第46話「銀幕の終局⑥」
「こんなに本気で遊んだのは久しぶりです。楽しいですね!」
「あはぁ、それは何よりだわぁ」
「自分的にはもうちょっと手加減が欲しいでありますねッ!!」
「ぐるぐる!きんぐぅーーー!」
押しては引いてを繰り返すも、レジェリクエ達はサーティーズに触れる事が叶わない。
サーティーズは、眷皇種として強化された聴力、嗅覚、触角などを駆使し、レジェリクエ達の位置を完全に把握している。
ましてや……サーティーズは接近した相手の記憶《視野》を覗き見る事が出来る。
そこから相対的に位置関係を導き出すという、反則めいた技を使っているのだ。
「んー、そろそろ誰かアウトにしたい所ですね」
「その前に聞かせろであります。さっき権能のルールを開示すると能力が強くなると言っていたでありますね?何が違うでありますか?」
ナインアリアは疑問の声を上げながら、しれっと拳を撃ち抜いた。
そんな陽動をさらりと避け、サーティーズがニヤリとしたり顔を溢す。
そしてたっぷりと時間を掛けて考え込み、鷹揚に口を開いた。
「なるほど、では更にルールを開示してあげましょう。これは我が社の機密事項なのですが……ま、確実に1100億エドロを手に入れる為です。多少のリスクは仕方がないですね」
サーティーズの言葉を直訳すると『ルールを開示すればするほど権能の力は強くなり、より確実に勝利できる』となる。
それを聞いたナインアリアは息を飲み……、そして、レジェリクエは心の中で唇を釣り上げた。
「ナインアリアさんを捕らえた時、私はだるまさんが転んだを使用しました。そして、アウトになると同時に体が硬直したはずです」
「圧倒的な魔力で押し潰されるかと思ったであります」
「ですが、あの時に働いた拘束能力は肉体に作用するものであり、比較的軽微なものなのです。もし完全にルールを説明していた場合、肉体的、魔力的、精神的の三方から拘束され、あらゆる手段での脱出が不可能となります」
「身体を抑えつけられた後、薬で眠らされて、恥ずかしい写真を撮られるであります?」
「……後半がまったく違います。我が社のイメージが悪くなるので二度と言わないでください」
ナインアリアが平然とボケ倒しているのは、テトラフィーアから魔法を通じて送られてくる任務を淡々とこなしているからだ。
レジェリクエ達三名が接近戦をしかけている最中、テトラフィーアの仕事は全ての舞台の調律。
その一環として、サーティーズを煽りまくるという重要な任務がナインアリアに与えられているのだ。
「若干一名まったく理解できていないようですが、陛下とアヴァートジグザーさんは分かりましたよね?」
「ぐるぐるきんぐぅー!」
「もちろんよぉ!捕まったら逃げられないなんてぇ、とってもスリリングぅ」
「くすくす、では、続きと行きましょう。だーるまさーーんが……」
ルールを開示した事により、レジェリクエ達は追い詰められた。
そう思っているのは、サーティーズただ一人だ。
確かに、サーティーズの持つ権能の効果は強力になったのだろう。
だが、初期の拘束力の時点で既に致命的であり、迎えるのは同じ敗北だ。
ならばこそ、能力が強くなったとサーティーズが慢心してしまった今、精神的な弱体化といっていい。
そして、謀略が職業である女王とその側近が、そんな隙を見逃すはずがない。
「こーーー……ろんだ!」
だるまさんが転んだと宣言したサーティーズが目を開いているときは、お互いに静止していなければならない。
自由に動ける鬼がプレイヤーを押し倒せしたりすれば、ゲームが成立しないからだ。
サーティーズが捕らえた視界の先でレジェリクエ達は硬直し、微動すらしていない。
だが……、その顔に落ちる影が、見る見るうちに広がっていく。
「……はわわ?」
疑問を感じて見上げたサーティーズの目に、四方向から倒れてくる巨木が映る。
そして、真っ直ぐにサーティーズへと向かい……。
「はわわわわわ!!」
ズダダダァアアン!と大地が唸り、土煙が舞い上がった。
慌てて目を閉じて能力を解除したサーティーズの爪により巨木が輪切りにされ、周囲に散乱したのだ。
「はわ……、はわわ……、プレイヤー以外が起こした事象は停止の対象とならない……。このルールは説明していないはずですが……?」
「――。」
「――。」
「――。」
「……?はわわ?」
反射的に巨木を切り倒して回避したサーティーズは無傷だ。
だが、その表情に疑問を浮かばせ、周囲を五感で索敵し、更に眉間に皺を寄せた。
もしレジェリクエ達の誰かが木を倒したのなら、サーティーズが目を開いた時点で静止する。
そうならなかった以上、第三者の介入は確定。
だからこそ、それを探る為に五感を研ぎ澄ませ……そこには誰も、レジェリクエ達すらいなかった。
「……身を隠した?私に触れる事が勝利条件のだるまさんが転んだで、わざわざ距離を取るなんて……」
そこに何の意味があるのですか?
