第93話「魔王軍、降臨②無慈悲なる魔王」
「ぐぅぅぅぅうううううううる!」
「ぐぅぅぅぅうううううううる!」
「きんぐぅぅぅううううううううッッッ!!」
天空より発せられた、この世の全てを否定する怒号。
あらゆる負の感情の爆発は、草原で佇まう兵士達を戦慄させた。
「なんということだ……。め、冥王竜……が現れただと……?」
聳え立つ二体の巨竜を見た、誰かが言った。
『アレは冥王竜の側近。大災厄の先触れ』なのだと。
これからいずれ来る者こそ、かの大厄災『希望を費やす冥王竜』なのだと。
この場には、『希望を費やす冥王竜』の真髄を理解できる者が少ない。
招集された9万の兵の内、100人にも満たない0.1%の極少数だけが、冥王竜が持つ肩書きの『大陸滅亡の危機』の意味を知っているだけ。
冥王竜のその姿までは、知識として浸透していない。
だからこそ、次元を破壊して現れた冥王竜の咆哮を受けた兵たちは沈黙し、動けなかった。
漠然と喚き声を張り上げているだけの馬鹿の指示など、聞く訳が無い。
顔面蒼白になっていない指揮官など、脅威を理解していない無能なのだから。
「総員、傾聴ォォォォッッ!!」
だが、茫然自失と成りかけた者の中に『本物』が居た。
彼こそ、鏡銀騎士団8番隊・大隊長『ハイルライト』。
総隊長・澪騎士ゼットゼロが重用している人物だ。
「冥王竜は強大だ!我らでは勝てん!!だからこそ、生き残ることに全力を注ぐのだ!」
ハイルライトは、冥王竜とフィートフィルシア軍との戦力差を正しく理解している。
それはまさに、……『抗えぬ、死』
かの冥王竜が戦闘の意思を持った時、ここにいるほぼ全ての兵の命が潰えると分かっているのだ。
「既に救援信号は出した!近郊に居る澪騎士ゼットゼロ様がすぐに来てくれる!だから、なんとしてでも生き残れぇぇぇ!!」
冥王竜の咆哮に劣らない絶叫は、ハイルライトが見据える唯一の活路。
10万人近い兵全てが逃げ惑って時間を稼ぎ、冥王竜に対応できるであろう唯一の存在『澪騎士ゼットゼロ』の到着を待つのが、彼が考えられる最大の勝機だった。
そして、僅かな希望を与えられた兵士たちは奮い立った。
自らを守り、生き残る。
自らが守り、生き残らせる。
命を分かち合った兵士達は、奇しくも、この時に初めて真の意味で心を一つにした。
「生き残れ!時間を稼げ!!逃げ続けろ!!!来るべき勝機の為にッッ!!」
ハイルライトの叫びは続く。
沈黙している冥王竜の存在を上書きするかのように、心が折れかけている部下を激励しているのだ。
だが……。
「……ん。それは困る。澪騎士が出てくると、真面目に戦わなくちゃならなくなるから」
まるで鈴の音を鳴らしたかのような、戦場に相応しくない幼声が天空から響いた。
そんな物が聞こえるはずがないと、逃げ惑う準備をしていた群衆は一斉に空を見上げる。
「なんだ……アレは……?」
巨竜によって破壊された空は曇天となり、太陽の光を覆い隠している。
それを背景にして立つ異形なる姿は、まさに物語じみた……『魔王の降臨』だった。
身の丈ほどもある両腕、体に巻き付き蠢く大尾。
光が失われた空に君臨する異形なる者は、認識阻害が掛けられた仮面越しに涼やかな声を発した。
「愚かにも、私とレジェに盾突いた人たち、ごきげんよう。私が心無き魔人の統括者、総帥。無尽灰塵。」
芝居がかったセリフを溢し、無尽灰塵――リリンサは笑った。
露わになっている口元を歪ませ、これから行う蹂躙に想いを馳せている。
「無尽灰塵だと……?レジェンダリアに巣食う魔王が、なぜ……?」
「そう。私は魔王。魔王だから手加減も慈悲もない。《恐怖機構、起動》」
パチリと乾いた音を指で鳴らし、リリンサは身に纏っている5つの魔王シリーズの恐怖機構を起動させた。
そして、撒き散らされた生命本能を刺激する恐怖の波動が、地上を蹂躙してゆく。
「「「ひっ!ひぃぃぃああああああああああああ!!」」」
四肢を滅多刺しにされているかのような、耐えがたい危機感。
それが、地上にいる兵士全てに襲いかかり蹂躙した。
相手を考慮せず、一切加減をしていない魔王シリーズの恐怖の波動は、その人物の人格すらも歪めかねない程に危険。
だが、そうなっても構わないと、リリンサは思っている。
リリンサの感情は、怒りによって塗り潰された。
最近になって揺さぶられたあらゆる感情は消える事はなく、ラルラーヴァーへの怒りとなり、心の奥底で燻ぶり続けている。
