第9章補填「ワルトナちゃんの王国潜入報告書」
「あ”ー、全く筆が進まない。どう書けばいいのかまったく思いつかない。こんなの初めてだ」
「くくく、思いつかないんじゃなくて、思い切りが付かないんだろ。ホントは何を書けばいいのか分かってる癖に」
「くっ!……ねぇ、メナファス。ノウィン様、絶対知ってたよね?知ってたのに、わざと黙ってたよね? あ”ー」
フィートフィルシア陥落の報を受けた事により、ブルファム王国に激震が走った夜、ワルトナの身にも激震が降りかかっていた。
レジェンダリア軍に潜り込んでいるカツテナイ聖獣から進軍が開始されたと連絡を受けたワルトナは、ひっそりと偵察を開始した。
仕込んでいた自分のシモベを総動員し情報を集め終え、悠々自適に策謀を巡らし始めたのだ。
そんな、充実感すら覚える心地よい日常が……突如として崩壊した。
予定調和とでも言うように、ブルファム王国大臣・オールドディーンより呼び出された事を発端とし、あっという間に緊急事態へと進展してしまったのだ。
「まさか、オールドディーン卿がユニの祖父だったなんて……。もっと早く知ってたら別の手段を取ったのに。結構失礼な事を言っちゃったんだけど、どうしよう……」
「別にどうもしなくてよくねーか?」
「ユニの祖父って事は、ユルドおじさんの親って事だよ?お正月に家族総出で集まった時に露骨に嫌悪されてたら、お嫁に行った僕が困るじゃないか」
「……リリンも頭ん中がお花畑だが、実はお前も大概だろ、ワルトナ」
相手をするのが面倒だという態度を全く隠しもせず、メナファスは自分の銃の手入れをしている。
保母さんから指導聖母に昇進してしまった以上、戦闘力の補充が最優先。
メナファスはブルファム王国に潜んでいた”お友達”から徴収してきた武器をチューンアップするのに忙しいのだ。
「ま、今日はセフィナも居ないし、ゆっくり考えれば良いんじゃねぇか?それか、レジェのやった事のみを報告書に書いて誤魔化す」
「その選択肢はないね。もしノウィン様が僕の諜報能力を試しているのだとしたら、気が付くのが遅すぎたくらいなんだ。一刻も早く報告しないと」
「じゃあしとけ。ユルドルードとアプリコットの実家がブルファム王国系だなんて知りませんでした!ってな」
「くぅぅ。他人事だと思って簡単に言ってくれるね」
「事実、他人だしな。俺はお前らアホの子ハーレムに入るつもりはない」
「今、僕の事もアホの子扱いしたな!?」
ぐぅぅ。っと低い声で唸りながら、ワルトナは程良い暖かさの背もたれに抱きついた。
もっふもふでサラっサラなそれ――、ラグナガルムはまったく揺るぎもせず、ワルトナから貰った魚肉ソーセージを味わっている。
遥か高みに君臨する絶対的捕食者に乗り物にされるのに比べれば、幼子同然のワルトナに抱きつかれる事など些事に過ぎないのだ。
「僕の味方はキミだけだ。ねー、ラグナ」
「わふ?」
「一緒にノウィン様への報告書を書いたら、その後オヤツにしようね」
「わふ!」
「……その魚肉はオヤツじゃないのか。どいつもこいつもペットを甘やかし過ぎだろ」
勤めていた保育園でウサギを飼育していたとはいえ、メナファス自身はペットを飼う趣味はない。
むしろ、アホの子姉妹で十分だと思っているメナファスは、ホロビノやラグナガルムやゲロ鳥を溺愛している他のメンバーの気持ちを理解できない。
ましてや、一匹で大陸を容易に滅ぼせる超弩級の化物だというんだから、正直に言って、かなり引いている。
「あー、さてと。しょうがないから書くかー」
ワルトナはオールドディーンとの会議を思い出しながら筆を取った。
そして、まずは当たり障りの無い侵略活動について纏めしてしまおうと、ノウィンへ毎日提出している報告書の一行目を書きだす。
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「急にお呼びしてしまって申し訳ありません。大牧師・ラルラーヴァー様」
「別にいいさ。此処に呼び出される事は予想済みだからね」
ブルファム王国城の上層階、王族のみが使用できる茶室。
小さなパーティーが開ける程の広さがある部屋の中心、備え付けられている円卓に座っている者はたったの4名しかいない。
この部屋の主、アルファフォート姫。
その側近であり、古くからブルファム王国を支えてきた大臣、オールドディーン卿。
真っ白い衣装の、精錬無垢に真っ黒な聖母、ワルトナ。
そして、その従者にて天真爛漫に真っ直ぐな少女、セフィナだ。
レジェンダリア軍の大規模侵攻により、フィートフィルシアが陥落したとの一報が入ったのは、おおよそ2時間前。
