第7話「冥獄の王①」
「これは……、随分と堅くなったものだ」
剣先から奔った火花を撒き散らして引き戻し、澪騎士は忌々しそうに口を開いた。
澪騎士の周囲に追従している9つの愛剣、その一本『長剣』。
この剣を使用して放った斬刺連撃は、澪騎士が持ちうる攻撃の中で上位の手数と威力を誇るものだ。
事実、斬刺連撃を受けた先程の冥王竜は、5本ある爪の半数ほどを一回で再起不能にされていた。
だが、今回の攻防で傷付いたのは……、澪騎士が持つ長剣の方だ。
「認めてやろう、ミオよ。お前の剣撃は鋭く速い。並みの竜であれば反応すら出来ぬものだ」
「並に劣るほど耄碌してはいない。だが……」
「そう、我は無傷だ。先程までは弱体化していたとはいえ、王を名乗る以上、最低限の身体能力を保持していた。それをスッパスパと気持ち良く斬ってくれたお前の剣には思う事がある。だが、転生した我の鱗は切れぬ」
傷一つない爪には光沢が宿り、陶磁器の様な艶すらある。
そんな工芸品じみた爪を自慢げに見せつけ、冥王竜は尊大に頷いた。
澪騎士が忌々しいと感じているのは、長剣に秘められた特殊能力を既に発動しているにも拘らず、敗北した点にある。
手元に視線を落とせば、そこにあるのは刃毀れした長剣。
それに秘められていた能力は『切断』であり、対象物に傷一つ付けられなかったとあれば、傷つくのは自身の矜持の方だ。
「まったく、本当に忌々しい。黒土竜は雑魚というのが定説なのだがな」
「魚は食うものだ。竜を敬称するのには相応しくないと知れ」
「だが、お前はまさしく黒土竜なんだろうよ。『わりと温厚で人懐っこい』という特性以外は当て嵌まっているからな」
そう言って語る澪騎士の生い立ちは少々特殊だ。
名を馳せている剣士の経歴の大半は冒険者から始まるのに対し、澪騎士のスタートラインは学士なのだ。
セフィロ・トアルテに住まう学士の娘として生を受けた澪騎士は、将来は不安定機構の書士になるべく勉学に励んでいた。
不安定機構支部の事務員の実入りは良く、その中でも、危険獣鑑定師の資格を取れば一生安泰だと言われている。
父がそうであったように、澪騎士は手堅い人生を選んでいたのだ。
だが、天命根樹の襲来により、その人生は大きく狂う事になった。
混乱によって両親と離れてしまった澪騎士は、不安定機構に在籍する災害孤児となった。
大雑把に管理される大多数の孤児から抜けだして両親を探す為に手段を選ばなかった澪騎士は躍進し、たまたま運動場に訪れていた剣皇・シーラインの目に留まる事になる。
こうして『澪騎士』が生まれたのは、確かに、剣皇に才能を見出されたのが最も大きい要因だといえる。
だが、剣の才能を進化させたのは生来続けてきた学士の招魂……、類稀なる記憶能力と、知能の高さゆえの判断能力の優秀さだ。
「我ら黒土竜は定期的に土を食らう。その意味を知っているようだな?」
「土に含まれている鉄分を吸収し、鱗に蓄える習性があるからだろう。その為、長く生きた黒土竜は厄介な程に強固な鱗を持っていると聞く」
黒土竜はドラゴン界、最弱。
まるで大きいトカゲのようだ。
そんな中傷の言葉は、長く生きた黒土竜を知らない愚者が吐く戯言だ。
確かに、黒土竜は他のドラゴンが持つ高い攻撃力や身体能力を持ち得ない。
人を襲わないため脅威となりえず、魔道具の材料として向いていない鱗や牙を持つ為、冒険者から積極的に狙われない。
そうして広まった最弱の噂は、実際に確かな根拠がある事だ。