そんな独白が発せられる事は無かった。
生い茂る森の中から、威風堂々とした号令が発せられたからだ。
「ぐるぅ!ぐるぅ!きんっぐぅぅぅぅぅ!!」
「……。はわわわわっ!?それは卑怯ですよっ!!」
がさ、がささ。
がささささ……、がさささささささ!!
一斉に散乱した騒音に、サーティーズの顔に深い怒りと焦りが刻まれた。
そして、まったく隠す気が見当たらない酷い嫌がらせに眉をひそめ、抗議する。
「いくらなんでもズル過ぎです!!一体何匹いるんですかっ!!」
「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」「ぐるぐるげっげー!!」
突然始まったゲロ鳥乱舞。
それは、起こるべくして起こった惨劇だ。
キングフェニクス1世。
古き時代には偉大なる鳥の皇に仕えていた……『王』。
そんな存在が一匹で行動するなど、あり得るはずがない。
「はわわ……、音が反響して位置が掴めません」
「それはそうですわね。私の絶対音階でも苦労するくらいに掻き混ぜてありますの」
「そこですね!」
「ぐるぐるげっげー!?」
サーティーズは声に向かって蹴りを放つも何もなく、僅かに足に掠めた羽毛がハズレだと告げる。
その声が鳶色鳥の首輪に付けられた通信機から発せられたと気が付くのに時間は掛らなかった。
「……。えぇい!みんなで一緒にあーそびましょ!!」
先程の倒木もゲロ鳥の仕業だったと当たりを付けたサーティーズは、権能の効果範囲を最大に引き上げた。
身体の負担への考慮はしない。
隔離されている空間の内部にいる全ての生物をプレイヤーへと指定し、いっきに言葉をまくし立てる。
「だるまさんが転んだッ!!だるまさんが転んだッ!!だるまさんが転んだッ!!」
目当たり次第に宣言し、蠢いていたゲロ鳥を乱獲していく。
だが、この場にいるのは訓練が施された戦乱絶叫種。
しかも、指揮を執る王がいるとなれば、全滅させるのは容易ではない。
「ぐるげー!」「ぐるげー!」「ぐるげぇ!」
「はぁ……、はぁ……、だるまさんが――」
「転ぶのはサティちゃんの方であります」
突然背後から掛けられた声に背筋を振るわせ、サーティーズは反射的に爪を薙いだ。
その結果は、空振り。
そう、空振りで良いのだ。
サーティーズは身を返して感覚を研ぎ澄ませ、迫っているであろう本命に狙いを定める。
そして、僅かな空間の軋みを聞き分けた。
「ころんだっ!!」
「ありますっ!?」
サーティーズが振り返り目を開いた先にあったのは、『魔法次元乗・四番目の世界へ』から出現したナインアリアの姿。
一撃で決着を付ける為か、右腕を大きく振りかぶっている。
その動きをサーティーズが目で捉え、ナインアリアはアウトになった。
立てた作戦は、お互いに完璧。
嘘を見破り本命の攻撃を阻止できたサーティーズ、そして、無事に罠に嵌める事が出来たナインアリアもニヤリと笑う。
「……アウトですよ?何で笑っているんですか?」
「この遊びも自分達の勝ちだからでありますね」
――刹那、拘束されているはずのナインアリアが右腕を振るった。
そのあり得ない暴挙に、サーティーズの反応が僅かに遅れる。
そして……振りかぶられた偉大なる元眷皇種が高らかに鳴いた。
「ぐるぐるきんぐぅぅぅぅ!!」
「はわわーーー!?!?」
ガァン!っとサーティーズの額にキングフェニクスが激突し、だるまさんが転んだの決着が付いた。
勝敗が決した事により権能の効果が消え、ナインアリアの拘束が解ける。
表情を真剣な物へと切り替えたナインアリアは、セーブしていた才能満ちた悪道を活性化。
最高速度を発揮し、サーティーズへ詰め寄った。
「《大規模個人魔導・城塞破砕正拳ッ!!》」
