第108話「超魔王会談③子女、シフィー・キャンドル」
「うふふ……あぁ、動いた。可愛いわねぇ、シフィー」
「はい、陛下に捧ぐこの子は、きっとロイくんに似た勇敢でまっすぐな男の子に育ってくれると思っております」
大魔王陛下は、うっとりとした表情でシフィーのお腹を撫でている。
まるで本物の宝石を磨き上げるかのように、その手の動きは慈愛が溢れていて。
……あぁ、なんて酷い。
こんなに酷いものがこの世に存在していいのか……。
「……レジェ。どういうこと?」
「見てのとおりよぉ。シフィーは余に忠誠を誓う奴隷。隷属階級もテトラと同じ一等級に繰り上げ済み。それに見合う働きをしたのだから当然でしょぉ?」
大魔王陛下に質問をする前には既に、リリンは平均的に苦々しい顔をしていた。
策謀が得意でないとはいえ、シフィーの露骨な態度の変化を見て察しない訳が無い。
俺とリリンが辿りついてしまった……答え。
圧倒的戦力を有しながら、レジィがフィートフィルシアを落とさなかったのも。
ブルファム王国の紋章冠である『絢爛謳歌の導き』無くして、王位を継承するための策謀も。
それを成すには、あと3ヵ月以上の時間が必要になるのも。
全ては、ブルファム王家の血を引き、正当な王位継承権を持つロイの子供が生まれるのを待っていたから……、か。
こんなん、対策の立てようがねぇ。
酷すぎんだろ、大魔王ォォォォォォォォォォッッッ!!
「しふ、しふしししし……、しふぃ?」
「はい、なんですか?ロイくん?」
なんだこのゴボウ人間。……あぁ、ロイか。
一瞬で細い根っこの様に枯れ果てたロイが、へにゃへにゃと震える指をシフィーに向けた。
とてもじゃないが、9万人の冒険者を統べた領主だと思えない。
これじゃ、普通のタヌキの鼻息にすら耐えられないだろう。
一方、シフィーは物凄く艶々した良い笑顔でロイを眺めている。
なんかもうね……レジェンダリアには大魔王しかいねぇのか。
「しふ……しふ……。キミはぼくのこと……」
「あぁ、別にロイくんの事は嫌いじゃありませんよ。普通に愛してます」
「しふぃー……?」
「ただ。出会いの切っ掛けも、関係を維持する理由も、お腹に子を宿したのも。全てはレジェリクエ女王陛下の願いであり、何よりも優先される私の願いなのです」
嘘偽りのない本音だという様に、シフィーは笑みが消えた真顔で言い切った。
新人冒険者試験の時しか付き合いが無い俺ですら確信を以てそう思うんだから、ロイだってシフィーがどういう立場なのかを理解しているだろう。
ロイは黙っている。
いや、たったの一言も話せないくらいに、深く深く――、絶望している。
「……ぅぁ……。」
「ロイくん、レジェリクエ女王陛下に忠誠を誓ってください。そうすれば、私は一生ロイくんの側にいますよ。レジェリクエ女王陛下に遣える従順な配下として、『ロイ』の生涯を愛すると誓いましょう」
椅子に座したままの、大胆不敵な大魔王告白。
それはもはや、告白と呼ぶには黒すぎる……大魔王宣告になり果てている。
真っ直ぐにロイの喉元に突きつけられた誓いの言葉。
魔王の右腕より鋭いそれが、ロイの心を滅多刺しに破壊し……。
ぅぁぁぁぁッッ!!と悲鳴を上げて、ロイは俺の後ろに隠れた。
「ひぅ!ひぃぃぃぃ……ゆ、ゆにふ……ゆにふぅぅぅ!!」
かろうじて声を発したロイが、怯えた目で俺に脚にすがりついている。
流石にこれは振りほどけねぇ。
それをやったら俺まで大魔王だ。
「こらこら、ダメですよ、ロイくん。ユニフくんはリリンちゃんのですから」
「いや……今くらいは良いさ。仲間がいなくて寂しいもんな」
「そうなんですよ、ロイくんって友達が少ないんです。レジェリクエ女王陛下の暗躍によって、訳が分からない内に領主になっていまして……情けない事に、友達と呼べる人ってユニクくんくらいしか居ないんですよー」
「こんだけ冒険者で賑わってるのにボッチなのか」
「領主になるための全ての障害は、レジェリクエ女王陛下によって取り除かれてますから。じっくりと冒険者と話をしなくても問題が起こらないので、友好を広げる機会って無いんですよー」
「ボッチなのも大魔王陛下が暗躍した結果だと……。なにその悪質ないじめ」
「ちなみに実行犯は私です!えへへ!!」
……これはもう駄目だ。
ついさっき、ぶにょんぶにょんドドゲシャーぐるぐるげっ刑されてしまえ!と言ったばかりだが……。
前言撤回。今は泣いていいぞ、ロイ。
俺が背中を軽く叩いて慰めていると、べそべそとロイが泣き始めた。
僅かに聞き取れる程度の声から察するに、大魔王降臨からだいぶ精神的に追いつめられていたらしい。
嗚咽を交えながら泣き言を言うロイと、真面目に聞く俺。
それをにこやかに眺めているシフィーと大魔王陛下。
そして、二人でお茶会を楽しんでいるリリンとテロルさん。
しばらく混沌とした状況が続き、ロイに代わって俺が口を開く。
「なぁ、なんでシフィーがそんな事をしたんだ?やられた事の意味は分かっても、そこが納得できないってさ」
こんな状況にあってなお、ロイはシフィーの事を信じたいらしい。
間者を送りこまれていた事には納得できても、それがシフィーだというのは受け入れたくないと呟いている。
実際、そこは俺も気になる所だ。
大魔王陛下が確実な一手を打ったというのは理解しているが、その重要な人物にシフィーが選ばれた理由が分からない。
シフィーは俺達と同じ、レベル2000にも満たない新人冒険者だったんだぞ?