なんだったんだ、あの黒土竜は?堅過ぎるだろ。
酒場で顔を赤らめた冒険者が後日談として語るそれは、最弱にして不敗の調印。
剣を弾き返し、拳を弾き返し、魔法を弾き返し、なお健在。
あらゆる攻撃で痛痒を感じさせない強固な鱗を前にして、剣の折れた冒険者は逃げ帰るしかできない。
そんな黒土竜の王、希望を費やす冥王竜が初めに願ったもの。
それは、どんな攻撃をも弾き返す強靭な鱗だ。
「それだけでは無いぞ、我は鉄以外も取り込み鱗を強化していた。そして今回、その鱗に虚無の性質を混ぜる事に成功したのだ」
「……虚無による浸食か」
「そうである。何も持たない虚無性質に物質が触れると浸食が起こり、やがてはお互いに同じ属性となって干渉し合う。これが我が鱗に宿した能力『月蝕鱗』だ」
一流の騎士が放つ剣撃の真髄は、いかにして一方的に刃を通すかに尽きる。
卓越した技術を以て、剣が受ける抵抗値を極限まで下げる。
バッファ魔法を使用し、身体能力を上げる。
剣先に相手と全く同じ防御魔法を付与して対滅させるという、曲芸じみた業を使う事もある。
そしてそれらは、敵に触れる剣を優位に立たせる為に行う事であり、冥王竜の鱗はそれを許さない。
活性化させた冥王竜の鱗は、触れた物質と自身の体の強度を等しくする。
ならばこそ、破壊されるのは薄く作られている剣の方となるのだ。
「どうだ?希望など無いのだと理解したか?」
「なぁ、冥王竜。私がなぜ剣を複数所持しているか、分かるか?」
「カッコイイからであろう?」
「角が多ければ美系とされるドラゴンと同じにするな。正解は……、《大規模個人魔導・幻想の共演者》」
「ぬ?」
「複数ある能力を掛け合わせれば、大抵の事に対応できるからだ」
かちゃり。っと剣を構えた澪騎士が持っているのは、先程までの長剣では無い。
全長1mほどの、鋭く尖った突剣だ。
『大規模個人魔導・幻想の共演者』
見えざる腕を創り出すランク9の魔法『幻想武人軍』を元にして造られたこのバッファ魔法は、あらゆる状況を打開させる澪騎士専用の絶技。
複数の剣を所持し、その性能を使いこなす理知があって初めて意味を成す特殊魔法。
その真価は、この魔法の性能自体が決して高くない事にある。
・複数の剣を同時に所持する。
・剣同士の能力を同調させ、全ての剣で使用可能な状態にする。
この二つの能力に絞ることで消費魔力を抑えて維持性を向上させたこの魔法は、多くのアンチバッファの影響を受けない。
鎧に溜めこんだ魔力を使えば数カ月以上も途切れさせる事なく連続使用できる様に調整されているからだ。
そして現在、澪騎士が所持している剣の数は9本。
「《壱の刃・長剣》」
「《弐の刃・大剣》」
「《参の刃・両剣》」
「《肆の刃・曲剣》」
「《伍の刃・突剣》」
「《陸の刃・波剣》」
「《漆の刃・短剣》」
「《捌の刃・闘剣》」
「《玖の刃・鉈剣》」
それらが同調し、全ての剣が同一であり相違体となる。
澪騎士の意思によって形状と性能が可変する9本の剣、その一つ、突剣が冥王竜へと突きつけられた。
「随分と悠長に構えているな、冥王竜。そろそろ、その体に慣れたか?」
「なに?」
「それだけ体を変えれば、今までと勝手が違うだろう。先程の私の剣も、爪が折られても良いように利き腕では無い方で受けて強度を試した。違うか?」
「……小賢しいぞ、ミオ」
「情報を与えたのは生前のお前だ。前世を恨むんだな」
