第50話「大魔王後援会②」
「ロゥ、姉様っ……!」
溢した涙が大地へ落ちるよりも速く、レジェリクエはローレライへ抱き付いた。
傷一つない強かな皮鎧の感触を頬で感じ、そのままグリグリと押し付ける。
レジェリクエは、あまり感情を隠さない。
施政者として必要な時以外は見た目通りの振る舞いをする事が多く、精神的に幼いと思われる事も多い。
だが、そんな偽りに慣れ親しんだテトラフィーアであっても、今回のレジェリクエの振る舞いには驚いた。
二人の関係性を知らない者ですら、瞬時に悟るだろう。
それ程までに、二人が浮かべている表情は『姉妹』のようにそっくりな笑顔だ。
「余は、ずっとロゥ姉様の事を考えていたの」
「おねーさんも時間がある時は『レジィは何してるのかな?』って考えてる事が多かったよ。会いに来なくてごめんね」
「ううん、いいの。ロゥ姉様が決めた事なら、文句なんて無いわ」
ローレライの腰に回した手をぎゅっと締めつけ、レジェリクエは体を密着させた。
濡れた瞳を隠そうとせずに見上げ、その目にローレライの姿を映す。
手に持っていた鉄扇は、いつしか短剣に変わっている。
そして静かに刀身がクルリと返された。
脊椎の横から入り、肋骨の下を通り、心臓へ。
鋭く尖った先端が、音もなく皮鎧の隙間を通り抜け――、肌に触れる直前に、ローレライはレジェリクエの手を掴み上げた。
「にゃっはは!この思慮深さこそ、おねーさんが育てたレジィだ!王になると耄碌するなんて良くある話だからね。安心したよ」
「やっと倒したのに偽物だったとかぁ、記憶を奪って洗脳するとかぁ、ちょぉっと面倒なのが続いてねぇ。余の記憶を読んだサーティーズからロゥ姉様の情報が漏れているのなら、成り替わりの可能性があるものぉ」
一瞬で表情を切り替えたレジェリクエは、下着に仕込まれた転移の魔法陣へ魔力を流した。
瞬きの間にローレライの胸の中から脱出し、壱切合を染め伏す戒具を構え直す。
「支配声域で言葉を引き出させ、テトラフィーア姫が真偽を判断する。うんうん、盤石な仕組みだね!」
「お褒めに預かり光栄よぉ」
レジェリクエはローレライの姿が見えた瞬間、抱いていた警戒心を最大へと引き上げた。
この邂逅によっては、長い時間を掛けた戦争計画の全てが水泡に帰す可能性を見たのだ。
敵の正体を確かめる為、レジェリクエは自分を囮として使用した。
そして、その結果を聞く為にローレライが話を促す。
「テトラフィーア姫。それで、どうかな?おねーさんは本物だと思う?」
「本物ですわね」
「即答だねー。どうしてそう思った?」
「声に一切の揺らぎが無いからですわ。嘘を吐いていないどころか、私達を相手に全く遠慮がない。どんな状況になっても完封できると思っていらっしゃいますね?」
「正解。さすがにロボット持ち出されたら困るけど……、変形後のメカ鳶色鳥くらいなら問題ないよ。にゃは!」
ローレライは、アップルルーンと天穹空母の戦いを見ていない。
当然、音響兵器セイレーン形態も目にしていないが……、残骸を瞳に映しさえすれば、想像するには十分な情報を得る事が出来る。
その魔法陣が宿る相貌こそ、世絶の神の因子・絶対視束。
世界を観測する神の瞳だ。
「本物のロゥ姉様……。余は王であり、無条件で再会を喜ぶ事は出来ないわ。今になって会いに来た理由を教えてくれないかしら?」
「にゃはは、『ブルファム王国最大戦力が敗北した瞬間に、冥王竜を拉致した暗躍者が出てきた』。そりゃ警戒するよね」
「洗脳か自由意思かで意味が変わるわぁ。どっちにしろ大変だけどぉ」
ローレライがここに来た目的が敵対なのだとしたら、その裏側に何が隠れていようとも、レジェリクエの敗北が確定する。
洗脳されていた場合、敵はローレライよりも強い魔法技術を持っている。
そして自由意思だった場合、その動きの一切を気取られること無く、レジェリクエに勝つ準備を終えている事になる。
どちらにしても、勝ち目はない。
レジェリクエの表情だけは取り繕われながらも……、言葉には焦りが含まれ始めている。
「答えて欲しいわ。ロゥ姉様の目的は何?」
「にゃはは、もうすっかり女王様だ。うん、とっても頑張ったんだね」
「ロゥ姉様……?」
「良いよ、剣を下げて。おねーさんに敵意は無いからさ」
ローレライの表情を見たレジェリクエは、その言葉に嘘は無いと思った。
そして、テトラフィーアも嘘が無いと聞き取り合図を送ると、レジェリクエが称えていた笑みが消える。
それは……。
思い通りに行かず、ふて腐れた妹。
不満げに口を引き絞り、ジト目にいっぱいの涙を溜めて……、今度こそ、姉妹は再会を果たす。