そして、その矛先を向けるべき敵が目の前にいる以上、平静を装っていた『我慢』は解き放たれる事になる。
「悪い幼虫の甘言に誘われ、欠片の砂糖に群がった羽虫ども。よくも私の大切なものを奪ったな。よくもセフィナを傷つけたな。その罪、絶対に許しはしない」
一方的に突きつけられた言葉は、その場にいる誰ひとりとして理解できなかった。
だが、自分の知らない何かが魔王の逆鱗に触れてしまったのだと、本質だけは理解できた。
逃げ惑う兵士たちは集結し、手当たり次第に『第九守護天使』を掛けていく。
魔王シリーズによって決めつけられた思考は、領主より与えられた絶対なる防御魔法を駆使し、魔王の逆鱗に逆らうと決めたのだ。
「第九守護天使ね。……いまさら足掻くな。見苦しい。その程度の防御魔法など、私の前では無意味だと知れ」
リリンサは言葉に更なる怒りを乗せ、群衆へ叩きつけた。
そして、英雄の父より承った知識を元にし、理不尽としか言いようが無い……未知の呪文を生み出した。
「《五十重奏魔法連×五十重奏魔法連×五十重奏魔法連》」
リリンサが天空に出現させた50個の魔法陣が、それぞれ50個の魔法陣へと分裂増殖。
そして、2500個の魔法陣が、更に50個の魔法陣を発生させ……。
地平線の彼方まで空を埋め尽くす12万5000個の魔法陣すべてに、光が満ちた白雷の槍が輝いた。
「……喰らえ《天蓋雷光槍》」
矛先を向けられた一本の槍を地上から見上げても、点にしか見ないだろう。
だが、それらが繋がり果てなく続く事によって出現した『光の吊り天井』は、9万の群衆に人生を振り返させるーー絶望となる。
光の空に押し潰されるまでの、ほんの数秒に満たない僅かな時間。
逃げ出す時間はなく。
返り討つ策もなく。
ただひたすら後悔に苛まれた走馬灯の果て、身に纏っていた防御魔法の残滓と大地だった残骸が、あらゆるモノを薙ぎ倒した。
「がっがは!!風だッ!!全力で風を起こせッ!!」
リリンサが叩きつけた天蓋雷光槍により、なだらかだった草原500m四方が爆心地と化している。
そして、巻き上げられた粉塵により、周囲一帯に倒れ伏す人間は呼吸すらままならない。
叩きつけられた12万発の雷光槍は、言ってしまえば、ただの暴力だ。
魔法の真理を知るリリンサは、無作為にばら撒いた雷光槍では第九守護天使を破壊できない事など、百も承知している。
真の狙いは、爆光と窒息による第九守護天使の術者の無効化。
たった一人が意識を手放せば、その者が使用した第九守護天使の影響下にあった者は全て道連れとなり、そこから一気に崩壊が始まる事になる。
結果、モウモウと沸き立つ粉塵の中で立ち上がれた者は、半数にも満たなかった。
「空気を掻き混ぜろ!窒息で死ぬぞ!」
真っ暗な視界の中で、確かな経験を積んできた冒険者達が叫ぶ。
喉に絡み付く砂が肺に達すれば、それだけで致命的な負傷となるからだ。
辛うじて第九守護天使が残っている者は、倒れ伏している者達に近づく死を回避させるべく、各々が出来るうる最大の方法で粉塵の除去に努めた。
魔法で吹き飛ばす者。
剣を振り回し風圧を発生させる者。
そして、彼らの努力の果て、粉塵が晴れた空には……。
「《五十重奏魔法連×五十重奏魔法連×五十重奏魔法連》」
再び、12万5000個の魔法陣が輝いていた。
「……嘘だろ」
「《天蓋雷光玉》」
光の吊り天井、第二波。
天を埋め尽くす雷の弾丸が、無防備を晒した群衆へ叩きつけられた。
だが、打ち付けられた雷撃の痛みは、人体に多大な影響を与えるものではない。
『命を取るのはやり過ぎ』と自らを戒めたリリンサが、威力の低いランク1のサンダーボールに切り替えていたからだ。
そんな、自らの信条を優先しただけの無慈悲な攻撃は、奇しくも、最大の効果を発揮する事になる。
刺し貫き有爆する雷光槍と違い、サンダーボールは純粋な電気を相手にぶつける技であり威力が低い。
だからこそ致死になり得えず、人間の神経が感じられる最大値の痛みが発生してしまったのだ。
第九守護天使が破壊され、それらに全身を浸す事になった7万人を越える冒険者は……一人残らず意識を手放し、大地に沈んだ。
「たったのニ撃で、8割が全滅……」
周囲を見渡した熟練の冒険者たちは、甚大な被害に開口するしかなかった。
冥王竜ではない、恐らくは人間であろう者に、ここまでの被害を受けるとは思っていなかったのだ。
「だ、だめだ。ここにいちゃ魔王に殺される……。魔王から逃げろォォォオおオオオおオオオ!!」