「二度も三度も痛い思いをしたくありませんっ!!《原初守護聖界!!》」
才能満ちた悪道で強化されたナインアリアの拳を、原初守護聖界で強化したナインアリアの拳が迎え撃つ。
けたたましい激突の連打。
両者共に歯を噛みしめて痛みを堪えるも、動きを止める事ができない。
停止=敗北なのだと、理解しているからだ。
「あはぁ、何度も放置するなんて酷いわよぉ。余も仲間に入れてぇ」
再び囁かれた甘い声を魔力を高めて遮断し、サーティーズは権能の化身たる尾を振るった。
両腕は既にナインアリアの対応で埋まっている。
ならばこそ、自慢の毛並みを蔑ろにしてでも尾で対応するしかない。
「ぐるぐるきんぐぅー!」
だが、レジェリクエの戦力はまだ残っている。
それも、この場で最も秀でた機動力を持つキングフェニクスだ。
「最後はごり押しですかっ!野蛮ですね!」
「そうでもないわよぉ。ちゃーんと頭を使ってるものぉ」
速度を重視させる為に双剣へと変貌させている壱切合を染め尽す戎具が、サーティーズの尾の先端を斬り落とした。
間一髪で後ろに倒して避け、ついでに肉が斬られなかった事に安堵しながら、サーティーズは見識を改める。
素手であるナインアリアよりも、刃物を持つレジェリクエの方が危険だ。
数発の殴打を喰らおうが無視すると決め、八本の尾と両腕の全てをレジェリクエへ向ける。
「後でくっつけてあげますよ。……首」
「くすくすくす、取ってから吠えなさぁい」
両者ともが一気に間合いを詰め、お互いに有効射程圏内へと入った。
振り交わされる双剣と爪尾撃。
そして……レジェリクエの頬に一方的に傷が付く。
「動けると言っても所詮は人間風情、わっちら眷皇種にはついて来れないでありんしょう!!」
「素が出てるわねぇ?余裕がないのかしら?」
「だまるなんしッ!!」
レジェリクエの双剣、その動きに理解しがたい挙動が生じ始めている。
サーティーズは自分の動きに対応できていない為の失敗だと思っていた。
だが、その中に確かな意思を見い出し――、記憶を覗く間もなく、その思惑が発露する。
「余とテトラからの恩賞よぉ。受け取りなさい、ナインアリア」
「ありがとであります!!」
壱切合を染め尽す戎具に光が奔り、サーティーズの頬を掠めて通り過ぎた。
レジェリクエが行っていた剣の挙動は放たれた弾丸をナインアリアへ届かせるための位置を計測していたから。
それは、森に隠れているテトラフィーアからレジェリクエ、そしてナインアリアへと贈られた、とっておきのプレゼント。
「……ごめんであります」
「ひっ!?」
サーティーズの背後から正面へ、銀色の槍が突き出された。
ごぼり。っと血が噴き出し、サーティーズの動きが途端に鈍る。
「はわわ……、これあ……」
「テトラの第九守護聖牢弾、それを加工した槍よ」
「さっきの一瞬で、弾丸を槍へと変化させたのですか?」
「流石は神話級の武器ねぇ。性能に驚くばかりぃ」
第九守護聖牢は、触れた対象物を簡易的な結界に閉じ込める。
自分の防御の他に、敵を捕らえた場合には高い拘束力を発揮する攻防一体のランク0の魔法だ。
その効果を宿した槍を腹に突き刺されたサーティーズは、重心を預ける事でやっと立っている状態。
持ち手をから血液が伝わりナインアリアに届いた頃、レジェリクエが最後の詰めを仕掛けた。
「サーティーズ、降参してくれないかしら?」
「先に質問があるのですが、いいですか?」
「……なにかしら?」
「だるまさんが転んだ中にナインアリアさんを目で捉えました。その時点でアウトな筈なのに、なんで動けたんですか?」
腑に落ちないと疑問を口にしたサーティーズは、視線を後ろに立つナインアリアへ向けようとしている。
