
で、それはそれとして……、空間から抜け出る瞬間、リリンが振り返っているのが見えた。
最後に何かを言い残したっぽいが、どんな捨て台詞を吐いたんだ?
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「くたばれ、プロジア。次にユニクとリリンにちょっかいを出したら殺す。……か。寝起きでご機嫌斜めだったとしても、ちょっと酷過ぎると思うよ、アプリ」
椅子に座りなおしたプロジアは、真っ二つに斬り捨てられたシルフィードの雷杯をテーブルの上に乗せた。
空間からドライバーやデザインナイフ、その他工具類を取り出して広げ、壊された断面を覗き見る。
「ま、ますたー……。みぃのこと嫌いになる?みぃだけ負けたから」
「みんな負けたでしょ」
「みぃだけ……、得意な武器を使って負けたからっ……!」
「そうだねー。じゃ、雷杯を直すの手伝ってくれるかい?」
「分かった。頑張るっ」
潤ませた瞳で見上げるフレティーヌが片方の雷杯を手に取ったのを確認し、プロジアも自分の手元に視線を落とした。
そして瞬く間に解体され、破損したパーツがリストアップされて行く。
「マスター、お伺いしても宜しいですか?」
「何をだい?」
「なぜ、彼女に嫌われる様な事を言ったのですか?アプリコット様を殺したのは、あくまでも彼の要ぼ――」
「意地悪だね」
「意地悪ですか?」
「そう、意地悪。だって、仲間外れにされ、挙句に友殺しの汚名を着せられた訳だよ、ぼくぁはね。その元凶に意地悪の一つくらいしたっていいだろ?」
今まで一言も話す事が無かった、射手『アクアメノウ』。
プロジアと何気なく交わされた会話は、お互いに信頼しているからこそ視線を交わさずとも、本音で通じ合える。
「その結果が『くたばれ』ですか。彼女は全て知っているでしょうに。本当に眉をしかめます」
「結局、あの子達は子供なのさ。そんなのが人間の皇になった日にゃ、蟲に食われてバットエンドだ。おっ!」
「……何か?」
「内部の魔導規律陣の3割が生きてるじゃん。グラムを覚醒させてこれじゃ、まだまだユルドには届かないね」
プロジア・フォルトマン。
ユルドルードとアプリコットと共に肩を並べた英雄であり、彼の本職は魔道具技師だ。
筋力と魔力という規格外の肉体を持つ二人の英雄とは異なる才能を持つプロジアは、その理知と世絶の神の因子を以て英雄の領域に辿りついている。
「ますたー、もし次に彼らと戦う時は、みぃは『ジャッチメント・シリーズ』を使う。ますたーが設計した短剣なら負けない」
「リリンサがデモン・シリーズを出してたらね」
人間の皇、プロジア・フォルトマン。
その横にかつての友の姿は無く、あるのは自身が作り上げた数々の逸話級武器と、それの性能を発揮させる為の超越者だ。
そんな彼らには目標も、矜持もない。
成り行きで皇になっただけの男は、偶然が連続する人生を楽しんでいる。




