第19話「テトラフィーアの恋慕」
「くすくす……、テトラが嫌いな男尊女卑を使ってまで、ユニクぅを誘惑するなんてねぇ」
ユニクルフィン達が地上に降り立った後も、レジェリクエとテトラフィーアは談笑を続けている。
話題は麗しい乙女たちのテンプレート、『恋話』。
だが、二人が浮かべているのは僅かに赤く色づいた乙女とは程遠い……、葡萄を煮詰めたかのような黒い笑みだ。
「随分と笑ってくださいますのね、陛下。私だって恋の一つくらいは致しますわよ」
「そうは言うけどぉ……。正直、テトラは『ユニクルフィン』の事なんかこれっぽっちも眼中に無いと思ってたのよぉ」
「あら?あれだけ露骨にアピールしていたのに、心外ですわー」
「言葉と顔が一致してないわよぉ。それにテトラは、『ユニクルフィン』を体の良い隠れ蓑にするつもりだったでしょぉ?」
この会話を他の誰かが聞いていたのならば、声を揃えて「なんだとッ!?」と言うだろう。
それほどまでに、テトラフィーア達の態度の変わりようは凄まじいものだ。
まるで城から『背景』へ笑みを溢している時のように、テトラフィーアの顔には薄い笑顔が張り付いている。
そこに隠れている感情、それは『女王』と同じものだ。
「実際、口では恋だの愛だの言ってた割には、ユニクルフィンを真面目に探していなかった。そうよねぇ?」
「国の中で情報封鎖を仕掛けていた陛下に言われたくありませんわ」
「そうねぇ。国の中では情報封鎖を仕掛けたわねぇ」
国の中では、その言葉を強調したレジェリクエの呟き。
それは暗に、『レジェンダリア国に入る前のユニクルフィンの情報は伏せていない』と言っているのだ。
「確かに、ワルトナが情報封鎖をしていた節は有るわねぇ。だけど、調べる気になれば不可能ではなかったわよぉ」
「あらあらまったく、陛下ったら……。まあ、否定はしませんわ」
調べる気が無かった、それはユニクルフィンへの興味が無かったからでしょぉ?
そんな言葉を述べなくとも、二人は声色と表情から相手の意思を汲み取る事が出来る。
そして、それに肯定を返したテトラフィーアは、更に深い笑みを張り付けた。
「陛下もご存じの通り、私はとっても強欲な女ですのよ」
「知ってるわぁ、余やワルトナと同類だものぉ」
「ですから、英雄ユルドルードの息子が相応の実力を持ち、まさに次代の英雄にふさわしい英傑だったのなら……、私のステイタスの一つとして娶りたいとは思っておりましたわ」
頂点に立つ施政者の声色で語られた、相手への配慮を一切する気の無い婚姻宣言。
そこには、一個人の意思を挟み込む余地など無い。
自分と国が豊かならそれで良いという、王道だ。
「当然、私の婚姻はレジェンダリアとフランベルジュの双方にとって重要な意味を持ちます。ですから、ユニフィン様には相応の寵愛を向けるつもりでいましたわ。……籠の中の鳥として」
『籠の中の鳥』
それは、主人の人生を彩る為の『装飾』。
自分の意思で空を飛ぶ事さえままならない、愛玩動物。
『カナリア』
それは、鉱山などの有毒な環境を知らせる為の『囮』。
その命を掛けて主人に危機を知らせる為に囀る、身代わり。
テトラフィーアが言った『籠の中の鳥』、それに込められた真意は『ユニクルフィンを利用する』という、その一言に尽きものだ。
今まで浮かべていた愛想はそこには無く、その瞳には『英雄見習い・ユニクルフィンの価値』しか映っていない。
「陛下の言うとおり、ユニフィン様は隠れ蓑にも丁度いいですわね。誰かさんのおかげで婚約者が50人以上も居るんですもの、纏めて処分する為にはそれなりの名分が必要ですわー」
「うわぁ、悪女ぉ」
「今さら隠しはしませんわよ。私も陛下も、世界戦争を仕掛けた魔王ですもの」
ふふっ、っと僅かに声を漏らし、テトラフィーアは笑った。
