第10章プロローグ「神が転げた会議」
「ふんふふ~~ん、ふふふ~ん。あー、アイツらの絶望した顔が楽しみだ。冥王竜の時点でだいぶ酷いのにメカゲロ鳥降臨だもんなー!」
フィートフィルシア領が陥落した日の深夜、鼻歌交じりの陽気な声が不安定機構・深淵の廊下に響き渡った。
ここは指導聖母のみが使用を許可されている階層であり、一般の不安定機構の使徒では立ち入る資格すら与えられていない。
使用者に世界の覇者だと勘違いさせるような豪華な造りの部屋が並ぶここは、まさに己が利益を最優先に行動する指導聖母に相応しいと言えるものだ。
「もともと戦争譚は好きな方だけど、今回のは飛びきり面白い。ほぼコメディだし!」
真っ当に戦争をしていると思っている指導聖母が聞いたら絶句する様な事を言いながら会議室へ歩を進めているのは、正真正銘、この世界の絶対君臨者、『神』。
尊厳よりも娯楽を重要視する神は『指導聖母・悪逆』として身を隠し、指導聖母・悪性が主催した会議に参加するべく降臨したのだ。
「やぁ!会議は捗ってるか……、暗っ!!」
荘厳な装飾が施されたドアを勢いよく開けた神は、目に飛び込んできた薄暗い光景に突っ込みを入れた。
開かれたドアの先。
そこは当たり前に照明が灯され、白を基調とした法衣に身を包んだ集団がいる。
そんな視覚的には眩しいと感じる光景の中に、どんよりとした暗黒の雰囲気が漂っていた。
席に着いている4人の顔色は悪く、認識阻害の仮面の越しでも分かる程だ。
明らかに意気消沈しているのが見て取れる光景にワクワクしつつ、神は自分の席に着く。
「どうしたんだい?悪質、元気が無いじゃないか。そんなんじゃラルラーヴァーに勝てないよ?」
「元気が無い?当然ですわよ。圧倒的に有利だと思っていた戦争ですのに、始まってみれば一方的に蹂躙されてますのよ!?」
それぞれ独自のルートで情報収拾を行っていた指導聖母達は、いよいよ戦争が始まると報告を受け、準備に取り掛かった。
レジェンダリア軍がフィートフィルシア領へ到着するまで最短で1日。
戦闘の決着が付くまで2日。
最初からフィートフィルシアを捨て駒にしていた指導聖母達は、少なくとも3日の猶予があると見積り、情報収拾をしながら柔軟に対応していくつもりだったのだ。
だが、その戦略は最初から破綻する事になる。
レジェンダリアが進軍を仕掛ける前日、同時多発的に多くの間者が捕らえられた。
国交が制限されていた割には容易に間者を送り込めていた背景から、情報戦で一方的に勝利できていると思っていた指導聖母は後手に回り、さらなる追撃を受けてしまう事になる。
「ましてや、残った間者の大半が式典中に捕らえられたとあれば、頭を抱えたくなりますわよ」
「くっくっく、アレは見事な手腕だったね。虎の威を借る狐ならぬ、冥王竜の威を借るレジェリクエ。大胆不敵な方法に思わず神ですら両手で拍手したよ」
「あなたはどっちの味方ですの!?」
悪質は愉快そうに感想を言う悪逆に苦言を溢し、ギリギリと歯を軋ませた。
それほど、レジェンダリアから受けた屈辱が受け入れられないのだ。
「間者の件もそうですが、冥王竜を呼ぶなんて非常識にも程がありますわよ!?アレが特殊個別脅威だって分かってますの!?」
「キミが知っているくらいだし、レジェリクエなら当然分かってるだろうね。確信犯さ」
「くぅぅぅ、魔王めぇぇぇ!」
苛立ちを隠しもしない悪質は罵詈雑言を吐き散らかし、持っていたペンをへし折った。
先程までの会議では声を荒げる相手がおらず、全員がどんよりとした空気感だったが、今は一気に感情を爆発させたように一人で取り乱している。
「いくら潜り込ませていた間者が全滅したからって、馬鹿みたいに取り乱すのは見苦しいよ、悪質」
「悪性っ!」
「送られてくる映像が一段落している今、この会議は情報の擦り合わせを行うものであり、自力で情報の取得が困難になったキミが最も恩恵を受けるものだ。静かにしたまえ」
「分かってますわよっ!!」
窘められているとは理解しつつも、素直には受け入れられない。
ツン!っとそっぽを向いて逸らした悪質の視線が、しばらくは発言をしないというアピールをしている。
