第48話「銀幕の結末②」
「あの、いつ母様に会えますか?できるだけ早く会いたいんですけど……」
レジェリクエと契約を交わし解放されたサーティーズは、周囲に視線を巡らせ、見るからにそわそわしている。
30年の時を超えた母との再会に胸が躍っているのだ。
そして、その横ではナインアリアとセブンジードが厳しい顔つきでサーティーズを監視している。
二人のその心境は……「あ”ー、疲れたー。温泉に入りたい」だ。
「そんなに焦らなくても大丈夫よぉ、テトラが確認を取ってるわぁ。……で、どうだったかしらぁ?」
「サチナちゃんが迎えに来てくれますわ。詳しい契約の話を直接したいと仰っています」
「あら、ちゃんとしてるぅ。テトラとワルトナの英才教育の賜物ねぇ」
レジェリクエ達がサーティーズと雑談している最中、テトラフィーアはサチナに連絡を入れていた。
そして貰った色よい返事に、サーティーズとナインアリアがハイタッチを交わしている。
「はわわ、それじゃ転移の魔道具がある場所にすぐに移動しないと!」
「あら、その必要はないですわ。ここに来てくれるそうですの」
「え、ここにですか?」
サーティーズが視線を巡らせて目に映したのは、見渡す限りの森林だ。
生物の長距離転移を行う場合、幾つかの条件が必要となる。
・移動を予め登録した高位転移魔法陣。
・移動先の両方からの転移魔法の発動。
などなど……、転移先との距離が遠ければ遠いほど緻密な魔法陣が必要となり、成功確率が下がっていく。
転移魔法の失敗は直接的な危機に直結している為、無謀な条件で行われる事は無い。
だからこそ、何の準備をしていないこの場所にサチナが現れると聞き、サーティーズは首を傾げた。
眷皇種である自分ですら、何もない場所へ直接転移する魔法技術を持ち合わせていないからだ。
「はわわ……、もしや、世界の記憶を読んでの長距離転移?ってことは母様が来るのですか!?」
「いえ、サチナちゃんだけのはずですわ。まだ身内だと話していませんもの」
サーティーズの言葉は、その転移は白銀比にしかできないと暗に告げている。
だが、テトラフィーアはそれを否定し……、ほどなくして、紅色の鳥居が二人の前に現れた。
鳥居の大きさは大体2mほど。
内部には油膜の様な転移魔法が展開済みであり、すぐに影が映し出された。
だが、そのシルエットは……、テトラフィーアの想像よりも一回り大きい。
「ヴィィギルオオン!!」
「……。」
「……。」
鳥居をくぐって現れたのは、屈強な体躯で大地を踏みしめるカツテナイ害獣、タヌキ帝王・アヴァロン。
それと背にまたがっているサチナだ。
そんな、タヌキ on キツネという超展開に、レジェリクエとテトラフィーアは引きつった笑みを浮かべている。
「陛下。世界最強の生物が降臨しましたわー」
「うわぁー、カツテないぃー。余も満を持して無条件降伏ぅ」
二人ともサチナとアヴァロンに害は無いと分かっている。
だが、タヌキとキツネに酷い目に遭わされた直後にカツテナイ大魔獣セットは、色々と辛い。
そして、静観していたセブンジードは「なんだコイツら……、レベルかカンストしてる……だと……ッ!?」と常識的なツッコミを入れている。
「女王さま、サチナの温泉を警備してくれる人が見つかったです?」
「見つかったわよぉ、あの子がそうなの。サチナ、ご挨拶できるかしら?」
「任せろです。接客業は笑顔が一番なのです!!」
周囲一同の驚愕を諸共せず、サチナはサーティーズの前へ移動した。
地に腹を付けて身を屈めるアヴァロンから降り、サーティーズを見据えて首を傾げる。
「……?すんすん?母様に似てる匂いです?」
「あ、あの……。貴方がサチナちゃんですか?」
「そう、サチナなのですよ!よろしくです!!」
にぱっ!っとワルトナ監修の営業スマイルを溢し、サチナは大魔王経営戦略を開始した。