だが、話題とは裏腹に纏っていた黒い雰囲気が脱がれ、頬に僅かに朱色が差す。
そして、「おっと、面白くなってきたぁ」とレジェリクエは背筋を正した。
「ユニフィン様の価値を上手く使い利益を上げる、造作もない仕事だと思っていました。ですが、再会したユニフィン様は私が思っていたよりも、数段……お馬鹿でしたわー」
僅かにではなく、確実に頬に朱色を差したテトラフィーアは肩を竦め、その後、ほんの少しだけ脱力した。
その光景はレジェリクエにとっても珍しく、酔い潰れるまで酒を飲ませた時くらいにしか見た覚えがない。
これは……!と身を乗り出しそうになるのを堪えながら、レジェリクエは話の続きを促した。
「ユニフィン様は色々取り繕っているようですが、基本的に直情的でその場しのぎ。ついでに流されやすく、調子に乗りやすい所もありますわね」
「あらぁ容赦ないぃ。本人が聞いたら鳴いちゃうわぁ」
「そう、鳴きましたわね。レジェンダリアでは刑罰の一環とされているゲロ鳥の鳴き声を、それはもう楽しそうな声で高らかに」
「フェニクも大満足ぅ」
「思考回路がまさに子供のソレですわよ。なーんにも知らなくて、前を指差して笑い、それで……真っ直ぐに私を見つめてくれた子供のままなんですの」
子供のままだ。
そんな言葉は本来ならば罵倒として使われるものだろう。
だが、テトラフィーアの表情がそれを否定する。
恋する乙女の柔らかな笑みを溢しているのは、それこそが『テトラフィーア』が欲したものだからだ。
「ブルファム王国ほど酷くないにせよ、フランベルジュも男尊女卑が強い国ですわ。女は男性の飾りとして扱われ、施政に口出しする事は憚れる。女性官僚も女性にしかできない仕事をする為にいるような物でしたの」
ポツリと呟かれたのは、独白か、告白か。
それを聞いているのは、優しげな笑みを浮かべているレジェリクエだけだ。
「私の二人の兄はとても優秀でしたのよ。どちらが継いでも国力が高くなるだろうと試算され、それはそれは期待されていましたの。だから、私を見ている人など限られた人だけでしたわ」
「そうよねぇ。いくらテトラが願っていたとしても、幼い王女が何度も誘拐されるなんてありえないわぁ」
「兄達には何度か諭されましたわ。そんな危険な事をしなくても『姫としての人生』を楽しめばいいと。……私が兄達の様に国を背負いたいと思いもせず、何度も何度も『姫だから諦めろ』とね」
「分からないでしょうねぇ。持たざる者の気持ちは容易には気付けない。王子と王女に違いはあって当たり前だと受け入れているのだからぁ」
「私は強欲ですの。兄達にしか与えられないものが有るのなら、私だけのものを手に入れようと無茶ばかりして……、そして、どうせ無理だと諦めた。だから、盗賊達を唆して本当に亡命しようとしていましたの」
テトラフィーアとレジェリクエは別の国で生まれ育った他人だ。
お互いに知らない事はあるし、事実、レジェリクエは国の成り立ちに関わる重要事項を隠していた。
だが、それでも、二人は親しい感情を向けあっている。
それは……、『運命』は自分で手に入れるものという、共通意識が有るからだ。
「ぐちゃぐちゃになった思考で訳が分からなくなって……、そんな時でしたわ、ユニフィン様に出会ったのは」
「衝撃的な出会いねぇ。クマと一緒ってなかなか無いと思うのぉ」
「ギュッと閉じていた目を開らくと、ユニフィン様はクマの上で変なポーズを取っていましたわ。1秒前まで殺されそうだったんですのよ?本当に馬鹿馬鹿しくて、可笑しくて……一目で心を奪われましたわ」
「なるほどぉ。これは確かにお姫様ぁ」
「それだけではありませんわ。私が此処にいるのも、全てユニフィン様の言葉がきっかけですもの」
静かに頷いたテトラフィーアは、何かの決心をしたかのように目に光を灯した。