そんな露骨な態度をワザと取っているのも、これから交換される情報を一歩引いた立ち位置で冷静に検分するためだ。
自分の感情を上手く扱う事が得意な彼女も、人類を支配する指導聖母に相応しい能力を持っている。
「悪逆、キミが会議に来ない間、ぼくらは情報収拾及び現状把握……、あの魔王どもが仕出かした事の振り返りをしていた訳だが、キミから何か情報はないか?」
「んー、むしろ何が知りたいん?」
「何を知っていて、何を知らない?キミの間者が何処まで優秀なのか、まずはそれが知りたいね」
「なんでもさ。キミらが手に入れた情報ならば、神は当然知っている」
指導聖母として決して優秀に見えない悪逆に対し、その実力を悪性は問うた。
働いている所を全く見た事が無い悪逆が会議に出席もせず、多くの情報を習得していると自称した事が気になったのだ。
そして、何でも知っているなどという漠然とした答えを貰い、僅かに眉をしかめた。
「そうだね。例えば冥王竜。あれは本物だと思うかい?別のドラゴンを冥王竜として見せかけている可能性や、そもそも認識阻害で偽っているなんて事は?」
「ないね。あの黒土竜は正真正銘の希望を費やす冥王竜で、連れていたのは側近のドラゴン、無炎焼竜ゲンジツと樹海竜カイコンだ」
「フィートフィルシアを落した魔王・無尽灰塵の異常な戦闘力については?」
「所持している魔王シリーズによる恩恵が大きいね。リリンサ本人が新しく使ったスキルだと、十二万発に分裂させた魔法陣が特殊だね。あとは前に見せた闘技場の映像のとおりさ」
いくつかの問答を交わし、悪逆が精度の高い情報を手に入れている事を確認し終えた悪性は僅かに目を見開いた。
やはり大聖母ノウィンに通じていると確信し、上手く利用して最善の結果を手に入れようと動き出す。
「レジェリクエは冥王竜を召喚し、『世界核戦争』を始めると宣言した。これには大きな意味があるが、流石に分かるだろう?悪質」
「そのくらい分かりますわよ。ブルファム王国にとって『核』とは冥王竜を表す言葉であり、大災害と同意義ですわ。事実として冥王竜が召喚されてしまった以上、国民が恐慌状態に陥るのも遠くはありませんわね」
「伝承文学や民謡などに於いても冥王竜の姿は度々語られていて、非常に知名度が高い。どうしても意識をせざるを得ない、か」
「武力を所持している私でさえ面倒だと思えるほどの存在。民衆にとってどれほどの衝撃なのか計りしれませんわ」
「で、その冥王竜がゲロ鳥を引っ張っていたんだが?なんだあれは?」
「知りませんわよ!!」
多くの間者が捕らえられた指導聖母達は早朝から緊急会議を開き、レジェンダリア軍の式典からライブ映像を見ていた。
演説台に立ったレジェリクエが自ら魔王だと名乗り始めたかと思ったら、全世界の人を奴隷にする為『世界核戦争』を行うと宣言。
世界中を巻き込む戦争をたったの十日で終わらせると宣言し、唐突に今まで隠していた無尽灰塵の素顔を公開。
この時点で、指導聖母達は混乱の海に叩き落とされた。
さらに突然、空を割って現れたのは巨大すぎるゲロ鳥。天穹空母―GR・GR・GG―。
そして降臨する、希望を費やす冥王竜。
指導聖母達は困惑し、思わず拳を机へ叩き落とした。
そんな式典から始まったフィートフィルシア侵攻は、まさに無残の一言。
人間相手に行う侵略ではないと指導聖母達を震撼させ、今に至っている。
「まさに魔王の進軍と言わざるをえない現状だが、映像だけでは分からない内情もある。悪才、キミが取得した情報を教えてくれ」
事前に決めた役割分担では、情報収拾は悪才が主導で行う領分だ。
それぞれが保険として自分の間者を送り込んでいたとはいえ、指導聖母の皮を被った商人である悪才の情報収集能力に勝てるとは思っていない。
そして、視線を向けられた悪才は事もなさげに頷き、取り出した手帳を開いて送られてきていた情報を確かめる。
「んな!?その手帳はレジェンダリアのものではありませんか!!」