だが、腹に刺さった槍が邪魔で叶わず、仕方なくレジェリクエに質問を飛ばしたのだ。
そうして記憶を探ろうとするも……、レジェリクエからは答えが帰ってこなかった。
「あの時は既に情報の開示を行い、権能の力も強くなっていました。魔力的にも拘束してた筈です」
「自分が動けた理由でありますか?」
「はい。後学の為に知りたいです」
「自分の魔導感知は周囲の魔力を感じ、そして、ちょっとだけ思い通りに動かせるであります。取り込んだ魔力を推進力にして、無理矢理に腕を振ったでありますよ」
「一緒に学生をしてたのに、また隠していた裏技があったんですね。はわわ……記憶を消しての諜報は習得できる情報を選びづらいという欠点がある。勉強になりました」
静かに語り終えたサーティーズの腹から、ポトリと赤黒い物が落ちた。
それは、血にまみれた……弾丸。
「槍が消えたであります!?」
「私は自分と触れている物の時間は、特別に速く巻き戻せます」
「この槍は魔法を無効化……」
「権能と魔法は違いますよ。一緒にしないでください」
サーティーズは辛辣な言葉と共に蹴りを放ち、引導を渡した。
両腕を犠牲にしたナインアリアは一命を取り留めるも、必死に痛みに耐えている。
ゆっくりと立ち上がり、サーティーズが深く息を吐く。
そうして気分を切り替え終えると、身体には傷一つ残っていない。
「あらぁ?降参しないのぉ?」
「する訳ないじゃないですか。貴方達の方こそ満身創痍なのに」
「そう、もうちょっと痛い目を見たいのねぇ?」
「それも違いますね。……見破っていますよ、貴方の策謀」
ピシリ。っと空間が爆ぜ、隠してあった魔法規律陣の一部が露出していく。
その光景に、レジェリクエの顔から笑みが消えた。
「あの程度の魔法じゃ私を拘束しきれないって、分かっていましたよね?」
「そうねぇ。ちょっと荷が重いかしら?」
「私が貴方の立場なら、もっと緻密に組み上げた大規模な魔導規律陣を使います。少なくとも五重にはしますね」
「あはぁ、そうよねぇ」
「そして……いくら痕跡を隠していたとしても、貴方の記憶からは消せません。私の前に貴方がいる以上、罠なんかに嵌るはずがないんですよ」
パキパキパキと音を立てて、世界が巻き戻されていく。
いかな魔法陣であれど、完成前に逆行させてしまえば発動のしようがない。
それを知っているサーティーズは、空間ごと巻き戻す事で仕掛けられた複数の魔法陣の全てに対処しているのだ。
「まったく、こんなにも沢山の魔法陣を仕掛ける時間が良くありましたね?」
「余が設置したのは上部だけぇ。後は魔法を模倣できるグオが徹夜で頑張ってくれたわぁ」
「……グオさん?貴方では無く?」
「そうよぉ、この魔法陣は余が王城で三カ月かけて設計した特別な魔法。時間差で発動する余の切り札、『時計仕掛けの運命塔』」
レジェリクエが名を告げ、魔法の存在が世界に示された。
カチリ。っと針が時を刻み始める様に、大地に刻まれた80個の魔導規律陣が駆動を開始。
ゆらりと幽幻に塗れて顕現し、そこかしこで世界を斬り刻む音が聞こえ始める。
大地の上に立つ者の瞳に映る、複雑に円が重なり合った光景。
そのパーツとなったサーティーズが、金切り声をあげた。
「なぜ魔法が発動するのですか!?時間を巻き戻しているんですよ!?」
「巻き戻してしまったから、ねぇ」
「なんですって!?」
「時計はゼンマイを巻き戻して使うものぉ。だからこそ、余が組み上げたこの魔法は、時間を逆行させて初めて完成する」
レジェリクエが長い年月を掛けて研究した『時計仕掛けの運命塔』、その起動鍵は時間を巻き戻すことだ。
高位者が隠し持ってる切り札は、大抵が時間に作用する。