大魔王陛下の手駒にしては、どう考えてもレベルが低すぎる。
「それは私がキャンドル家に生まれたからですよ」
「キャンドル家?」
「キャンドル家はこの大陸の西部を牛耳る巨大な闇の組織、その頭目なんです。時代の権力者を籠絡させ、その力を奪い取るのを家業にしているわけですね」
……なんか、巨大な闇の組織とか出てきちゃった。
どう考えても裏社会を支配してる感じで、一応『聖母』って付いてる指導聖母よりも危険な感じが半端じゃない。
そう言えば、ロイが憧れていたというブルファム王国の旧時代の将軍『ガルファレス』は、シフィーの祖母のハニートラップに引っ掛かかって婿入りしたって話だったっけ……?
ということは、3世代に渡って美人局をしてやがるのか。
「党首である祖母は、ブルファムの独裁は長く続かないと見立てていました。そして、レジェンダリアの王朝崩壊を疑問視し、次の覇者はレジェンダリアであると予想を立て、私を含む23人の孫を様々な系統の人物へと育てたのです」
これも訂正。3世代ではなく、一家総出で美人局してやがった。
ヤバすぎんだろ、キャンドル家。
「私に与えられた役割は『無垢な一般人枠』。その為に専門性に特化した兄弟姉妹とは違う、一般家庭の子女として育てられました。レベルだって上がらない様に調整されてましたし」
「ん?意図的にレベルを上げないなんて、そんな事できるのか?」
「出来ますよ。要するに愚図の平民と同じ生活をすればいいんです。究極的には、完全な地産地消が出来る環境でレベルに影響を与えない知識ばかりを追い求める……そうですね、辺境の農村に引きこもって読書でもしてれば、レベルは全く上がらなくなります」
……なにそれ。すっごく身に覚えがあるぅ。
なんか村長にも同じ事をされていた気がしているが……、今は一旦置いておこう。
シフィーはレベルが上がらないように管理されていて、それで……?
「そして、機を見た祖母はレジェリクエ女王陛下と接触を図り、陛下が私をお求めになって契約となったわけですね」
「契約?」
「隷属システムとは違う、一般的な意味での奴隷契約です。もともと私は、祖母からレジェンダリアの鮮やかな王位継承の話を聞き、レジェリクエ女王陛下に憧れを抱いていました。意図された一般人であるからこそ、私の願いは叶うことはないと思っておりましたが……、こうしてレジェリクエ女王陛下のお役に立てたのですから、この瞬間の為に私は生きて来たのだと胸を張る事ができます。だから……」
俺に脚に纏わりつく枯れ枝になっているロイへ、シフィーが手を伸ばした。
そして、大きくなっているお腹に負担を掛けない様に、綺麗なドレスが汚れるのも厭わず膝を地面に付いて――、ロイの頬に手を添える。
「しふぃぃ……?」
「ロイくん。レジェリクエ女王陛下に忠誠を捧げなさい」
……ここで言うのがそれかよ。
俺の人類史上で、間違いなく最大の悪女だ。
「あぅ……。あうあう……」
「ほら、心細いなら私も一緒にレジェリクエ女王陛下に誓ってあげますよ。だから元気よく鳴いてくださいね?ぐるぐるげっげー」
ここで言うのが、よりにもよって、ぐるぐるげっげーー!!
「人の生も死も掌握する、偉大なるレジェリクエ女王陛下に忠誠を。ぐるぐるげっげー」
「ぐぅ……」
「ロイくん、ぐるぐるげっげーです。ぐるぐるげっげー」
「ぐぅ、ぐ……。ぐるぐる……げっげぇーー……」
ロイ、鳴く。
この世界一悲しいぐるぐるげっげーを、俺は生涯忘れることはないだろう。