強い眼差しは乙女の物でありながら……、獲物を見定めた肉食獣と同じ獰猛さを備えている。
「ユニフィン様はアホみたいに簡単におっしゃいましたわ。『やりたい事が有るなら、やれば良いじゃん』と」
「一周回って真理よねぇ」
「『出来ない理由を考えるより、やっちまった後で言い訳を考える方が楽しいだろ?』とか、『とりあえずやる。やりたく無くなるまでやる。んで、止めたくなったらやめる。そしたら満足するだろ?』とか、『俺は転んでもタダじゃ起きねぇぞ!絶対あのクソタヌキの毛を毟ってやる!』とか、ほんと、大人の常識を考えていない悪ガキそのものですわ」
「……うわぁ、テトラの回想にすらタヌキが出始めたぁ」
「でも、私はその言葉がとても嬉しかったんですの。それにユニフィン様は約束して下さいましたもの。『俺が必要な時は隣にいてやる。ま、一緒に怒られるくらいしかできないけどな!』って」
レジェリクエは、『怒られるのが前提なのねぇ……』とか、『言質だと言えない絶妙な言葉で女を誑し込んでるのねぇ……。』とか、言いたい事がいっぱいある。
さらに、タヌキの動向がとても気になっている。
だが、話のクライマックスを聞き逃すのは勿体ないと、テトラフィーアへ視線を向けた。
「もし、ユニフィン様が英雄に相応しいような毅然とした騎士になっていたら、籠の鳥まっしぐらでしたわ。でも、ユニフィン様は全く変わっていなかった。『テトラ』って呼んでと懇願したのに、律儀に『テトラフィーア姫』って言ってくるのまで同じですもの。笑ってしまいますわ」
「あぁ、なるほど。テトラの性格なら『大臣呼び』は嫌がりそうだと思っていたけれどぉ、逆に好ましく思っていたとはねぇ」
「私は、相手の声を聞けば感情が分かります。だからこそ、ユニフィン様の悪ガキの様な純粋で無邪気な声が、とてもとても……愛おしくてたまらないんですの」
テトラフィーアは、それこそ呼び方一つで愛想を崩したりはしない。
だからと言って、好き嫌いが無い訳ではないのだ。
レジェリクエが気になっていたものが解消され、そして、テトラフィーアは決意を秘めた強い声を出す。
「陛下、私はユニフィン様の妻になる為に全力を出しますわ」
「それはカナリアにするのではなく、リリンと共謀して手篭めにするって事ぉ?」
「理想はユニフィン様の土曜日の独占ですわね。どうやらライバルが多そうですし、いっそのこと面倒事は全て他の方に押しつける事にしますわー」
「ワルトナにやらせとけば大丈夫ぅ。文句を言うけどちゃんとやるから、ワルトナの家計内利益も確保してあげてねぇ」
ユニクラブカードを管理しているであろう、ワルトナ・バレンシア
最大の敵を味方にさえすれば、後は雑兵の集まりだとテトラフィーアは悪い顔で笑う。
そして、レジェリクエは、テトラフィーアの本気の恐ろしさを知らないであろうワルトナへ、密かに生温かい声援を送った。
「もちろんワルトナさんとは応相談しますわ。私、強欲でしてよ?」
「ふふふぅ、ちなみに何の欲ぅ?ベッドの上の欲求は強いのかしらぁ?」
「ちょ、陛下っ、は、はしたない事を言わないでくださいまし!」
「くすくすくす、乙女ねぇ。処女だねぇ。って、ワルトナもそうだったわぁ。なんなら、三人纏めて手解きしてあげても良いけどぉ?」
「魂が穢れますので却下ですわーっ!」
ブラックすぎるジョークで笑い飛ばし、レジェリクエは話をそこで終わらせた。
テトラフィーアの表情に憂いは無く、年相応の恋する乙女のものとなっているからだ。
あらあら、ちょっと緩くなりすぎぃ。しっかり大臣をしてくれないと困るわぁ。
そう言えば戦争中だったなと思い出したレジェリクエは、理知を宿した瞳でテトラフィーアを見やる。
そして、落ち着いた声で自分が抱いている『憂慮』を発した。
「テトラ。余が思っていたより、戦争の状況が好ましくないわぁ」