『救命救急救世』や『命を巻き戻す時計王』などの緊急回復手段は特に面倒であり、使用されれば長期戦は免れない。
だからこそ、この『時計仕掛けの運命塔』は時間が巻き戻った先で魔方陣が復元完成するように組み上げた。
時間逆行はその性質上、連続して時を巻き戻せないからだ。
「それでは、私が時の権能を持っていると知っていたのですか!?」
すでに時間逆行を発動している以上、サーティーズが行える対処は存在しない。
瞬きの間に完成した魔法陣がその身を捕らえ、地面から生える鎖が幾重にも身体に絡み付いていく。
「知らなかったわよぉ。でも、時の権能そのものについては知っていた。だからこそ、可能性の一つとして考慮することができる」
「ですから、準備ができた理由を聞いているのですッ!!」
「あぁ、別に貴方の為だけに用意した訳じゃないわ。ここはどんな相手にも対応するために、八十の魔導規律陣と百十五の魔導具によって組み上げた戦場。ここに来た時点で、既に戦いではなかったのよぉ」
加速度的に鎖に巻き付かれ、サーティーズが球体と化してゆく。
その姿がほぼ隠され、最後に残された……瞳。
そこには未だに戦意が滾っている。
**********
……愚かですね。
確かに、私は罠に嵌まりました。
ですが、私を一人にした時点で敗北はないのです。
こんな場所など容易に脱出できるのですから。
鎖に捕らわれ、内部の魔法陣によって別の場所へ転移されることを読み取ったサーティーズは、今日一番の失笑を溢した。
それは自分を笑うものであると同時に、詰めが甘いレジェリクエに向けたものだ。
時間を操る時の遊郭と、相手を拘束する空間型の魔法の相性は良い。
高度な空間魔法は複雑であるが故に長時間の維持が難しく、経年劣化を簡単に引き起こせるからだ。
ちょっと疲れましたし、ここは一度撤退。次は全社員を引きつれて戦いを挑むとしましょう。
そんな事を考えながら、サーティーズは転移先の魔法を一撃で破壊するべく、大きく息を吸って身構えた。
「かーごめ、かーごめ、かーごのなーがぼぼッ!?!?」
転移した直後、サーティーズの身体が液体で満たされた。
世界の記憶を改編する為に唱えていたのが災いし、液体が一気に気管支へ流れ込む。
がぼ、がぼぼぼぼ!!
なんて嫌がらせっ!?本当に性格がねじ曲がってますねっ!!
強い憤りを感じながらも、この嫌がらせが非常に効果的なのも理解している。
魔法を発動する場合、声を用いて世界に示さなければならない。
だが、声帯を液体で満たしてしまえば声を出せず、魔法は発動できないのだ。
ですが……、私の方が上手でしたね。効果を強める為にルール説明が必要なだけで、権能自体は声に出さなくても使用する事が出来ます。尻尾に魔力を流せば――、あ、れ……?
いつもなら、湧きあがった魔力は簡単にコントロールできる。
だが、今は違う。
酷く不愉快な揺らぎが全身を襲い、コントロールどころか、まともに知覚する事すらできていない。
「これは、この……酩酊感はッ!!」
サーティーズが行きついた答え。
全身をくまなく包んだ液体によって、全ての感覚器官と血流に狂いが出ている。
がぼがぼと息を乱し暴れるも、全てが遅い。
身体に纏わり付いているのは……フィートフィルシア産・最高級酒精強化ワイン『たぬきごろし』。
口から、目から、粘膜から、体のあらゆる器官からサーティーズの体へ、度数四十度超えのワインが染み込んでゆく。
ほどなくして赤く火照ったサーティーズの体は緩み切り、力尽きて沈んだ。
弛緩した体と思考。
それを必死に動かし、サーティーズは最後に悪態をつく。
「こんな幕切れ……。遊女をお酒に沈めるなんて、ほんと酷すぎますよ……、はわわ……」