一に笑顔、二に挨拶。三四が策謀、五に利益。をモットーとした経営理念が、中小企業の社長を標的に見定めている。
「それで、女王さま。このひと誰です?」
「あなたのおねーさまー」
「やっぱりです!?ねーさまには初めて会ったです!!」
レジェリクエから正体を告げられたサチナは、今度は普通の笑顔を溢してサーティーズに抱き付いた。
年相応の無邪気な笑顔に、おもわずセブンジードもニッコリしている。
「はわわわわわわ!?はわ、はわわわわわわ!?!?」
「姉様?サチナは妹なのです!いっぱい頭を撫でて良いですよ!!」
「はわ、はわわわわわわわ!?!?」
頬をスリスリして甘えてくるサチナにどう接して良いか分からず、サーティーズは今日一番の困惑を浮かべた。
そして、初めて触れ合う妹……以上の感情を聞き取ったテトラフィーアが疑問を口にする。
「陛下、サーティーズが怯えていますわ?」
「どー見ても怯えてるわよねぇ」
「何でか分かりますの?」
「サチナちゃんは全生物を平伏せさせるオーラが出てるって白銀比様が言ってたから、それが原因じゃないかしら?」
野生動物にとって、自分よりも格上の生物に出会う事は死を意味する。
だからこそ、本能的に相手の能力を見定める力が備わっているのだ。
サーティーズが感じているのは本能的な……、恐怖。
真っ向から戦っても勝てないという、カツテナキ戦慄だ。
「サチナ、この人の名前はサーティーズ。警備会社を経営していて、温泉卿のトラブルを解決してくれるわぁ」
「そうなのです?最近は弱っちい冒険者達が問題を起こして面倒なのです。アヴァロンのタヌキ奉行隊では裁き切れなくなってるのですよ」
「なにその変なの。知らないわぁ」
「アヴァロンが連れてきたタヌキ将軍達に見回りして貰ってるです。 『ニライカナイ』『ニブルヘイム』は良い子ですが、『ヴァルハラ』はたまにさぼって母様に踏まれてるです」
「着々とタヌキに汚染されてない?白銀比様、ブチギレそうなんだけどぉ大丈夫ぅ?」
今の所は大丈夫っぽいです。という何とも微妙な答えを貰ったレジェリクエは、その話を打ち切った。
触らぬタヌキに祟りなし。と自分に言い聞かせ、無理やり話題をすり替える。
「サーティーズ、ちゃんと頭を撫でてあげなさい。妹は甘やかすものよぉ」
「はわわ……、そ、そうですよね……?よしよし」
恐る恐るサチナの頭を撫で、簡易的なスキンシップを終えた。
主様として慕っているリリンサと同じ扱いを受け、サチナの中でサーティーズは姉として認識される。
それにより、ワルトナが仕込んだ『身内にはいっぱい甘えていいんだよぉ』という策謀が発動し、最低賃金で働いて貰おうという決意が固まっていく。
「姉様がサチナを手伝ってくれるです?」
「えぇ、もちろんです」
「じゃあ、サチナの温泉郷を守って欲しいです!」
「はい、承りました。……って、えっと、サチナちゃんの?リリンサさんや母様では無く?」
「違うです。温泉卿はサチナのものです。主様はオーナー、母様は接客担当です」
「え、じゃあ極鈴の湯はサチナちゃんの……?どのくらい大きい旅館なんですか?」
「極鈴の湯だけじゃないですよ?サチナは温泉卿の支配者なのです!」
「はわわ!?」
妹=格下という図式が頭の中に合ったサーティーズは、何かがおかしい事に気が付いた。
極鈴の湯のみならず、温泉卿全ての総支配者だという言葉が信じられず、テトラフィーアに確認している。
「あの……サチナちゃんが言ってる事って……?」
「本当ですわ。なお、極鈴の湯を頂点とした温泉卿、その年間営業実績はざっと1000億エドロですわね」
「せっ……」
「ちなみに、今年の来場者数が前年比154%、800万人を超えてますから、まだまだ上り調子ですわ」
「はっぴゃくまんにん……、お金、たくさん……。お客さん、たくさん……。妹なのに……」