「新しい技術は手に入れるべきだろう。無論、これは入手した隷属手帳を解析して作った別物だ。職業上、他者の既得権益を侵害するのが得意でね。送られてきた情報によると、式典でレジェリクエが言った天穹空母に備わっている設備は間違いなく搭載されており、食事なども十分に満足いく味だったそうだ」
「味ですの!?」
「さらに内部はいくつもの階層に分かれており、一等級奴隷以上はプライベートルームを所持。その他、リラクゼーションルームなんかもあるらしい。もはや、8割が冗談みたいな存在だな」
「ちょ、ちょっと待って下さい。何でそんなに詳しいんですの?」
「もちろん、私の手の者が搭乗しているからだ。重用しているシルバーフォックス社は優秀な人材が多くてね」
自分が送り込んだ間者との圧倒的な差を突きつけられ、悪質は言葉を失った。
これ以上は分が悪いと判断し、静かに視線を別の方向に向ける。
「特出すべきは、出撃した軍人が即時帰還可能な魔法陣が搭載されている点にある。天空という手が届きにくい場所に陣を構える事で、直線距離だけで見れば至近距離に本陣があることになり、転移魔法を簡単に発動できる条件を整えたということだ。悪性、どう見る?」
「レジェンダリア兵はいつでも撤退可能な訳か。やっかいだね」
「裏を返せば、一人でも取り逃がしてしまうと予測不可能な人数の援軍が来るという事でもあるぞ」
「ふむ、具体的な対策はあるかい?」
「ある。あの天穹空母は飛行船という、熱気球の原理を応用した船であり移動速度は時速5kmほどと遅い。冥王竜が引いているのもそれが理由だろう」
「なるほど。冥王竜さえどうにかしてしまえば移動不可状態となり、利便性を大きく削げる訳だ」
初めにやるべき事が判明し、指導聖母達は一息つく事が出来た。
それを生温かい目で神は見つめているが口を開こうとせず、あくまでも傍観者だというポジションを維持している。
「一段落した所で、それぞれが所持している戦力を確認しておこうか」
悪性がそう切り出すと、それぞれが僅かに身を引き締めた。
指導聖母同士で協力関係にあるとはいえ、相対しているのは巨大な戦力を持つレジェンダリアだ。
どのタイミングで自分の手札を使用するのかが重要であり、順番によっては捨て駒になる事もある。
張りつめた空気感の中、一番に口を開いたのは悪才だ。
「シルバーフォックス社の社長は冥王竜や無尽灰塵を目視して戦闘力を確認し、対応可能だと言っていた。業務に関わることで不確定な事を言わない性格から考えても、確実に倒せるだろう」
「あれを確実に……?どれだけ強力な手札ですの?悪才」
「私が所持している最大戦力たるシルバーフォックス社は人の理では計り知れない力を有している。これ以上の情報は有料だが聞くか?」
「命に関わる情報ですもの。御幾らですの?」
「7000億エドロだ」
「うわ……。国家予算ですわ……」
「シルバーフォックス社が私のビジネスに関わる警護の中枢にいる以上、私を買うのと同意義だからな」
言外に買わせる気はないと言った悪才を眺めている神は、ちょっとした悪戯として現金7000億エドロを創り出してやろうかと思った。
だが神は、それをすれば戦力を失った悪才が早々に離脱し、戦争に決着が付く事を理解している。
それほどまでに、シルバーフォックス社の存在は大きいものだ。
「じゃあ、悪徳が出せる戦力は何がありますの?」
「自律神話教から出せるのは鏡銀騎士団です。私めの信徒が2割ほど浸食し、部隊全体のコントロールが可能となっております。勿論、澪騎士ゼットゼロも手中に収めておりますよ」
「あぁ、澪騎士が来ないのは止めていたからですのね。しかし、よく次代の英雄に最も近しいとされる澪騎士を洗脳出来ましたわね?」
「彼女は精神汚染などが全く効かない一方、他者からの影響をとても受けやすい方なのです。真っ当な手段での意識改革など容易ですよ」
自律神話教はここ数年で規模を拡大している新興宗教だ。
唯一神・アルタマンユを主として頂き、指導聖母・悪徳を頂点として行っている活動は、洗脳などによる自由意識の淘汰。
神が与えし『信託』に従う事が正しき善であり、『神託』を作り出せる立場の指導聖母の中で最も高い信仰心を持っている自分こそ、唯一神アルタマンユ様に最も近しいという、歪んだ思考の上で成り立っている。