「……こんなにもずっと会えないって思ってなかった。長くても3年くらいだって思ってた」
「うん」
「王として国を安定させても、ロウ姉様は会いに来てくれなかった。だから、こっちから会いに行こうと思って世界中を旅した」
「うん」
「まだ足りないのかと思って、大陸の半分を手に入れた。それでも会いに来てくれないから、今度は大陸全部を手に入れようと思った」
「うん」
「生きているのなら、どうして会いに来てくれなかったの?ロゥ姉様は何をしようとしているの?……また、私を置いていくの?」
「違うよ、レジィ。全部おねーさんのせいで、レジィは悪くないんだ」
たった一回の跳躍で距離を詰めたローレライは、優しく優しく、何度もレジェリクエの頭を撫でながら「寂しい思いをさせて、ごめん」と謝った。
二人が別れた時に交わした約束『この大陸の何処にいても、レジィの名前を聞くようになったら会いに行く』。
その条件は達成しているはずなのに、ローレライは姿を現さなかった。
自らの意思で会わない事を選択した自分でさえ、相応に寂しかった。
レジィには本当に寂しい思いをさせてしまったのだと、涙があふれる瞳に映ったローレライは思っている。
「おねーさんがレジィに会いに来た理由は3つある」
「聞くわ。それがどんなものだったとしても」
「っとその前に。まぁまぁシリアスな話になるから、先に妹成分を補充しておこうっと。……こんなに長く待たせてごめんね、レジィ。会いたかったよ」
「わたしも、ずっと、会いたかった……」
ギュッと抱きしめられたレジェリクエは、今度は何も持っていない両腕で抱き締め返した。
偽りの無い表情でぽろぽろと涙を溢し、言葉で語らずとも喜びを交換し合っている。
テトラフィーアは、再会を分かち合う二人を見てしんみりした空気を味わいつつ、腰を抜かしているグオに笑顔を向けた。
そして再びお茶を入れるようにお願いし、姉妹の再会イベントの舞台を整える。
出来あがったお茶会のテーブルに着いたのは3人。
レジェリクエとテトラフィーアとローレライだ。
「まずは謝罪だね。色々とやらかした不甲斐ないおねーさんは、レジィに謝らなくちゃいけない」
「それは冥王竜を拉致した結果、アホの子タヌキロボに襲撃されて敗北し、盤石だった戦争状況が破綻し、さらに超越者の襲撃に遭い、満身創痍に陥っている現状について?」
「……それもあるかな。うん、それ以外にも失敗が有ってさ。ごめん、トカゲを苛めたら縮んじゃった」
声に含まれている申し訳なさに近視感があったテトラフィーアは、自分の記憶を探っている。
そして、テトラフィーアのお気に入りのセーターを洗濯して縮ませてしまったメイの姿を脳裏に浮かばせた。
「トカゲが縮んだ?ロゥ姉様の気持ちを煩わせるんなら、あんなトカゲいらないわぁ」
「あんなんでも眷皇種だし、戦争に組み込んだシステムなのは変わりないでしょ?とりあえず見て貰った方が早いね。エグラ」
人差し指の上に小さな光の球を出したローレライは、それを弾いて空へと打ち上げた。
そして、空間に亀裂が入り、そこから巨大な影が出現。
その偉大なる影が地上に近づき始めると、レジェリクエ達の顔に疑問が張りついていく。
「……縮んだ?むしろ大きくなってなぁい?」
「なってますわね。というか大き過ぎますわよッ!?軽く5倍はありますわッ!!」
偉大なる影が細心の注意を払って地上に舞い降りると、草原の3割ほどが埋め尽くされた。
威圧感を与えないように座り込んでいても、その体高は30mを超えている。
明らかに別個体な黒土竜の姿に、レジェリクエは息を飲んだ。
「ロゥ姉様?このドラゴンは?」
「月稀光を覆う黒塊竜、レーヴァテインに封印されていたドラゴンで、現在はおねーさんのペットだよ」
「……すごいわぁ!余のペットと大違いぃ!!」
「黒いドラゴンってそれだけでカッコイイよねー。で、レジィの方なんだけど……」
ローレライが手をこまねくと、黒塊竜が摘まんでいた物体を差し出した
プラプラと揺れる、全長10mの黒土竜。
鱗は黒光りしているものの、通常サイズの黒土竜よりちょっとだけ大きいという姿に威厳は残っていない。
そして、そんな三名の視線が絡み合い、重い沈黙が流れた。
「……。」
「……。」
「……。」
「……思ってたよりも縮みましたわね」
「……何このトカゲ。ショボすぎぃぃ」
「我、死んだから縮んだんだがッ!?その扱いはあまりにも酷いのではないかっ!?」
突然森の中で出会ったら最大級の警戒をするくらいには、冥王竜は凛々しい姿をしている。