シルバーフォックス社の年間売り上げ総額は8億エドロ程だ。
軽く3桁も違う数字を叩きつけられ、サーティーズの自尊心がバッキバキに粉砕されていく。
だが、サチナの姉であるという自覚が、ギリギリの所で思い留まらせた。
「さ、サチナちゃんは凄いですね……?」
「ちなみに警備の年間予算は12億エドロを想定していたです」
「あっ、うちの売り上げ超えちゃった……。」
「でも、姉様なので契約金は無しでいいです?」
「はわわーーっ!?」
サーティーズは速攻で「ダメです!」っと言い掛け……思い留まった。
いくらなんでも、妹の前でお金にがめつい所を見せたくないという自尊心が働いたのだ。
なお、ワルトナ達に英才教育されているサチナは利益重視主義者。
12億エドロという金額も交渉をする為の叩き台であり、誰が相手であっても半値以下に値切る。
「えっと、その……、流石に無しという訳にはいきませんよ。お仕事ですから」
「そうなのです?女王さまと大臣はどう思うです?」
社会経済の先生へ視線を向けたサチナは、どんな答えが返ってくるのかを楽しみにしている。
この姉妹出会いイベントですら、この3人にとっては優良な教材と化すのだ。
「そうねぇ……、余達が勝ったから基本料金は3億エドロにしましょうか。ただし、勤務時間外なら、温泉郷内でどんな事業をしても良いという許可証を発行しましょう」
「はわわ、だいぶ下がっちゃいました……、でも、許可証は良いですね。本業がやり易くなりますし」
「あぁ、ついでに余が趣味で立てた温泉宿の新館も丸ごと貸してあげるわぁ。本拠地として使うと良いんじゃない?」
「新しい温泉宿……?ちなみに、温泉宿の売り上げって?」
「まだ従業員を決めて無くてねぇ。シルバーフォックス社が経営するのなら、営業利益の8割は貴方のものよぉ。フランチャイズ契約ねぇ」
「8割も……?どれほどの利益が……?」
「温泉卿は宿の供給が全然足りていないのぉ。年間25億の顧客利益を見越して作った宿だから、下手を打たない限り、近しい利益が出るわねぇ」
「25億の8割……?はわわ、契約したいです!!」
警備料が9億エドロも減ってしまったが、宿の運営利益として20億エドロが見込める。
サーティーズは自社の売上の3.3倍の数字に戦慄しながら……、奥歯で幸運を噛みしめた。
なお、レジェリクエが勧めた温泉宿の正体を知っているテトラフィーアは、「結局、遊女としてお風呂屋さんに売り飛ばされましたわー」と遠い目で空を眺めている。
「じゃ、契約内容の確認をするわよぉ。
①シルバーフォックス社に在籍している者は、余の認可が下りるまで温泉郷から出る事を禁止し、外部と連絡を取らないこと
②サチナの指示に従い、温泉卿の警備を行うこと。
原則的にはこの二つ。あとは公序良俗に反しない社会人としてのマナーや常識を身に付けてれば問題ないわぁ」
レジェリクエとテトラフィーアとサチナが纏めた契約内容は、あえて簡易的な内容にしている。
これは、戦争が終わった後で条件を付け足す為のものであり、その際には白銀比とワルトナも会議に参加予定。
そんな策謀が張り巡らされているなど、『姉妹契約』という言葉に踊らされているサーティーズは知らない。
「さてと、セブンジード、こっちに来なさぁい」
「死刑宣告か?」
温泉卿に想いを馳せた事で冷静になったセブンジードは、自分が置かれている状況の不味さを改めて認識した。
国宝を与えられていたのにもかかわらず敗北し、敵の洗脳を利用して裏切り、さらに敗北。
この戦いで上げた戦果など無く、無意味に戦力を失ったに等しい。
さらに、逃亡する為の体力も無く、抗う為の武器もない。
せめて二階級特進扱いにして欲しいと思いながら、セブンジードはレジェリクエとテトラフィーアの前に跪いた。