なお、そんな実情を最近知った唯一神は、近い内に潰してやろうと目を細めて笑っている。
「次は悪性ですわ。どんな戦力を隠しておりますの?」
「ぼくかい?ぼくは大したこと無いよ。ブルファム王国の正規兵及び、保管されている魔道具くらいだね」
その返答は至って普通。
だが、それが決して甘く見てはならない大戦力だという事は周知の事実だ。
衰退しているとはいえ、ブルファム王国は長い歴史を誇る大国だ。
最新の技術が集まってくるのは当然として、今では仕組みが解明できない複雑な魔導規律陣を用いた魔道具も数多く眠っている。
それらが古き時代に魔導枢機霊王国と繋がっていたセフィロ・トアルテを由来としたのものという事実こそ失われてしまっているが、魔道具の使用法や性能については伝来されており、発揮できる能力も他の追従を許さない。
「で、キミはどうだい?悪質」
「私はもちろん、フォスディア家の戦力ですわ。一般とは違う特殊な訓練を行ってきた自慢の門下生たちですのよ」
可能な限り胸を張って答えた悪質だが、内心ではぎこちなく笑っている。
自分が所持しているフォスディア家の武力。
それらは衰退しきり、並みの冒険者程度まで落ち込んでいると自覚しているからだ。
「特殊な訓練ね。だがそれは、バルバロアに与えた魔王の下肢骨格みたいな強力な魔道具があってこそだろう?」
「何が言いたんですの?」
「あんなレベルの魔道具を簡単に貸せるほど所持してるなんて凄いと思ってね」
「あれは扱いが難しい呪いの装備だから貸したんですのよ。他のは貸したりしませんわ」
「そうかい。それを使って君が戦果を上げるのを楽しみにしておくよ」
まるで期待していないとでも言いたげに話を流された悪質は、演技ではなく本気でギリリと歯を鳴らした。
自分でも魔王シリーズを5つも装備している化物相手にどう立ち向かえばいいのか分からない上に、貸したはずの魔王の下肢骨格は接収されてしまった。
せめて代わりの魔道具を寄越しなさいと思っているが言えず、悶々とした感情が渦巻いている。
「ふむ、レジェンダリアの戦力は心無き魔人達の統括者に加え、冥王竜、三軍将、魔弾のセブンと数多い。こちらも新たな戦力の確保をしたい所だが……。出来ないか?悪性」
「取り急ぎ冒険者を集めているが、あまり良いのはいないってのが現状だ。せいぜい『さすらいの魔獣使いプラムと雷獣ドングリ』くらいだね」
その言葉を聞いた瞬間、何かを理解した悪逆が吹き出した。
「ちょ、なんで、ここで……!?不意打ち過ぎるだろ!!」
「……あまり強そうには思えませんが、何か知ってますのね?悪逆」
「プラムは闘技場のある街カラッセア出身の新人冒険者だ。登録して間もないからラルラーヴァーの手には落ちてないし、戦闘力も申し分ない。既にブルファム王宮に接収済みだよ」
「確かに戦闘力は申し分ないだろうね!特に、ユニクルフィンじゃ絶対に勝てない気がするよ!!」
さりげなく呟かれたその言葉に、何らかの因縁があるのだと一同は感じ取った。
至急身辺調査をすると共に、王宮警護の最終ラインに選抜するべきかと考え始める。
「ぼく達が持っている戦力はこんな所だね。戦闘において不利だというのは明白だが、やりようはある。ぼくらの手札が勝ち続ければいいだけだ」
「分かり易い程の暴論ですわね。冥王竜が攻めてくると周知されれば国民の混乱は必至であり、そうなってしまえば責任を取るためにも王位継承が求められますわ。後継者がいないこの時期にそれは事実上の致命傷ですわよ」
「問題ない。レジェンダリアが絢爛謳歌の導きを所持しているからだ。それを奪い、王家の血を引く者を新たな王とする。自らの力を示した偉大なる王として民衆に受け入れられるだろう」
「なるほど。確かにそうですわね」
「問題があるとしたらむしろこっちだ。セフィナ・リンサベル、彼女がもたらす混乱の方が、ぼくはよっぽど恐ろしい」
神が笑い転げてる内に、話題は戦争の核心へと迫った。
ブルファム王宮内で存在感が広がりつつある、自称・大聖母ノウィンの娘についてだ。