ふらりと予備動作も無しに動き出した澪騎士が、冥王竜に肉薄した。
溢れるほどの魔力を惜しげもなく使って身体能力を強化し、周囲の空間にアンチバッファを施す。
空気抵抗の一切を遮断した澪騎士は足を踏み出すごとに加速を繰り返し、瞬く間に音速の壁を越えたのだ。
再び起こる衝突。
だが、今度は火花は散らず、甲高い金属音も発生していない。
突剣が付き立てられているのは、強靭な爪と鱗の隙間。
僅かに肉が露出しているそこには、既に3本のレイピアが刺さっている。
「ぐぬおッ”」
突剣に秘められた能力は『一転集中』。
まさに針の穴を通すような狂いの無い刺突が、爪と肉の境界を貫いたのだ。
そして、冥王竜は苦曇もった声を漏らし……、だが、その目は決して揺らいでいない。
太陽を遮る様にして上げた右腕が、澪騎士の喉を狙って振り下ろされているからだ。
当たり前の話だが、冥王竜は戦闘に慣れている。
500年以上も生き、多くの人間と対峙してきた。
ましてや、近接で戦う騎士や剣士など、数える事が困難なほど葬ってきたのだ。
爪の根元に剣を突き立てられる事など、想定内。
肉を切らせて骨を断つなどと言うように、カウンターで敵を葬ってしまえば何の問題もない。
呆気なく三枚に卸されるとまでは行かなくとも、傷は負わせられるだろう。
冥王竜が上から叩きつけるように振るった爪が澪騎士に近づき――、手応えの無いまま通り過ぎた。
「なんだと!?」
「《鉈剣》」
緩やかなV字に形成された刀身を滑るように、冥王竜の爪が受け流された。
澪騎士の首筋ギリギリの場所を爪が掠めるが触れられず、フワリと空気を切り裂いただけとなる。
鉈剣に秘められた能力は『転向』。
防御に特化した鉈剣は、持ち手の逆方向に衝撃を受け流す。
そして、体幹を崩すことなく攻撃を制した先にあるのは、両手に備えた闘剣での連撃だ。
「《ニ対・闘剣》」
一人で舞踊を奏でるように。
流れるような美しさで繰り出されているのは闘剣の乱舞。
澪騎士は、その一撃ごとに冥王竜の鱗を確実に削いでいく。
闘剣に秘められた能力、それは『防御無視』だ。
鎧の隙間に刺して致命傷を負わせる為に最適化された闘剣は、本来、野生動物の討伐には不向きだ。
的確な場所を攻撃しなければ高い効果が望めない闘剣よりも、刀身が倍以上もある長剣の方が使い勝手が良いからだ。
だが、演技ではない苦々しい顔をしている冥王竜にとって、これほど嫌らしい剣は無い。
冥王竜が誇る月蝕鱗。
触れた物質を浸食し脆くするといえども、触れなければ意味が無い。
冥王竜が生物である以上、鎧の様な露骨な隙間など無いだろう。
だが、生物であるからこそ、姿勢や体制によっては肉体の収縮が起こり、僅かな綻びが発生する場所がある。
繰り返される闘剣の舞いが、冥王竜の右腕を蹂躙していく。
直系30cmほど鱗が削がれ、所持していている剣の中で最大の攻撃力『大剣』の刃が通る事を確認し終えた澪騎士は、右手に持っている方の闘剣を変化させようとして――、
「なっ……!?」
「良く耐えたものだと褒めてやろう。ミオ」
ぐらりと揺れた澪騎士の体が発しているのは、異常なほどの疲労感。
有り余る魔力によって強化されているはずの、いや、その魔力が既に半分以下になっているという異常な事態にコクリと唾を飲む。
「我の前では魔法が使えぬ。その特性を強化しないはずが無かろう」
疲労と汗が滴る澪騎士の顔を照らしているのは、煌々と輝いている冥王竜の赤い宝珠だ。