大臣として執務室に籠っていたオールドディーンに連絡が入り、独自の情報網があるアルファフォートが裏付けを取った。
集められた情報は『集結した心無き魔人達の統括者によって、フィートフィルシア領は完膚なきまでに叩きのめされて完全降伏し、領主ロイが捕らえられた』というもの。
レジェダリア国との最前線が崩壊した事を知ったアルファフォートは焦り、可能な限り情報を集めようとした結果、不安定機構の上層部と内通している大牧師ラルラーヴァーに相談を持ちかけたのだ。
恐る恐るご機嫌伺いをするかのようなアルファフォートの笑みを受けたワルトナは、やはり同じような作られた笑みを返して口を開いた。
「それで、今日は何の用かな?まさかセフィナが粗相をしたって訳じゃないだろう?」
「そんな事はございません。セフィナ様はわたくし達に大変良く仕えてくださっております」
「それは良かった。この子は素直だけど、ちょっと頭が可愛らしい時があるからね。じゃ、本題に入ろうか」
「先程、レジェンダリア国が侵攻を開始し、フィートフィルシア領が陥落したとの知らせが入りました。半日というあまりにも短い時間での出来事であり、わたくしの対応が間に合っておりません。なにとぞ、お力添えを頂ければと思っております」
レジェリクエの本気を知るワルトナは、フィートフィルシアがたったの半日で陥落したと聞いても全く動揺していない。
むしろ、良く持ち堪えた方だとすら思っており、心の中で喝采を送っているほどだ。
いやー、半日も保ったのなら大したもんだね。
もともとレジェが立てていた計画では、国境を隔てている砦から一望できる草原の見渡す限りを一瞬で爆心地と化す事で、冒険者の心をへし折る予定だった。
数百発のランク9の魔法をゲロ鳥が吐き出すという、地獄よりも酷い光景なんて見た日にゃ、無条件降伏まっしぐらさ。
だけど、潜り込んだニセタヌキの話では、フィートフィルシアは自主的に降伏したらしい。
冥王竜が出てきたのは予定外だけど、ホロビノがいるから今更だし、なんのトラブルもなく侵略は順調に進んでいるね。
「そうだね、あれだけの冒険者が集まった大領地を半日足らずで攻略するとは、奴らは相当のやり手のようだ」
「ふん、白々しい。こうなる事を分かっていたからこそ、呼び出される心構えができるのだ」
大牧師の肩書きを持つワルトナは不安定機構の最上位使徒である。
だが、アルファフォート自体が階級に馴染みがなかった。
そして、オールドディーンはワルトナの立ち位置を理解しているが、持ち前の性格によって口調が乱雑だ。
結局、この三人の中では上下関係が取り払われ、それぞれが遠慮をせずに口を開きあう関係となっている。
ワルトナの『破綻会話術』によって急速に友好関係を育てられた二人は、まんまとその策謀に嵌ったのだ。
「お前が指導聖母の取りまとめ役だというのなら、独自の情報網を持っているであろう。今回の侵攻について話せ」
「何やら焦っているように見えるね、オールドディーン卿。そんなにレジェンダリアが怖いのかな?」
「怖いのではない、恐れているのだ」
「恐れている?」
「王位継承が上手くいかぬままブルファム王国がレジェリクエのものになってしまえば、儂が育てた姫達はどこぞの馬の骨に当てがわれる事になるだろう。それだけは避けなければならぬ」
厳しい物言いを好んで使うオールドディーンであっても、人間としての情が無い訳ではない。
更に付け加えるのならば、真っ当な人生を歩んできた者よりも『家族』に対する憧れと渇望が強い。
代々ブルファム王国を支える大臣として、ラクーン家の教育を受けたオールドディーンは、『不遜』という言葉そのもののような人格者に育った。
児童時代も、学徒であっても、官僚になっても、妻を娶っても。
オールドディーンは自分だけがいれば良いと思いながら生き、そして、ついに最後に妻を失うまで、己が間違っている事に気が付かなかったのだ。
国王ルイの子に男児が生まれず、将来的な危機を回避する為に、オールドディーンは自分の息子ユルドルードとブルファム王国の第一王女ラムダアルマの婚姻を推し進めた。
だがユルドルードは、表向きは5歳にも満たない女児との婚約など受け入れられないと、そして、真意ではイミリシュアと結ばれる為に、ノーブルホーク家の長男アプリコットと三人で国を出奔したのだ。
唯一の子を失ったオールドディーンは、居なくなったのならまた育ててればいいと開き直り、妻と夜を共にしようとした。
周囲から冷たい視線が叩きつけられる中、それでも役目を果たそうとした妻は……オールドディーンが何も知らぬまま、この世を去った。
オールドディーンの妻は言えなかったのだ。