が、その他に付いている要因が酷過ぎた。
レジェリクエ達は転生し完全体となった冥王竜の姿を知っている上に、現在は、黒塊竜によって子猫の様に摘まみあげられ哀愁が漂っている。
これじゃ子タヌキにも敗北しそうねぇ。と、別大陸の資源調達に暗雲が立ち込め、レジェリクエは溜め息を吐いた。
「何度も溜め息を吐かないで欲しいんだが!?扱いが酷過ぎる!!」
「だって、ロゥ姉様のと比べると見劣りするものぉ」
「どうせならもっと縮めば良かったですわ。ホロビノくらいになれば室内飼いが出来ますのに」
「言いたい放題過ぎであろう!?」
冥王竜が縮んで威厳を失った事により、『撃墜された冥王竜は偽物だった作戦』も使えなくなった。
労いの言葉を掛けられるどころか、縮んだ事への失意を向けられた冥王竜は元気をなくし、静かに存在感を消している。
「という事で。ごめんね、レジィ」
「まぁ、ご飯をいっぱい食べさせれば自然と大きくなるでしょぉ?問題ないわぁ」
「食事だと?」
「レジィのご飯って美味しいからなー。すぐだね!」
「腕によりをかけて作るわよぉ。精を付けさせたいから、ウナギのかば焼きとかどうかしら?」
「うむ、控え目に言って最高であるな!」
あ、良かった。御馳走を貰えるって約束は忘れられて無かったっす。
自分の利益確保が出来た冥王竜はウナギに想いを馳せ、満面の笑顔となった。
ミオの自宅は冥王竜が思っていたよりも十倍豪華だった。
そこに住む権利を与えられ、良い感じの寝処の設計もして来た以上、美味しい食事さえあれば完璧だ。
そして、縮んだ甲斐があったものだと納得した冥王竜は、視線の端に同格の気配を感じ取った。
希望を費やす冥王竜と崩界鳥・アヴァートジグザー、運命の出会いである。
「さてと、諸々の補填は最後にするとして、本題に入ろうか」
「ロゥ姉様が何をしようとしているのか、とても気になるわ」
「おねーさんの最終目標はレーヴァテインをレジィに返し正式に王位を継承させること。……レジィの公的な記録は勿論、隠滅した裏仕事や策謀も把握してる。それでも会いに行かなかった理由は、レーヴァテインに封印されている化物をまだ倒せていないからだ」
冥王竜が縮んだと告げた時よりも数段申し訳なさそうに、ローレライは語りだした。
レジェリクエの頑張りは、合格どころか満点だったこと。
その功績に、ローレライですら驚いた事が幾つかあったこと。
自分の妹が大陸の覇者になり、誇らしく思っていること。
……そして、不甲斐ない自分を見せたくなかったこと。
ローレライは、レジェリクエが結果を出す前に、レーヴァテインに封印されている三万体の化物の全てを片付けるつもりでいた。
だが、その頂点に君臨している血王蟲・カツボウゼイに勝利できる手段が思いつかなかったのだ。
ホーライは「殺せぬから封印したのだ」と匙を投げ、ついにローレライの願いが遂げられぬまま、今日に至っている。
「レーヴァテインに封印されている化物の上位って本当に危険でさ、それを処理して綺麗にしてから返そうと思ったんだ。でも、今のおねーさんじゃ勝てない。ダメダメだね」
「ロゥ姉様ですら勝てないなんて……。気持ちは分かるわぁ。カツボウゼイの封印を解いて敗北すれば、大変な事にな……」
「ヴィギルーン!」
「つぅ!?《覚醒せよ、犯神懐疑・レーヴァテイン=神害をなす死法の剣ッ!!》」
その害獣は前触れもなく唐突に、レジェリクエ達の前に現れた。
軽やかな足取りでティーテーブルの上に舞い降り、ローレライの剣筋を完全に見切った後、テトラフィーアのロールケーキに齧りついている。
「ヴィィギルルゥゥーン!?!?ギルギルゥ!」
「こいつッ!!」
「待ってロゥ姉様!!このタヌキはたぶん大丈夫!!」
レジェリクエが制止を叫んだ理由、それはこのタヌキの正体を知っているからだ。
「頭の星が桃色のがゴモラ様だし!ソドム様と違って話が分かる良いタヌキだし!!」
クソタヌキよりマシという情報をタヌキから得ているレジェリクエは、とりあえず自作のアップルパイを召喚。
そっとゴモラの前に差し出し、静かに語りかけた。
「……食べるぅ?」
「ヴィーギルアップル!!」
「あ、食べた。よしよし。……で、何しに来たのかなぁ?」
「ヴィギルン!」
アップルパイに夢中なゴモラはレジェリクエに目もくれず、尻尾を一振りして魔導規律陣を構築した。
その意味不明さにローレライが絶句し、召喚された神域浸食・ルインズワイズを見て目を見開く。
そして……、取り付けてある旗に書かれた『様子見 byワルトナ』という文字を見たレジェリクエは、遂にキレた。