「セブンジード、顔をあげなさい」
「……はい」
セブンジードに声を掛けたのはテトラフィーアだ。
愉快犯的に罪を許すレジェリクエよりもテトラフィーアの方が法に厳格であり、これはいよいよ本気でまずいと焦っていく。
「任務、御苦労さまでしたわ。褒めてあげます」
「……は?」
「ナインアリアから聞きました。腕を失ってなお、敵に立ち向かったそうですわね?」
「え、えぇ、まぁ……。ですが」
「敗北した?えぇ、確かに敗北してますわね。ですが、貴方が事前に築いた数百の功績には何ら影響を及ぼしませんわ」
「いや、負けちまったら……、その上、お前らの鼻を明かしてやろうともしたんだぞ?」
「あら、私達を出し抜こうなんて10年早いですわ。ですが、その向上心は認めます。……セブンジード、以下、セブンジード隊。今回の戦争における功績は特賞に値する働きだと判断しました。よって恩賞を与えます。まずは10日ほど温泉卿で療養を取りなさい」
セブンジードは、告げられた言葉の意味を瞬時に理解できなかった。
それくらい、言われた言葉が信じられなかったのだ。
「え……?嘘だろ?」
「セブンジード隊にはナインアリアが在籍してますわ。貴方はオマケですのよ」
「いやだって、あの温泉卿だぞ……?」
「なら、処罰も一緒に与えますわね。サーティーズを監視し、報告書を提出しなさい。12時間に一回程度でよろしくてよ」
「地味に面倒な奴だな。……承りました。これよりセブンジード隊は戦線を離脱し、療養に入りたいと思います」
「しっかり休んで、生きて出てくるんですのよ」
「……?休み過ぎに気を付けます……?」
何か引っかかる言い回しも、ナインアリアが大喜びしている声に掻き消されてしまった。
そうしている間にサチナは鳥居を大きくし、転移の準備を進めていく。
「あぁ、そうそう。セブンジードにお願いがあるのぉ」
「……ほらきた。俺、死んだ?」
「白銀比様にこの書状を渡して欲しいのぉ」
「詫び状……?なんのですか?」
「乙女の秘密を探るなんて無粋よぉ。ちなみに、この書状の中にはお詫びの品としてお酒とおつまみの召喚陣が書いてあるのぉ。できればで良いから、白銀比様を接待してくれないかしら?」
「え?いいんですか!?」
お詫びの品だというのだから、相当に高級な酒が出てくるはず。
そんな打算をしたセブンジードは鷹揚に詫び状を受け取った。
サーティーズとの戦いで腕を失ったセブンジードは、治療されているとはいえ満身創痍だ。
おぼろげな思考回路では、『温泉卿の絶世の美女』=『サーティーズの母』=『サチナの母』=『レジェリクエの知人』=『過去に島を沈めている』=『七源の皇種』まで辿り付けていない。
「レジェリクエ女王陛下、この度はご依頼いただきありがとうございます」
「お互いが満足いく結果になったようで、余も嬉しいわぁ」
「はい。……このご恩は一生忘れません」
最後に頭を下げたサーティーズは、サチナに手を引かれて鳥居の中へ消えてゆく。
既にセブンジード達は転移済みであり、ほどなくして鳥居も消えた。
静まり返った深緑の中、レジェリクエとテトラフィーアは互いに寄り掛る様にして座りこむ。
そして、年相応な緩い笑みで、深い深い溜め息をついた。
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「はわわ、はわわわわわ……、はわ……」
「ほう、懐かしい顔なんしな」
人気のない廊下の奥。
最高級室の襖を開けたサーティーズは震えている。
夢にまで見た母の姿が、そこにあったからだ。
「こっちにきて、しっかり顔を見せるでありんす」
暖かい室内から声を掛けられ、震えていたサーティーズは動き出した。
そして、零れた涙を隠しもせず、ポツリと呟く。
「はわ、はわわわわわ……、母様、みーつけた」