息子を自分の手で育てる事が叶わず、まるで他人の様な関係になってしまった悲しみを。
それでも息子の幸せを願って秘密裏に国外逃亡を手引きし、ほんの少しの安寧を得たこと。
そして、心の支えが失われた事により傷心し、病に蝕まれていったこと。
いつまで経っても跡継ぎが生まれない事に苛立ったオールドディーンは感情を隠しもせず、妻につらく当たった。
他の女性を娶ることは外聞が良くないと嫌い、やがて、全てが失われたのだ。
大臣ということを考慮すれば、あまりにも参列者が少ない葬儀を終えると、オールドディーンの側には誰も残っていなかった。
子も妻も親も残っておらず、兄弟もいないオールドディーンはこの時初めて、自分が間違っていたのだと気が付いた。
「儂は、女児というだけで虐げられている姫達に、寂しいと言っていた息子の幼い頃を重ねてしまったのだ」
「へぇ、不遜と傲慢が服を着ているなんて言われた大臣の言葉とは思えないねぇ」
「儂は、もう、ブルファムに尽くす忠臣などではない。こんな儂を師だと仰いでくれる姫達を幸せにしてやる事しか考えてない老いぼれだ。頼む、ラルラーヴァー。どうにかしてレジェンダリアから姫を救ってくれないか?」
「家族関係が拗れた深い事情があるってのは察してやるよ。だが、僕にしてみれば甘えでしか無いね」
「甘えだと?」
「そうさ。その口ぶりだと息子は生きているんだろ?なら、何よりも先に贖罪をするべきは息子に対してだろうに」
心底興味なさそうな、そして、魂を震わせるようなワルトナの声を聞き、オールドディーン達は凍りついた。
抑揚の無い声だからこそ、ワルトナの怒りが直接伝わったのだ。
「自分で言っているんだから自覚はあるんだろうが、本当に姫に縋っているだけの老いぼれだね。大臣という立場なら、その息子の行方を追う事は容易だったはずだ。まさか出奔したからといって調べなかった訳じゃあないだろう?」
「調べてはおるし、一緒に出奔したミリアード家の御令嬢と結ばれ、孫がいる事も知っている。だが、儂が手出しをしてはならないのだ。息子はもう、儂とは違う運命を――」
「結局それも保身なんだよ。うざったい理由なんかどうでもいいから、さっさと息子に会いに行って謝って、そして決定的に嫌われな。謝罪すらしないで逃げてるんじゃない」
突き放すように吐き捨てたワルトナは、要注意人物としてのオールドディーンの評価を下げた。
戦時下に呼び出されて関係ない話をされた事にも思う事があるが、なにより、逃げまくっているその姿勢が気に入らないのだ。
まったく、要するに自分が大切にしている姫がレジェの奴隷になるのが嫌って事だろ。
レジェは酷い策謀を平気で実行する女王だが、関わった人が一方的に損をする取引をする奴じゃない。
感情を度外視すれば、一定以上の利益の配当があり、気持ちの持ちようでいくらだって幸せになれる。
ま、そんな事を教えてやるほど、僕はお人良しじゃないけどね。
気が付くまで、せいぜい苦しむと良いさ。
それが罰だよ。オールドディーン。
「儂が息子や孫に謝っても良いのだろうか」
「さてね。……ちなみに、どう思う?セフィナ」
「えっと、仲直りした方がいいと思います!!」
揺るぎない自信を振りかざし、セフィナはオールドディーンに笑顔を向けた。
家族に会えないのは寂しいもん!っと声高らかに口を開く。
「私も、ずっとおねーちゃんと会えなくて寂しい思いをしてきたの。再会した時には喧嘩もしちゃって、もっと寂しくなって泣いちゃった。でも、ちゃんと話したら仲直り出来たんだよ!だからオールドディーンさんも息子さんに謝った方がいいと思います!」
「そうか。……そうだな。許す許さないは息子が決める事であって、まず儂は謝らなければならなかったんだな」
「そうです!そして、謝ったら許して貰えると思います!」
僅かに軽くなった空気を吸いながら、ワルトナはヘラヘラと笑みを浮かべている。
さてと、セフィナを使って友好も深めた事だし、ロイをスムーズに王位に付かせるために一芝居打っておくかねぇ。
オールドディーン卿は息子か孫と会う事を望むだろう。
なら、僕が連れて来てやればいい。
国に尽くす気が無いというのなら、問題を解決して、さっさと退いて貰うとしよう。
「この急を要する戦時下で精神的な問題は命取りだ。その息子や孫の情報を開示しな。連れて来てやるよ」
「すまないがそれには及ばない。気持ちだけ受け取っておこう」
「また逃げるつもりかい?」
「違う、連れて来ずとも、孫とは会う事になるのだ。敵としてだがな」
「……。あん?」
「儂の孫の名前は『ユニクルフィン』。無尽灰塵の騎士としてレジェンダリアに仕えておる」