誰が一番に走り出したかなど、調べようが無い。
両足で大地に立っていた全ての人間が、一斉に国境を隔てている砦に向かって走り出しているからだ。
自分を取り囲む死屍累々に似た光景。
それらと、リリンサが一切の加減なく撒き散らしている恐怖の波動が合わさった今、逃亡以外の選択肢が現れる事はない。
「かかか……隠れなきゃ、一秒でも早く、魔王の前から隠れなきゃぁぁ!」
本能の赴くままに、群衆は魔王から逃げ出そうとした。
一刻も早く視線から逃れるべく遮蔽物を求め、目に付いた煉瓦造りの砦へと引き寄せられる。
だが、それをリリンサが許すはずが無い。
「全滅させていい」と言われている以上、たったの一人すら残してやるつもりが無いのだ。
「逃がすわけない。《装填し起動せよ。魔王の脊椎尾》」
リリンサの足に絡み付いていた魔王の脊椎尾が、駆動音を上げて解れてゆく。
まるで生来ずっと寄り添ってきたかのように、魔王の脊椎尾はリリンサの意図を汲み取り蠢めいて……真っ直ぐに伸びきった尾の先端が、砲身のように変形。
先端から零れ出す光を嬉しげに見つめ、リリンサはさらなる命令を下した。
「《魔法陣展開。命令式に応じ、最適化せよ》」
「《射出速度向上、付与》」
「《持続性向上、付与》」
「《貫通性向上、付与》」
「《空気抵抗無視、付与》」
「《太陽光影響無視、付与》」
「《物質抵抗値無視、付与》」
「《指向性一定化、付与》」
「《破壊力一定化、付与》」
「《効果範囲一定化、付与》」
リリンサが求めた9つもの魔法陣が、魔王の脊椎尾の最先端に出現した。
やがて、直視困難な程の輝きを放ち始めた砲身が、それらの魔法陣を突き刺すようにして展開し――。
「見果てるが良い。これが、私を守護する絶対防御の輝き。《星を穿つ雷人王》」
まるで定規で線を引いたかのように、大地に白線が穿たれた。
それは、万物の滅びを体現する光の浄化。
地平線の彼方まで続く白線から噴き出した光の壁が、逃げ出した冒険者すべての未来を阻んだのだ。
リリンサによって完全にコントロールされた魔王の脊椎尾からのレーザー砲撃は、たったの一撃で大地と群衆の心に深い傷を付けた。
目指すべき砦の前に横たわる、奥行き15mはある大地の裂け目。
突然穿たれたその断崖絶壁は、群衆にとって生と死を分ける境界線に見えた。
「大地が……消滅した……だと……」
「止まるな!!飛べ!!ギリギリまで足場を作って、あっち側へ飛び越えろォォ!!」
魔王は俺達が砦に行くのを阻止した。
ならば、それを達成する事が、最も生き残る確率が高いはずなんだ。
歪められた思考によって導き出された答え。
それを吟味している余裕など、ある訳がない。
一斉に動き出した冒険者たちは、日常の中で無数に繰り返してきた連携を仲間達と行った。
魔法によって創り出された足場を上を、身体能力が劣る後衛職が先に駆け抜ける。
前衛が後ろに付いたのは、不測の事態に対応するためだ。
そして、数十組ものパーティーが同じような事を行えば、いくつかの失敗は起こってしまう。
「あっ」
「シュルアッ!」
シュルアと呼ばれた魔導師が、踏み抜いた大地と共に地面の裂け目へ落ちてゆく。
彼女が魔法を失敗したのではない。
魔法によって強化されたはずの大地が、彼女の体重に耐えきれずに崩落したのだ。
これはリリンサが張った、罠。
足場となる大地の内部に不規則な穴が開くように、リリンサはレーザー砲撃の指向性をコントロールしていた。
「たく、世話が焼けるぜ」
「スクィルっ!?」
「先行ってろ。俺もすぐに行くからよ」
スキンヘッドの大男『スクィル』は落ちゆく仲間へ強引に手を伸ばし、力の限りに振り上げた。
助けられたシュルアは本来の軌道を取り戻し、対岸へと向かう。
そして、その反動を受けざるを得ないスクィルは、真っ逆さまに底が見えない闇へと落ちていく。
眩しい光に向かい進んでいく仲間と、暗黒に堕ちてゆく自分。
あっけない最期だったと思う反面、カッコイイ最後だとも思う。
これでいいんだと納得し、スクィルが最後に向けた視線。
それが捉えた光景は……。
「ぶにょんぶにょん、ドドゲシャーッ!!」
助けた仲間が頭から捕食されているという、耐えがたい絶望だった。
「ぶにょんぶにょん、ドドゲシャーッ!!」
そして、自分が向かう先にも同じ、ぶにょんぶにょんドドゲシャー!が蠢いているのを見て……。
「くそ、夢も希望も、ありゃしねぇ……」
涙を溢す暇すらなく、スクィルの意識は暗黒に飲み込まれた。




